朝廷

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第342話 『昇任問題とレオン・ロッシュ』

元治元年八月二十七日(1864/9/27)「して次郎、朝廷から昇任の知らせが来ていたようだが、その後は如何いかがあいなっておるのだ?」「は、その儀につきましては丁重にお断りいたしたく、返信をいたしましてございます」「なんと、断ったのか?」 ...
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第340話 『ヴィクトリア女王とイギリス議会、そして朝廷からの叙位任官』

元治元年八月十五日(1864/9/15) イギリス ロンドン バッキンガム宮殿「首相、いえ、パーマストン卿きょう、もう余が聞きたいことはわかっているでしょう? 毎日毎日、市井を賑にぎわせている噂を聞いたのだけれど、さすがに噂でこれだけ盛り上...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

時系列・あらすじ

以下、旧暦表示。随時更新します。1837年天保7年11月: 50歳の男が幕末の大村藩下級藩士に転生。若い妻と息子がいる状況に戸惑うが、純顕と純熈に仕え、列強に対抗する決意を固める。前世の記憶を頼りに、激動の幕末を生き抜こうと覚悟する。天保7...
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第339話 『対英、対列強会議』

元治元年七月十四日(1864/8/15) 江戸城 御用部屋「さて方々、これより先のイギリスならびに列強に対する策を論じたいと存じます」 集まったメンバーは下記のとおり。 ・将軍後見職 一橋慶喜 ・政事総裁職 松平春嶽 ・大老筆頭 安藤信正 ...
八紘共栄圏を目指して

第800話 『西南王楊応龍の死』

文禄三年二月八日(1594/3/29) 李化龍の進軍の報を聞いた楊応龍の対応は迅速であった。 本拠地の播州を中心として各地の苗族と連携をとり、統治のために配していた親族や腹心に命じて迎撃させたのだ。当初、数では劣勢であった楊応龍であったが、...
八紘共栄圏を目指して

第799話 『8路24万』

文禄二年十二月十八日(1594/2/8)「陛下、明からの使者が参っております」「おお、ようやく来たか。遅すぎるぞ」 楊応龍は|播《は》州の宮殿で明からの使者が来たという報告を受け、笑みをこぼす。独立と領土の要求をして期日を設け、ようやくその...
八紘共栄圏を目指して

第796話 『明、万事休す』

文禄二年八月七日(1593/9/2) 純正は明軍との戦いで捕虜とした将兵に3つの選択肢を与えた。 1.このまま日本に永住。捕虜ではあるが、収容年数によって待遇が変わり、最終的には日本国籍となる。 2.明に残している家族を肥前国へ移住させ、帰...
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第314話 『謁見と三条実美』

文久三年七月九日(1863年8月22日)  -発 丹後守 宛 蔵人 賛成多数にて実行せよ この命令が江戸の純顕から届いて、1か月が過ぎていた。「岩倉様、これは……いったい如何いかなる仕儀にございましょうや(どういう事ですか)?」「申し訳あり...
八紘共栄圏を目指して

第795話 『哱拝・ヌルハチ・楊応龍』

文禄二年六月十日(1593/7/8) 寧夏鎮「陛下、明が我が国の独立を認めましたな。これでようやく、民を安んじることができ、平穏が訪れるというものです」 哱拝ぼはいが独立を宣言後に明国の軍勢は撤退したが、和平は成立したものの、正式に明は寧夏...
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第313話 『技術革新と大老会議』

文久三年六月二十九日(1863年8月13日)  強力な海軍を創る。 その一環として次郎がオランダに発注した2,500トン級鋼鉄艦である『大成』が川棚に到着したのは、去年のちょうど今ごろである。 世界でも最先端の同艦の設計図をもとに、同型艦を...
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第312話 『岩倉具視の出世と大哨戒網』

文久三年五月十五日(1863年6月30日)  -発 六位蔵人次郎左衛門 宛 左近衛権少将様(島津久光) 斯様かように短き略式なる書面にて失礼仕り候。 生麦の儀、いまだ解決に至らず候間そうろうあいだ(解決してませんので)、イギリスの出方により...
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第310話 『和宮の懐妊と家茂上洛』

文久三年三月二十四日(1863年5月11日)  極秘  1863年3月25日 駐日英国公使館代理公使 エドワード・セント・ジョン・ニール殿 親愛なるニール殿、貴殿より届いた1862年12月20日付の書簡を読んだ首相と私は、大変驚愕きょうがく...
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第308話 『イギリス本国の外交指針』

文久三年一月二十九日(1863年3月18日) 「晋作よ、松陰先生はああ言ったが、お主の考えは如何いかがなのだ?」 高杉晋作と久坂玄瑞、桂小五郎は城下の料亭で話をしていた。「ん? 僕の考えかい?」 晋作は小五郎の質問を聞いていたのかいないのか...
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第307話 『文久遣欧使節の帰国と朝廷と長州』

文久二年十二月十一日(1863年1月30日) 川棚港「兄上! あれっきりと申し上げましたよね! 弘化四年の砌みぎり、人は宝だと仰せになって、某それがしに全国行脚を命じられました。これが最後だと! 某は信之介様のもとで学びたいと!」 そう言っ...
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第306話 『第一回大老院と薩摩』

文久二年十二月九日(1863年1月28日) 江戸城 現在でいう組閣が行われ、政事総裁職に松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が選出された。 ・筆頭大老は安藤信正(まとめ役) ・大老衆は島津忠義、毛利敬親、山内容堂、伊達慶邦、前田斉泰(5名) ・老...
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第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』

文久二年十一月二十日(1863年1月9日) 肥前大村 生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。 パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与...
東アジアの風雲

第786話 『大明出師と港湾封鎖、その後』

天正二十一年六月五日(1592/7/23) 鴨緑江において肥前国陸軍による明軍相手の掃討戦が終わり、朝鮮軍への引き継ぎが行われていたころ、海上では港湾封鎖が執拗しつように行われていた。「うむ……これで良し、と」 海軍総司令の深沢義太夫勝行は...
東アジアの風雲

第785話 『掃討戦』

天正二十一年三月十四日(1592/4/25)「勝ったか……」  丙路の戦いは肥前国軍の圧勝に終わった。 2万の明軍は壊滅し、生き残った者たちは敗走した。森や谷底、死体の中に身を潜めて追撃から逃れようともがいたが、わずかな物音さえ死の宣告に思...
東アジアの風雲

第770話 『揺らぐ朝鮮』

天正二十年四月五日(1591/5/27) 肥前諫早「陛下、今この時をもって明より離れ、肥前国の冊封を受けるべく動く事が、朝鮮を未来永劫栄えさせる唯一の方策かと存じます」 領議政の柳成龍は、宣祖をはじめ文武の官僚がそろった朝議において声を大に...
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第281話 『文久の改革と土佐尊王党』

文久二年七月三日(1862/7/29)江戸城 島津久光はその条件をのんで勅を実行させるほかなかった。 安藤信正の発言は正論であり、それを退ける正当な理由がなかったのだ。信正の人事権や大老の序列と役割、大老院と老中院の設置など、役職に外様と親...
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第280話 『将軍後見職、是か非か』 

文久二年六月七日(1862/7/3)江戸城「さて、一橋刑部卿きょう様の将軍後見職、加えて松平春嶽殿の政事総裁職でございますが……」 信正は姿勢を正したまま、静かに続ける。「後見職については先月、上様がすでに十七におなりになっているゆえ要なし...
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第278話 『久光の幕政改革』

文久二年四月二十九日(1862/5/27)  発 次郎蔵人 宛 御大老 先日 島津三郎様 兵千ヲ率イテ上洛セリ 幕政ノ改革ヲ求メルモノナリ 次郎はそう幕府に報告しようと考えたが、止めた。よくよく考えたら次郎は幕臣ではない。それに久光は攘夷じ...
東アジアの風雲

第762話 『肥前国の海軍再編と大日本国、そして極東情勢』

天正十九年六月十二日(1590/7/13) 諫早「殿下、お帰りなさいませ」 3年前の天正16年(1587)1月に諫早を出発した海外領土の視察であったが、3年半の歳月を経て終了した。長崎の湊みなとには純正一行の到着を待ちわびた閣僚と民衆が詰め...
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第277話 『久光の上洛と寺田屋事件』

文久二年四月一日(1862/4/29) 京都 岩倉邸 発 諸調方しょしらべかた(諜報局) 宛 蔵人様 薩摩ノ草ヨリ報セアリ 島津三郎様 上洛ノ由 日本は次郎の活躍で不平等条約は締結しておらず、関税自主権もあり、領事裁判権も認めていない。また...
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第276話 『公儀への報告と対馬事件の国内後始末。くすぶっている火は収まるか?』

文久二年三月十日(1862/4/8)  日魯間領土境界確定並びに対馬事件賠償条約と名付けられた長い条約は、批准日を1年後とした。それまでに賠償金の支払いや捕虜の返還、そして樺太(千島列島含む)におけるロシア国籍の民間人と兵の退去が行われる。...
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第272話 『皇女和宮とロシア全権との交渉』

文久二年一月十五日(1862/2/13)~二月十一日(3/11)「なんだって! ? 襲われた? いつ? どこで? 誰が?」 史実と歴史が変わっても対馬の問題は解決しておらず、他の問題も山積みである。 しかし次郎は攘夷じょういに関しては藩内で...
東アジアの風雲

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード> フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳) 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は当時...
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第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/30) 箱館在日ロシア領事館「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」 次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。「まず始めに、こ...
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第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/31) 箱館奉行所「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」 次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。「まず始めに、こちらのサイ...
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第251話 『公武合体と幼い少女』

万延元年十月十八日(1860/11/30) 「次郎を呼んでたもれ」 そう言われて参内し、和宮と会うこととなった次郎であったが、降嫁を認めて公武合体を進めるよう映ったであろう事は間違いない。個人的にはあまり乗り気がしない事であった。 しかし幕...
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第249話 『朝廷の和宮降嫁に対する意向とイギリスと薩摩の情勢』

万延元年七月二十日(1860/9/5) 京都御所 陣座 太閤鷹司政通、関白九条尚忠、正四位下右近衛権少将の三条実美、同じく正四位下右近衛権少将の岩倉具視の4人の重臣が集まっていた。  同じ官位官職ではあるが、実美は具視を格下に見ている。 政...
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第248話 『公武合体と龍馬。アギとアザ』

万延元年六月三日(1860/7/20) 江戸城 評定部屋 「出雲守殿、件の公武合体は進んでおろうか」「は、御大老様発案のとおり奏上いたしましてございます」 久世広周は安藤信正の問いに短く答え、続けた。「して、その策は成るとして、公議政体にお...
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第246話 『大老安藤信正と首座久世広周ならびに公儀表警護方』

安政七年三月二十四日(1860/4/14) 江戸城 評定部屋 「御大老、真に斯様かような高札を市井に立てるのでございますか」「然様、病のため療養とする旨の上書もあれど、斯様な仕儀にてお亡くなりになった事は、すでに江戸市中に知れ渡っておろう。...
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第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」 次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進と自...
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第235話 『薩摩、佐賀、長州』

安政六年七月五日(1859/8/3)  ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。 1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。 2. 攘夷じょうい論:外国...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第234話 『勘定奉行並びに外国奉行小栗上野介、彼を知り己を知れば百戦殆からず』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸 一橋慶喜邸『勅みことのりを以もって~中略~一橋刑部卿きょう慶喜、隠居の沙汰を取りやめるものとする』「ふむ、これはまた、如何いかなる事か」 一橋慶喜は江戸の邸宅で読み上げられた沙汰を、再度頭の中で読...
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第232話 『密会』

安政六年五月六日(1859/6/6) 江戸城 御用部屋「なに? 英国人だと?」 日英和親条約を含め、イギリス以外にもフランス・ロシア・オランダと結んでいた条約は、協議を必要とするものの、最恵国待遇に準ずる内容であった。 従って日米通商条約が...
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第231話 『神奈川(横浜)・長崎・箱館開港とオールコックとシーボルト』

安政六年三月二十日(1859/4/22) 『露は落ち 月の光に 影はなし 清き輝き そのままにして』 長野主膳は辞世の句を詠んで自決する前に、井伊直弼に一切罪が及ばないように周到な根回しをした。 まずは証拠隠滅である。 こう書くと狡猾こうか...
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第229話 『岩倉具視、江戸へ。戊午の勅命』

安政六年一月十四日(1859/2/16)「なんと! そないな事があらしゃったのですか?」 次郎襲撃の報をうけた岩倉具視は、安否を確かめるべく大村藩京屋敷へ急行したのだが、当の次郎は平然として、いたって元気であった。  その次郎から事の成り行...
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第227話 『朝廷の反幕府勢力と処罰の対象者』

安政五年十一月七日(1858/12/11) 大村藩領内では道路整備が行われ、人、馬、馬車、籠などの通行に耐えうるレベルにまで達していた。しかし他の地域は例え天下の台所、京の都といえども、整備はされているものの、そのレベルはお粗末なものであっ...
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第226話 『島津斉彬と出兵上洛』

安政五年十月二日(1858/11/7) 鹿児島城「おお、よくぞ参った。次郎左衛門よ。丹後守殿はご承知なされたか?」 島津斉彬の第一声である。 斉彬の目的は挙兵して幕府に対して明確な反対の意を表し、まだ朝廷より宣下を受けていない家茂を廃して慶...
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第225話 『反井伊直弼』

安政五年九月十四日(1858/10/20) 江戸城 御用部屋「|掃部頭《かもんのかみ》殿(井伊|直弼《なおすけ》)、|如何《いかが》なさいますか」 井伊直弼により老中に再任された松平|乗全《のりやす》が聞く。「|癪《しゃく》ではあるが、大村...
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第224話 『大獄前夜と朝廷』

安政五年七月十五日(1858/8/23)~八月八日(1858/9/14)「どうするどうするどうする?」 井伊直弼による襲撃の幇助ほうじょの事実が本当であれば……いや、恐らくは本当であろう。 証人もいて犯行動機もある。  井伊直弼は幕政に口を...
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第223話 『井伊直弼と太田和次郎左衛門』

安政五年七月十五日(1858/8/23)  すでに老中の堀田正睦と松平忠固は罷免され、代わって鯖江藩主の間部詮勝あきかつ、前掛川藩主の太田資始すけもとなどを直弼は老中に抜擢ばってきしていた。  先日不時登城をした松平春嶽は隠居、徳川斉昭・一...
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第222話 『違勅』

~安政五年七月十五日(1858/8/23) まで「次郎よ、如何いかが致した?」 上座の藩主純顕すみあきが次郎にそう問うと、右手に座る利純も真剣な眼差しで次郎をみる。「は、ただいま報せが入り、急ぎ精煉せいれん方より戻りましてございます」「うむ...
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第221話 『条約と朝廷とベッセマー転炉』

安政五年六月十九日(1858/7/29)  歴史は、ハリスの思惑通りに進んだ。 6月に入ってのアロー戦争の休戦を受け、日本に恫喝どうかつとも予言とも、提案とも取れる条約締結の要求が示され、幕府は抗う事ができない状況となったのだ。 しかし次郎...
天下百年の計?

第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

天正十六年十月一日(1587/11/1)九州地方 対馬県 厳原港「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」 厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である。 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第218話 『将軍後継争いの激化と井伊直弼』

安政五年二月七日(1858/3/21) 江戸城「いらぬいらぬいらぬ。然様さような事、いちいち朝廷に勅を仰いでなんの為の公儀にござろうか、すべて公儀が決め、のちに知らせればよろしいのです。そもそもその知らせる事すらせずともよい。天子様より政を...
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第216話 『江戸出府と将軍継嗣問題』

安政四年十一月九日(1857/12/24)  下田、箱館、長崎を開港地としてアメリカ人を居住させ、長崎において限定的な交易を行うという成果をあげたハリスの残りの目的は、江戸へ出府して将軍家定と謁見し、大統領の親書を渡す事であった。「太田和殿...
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第193話 『技術革新と安政の大地震』

安政二年十月八日(1855/11/17) 反射炉に変わる転炉の開発を行うヒントとして、酸素を吹き込む事により脱炭を行い、また不純物を取り除く方法を信之介から与えられた精煉せいれん方は、もう一つのヒントをもらっていた。 ベッセマー転炉では炉壁...