仰せ

天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺 「そう、それが最も難し事なのだ」  会合衆の議論は連日続き、白熱していった。  千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。  山上宗二は腕を組...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第177話 『ベッセマー法と風の便り』

嘉永七年四月二十七日(1854/5/23) 大村藩 精煉せいれん方  ※大村藩内、特に科学者同士の会話には現代用語(専門用語)が頻繁に使われます。 「全く新しい炉をつくらなければならない」  信之介の言葉に、場がしいん、と静まりかえった。室...
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第176話 『幕府海軍と通訳と転炉』

■嘉永七年四月一日(1854/4/27)  次郎はあまり幕府のやることに干渉はしたくなかったが(面倒くさいので)、ことこの条約に関しては、日本の未来を左右する重大事なので、大村で黙っている訳にはいかなかった。  純顕は一回目のペリーとの会談...
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第173話『鋼鉄艦とベッセマー転炉。蒸気機関の改良と800トン級2隻建造へ』

嘉永七年一月二十四日(1854年2月21日)   現在の大村藩の造船所の利用状況は、下記の通りである。  零号ドック(ポルトランド・長さ62m幅21.5m深さ6m)……修理用。 壱号ドック(長さ122.5m幅25m深さ8.4m)壱(半分)…...
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第171話 『大船建造の禁の廃止と将軍家定の就任』

嘉永六年十一月二十六日(1853年12月26日) 大村藩庁 「ようやくですな」 「ようやくにござる」  次郎は海防掛の江頭官太夫と共にコーヒーを飲み、洋菓子を食べながら歓談している。  そう、ついに幕府が、ついに幕府が大船建造の禁を撤廃した...
天下百年の計?

第718話 『三個師団と三個艦隊。汽帆船の艦隊編成へ』

天正十三年六月二十九日(1584/8/5)   陸軍に関しては北方は小樽に、印阿国はケープタウンとカリカットに駐屯地を設営して地域の防備と運営にあたる事となったのだが、三個師団の増強はそこまで時間はかからなかった。  小樽、ペトロパブロフス...
天下百年の計?

第716話 『朝鮮出兵の話』

天正十三年四月十三日(1584/5/22)  「なに? 右議政は小佐々との通商をさらに進めるに留まらず、同盟を結べと申すのか?」  李氏朝鮮王朝第14代国王の宣祖は、右議政の柳成龍に向かって驚きの声を上げる。史実では1590年に右議政となっ...
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第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋 「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」  次郎は呼び出され、江戸城御用...
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第165話 『公儀からの質し状と登城命令』

嘉永六年七月三日(1853年8月7日) 大村政庁 「また、でございますか」 「……まただ。次郎、お主がJantje(オランダ語のヤンチェ……やんちゃの語源とする説あり)をやらかすから、こうなったのだぞ」  純顕すみあきはいたずらっぽい顔をし...
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第162話 『サスケハナ艦上にて対峙する』

嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 「提督、奴らはどうするでしょうか」  ブキャナンがペリーに尋ねると、ペリーは葉巻をふかしながら静かに言う。 「ふむ。琉球の件があるので慎重に行動しなければならないが、臆することはない。奴ら...
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第160話 『威嚇と応戦-ペリー来航前哨戦』

嘉永六年四月十九日(1853/5/26) 琉球  ブキャナンは、周囲を見渡しながら状況を確認しようと必死になった。ペリーも同様に冷静さを失わず、素早く判断を下す。 「状況は? 負傷者はいるのか?」  ペリーはブキャナンに命じて被害状況を確認...
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第159話 『一触即発! 琉球にて』

遡る事嘉永六年二月十九日(1853/3/28)  鹿児島城 「おお! これは肥前の宰相、太田和次郎左衛門殿! お会いしとうござった!」  少し|慇懃《いんぎん》無礼気味に見えるが、次郎はそれを感じつつも低姿勢で応対する。 「はは。英明なる豊...
天下百年の計?

第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城  「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」  純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。  忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。  し...
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第151話 『スクリューと九条幸経』

嘉永五年六月七日(1852/7/23) 大村藩 精煉せいれん方 スクリュー研究室   象山が加硫によるゴムの安定化に成功した事と、潤滑油の開発が終了したことで、スクリュー製造の目処がたってきた。研究室内では実験結果を詳細に記録しながら、象山...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
天下百年の計?

第701話 『氏政と。久しぶりに?純久ぶち切れる』

天正十一年十月二十九日 夜 在京大使館(小佐々事務所)<純正> 「ささ、まずは一献」  俺は氏政に酒を勧め、叔父さんは氏規や家老の板部岡江雪斎に勧めている。 「忝かたじけのうございます。では、ご返杯を」  氏政も上機嫌で、俺に杯を返してくる...
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第147話 『万次郎の帰国と大阪』(1852/2/29) 

嘉永五年二月十日(1852/2/29) <次郎左衛門>   万次郎さんは年末を待たずに、去年の11月に土佐に帰っていった。  商人同士のやり取りは、乾堂くんと慶ちゃんに任せてはいるんだけど、やっぱり面通しはやったほうがいいらしい。二人ともけ...
天下百年の計?

第699話 『経済格差と賭博場と競馬』

天正十一年七月十日 政府庁舎 「方々、此度こたびは日ノ本を如何いかにして栄えさせるか、以前より論じき題目の、つぶさなる策を論じたく存ずる。まずは国々の間に見受けられる、富の配分の隔たりを如何にして埋めるかにござる」  要するに、純正が治める...
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第146話 『高杉晋作と箱館・横浜・新潟・神戸・長崎』(1852/2/10) 

嘉永五年一月二十一日(1852/2/10) 長州 萩城下    後年、異例の出世を遂げて周布政之助は長州藩の指導者たる立場となるのだが、この時はまだ江戸祐筆ゆうひつ役である椋梨むくなし藤太の添役でしかなかった。  そのため晋作は、最初は江戸...
天下百年の計?

第697話 『本能寺の変』(1582/6/21)

天正十一年六月二日(1582/6/21) 京都大使館   織田信長をはじめとした旧来の新政府の面々に加え、北条からの使者を諫早に迎える事が出来たのは大きかった。氏規も江雪斎も小佐々の国力と軍事力に度肝を抜かれ、すっかり新政府の一員としての考...
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第143話 『横瀬参号船渠と七ツ釜四号船渠並びに幕臣報告書』(1851/12/20) 

嘉永四年十一月二十八日(1851/12/20)   次郎は2号ドックが8月に完成した後、新たに予算を計上した。  ・横瀬村(横瀬浦)に3号ドック(長さ156.5m幅28.78m深さ8.4m工期4年)、七ツ釜村に4号ドック(長さ158.4m幅...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城 「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」  牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部...
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第138話 『造船計画』(1851/7/30)

嘉永四年七月三日(1851/7/30) <次郎左衛門>  「ああそれから、掘削の人夫は松代の領内の者を使っても良いが、蒸留は絶対に土地の者を雇ってはならぬぞ。絶対にじゃ。越後と出羽の油田も買いあされ」  俺は考えられうる油田を全部買いあさる...
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第137話 『松代藩と松前藩。ソルベイ法とアンモニア』(1851/7/3) 

嘉永四年六月十五日(1851/7/3)  松代城  松代藩領内の浅川油田では調査の結果、油井として産出が認められたのは十八カ所で、産出量の見込みは一つの油井で1日平均1石7斗3升との事であった。精製すれば約三分の一が灯油となる。  そのまま...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第134話 『魚油・干鰯の増産と藩士続々』(1851/4/16)

嘉永四年三月十五日(1851/4/16) 江戸城御用部屋 上の間  江戸城には緊張感が漂っていた。  大村藩主純顕あきと家老の次郎が数名の幕閣と対峙じしている。老中首座である阿部正弘が静かに口を開いた。 「大村丹後守殿、本日はお越しいただき...
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第133話 『継電器と隼人と幕府と佐賀』(1851/3/5) 

嘉永四年二月三日(1851/3/5)  精|煉《れん》方 理化学・工学研究室  一昨年の三月に電信機の公開実験に成功し、新たに送信距離の限界という課題に直面したブルークと宇田川興斎は、その距離を延ばすための試行錯誤を繰り返していた。 「先生...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第685話 『大日本政府、初年度予算(負担金)と電池』(1581/1/4)

天正九年十一月二十九日(1581/1/4) 肥前国 純アルメイダ大学 医学部研究室  東玄甫は解剖台の上のカエルに向かって立っていた。手に持っているメスの1本は切断用、もう1本は固定用だ。カエルの足を慎重に切り開き、筋肉を露出させる。  人...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第130話 『条件』(1850/12/2) 

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「なに? では何を望むのだ?」  正弘が聞く。 「御老中様、我が家中といたしましては蒸気船の技を供し、その代わりに『大船建造の禁』を廃して頂くことを求めております」  次郎...
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第129話 『江戸城御用部屋、上の間にて』(1850/12/2)

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「大村丹後守純顕あき、命により登城いたしましてございます」 「大村家中、太田和次郎左衛門にございます」  二人は老中首座の阿部正弘より呼び出しをうけ、江戸城にいた。  9月...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第682話 『上杉家の処遇と新しい政庁』(1580/11/18) 

天正九年九月十五日(1580/11/18)  大同盟合議所 「ああそれから大膳大夫殿、上杉はいかが相成りましたかな?」  純正は別に勝頼を弾劾するつもりもなく、上杉の去就など眼中になかった。奥州や関東の服属大名と同じだ。他の加盟国は小佐々の...
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第128話 『江戸参府の儀と製茶』(1850/11/2)

遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁 「さて、此度こたび皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」  いつも柔和な純顕あきには珍しく、少し険しい顔をしている。...
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第681話 『大日本政府樹立に向けての第二回会議』(1580/10/23)  

天正九年九月十五日(1580/10/23)  大同盟合議所 「内府殿。つかぬ事をお伺いするが、蝦夷地の蠣崎ならびに奥州の大浦と安東、常陸の佐竹に下野の宇都宮が、小佐々の御家中に服属を申し出て、それをお認めになったというのは誠にござろうか」 ...
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第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14)  

嘉永三年八月九日(1850/9/14)    一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。  造船ド...
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第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9)

嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。 (同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り)  十五隻  和蘭オラ...
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第679話 『北条と奥州』(1580/8/7) 

天正九年六月二十七日(1580/8/7)  「内大臣である」  純正の前に三人の使者が、時を同じくして訪れていた。もちろんまったくの同時ではない。  渡島国おしまのくに(北海道・渡島半島)の蠣崎かきざき若狭守季広すえひろ、陸奥西部の大浦(津...
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第124話 『お里の妊娠と缶詰とドラム缶』(1850/5/13)

嘉永三年四月二日(1850/5/13) <次郎左衛門>  お里が、妊娠した。  こういう時、男ってどうなんだ? てなくらいなんだかよくわかんなくなる。 「何してんの! ジロちゃん! 早く行ってあげて! おさっちゃん、ああ見えて……ああ、もう...
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第123話 『吉田松陰と宮部鼎蔵の大村探訪記とスクリューと潤滑油とゴムの話』(1850/4/2) 

嘉永三年二月二十日(1850/4/2)  川棚 「な、なんじゃあこれは」 「石か? 石積みの家に、どこからかわからぬが、がしゃんがしゃんと音が聞こえる」  前日、平戸藩城下で一泊した後、紹介状を携えて二人は南へ向かい、そこで遭遇したのだ。 ...
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第676話 『中央政府構想の波紋』(1580/4/3)

天正九年三月十九日(1580/4/3) 南近江 大同盟合議所  「徳川殿。武田殿。此度こたびの所領の件については、大同盟加盟の際の約定の通り、これで仕舞いという事でよろしいな」 「異論ございませぬ」 「異論、……ございませぬ」  家康は満面...
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第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
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第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門>  さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ?  本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」 「はいよ。どなたかな?」 「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門>  お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこ...
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第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 

嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘>  さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエ...
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第117話 『ゴムの実験と真田幸貫』(1849/9/28)

嘉永二年八月十二日(1849/9/28) <お里>  6万斤は……人吉球磨茶、知覧茶、霧島茶、日向茶……九州全域で、なんとか、なんとかなった。良かった~!  残りの2万千600斤は少し待って貰ってかき集める。  そのぎ茶の増産。440haま...
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第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城  小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。 「こりゃあ大したも...
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第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日  義弘の四十九日の法要が終わった。  元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養...
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第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城 「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」  側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。 「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
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第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓  立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょう...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門> 「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」  俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考...