第508話 肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き 緊迫の極東と、より東へ
肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

 天正元年(1572) 二月二十二日 筑前遠賀郡 岡湊 山鹿城 小佐々純正

 小佐々領内では、特に海岸沿いの街道には信号所や伝馬宿を設置させている。

 街道のコンクリート舗装は全部は終わっていないけど、信号所・伝馬宿・舗装の順に整備を続けているのだ。

 そして海軍艦艇のすべてが停泊中は艦首に日章旗、艦尾に旭日旗をかかげ、航行中は艦尾に旭日旗を掲げている。

 また、航行や停泊にかかわらず、マストには小佐々家の七つ割平四つ目の家紋と、現在乗艦している最先任の将官の旗が掲げられるのだ。

 特に俺が座乗する艦には、紫地に五角形に配された、金色の五つの桜の最高司令官旗が掲げられる。

 海軍と沿岸部の民間信号所は相互に信号のやりとりをして、俺の動きを察知して情報共有しているのだ。

『ただ今 ~岬通過 日没時 ~湊 入港せん(するだろう)』

 などだね。

 

 発 池島信号所 宛 鐘崎信号所 複 沿岸各所

 秘メ 御屋形様 申四 池島沖 通過セリ 日没ノみぎり(頃) 岡湊 入ラン(入るだろう) 秘メ

 

 山鹿城から岡湊の船着き場までは長い行列ができていた。

 行列の主は企救郡・京都郡代官で門司城代の仁保常陸介隆慰と、宗像郡・鞍手郡代官の岳山(蔦ヶ嶽つたがたけ)城主の宗像掃部助氏貞、そして遠賀郡代官で花尾城主の麻生摂津守隆実である。

 その家人達が長蛇の列をつくっている。そんなことしなくてもいいのに、と思いつつ、悪い気はしない。

 麻生隆実は、四年前の永禄十一年の対大友戦で山鹿城を守備した麻生興益の息子で、昨年興益が没したので家督をついでいた。

「久しいな、常陸介殿。それに掃部助も。息災にござったか?」

「はは、在地におりてお役目を果たしておりますれば、ずいぶん登城能わず、申し訳ございませぬ」

 宗像氏貞も大友戦の際に一軍の将として戦った麒麟児である。

「はは、お気遣いいただき、かたじけのうございます。それがしはこの通りにございます」

 仁保常陸介隆慰は、大友戦で戸次道雪に攻められた門司城の守将だったが、殺されずに捕虜としていたところを、俺が引き上げた。

「おや、この者は……?」

「はじめてご尊顔を拝しまする、遠賀郡代官を拝命しております、花尾城主の麻生摂津守隆実にございます。昨年の亡き父興益の葬儀の際は、格別のご配慮を賜り……」

「おお、興益殿の。摂津守殿、そう畏まらなくてもいい。さあ三人とも、城に案内してくれないか」

 

 山鹿城は山城ではあるが、いわゆる天嶮の城ではなく、城下町や岡湊と連動した城である。

 夕食がまだだったので隆実が準備をしてくれたが、その前に居室において、休憩しながら話をすることになった。

 俺は酒が嫌いではない。毎日飲んでも問題ないけど、別に飲まなくてもいい。飲みたい時に飲んで、何にもないときは飲まない。

 眠れない時なんかは飲むけど、週に1~3回くらいだろう。

「御屋形様、こたびはお願いの儀、これありて、なにとぞお聞き届け頂きますよう、お願い申し上げます」

 3人が顔をそろえて言う。どうやら内容は違うが、統治において要望があるようだ。

「うん、なんだ?」

「は、まずは企救郡と京都郡のございます。漁りすなどり場において争いが起きておりまして、これまではその都度立会人を立て扱いて(調停して)おりました。然れどこたび、考えがありお許しいただきたく、言上仕りまする」

「なんだ、申してみよ」

 なんとなく想像はついたけど、要するに村同士の漁師のもめ事で、ここの漁場はうちのもんだ、とかなんとかなんだろう。

「は、これまで漁師どものまとめ役は村々で決まっておったのでございますが、二つの郡で海沿いの村が四十もあるのでございます。これを、今までにない試みではございますが、いくつかにまとめたく存じます」

「いいよ」

「え? は、ありがとう存じます」

「例えば、京都郡は苅田漁業組合とか、その北は朽網くさみ組合とかだな。四つか五つに分ければいいのではないか。漁り場の扱いをしたり、獲った魚に手を加えて売り物にすればよい。要なものがあれば、紹運に申し出るがよい。俺の裁可は得ていると」

 日本初の漁協の誕生だな。ただし、イワシの魚油精製工場は別。

 氏貞に隆実も、はからずも俺が来ることを知って上申しようと思っていた事が、同じだったようだ。

 漁協に農協、畜産業(畜協?)に林業(林協?)の誕生の瞬間だ。

 

 ■相模国 小田原城

「して常陸介よ、南蛮、イスパニアと申したか。交易は成りそうか」

 関東の雄、後北条氏第四代当主の北条氏政が尋ねたのは、三崎城主の北条常陸介康種である。

 康種は、スペイン人商人で冒険家のルイス・デ・カルデナスが、相模国三浦郡城ヶ島村の海岸に漂着したのを助け、保護をしていたのだ。

「は、今イスパニアの本国に向っておる家治と甚六の報せを待たねば、何とも申し上げられませぬが、恐らくは能うかと存じます」

 確証はないが、なぜか康種は確信しているような言葉を発した。

「ほう、それはなぜじゃ?」

「有り体(率直)に申さば、敵の敵は味方、という事にございます」

「なに? つぶさに(詳しく)申せ」

「は、戻ってきた家治と甚六の家人が申すには、そのイスパニアと西国の小佐々がいくさをしたようにございます。そのうえ、小佐々が勝ったとの事」

「なんだと! ? 南蛮と言えば鉄砲をはじめ、国崩しと呼ばれる戦道具に兵船、極めて強し軍旅ぐんりょ(軍隊)を持たり(持っている)と聞き及んでおるぞ。小佐々強しやイスパニア弱しや、どちらじゃ?」

「そのどちらとも言えまする」

 氏政は怪訝な顔をする。

「それがしも、打任せて(簡単に)は信じられませぬが、これをご覧ください」

 康種は丸めて持っていた紙を広げ、氏政に見せた。

 小笠原諸島の父島のスペイン人が持っていた地図を写したものだ。本来なら軍事機密なのであろうが、未開の民と油断したのであろう。

「これは、なんじゃ?」

「これは、この天下、一天四海いってんしかい(全世界)にございます。そしてここが、われらが住まう日ノ本にござる。相模はこの中の、この辺りにございます」

 康種はそうやってざっくりと日本の場所を指し示し、相模とは書かれていないが、それっぽい場所を指してみせる。

「イスパニアはこちら。この日ノ本より数千里も離れた彼方にございます。彼の者らが申すには、この一天四海の半分を統べ、そしてこの大海原を越え、日ノ本に来たのでございます」

 康種は、聞きかじりのそのまた又聞きの知識で、スペインと北米と中南米、そして太平洋を指した。ついでポルトガル、アフリカ、インド、東南アジアを指す。

「いかな大国とて、その全てに軍兵を配すること能いませぬ。わが北条も四万の軍兵存じて(あって)、里見に武田に上杉に、すべてに配せぬのと同じ事にございます」

 大国で強大な軍事力を持っていても、何千キロも離れた極東には、その一部しか割けないのだ。

「確かに、イスパニアを破った小佐々は刮目して相まみえるべきと存じます。然りながら、このイスパニアと盟を結ぶ事能えば、われらにもイスパニアにも、大いなる利がございます」

 現在スペインはマニラ攻略に失敗しているが、セブ島以南は根拠地化している。

 アカプルコからフィリピン、そしてグアムからサイパン、北マリアナ諸島を経て小笠原諸島へ向かうことは可能である。

 仮に、セブ島以南から撤退したとしても、交易は可能だ。

 しかし、中国との交易を望むスペインがどう考えるか? それが重要な点であった。

「ふむ、畿内や西国の大名と同じように南蛮との交易を考えておったが、思いのほか利と害が絡み合っておるの。よし、風魔に命じて西国に今以上に透波を忍ばせ、有り様を探るのだ。よいか、決して露見する事のなきよう、重々申し渡すのだ」

「ははあ」

 

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