史実

外伝!フレデリック・ヘンドリック転生記~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~

第5話 『いまの肥前国とポルトガル、そしてネーデルランド』

1589年11月7日 オランダ アムステルダム <フレデリック> デン・ハーグで得た情報をまとめると、ポルトガルと肥前国の情報は以下のとおりになる。 ・現在、肥前国は大日本国の中核として連邦国家を成している。 ・スペインを撃退。現在も戦争中...
外伝!フレデリック・ヘンドリック転生記~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~

第4話 『デン・ハーグと駐ネーデルランドポルトガル大使館』

天正十八年九月一日(1589/10/10) デン・ハーグ <フレデリック>「これはこれは、ようこそおいで下さいました」 マヌエル・デ・ポルトゥガルはにこやかな顔でオレを出迎える。 オレは兄貴に頼んで、伝手を通じて会えたのだ。 ネーデルランド...
八紘共栄圏を目指して

第824話 『再び、スペインと』

慶長元年一月二十七日(1596/2/25) 諫早 -発 小樽鎮守府 宛 殿下 以下、転送文也。 アラスカ南部の新たに発見、入植せしオレゴンにてイスパニア(スペイン)探検隊と遭いけり。 幸いに打ち合い(戦闘)にはならねども、この地を境にとの話...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第349話 『賠償金交渉とロシア、フランス』

慶応元年一月二十日(1865/2/15) 賠償金交渉は遅々として進んでいなかった。 ■ロシア領事館「やはり、イギリスと日本の交渉は一筋縄ではいかないようですね」 後任の箱館領事のエヴゲーニイ・ビュツォフはゴシケーヴィチに言った。「そうだな。...
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第3話 『フレデリックの政治の勉強』

天正十八年七月二十日(1589/8/30)  <フレデリック> クルシウスはライデン大学の教授で、植物学の大家だ。オランダどころかヨーロッパ全体で、植物学についてはかなりの影響力を持った人物である。 こんなことなら最初っからクルシウスに聞き...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第343話 『ロッシュと借款と技術供与』

元治元年九月六日(1864/10/6) フランス公使館 フランス公使館の応接室で、レオン・ロッシュは上野介と次郎を前に、優雅な身振りで紅茶を注ぎながら話を切り出した。「さて、ミスター小栗。本日のご来訪の目的をお聞かせください」 小栗は背筋を...
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第1話 『転生?』

1589年2月28日 オランダ アムステルダム <フレデリック・ヘンドリック> 重たい目をゆっくりあけた瞬間、ガン! と痛みが走った。 ズキンズキンと頭が痛み、喉はカラカラに乾いていた。薄暗い天蓋(ベッドの天井にあるフリルのカーテン状の物)...
八紘共栄圏を目指して

第815話 『電気と蒸気』

文禄四年八月二十二日(1595/9/25)「忠右衛門、これが例の『電信』なるものか?」 と純正は問いかけた。現代からの転生人である純正であったが、その機械自体を見るのは初めてである。 肥前国では天正三年(1575)にライデン瓶の開発が完了し...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第330話 『ロシア艦隊と』

元治元年四月十一日(1864/5/16) 蓋井島沖 -発 彦島信号所 宛 大村艦隊並前田台場 敵小型艦海峡進入せり 水深測定ならびに周囲の偵察と認む-「ふむ、やはり慎重策をとるか」 次郎は長州藩に砲台の砲と艦載砲の変更と同時に電信網の敷設協...
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第321話 『僅差可決と艦隊派遣』

文久四年一月二十六日(1864年3月4日)  イギリス議会ではパーマストンとラッセルの豪腕によって、正式に日本への武力行使が可決された。10票にも満たない僅差であったが、反対意見を押しのけ、イギリス海軍艦隊が派遣されるようになったのだ。 昨...
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第320話 『南北戦争とフランスとオランダ』

文久三年十二月十八日(1864年1月26日)  次郎はイギリスとの開戦を見据え、列強を日本側に取り込もうと考えていたが、ロシアは上手くいくであろうとの感触であった。アラスカの売却はロシアにとってもメリットがある。 もし万が一破談となっても、...
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第316話 『薩摩と長州』

文久三年十月二日(1863年11月12日)  -発 次郎左衛門 宛 松前勘解由様 昨今の日英関係に鑑み、開戦となればロシアの動向愈々以ていよいよもって重きにして、特に間宮海峡並びに宗谷海峡の備えは重きと存じ候間(思うので)、近く新式砲台の設...
東アジアの風雲

第789話 『東南アジアの国々と万暦帝』

文禄元年十一月四日(1592/12/7) 琉球王国 首里城「肥前国が明に勝ったか……」「予想はしておりましたが、やはり我らの決断は正しかったようです」 伊地親方の言葉に長嶺親方が同意した。伊地親方は事実上の行政のトップとなる三司官であった。...
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第308話 『イギリス本国の外交指針』

文久三年一月二十九日(1863年3月18日) 「晋作よ、松陰先生はああ言ったが、お主の考えは如何いかがなのだ?」 高杉晋作と久坂玄瑞、桂小五郎は城下の料亭で話をしていた。「ん? 僕の考えかい?」 晋作は小五郎の質問を聞いていたのかいないのか...
東アジアの風雲

第788話 『和平ではなく降伏の使者であろう?』

天正二十一年九月三十日(1592/11/4) 諫早城「なに? 和平ですと? 降伏の間違いではないのか、御使者どの」 明国から終戦の使者として礼部尚書の顧憲成が肥前国を訪れ、外務大臣の太田和利三郎政直(63歳)と面会したときの政直の第一声であ...
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第306話 『第一回大老院と薩摩』

文久二年十二月九日(1863年1月28日) 江戸城 現在でいう組閣が行われ、政事総裁職に松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が選出された。 ・筆頭大老は安藤信正(まとめ役) ・大老衆は島津忠義、毛利敬親、山内容堂、伊達慶邦、前田斉泰(5名) ・老...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第303話 『ジョン・ラッセルとパーマストン』

文久二年十月二十八日(1862年12月19日) イギリス 極秘 1862年9月10日 ラッセル外務大臣閣下 横浜より、憂慮すべき事件についてご報告申し上げます。去る8月26日、生麦村において、上海の貿易商であるC.L.リチャードソン氏を含む...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第290話 『生麦事件交渉-5-10万ポンドの要求』

文久二年八月十八日(1862年9月11日)  日本側とイギリス側の会談は連日にわたって続き、ついにニールは上海租界における捜査協力を認めるに至った。 今回のニールの目的は、100対0の勝利でなくともイギリス優位で交渉を進め、賠償金を勝ち取り...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第284話 『次郎再び江戸へ』

文久二年七月二十八日(1862年8月23日)  発 六位蔵人(次郎) 宛 御大老様 生麦デノ儀ニツキ、急ギ参府イタシタク存ジ候。英吉利カラノ問ヒニツイテハ、先ズ以テ謝罪ト真相ノ解明ガ要ルカト存ジ候 ■横浜診療所 一命をとりとめたリチャードソ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第277話 『久光の上洛と寺田屋事件』

文久二年四月一日(1862/4/29) 京都 岩倉邸 発 諸調方しょしらべかた(諜報局) 宛 蔵人様 薩摩ノ草ヨリ報セアリ 島津三郎様 上洛ノ由 日本は次郎の活躍で不平等条約は締結しておらず、関税自主権もあり、領事裁判権も認めていない。また...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第276話 『公儀への報告と対馬事件の国内後始末。くすぶっている火は収まるか?』

文久二年三月十日(1862/4/8)  日魯間領土境界確定並びに対馬事件賠償条約と名付けられた長い条約は、批准日を1年後とした。それまでに賠償金の支払いや捕虜の返還、そして樺太(千島列島含む)におけるロシア国籍の民間人と兵の退去が行われる。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第272話 『皇女和宮とロシア全権との交渉』

文久二年一月十五日(1862/2/13)~二月十一日(3/11)「なんだって! ? 襲われた? いつ? どこで? 誰が?」 史実と歴史が変わっても対馬の問題は解決しておらず、他の問題も山積みである。 しかし次郎は攘夷じょういに関しては藩内で...
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第271話 『坂下門外』

文久二年一月十五日(1862/2/13)  江戸城「申し上げます! 御大老様、坂下門外にて襲われましてございます!」「なに! ? 真か?」 大老安藤信正襲撃の報はまたたく間に江戸城をかけめぐり、久世広周は信正の安否を問うた。「幸いにして御大...
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第270話 『清国との交渉と、斉彬殺害の影響』

文久元年十二月二十日(1862/1/19)  江戸城「あわせて今ひとつ、清国とのことでございますが」「清国?」 上野介はなぜここで清国が出てくるのか、と思いつつも、その興味を抑えることができなかった。「米国の戦時国債の話をしておる時に、なに...
東アジアの風雲

第758話 『オランダの軍事事情』

天正十九年一月二十八日(1590/3/4) <フレデリック・ヘンドリック> さて、去年からジャガイモの栽培を行っているが、初めてにしては上出来と言っていい収穫だった。現代のジャガイモとは少し違うところもあるけれど、主食になり得ることを確認で...
東アジアの風雲

第753話 『ヤンから聞く世界情勢』

天正十八年七月二十日(1589/8/30)  <フレデリック> クルシウスはライデン大学の教授で、植物学の大家だ。オランダどころかヨーロッパ全体で、植物学についてはかなりの影響力を持った人物である。 こんな事なら最初っからクルシウスに聞きに...
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第253話 『清河八郎とヒュースケン、陰謀の痕跡』

万延元年十二月四日(1861/1/7)  史実における長井雅楽の航海遠略策は、公武合体が進まず窮地に陥っていた幕府にとっては渡りに船の政論であったが、今世は攘夷じょうい運動や倒幕運動もそこまで高まっていない。 そのため少なくとも、次郎や上野...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第252話 『長井雅楽と航海遠略策。長州と斉彬に迫る影』

万延元年十月二十五日(1860/12/7) 「馬鹿馬鹿しい。然様な些末な事に頭を使うなら、もっと他に為すべき事も考えるべき事もあるでしょう」 小栗上野介は御大老安藤信正の問いに事もなげに答えた。「ふっ……。些末な事か。相変わらず豊後守(当時...
東アジアの風雲

第748話 『ポルトガル王都リスボンと新たな転生者』

天正十八年一月十四日(1589/2/28)  元亀二年(1571年)から開発が始められた炸裂弾とその砲は、日夜国友一貫斎を中心として研究開発がなされていたが、すでに18年の歳月が流れていた。 一貫斎は、純正の叔父であり、肥前国の科学技術省大...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第248話 『公武合体と龍馬。アギとアザ』

万延元年六月三日(1860/7/20) 江戸城 評定部屋 「出雲守殿、件の公武合体は進んでおろうか」「は、御大老様発案のとおり奏上いたしましてございます」 久世広周は安藤信正の問いに短く答え、続けた。「して、その策は成るとして、公議政体にお...
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第246話 『大老安藤信正と首座久世広周ならびに公儀表警護方』

安政七年三月二十四日(1860/4/14) 江戸城 評定部屋 「御大老、真に斯様かような高札を市井に立てるのでございますか」「然様、病のため療養とする旨の上書もあれど、斯様な仕儀にてお亡くなりになった事は、すでに江戸市中に知れ渡っておろう。...
大日本国から世界へ

第745話 『オスマントルコ帝国とポルトガル』

天正十七年八月十六日(1588/10/6) アラビア海ソコトラ島沖「各員、警戒を厳となせ」 純正は単艦で(補給艦含まず)航海をしていたが、カリカットの印阿第一艦隊よりケープタウンまで護衛の要望があったので、隷下の一個水雷戦隊(軽巡一、駆逐艦...
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第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

安政六年九月一日(1859/9/26)  新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。 海外渡航における諸法規を整備する必...
大日本国から世界へ

第744話 『アルマダの海戦の敗北とカリカット総督府』

天正十七年六月二十四日(1588/8/16)「な、なんだと? そんなバカな……」 フェリペ2世はアルマダの海戦の敗報を絶望と共に知った。 手から報告書が滑り落ちて床に散らばるが、側近たちは固唾をのんで王の反応を見守っている。やがて彼は深く息...
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第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」 次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進と自...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)  大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。 まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていったの...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第235話 『薩摩、佐賀、長州』

安政六年七月五日(1859/8/3)  ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。 1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。 2. 攘夷じょうい論:外国...
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第233話 『日米通商条約附録と横須賀造船所』

安政六年六月六日(1859/7/5) 江戸城 御用部屋「掃部頭かもんのかみ様、小栗又一、お召しにより罷り越しましてございます」「うむ、よくぞ参った」 井伊直弼がオールコックの提案にどう答えるか迷っている中呼び出したのは、史実では大村益次郎を...
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第224話 『大獄前夜と朝廷』

安政五年七月十五日(1858/8/23)~八月八日(1858/9/14)「どうするどうするどうする?」 井伊直弼による襲撃の幇助ほうじょの事実が本当であれば……いや、恐らくは本当であろう。 証人もいて犯行動機もある。  井伊直弼は幕政に口を...
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第222話 『違勅』

~安政五年七月十五日(1858/8/23) まで「次郎よ、如何いかが致した?」 上座の藩主純顕すみあきが次郎にそう問うと、右手に座る利純も真剣な眼差しで次郎をみる。「は、ただいま報せが入り、急ぎ精煉せいれん方より戻りましてございます」「うむ...
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第221話 『条約と朝廷とベッセマー転炉』

安政五年六月十九日(1858/7/29)  歴史は、ハリスの思惑通りに進んだ。 6月に入ってのアロー戦争の休戦を受け、日本に恫喝どうかつとも予言とも、提案とも取れる条約締結の要求が示され、幕府は抗う事ができない状況となったのだ。 しかし次郎...
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第219話 『南紀派の開国・攘夷、一橋派の開国・攘夷』

安政五年四月二十三日(1858/6/4) 江戸城 御用部屋「各々方、井伊掃部頭直弼にございます。此度こたび大老という重責を担うこととなり、身の引き締まる思いにございますれば、今後より一層の皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げま...
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第218話 『将軍後継争いの激化と井伊直弼』

安政五年二月七日(1858/3/21) 江戸城「いらぬいらぬいらぬ。然様さような事、いちいち朝廷に勅を仰いでなんの為の公儀にござろうか、すべて公儀が決め、のちに知らせればよろしいのです。そもそもその知らせる事すらせずともよい。天子様より政を...
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第216話 『江戸出府と将軍継嗣問題』

安政四年十一月九日(1857/12/24)  下田、箱館、長崎を開港地としてアメリカ人を居住させ、長崎において限定的な交易を行うという成果をあげたハリスの残りの目的は、江戸へ出府して将軍家定と謁見し、大統領の親書を渡す事であった。「太田和殿...
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第215話 『居住権と為替レート』

安政四年九月二十三日(1857/11/9) 下田 玉泉寺 佐久間象山が江戸ではなく大村で、河井継之助・橋本左内・岡見清熙・山本覚馬・坂本龍馬などの維新の志士らに影響を与えていた頃、伊豆国下田ではハリスと幕閣との間で丁々発止の交渉が行われてい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第213話 『阿部正弘没。京都の病院設立とハリスの江戸参府希望』

安政四年六月十七日(1857/8/6) 瓢箪鯰ひょうたんなまずとあだ名され、譜代や幕閣からは陰口をたたかれた阿部正弘が、没した。開国派と攘夷じょうい派の調整役となり、批判はありながらも幕府の在り方と存続、そして日本の未来を考えた有能な政治家...
天下百年の計?

第736話 『ペトロパブロフスク・カムチャツキーからオホーツクをへてウラジオストクへ』

天正十六年六月十七日(1587/7/22)沿海地方 沿海県 ニコラエフスク・ナ・アムーレ(北黒瀬浦) 純正は小樽を出港後、1か月半かけて北加伊道沿岸を回り、その後カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、オホーツクのオホーツクを...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第209話 『落とし所と水戸の徳川斉昭』

安政四年一月四日(1857/1/29) 江戸城「それで、水戸殿はなんと仰せなのですか?」  牧野忠雅が堀田正睦(昨年12月に篤姫が輿入こしいれのため改名)に問う。「変わらぬよ。わしも昔から変わらぬが、あの御仁も変わらぬ。夷狄いてきなど我が国...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第206話 『長崎の開港と居住権』

安政三年十月十三日(1856/11/10) 「さて、まず要求したいのは、長崎の開港と米国人の居住権である」 ハリスが口火を切ったこの議題については、イギリス・フランス共に要求に差異はなく、開港と居住権を求めるものであったが、しょっぱなから交...
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第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城 伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。 史実と同じように阿部正弘に幕政の改革を訴...