転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第178話 『下田追加条約とクルティウスとライケン。長崎海軍伝習所について』

嘉永七年五月二十三日(1854年6月18日)  和親条約締結後の五月に、その細則として下田追加条約が締結された。次郎はこれにも同席したが、特に日本側に不利になるような重大な事項はなかった。  ざっくり書くと次の通り。  第一条 下田鎮台支配...
天下百年の計?

第722話 『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』

天正十三年十一月十四日(1584/12/15) スペイン マドリード王宮  スペイン王フェリペ二世は苛立ちの極致であった。  6年前、1578年6月にヌエバエスパーニャ副王の艦隊が壊滅して以降、副王の更迭ならびに内政の拡充を行ってきた。海軍...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第168話 『洋上での対プチャーチン。交渉せずとも進言す』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日) 肥前 外海沖  「Я встречаюсь с вами впервые. Меня зовут Ота Ва Дзиродзаэмон, я главный помощник клана Ом...
天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎  最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。  真偽のほどは別として、純正は念のため、義...
天下百年の計?

第711話 『最上の馬揃えと商人の動き』

天正十二年九月十八日(1583/11/2) 新政府庁舎  武田州……清水湊8万貫 徳川州……大浜湊10万貫 浅井州……小浜湊7万貫 里見州……館山湊9万貫 畠山州……七尾湊8万貫 大宝寺州……酒井湊6万貫  各州から港湾整備の予算申請が出た...
天下百年の計?

第708話 『琉球州誕生か』

天正十二年四月二十六日(1583/6/16) 諫早城  前回の会議で決まった新政府の歳入を調べ上げた。補助金を支払った残りの純粋な歳入だ。  小佐々州……553,346貫 織田州……219,912貫 武田州……76,758貫 北条州……74...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第9回 『大官彌勇馬と邪馬壱国の国際情勢』

正元二年六月二十五日 邪馬壱国 方保田東原宮処かとうだひがしばるのみやこ 「申し上げます! 彌勇馬みゆま大官様、お戻りにございます!」  兵士が大きな声で叫び、邪馬壱国大官である彌勇馬将軍の帰国を知らせた。ドタドタドタと宮殿正面の庭を歩いて...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室  純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。  停止...
天下百年の計?

第700回 『街道、馬車鉄道、鉄道、湊』

天正十一年十月二十九日 政府庁舎  本能寺の変が、変とならずに乱で終わり、政府庁舎では引き続き会議が行われていた。 「方々、先だって決められた街道と湊みなとの整え、遊技場(競馬・賭博・宝くじ)を設ける儀にござるが、まずは街道を整える策を論じ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第692話 『ウラジオストク(北領掌)、オホーツク(狩海)、ペトロパブロフスク・カムチャツキー(勘察加市)』

天正十年十二月十二日(1582/1/6)  織田信忠はスペインとの海戦以降、信長の命により美濃に戻り、家督を継いでいた。織田家の当主としてはまだ3年目ではあったが、信長は徐々に権限を委譲していったのだ。  これは何も信忠に限った事ではない。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第133話 『継電器と隼人と幕府と佐賀』(1851/3/5) 

嘉永四年二月三日(1851/3/5)  精|煉《れん》方 理化学・工学研究室  一昨年の三月に電信機の公開実験に成功し、新たに送信距離の限界という課題に直面したブルークと宇田川興斎は、その距離を延ばすための試行錯誤を繰り返していた。 「先生...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第121話 『セメントの続きと臭水樽揮発問題』(1850/2/19) 

嘉永三年一月八日(1850/2/19) 大村藩政庁 「高炉セメント?」  全員が信之介の方をむいて会議が中断し、その高炉セメントとはなんぞや? という話になってしまい議論が何日も続いている。次郎が予測、というか史実で発生するコレラは1858...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 

天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城 「これはこれは、久しいですな内府殿」 「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」  純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」  不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。 「あはは。さっき。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第671話 『上洛要請のその後と景勝vs.景虎始まる』(1579/6/15)

天正八年五月二十一日(1579/6/15)  小田原城 「……! おのれ純正め! このわしに上洛せよだと? なにゆえわしが、成り上がり者の純正に頭を垂れに京まで出向かねばならぬのだ」  純正からの手紙を読んだ氏政は怒り心頭である。  上杉家...
小佐々家の状況

天正八年五月十一日(1579/6/5) 小佐々家の状況

-小佐々家の状況-  戦略会議室  ・明国とは現状維持を図り、女真族との友好路線を継続。東南アジアにおいては再度のスペインの侵攻に備える。国内では既存地域の殖産興業と北方資源開拓。   ・奥州諸大名の大同盟参加と、北条への上洛要請。  財務...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館 「構いなし、か」  純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。  要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城  小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。 「こりゃあ大したも...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第667話 『磯根崎沖海戦』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 未一つ刻(1300) 上総竹岡湊沖~磯根崎沖 「艦橋-見張り」 「はい艦橋」 「右六十度、距離三○(3km・海軍ではメートル法基準)、小舟多数。南に向かっている」  見張りの報告を受けた艦長をはじめと...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城  「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」 「なにい! ? 数は?」 「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日  義弘の四十九日の法要が終わった。  元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門> 「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」  俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考...
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第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20)

弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門>  佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ! 「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」  ……。 ...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸 『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』  岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。 「ほほほ。よきかなよきかな...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第638話 『調略、そして調略』(1578/3/2)

天正七年一月十四日(1578/3/2) 呂宋国 カラバルソン地方  当たり前だが、小佐々家はスペインとの国交はない。  それでも以前から現地住民とは交易してきた。緩衝地帯ではないが、情報収取を含めて常日ごろからコンタクトをとっておくことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第637話 『通商破壊か、要塞各個撃破か、サン・ペドロ要塞壊滅か』(1578/1/9)

天正六年十二月二日(1578/1/9) マニラ 小佐々軍駐屯地  「……さて、こたびの作戦目標であるが、皆も知ってのとおり、明とイスパニアの同盟が明確になった以上、機先を制してこのアジアからイスパニア勢力を駆逐する事にある」  海図を前に、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城  幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。  以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第626話 『北緯42度条約と日ノ本大同盟会議』(1576/9/26) 

天正五年九月一日(1576/9/26) 小佐々海軍 探険艦隊 旗艦艦上 「小佐々家北方探検艦隊司令官、伊能三郎右衛門にござる」 「同じく副将、間宮清右衛門にございます」 「北条水軍大将、梶原備前守にござる」 「同じく、副将の清水太郎左衛門に...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18)

弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門> 「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」 「ははははは! よいのです俊達先生。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第57話 『土地豊穣にして百穀能く実り~なかんずく真珠をもって当領第一の名産とす』(1843/7/14)

天保十四年六月十七日(1843/7/14) 玖島くしま城   約150年前、元禄十年(1697)の藩の収入は銀561貫833匁もんめ8分6厘りん。約8,642両であった。その当時は年貢米としての収入が、約6,500両で7割以上を占めていたの...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16)

天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所 「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」 「なるほど」  居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第614話 条件を出せる立場と出せない立場(1574/10/26)

天正三年十月十二日(1574/10/26) 交渉2日目 茂木城  北条氏と里見氏の間の和睦は、北条氏が里見氏に対して安房・上総・下総(千葉氏の佐倉城以東)の領有を認める事で成立した。もっとも下総に関しては書面上だけの事である。  それは氏政...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第612話 難航、講和会議(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25)  北条勢は常陸方面軍と下野方面軍とに分かれ、同時に北上していた。  佐竹と宇都宮は同盟を結んでいたが、宇都宮は宿敵である那須家と北の蘆名、そして南の結城に包囲されており、連携がとれずに各個撃破され...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第46話 『雷汞(らいこう)の生産成功と銃の進化』

天保十二年五月一日(1841/6/19) 精錬方研究所  ちょうど調練の観閲が終わるタイミングで信之介が報告にきたものだから、次郎はすぐに純|顕《あき》に退座する旨を伝え、研究所に急いでやってきた。 「さすがだな信之介、信じていたぞ(2年遅...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第40話 『捕鯨砲の開発と洋式捕鯨船の建造に向けて』(1840/2/17)

遡ってビンタの翌日 次郎邸 「いい? 納豆菌は超強力なんだから! 当日食べたら接近禁止だからね!」 「あ、……うん」  次郎はお里の剣幕に驚き、昨日ひっぱたかれたほっぺたをなでる。 「里やん、そんな怒らんでも……」  一之進が横からフォロー...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所 織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。 3年前の元...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館  信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。 「はじめて御意を得ます。織田兵部卿...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)

天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城 「その後、唐津の件はいかがあいなった?」 「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第35話 『耐火レンガと佐賀藩・唐津百姓一揆』(1839/09/26)

天保十年八月十九日(1839/09/26) 波佐見  奥村|嘉十《かじゅう》は近隣の炭焼き職人の中でも、良質の炭をつくるという職人を集めて話をしていた。 「今日集まってもらったのは、御家老様からの命により、木炭に代わる石炭の純なるものを造る...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村 「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」 「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城  二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。  蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。  まずは大首長チパパタインの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第589話 終戦決定と責任。そして大国の拒否権発動。

天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 『日ノ本大同盟』の憲章、そして細部規約の制定と同意のための会談も大詰めである。  ・終戦の可否とその時期の決定基準  ・大同盟軍内での各国(甲)の作戦行動によ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第588話 報復行動の可否と恩賞の基準

天正二年 一月十六日(1573/02/18) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所 「では敵から討ち入られた時は如何いかが致すのでしょうか」  徳川家の青山忠成が発言し、石川数正もそれを後押しする。  これは何も軍事行動だけとは限らない。  ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第586話 何が軍事行動か?その定義

天正二年 一月十四日(1573/02/16) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  年が明けて天正二年、純正は朝廷への新年の挨拶と義父への挨拶を終え、合議所にいた。藤子と娘の篤は二条晴良宅に預けている。  小佐々織田合議所という仮称だ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第22話 『石けん販売の今後と領内でしばしの休養』(1837/8/2)

天保八年七月二日(1837/8/2) 太田和村 <次郎左衛門>  腕は、ほぼ完治した。  包帯も外して風呂にもそのまま入れる。触ると少し痛いが、腕をグルグル回しても違和感はない。  一之進からは煎じ薬だけは絶対に忘れるなと口をすっぱくして言...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)

天保八年 六月三日(1837/7/5)  肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。  その中でも西側に位置する大村藩は彼杵そのき地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵にしそのぎ半島(西...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第580話 武田大膳大夫勝頼の野望

天正元年(1572)九月二日 甲斐 躑躅ヶ崎館 「わしは、其方そなた達あっての武田じゃと思うておる」  武田家第十七代当主で、甲斐源氏二十代目である武田勝頼は、重臣を前にそう言った。  馬場美濃守(信房)に山県三郎兵衛尉(昌景)、高坂弾正(...