鉄砲

東アジアの風雲

第774話 『朝鮮出兵-3-鴨緑江の対峙』

天正二十一年二月十八日(1592/3/31) 朝鮮・明国国境 鴨緑江「申し上げます! 敵日本軍、鴨緑江の対岸に陣をはり、待ち構えております!」 明軍の総大将である楊鎬ようこうは斥候の報告を聞いて考え込む。 軍は鴨緑江の西岸から数キロ離れた地...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第282話 『生麦事件』

文久二年七月二十一日(1862年8月16日)生麦村 雲一つない晴天。東海道の生麦村付近を、薩摩藩主・島津忠義の父、島津三郎久光の一行がゆっくりと進んでいた。江戸での交渉を終え、薩摩への帰路についたのだ。「国父様、少々お休みになってはいかがで...
東アジアの風雲

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード> フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳) 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は当時...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第242話 『箱館ロシア領事館と大村藩、そして幕府。……やはり攘夷じゃあ!』

安政六年十一月三十日(1859/12/23) 箱館 ロシア領事館「さて、|如何《いか》なる|故《ゆえ》にて|斯様《かよう》な仕儀とあいなったか、しかとお伺いしたい」 松前藩家老の松前勘解由と立石昭三郎は、ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィチを...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第235話 『薩摩、佐賀、長州』

安政六年七月五日(1859/8/3)  ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。 1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。 2. 攘夷じょうい論:外国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第220話 『第十四代将軍、徳川慶福に内定す』

安政五年五月一日(1858/6/11) 江戸城 御用部屋「して掃部頭かもんのかみ様、如何いかが致しましょうか」「ふむ、まずは水戸のご老公であろう。海防参与、軍制改革参与となっておるが、如何いかなるものか。その見識を聞き、今の時勢にあわぬのな...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第210話 『天誅』

安政四年一月二十九日(1857/2/23) 江戸 大村藩邸「おお! そうかそうか! 謙三さんが『生茶葉蒸器械』と『製茶摩擦器械』の開発に成功したと! ? そうかそうか! 良い事じゃ!」 4か国会談が終わり、クルティウスは下田から長崎へと戻っ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第193話 『技術革新と安政の大地震』

安政二年十月八日(1855/11/17) 反射炉に変わる転炉の開発を行うヒントとして、酸素を吹き込む事により脱炭を行い、また不純物を取り除く方法を信之介から与えられた精煉せいれん方は、もう一つのヒントをもらっていた。 ベッセマー転炉では炉壁...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純久は以...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第182話 『四賢侯、山内容堂と島津斉彬』

嘉永七年八月二十日(1854/10/11)  京都「いやほんま、次郎さんの神通力には目を見張るものがありましゃるの。雲龍水に消火器、前もって備えておったからこそ、これだけの災いで済んだのであろうの」 京都の大村藩邸からは一之進肝入りの医師団...
天下百年の計?

第720話 『セバスティアン一世の治世と駐ポルトガル肥前国(大日本国)大使館』

天正十三年九月九日(1584/10/12) リスボン王宮  「宰相よ、今、肥前国との貿易収支はどうなっている?」 宰相は書類に目を落とし、慎重に答える。「陛下、現状ではかろうじて収支が0の状態です」「……そうか。かろうじて、か。一時は肥前国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門> やっべ……重大な事を思いだした。 あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第640話 『虚々実々、南海の大戦まで半年か?』(1578/4/18) 

天正七年三月十二日(1578/4/18) マニラ 小佐々軍駐屯地「なに? 知らぬだと? ふ、ふふふふふ。喰えぬ男のようだな、玄蘇げんそよ」「は。なにぶん知らぬ存ぜぬの一点張りでして。されど、やつらは時間稼ぎをするつもりのようです」 景轍玄蘇...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城「そうか。織田からはそのような要望が」 純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」「まずないでしょう」 そういうのは直茂だ。...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
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第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29)

弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城 史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。 やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。  土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連の関...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城 6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。 また彼らは、織田領内では小学・中学・高校という教...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30)

天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門>水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗した。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第61話 『徳川斉昭の謹慎とおイネ道中に適塾留学生』(1844/6/21) 

天保十五年五月六日(1844/6/21)  一之進がおイネを探して二宮敬作と出会い、なりゆきで診療所の手伝いをしていたころ、フランス船アルクメール号が那覇に入港し、通商を求めていた。 モリソン号事件に続きイギリス船サマラン号、そしてフランス...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)

天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門> 俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。 しかし、原理はわか...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第46話 『雷汞(らいこう)の生産成功と銃の進化』

天保十二年五月一日(1841/6/19) 精錬方研究所 ちょうど調練の観閲が終わるタイミングで信之介が報告にきたものだから、次郎はすぐに純|顕《あき》に退座する旨を伝え、研究所に急いでやってきた。「さすがだな信之介、信じていたぞ(2年遅れだ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場 天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。 もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で江戸...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺 越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。 信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのためには...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあいなり...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第34話 『まじで何が売れるだろう? 高炉の件は鍛冶屋と波佐見の窯焼き職人&炭焼き職人に任せようかな』(1839/08/20)

天保十年七月十二日(1839/08/20) 玖島城下 次郎邸 <太田和次郎> 次郎邸、といっても新築ではない。 本邸と、お里用の小さな部屋(家)が隣同士になるような土地と屋敷を購入して、あくまで隣の女主人のような形にしたのだ。 同じ屋根の下...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第29話 『幕府最後の巡見使。ゲベール銃の完成とパーカッションロック式』

天保九年四月十四日(1838/5/7) 玖島くしま城「巡見使の検分はつつがなく終わったか?」 巡見使とは、江戸幕府が諸国の監視と情勢調査のために派遣した使節の事だが、天領および旗本知行所を監察する御料巡見使と、諸藩の大名を監察する諸国巡見使...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第25話 『ゲベール銃』(1837/10/01)

天保八年九月二日(1837/10/01) 長崎 次郎左衛門『ゲベール銃』 1670年代にフランスで開発されて1777年にオランダが正式採用した小銃で、一般的に言われる火縄銃と同じように火薬と弾を銃口から込めるが、点火方式が火縄ではない。 フ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第24話 『白帆注進心得』(1837/9/14)

天保八年八月十五日(1837/9/14) 玖島くしま城 <次郎左衛門>「は、白帆注進の際における心得にございます」 俺は居住まいを正し、殿に進言をした。「いかなる物か?」「はい」 俺はそう言って箇条書きにした提案一覧を読みながら紹介した。内...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第23話 『モリソン号警告についての幕府の見解と、聞役としての動き』(1837/9/14)

天保八年八月十五日(1837/9/14) 玖島くしま城 <次郎左衛門>「次郎左衛門よ、もう傷の具合は良いのか」「はは、おかげ様をもちまして、完治いたしましてございます」 俺は右肩をグルグル回してみせる。殿はニコニコ笑っているが、鷲之わしの助...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第21話 『黒幕と顛末』(1837/7/6)

天保八年 六月四日(1837/7/6) 雪浦村 冨永屋敷 <次郎左衛門>「あ痛……」 痛みと共に目が覚めた。「おお! 目が覚めたぞ!」 一之進が俺の顔を見て安堵の声を上げる。それを聞いて、交代で仮眠をとっていた信之介にお里が駆け寄ってきた。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第13話 『二十四歳、肥前佐賀藩、十代藩主鍋島直正という男』(1837/4/19)

天保八年 三月十五日(1837/4/19) 玖島くしま城 太田和次郎「よう参った。次郎よ」「ははっ。本日はお日柄も良く、藩主様におかれましては……」「よいよい、わしらだけの時はそう畏まるでない。叔父上方や、渋江や針尾がおったら別だがの……ど...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第574話 上杉戦の反省と留学生の今後

少し遡って天正元年(1572) 三月三十日 諫早城 織田信忠 小佐々の殿様、権中納言様が上杉と軍いくさをなさっているさなか、春休みという事でわれらはいったん故郷へ帰り、元服を済ませた。 父は今年の三月が中学の終わりで、小佐々の領民は卒業後は...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第567話 国内と国外~ヌルハチの祖父とフェリペ二世~

天正元年(1572) 四月十四日 岐阜城 「ははっ」 長秀が苦笑いし、光秀や秀吉はわからないようにため息をしている。「さて、加賀の、本願寺の動きはどうか?」「は、謙信からの計略によって引き起こされた一揆にございましたが、それにより本願寺の我...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第560話 城生城の落城と鎌田政年の討死。両軍、和議となるか?

天正元年 四月五日 酉四つ刻(1830) 越中 戸波村~鷲塚村 島津軍 巳の四つ刻(1030)から始まった島津軍と上杉軍の戦闘は、巧みに離合集散を繰り返して互角のまま推移していたが、もう間もなく日没になろうかという頃、唐突に終わりを告げた。...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第559話 立花道雪の包囲vs.上杉謙信の包囲

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 能登 輪島沖「兄上、然れど昨日の三国湊は妙でしたね。煙が上がってました。君子危うきに近寄らずで、通り越して塩屋湊に寄りましたが、なにかあったんでしょうか」「助兵衛(来島通総)よ、いや殿。いい加減慣れ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第550話 阿尾城の失陥と限界街道

天正元年 四月三日 酉三つ刻(1800) 庄川東岸(広上村) 道雪本陣 晴れ「申し上げます! 阿尾城、落ちましてございます!」「なんじゃと! ?」「馬鹿な!」 菊池武勝は状況がのみ込めない。一体誰が阿尾城を落としたというのだ?「数多の上杉の...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第547話 『晴天の霹靂 越前での一揆と書状。純正、謙信に敗れけり?』

天正元年 四月二日 京都 大使館純正の顔はいつになく険しい。対上杉戦に舵をきったものの、いったいどれくらいの期間戦が続くのか?早く終わるに越した事はない。もちろん、本当は長期戦というよりも経済戦で徐々に謙信を締め付け、撤退させる事が目的であ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第546話 道雪と謙信。四月の庄川決戦~中盤戦へ

天正元年 四月二日 午二つ刻(1130) 庄川西岸(二塚村) 道雪本陣 戦闘開始から一刻(2時間)が経過し、放生津ほうじょうつ城からの伏兵と、それを防ぐために渡河した肝付・島津軍は乱戦となっていた。 伊東軍の先陣を包囲殲滅せんめつしようとし...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第545話 悲報、伊東軍の苦戦と岩成友通の戦死。

天正元年 四月二日 巳みの三つ刻(1000) 庄川西岸(能町村) 島津本陣 伊東軍が上杉軍右翼三千と戦闘を開始して半刻(1時間)が経過していた。「や! これは……まずい。急ぎ伝令を!」 庄川の西岸にある島津本陣から対岸の伊東軍の先陣が見えな...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第541話 両軍激突直前! 両越騒乱、庄川の戦い、始まる。

天正元年 四月二日 寅三つ刻(0400) 越中 庄川周辺 曇り 庄川を渡河するにあたって、四つの地点があったが、道雪は一番近い中田村の瀬からの渡河は選択肢から外した。 一度に大量の兵が渡河することは可能だが、深いために身動きがとれない。 弓...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第539話 接舷乗艦と火矢攻撃、第四艦隊壊滅??

天正元年 四月一日 午一つ刻(1100) 立花道雪 陣中「殿、杉浦壱岐守様がお見えです」「何? 壱岐守殿が?」 九州の武士である道雪にとって、杉浦玄任(1517~)は見知らぬ人物である。道雪以外の、一番近い摂津三好衆にとっても知っている者は...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第538話 第四艦隊絶体絶命?ガレオン船の弱点

天正元年 四月一日 越佐海峡 霧島丸 巳の四つ刻(1030)「何を考えているのだ!」 艦を面舵(右)に切って取り舵(左)に戻し、中央に戻して直進して向かってくる上杉水軍の左舷側に出ようとした加雲は、驚きのあまり声を上げた。 なんと上杉水軍も...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第532話 謙信の深謀遠慮と織田家の動向

天正元年(1572) 三月二十九日 越中国新川郡 宮崎城「申し上げます! 飛騨との国境に、怪しき勢(軍勢)ありとの報せがございました!」 春日山を出発した謙信のもとに、報告が入った。「なに? 怪しきとはなんじゃ? 武田の勢(軍勢)か?」 須...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館  純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。 第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城にて...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所 原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。 ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている。 ...
緊迫の極東と、より東へ

第508話 肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

天正元年(1572) 二月二十二日 筑前遠賀郡 岡湊 山鹿城 小佐々純正 小佐々領内では、特に海岸沿いの街道には信号所や伝馬宿を設置させている。 街道のコンクリート舗装は全部は終わっていないけど、信号所・伝馬宿・舗装の順に整備を続けているの...