父上

天下百年の計?

第714話 『大日本国政府非加盟国の食糧事情』

天正十三年一月二十七日(1584/3/9) 岐阜城 「殿、筑前守様(羽柴秀吉)、お越しにございます」 「通せ」  岐阜城の謁見の間において秀吉を出迎えた信忠は、諫早で学んでいた頃の面影を残しつつも、為政者としての威厳が備わりつつあった。  ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第151話 『スクリューと九条幸経』

嘉永五年六月七日(1852/7/23) 大村藩 精煉せいれん方 スクリュー研究室   象山が加硫によるゴムの安定化に成功した事と、潤滑油の開発が終了したことで、スクリュー製造の目処がたってきた。研究室内では実験結果を詳細に記録しながら、象山...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第149話 『浦賀と朝廷』(1852/4/20)

嘉永五年三月二日(1852/4/20) 浦賀湊みなと  シュッシュッシュッシュッ、ガシャンガシャンガシャンガシャン……。  幕府の命を受けて次郎たちは浦賀湊で停泊し、使者を待っている。湾内には幕府が建造した晨風しんぷう丸をはじめとした小型の...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第141話 『蝦夷地開発の上書と小曽根乾堂』(1851/11/6) 

嘉永四年十月十三日(1851/11/6)  江戸城 「伊勢守殿(阿部正弘)、蝦夷の伊豆守殿(松前崇広)より上書が来たとか。随分と真剣なお顔でござるが、如何いかなる内容だったのでござろうか」  牧野忠雅は、険しい顔をしながら書類を見ている阿部...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第689話 『殖産と産業育成政策』(1581/5/16)

天正十年四月十四日(1581/5/16) 小佐々家大使館 「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。新政府の財源としている負担金であるが、予算の半数以上を我が家中が出して居る。その為、他の各国には負担金の分を上げてもらうべく、生業を興し栄...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7)

天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正>  昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。  史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子では...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29)  工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。 「この金属板をしかと丸めることができ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第680話 『紡績機の改良・発明。人類、空へ』(1580/9/15) 

天正九年八月七日(1580/9/15) <純正>  俺が今世に転生して19年がたった。  その間に技術革新が発生し、その分野は多岐にわたった。軍事技術や兵器ばっかりに目が行くけど、昔の日本の明治維新と同じで、忘れちゃならない物がある。  紡...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館 「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」  純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)   徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。  景勝・景虎両陣営の和睦を...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第672話 『純正、惣無事令構想を打ち立てる。武田軍、信越国境より撤退す』(1579/7/19)

天正八年七月十九日(1579/7/19) 京都 大使館 「おわっ! だ、誰じゃ……て、平九郎? ごほん。御屋形様、いついらっしゃったのですか?」  不意に執務室で声をかけられた純久は、驚いて思わず名指しで呼んでしまった。 「あはは。さっき。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第666話 『北条軍上総上陸! 義重軍防戦一方となる』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 上総 椎津城  「申し上げます! 敵襲! 北条にございます!」 「なにい! ? 数は?」 「数は不明! まず先手として千葉の二千が国境を越えて向かって来ております!」 「急ぎ備えを固めよ! 久留里城に...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第665話 『房総騒乱、義頼起つ』(1579/4/25)

天正八年三月三十日(1579/4/25) 久留里城 義弘没後 四十九日  義弘の四十九日の法要が終わった。  元服し里見義重となった梅王丸の前に立ち、一礼して去る一団があった。里見義尭たかの息子で義弘の弟であり、義重が生まれるまでは義弘の養...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城 「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」  側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。 「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第657話 『落胆あれば喜びあり』(1578/9/13)

天正七年八月十二日(1578/9/13) 諫早城 「御屋形様! 急ぎお知らせしたき儀がございます!」  忠右衛門が興奮した面持ちで純正に目通りを願ってきた。傍らには一貫斎と源五郎政秀もいる。 「おお叔父上、いかがなされた。一貫斎に源五郎まで...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門>  この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。  なるほどな、と。  事の始まりは今...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第83話 『弘化の大地震と象山大村来訪ならず。しかして意に反し、三十七士同盟、芽吹く』(1847/5/8)

弘化四年三月二十四日(1847/5/8) 亥いの刻(22時頃)  信州全土および越後高田地方にまで及ぶ広範囲で、未曾有の大地震が発生した。善光寺平をはじめ北信地方四郡の揺れはひどく、山は崩れ家は潰れ、あちこちで火災が発生したのだ。  圧死、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊 「おい、あれが小佐々の船かよ……」 「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」 「何隻だ? 何隻いるんだ?」 「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」  佐...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明  父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。  ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21)

天正四年三月十一日(1575/4/21)   対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。  当初より純正は積極的に明を除く諸外国...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第616話 電気のその後のライデン瓶とジエチルエーテルの冷凍庫?(1575/1/30)

天正三年十二月十九日(1575/1/30) 諫早城 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門藤政』 天正元年(1572)六月一日に発表された論文なのだが、これは今まで忠右衛...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11)  太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。  これは可、これは非という形の説明に終始したの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺  越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。  信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのため...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)   この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。  そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入し...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村 『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。 「御免候、こちらに深澤太郎殿はおら...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎 「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」  父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第27話 『高島秋帆の一番弟子、平山醇左衛門との出会い』(1838/1/10)

天保八年十二月十五日(1838/1/10)玖島くしま城 「佐賀武雄鍋島家が郎党、平山醇左衛門じょうざえもんと申します。このたびは謁見の栄誉を賜り恐悦至極に存じます」  長身である。  とは言ってもこの時代で考えればというくらいで、165cm...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第26話 『佐賀藩、大村藩に遣いを送り、探りを入れる』(1837/11/12)

天保八年十月十五日(1837/11/12) 佐賀城  次郎左衛門が藩主大村純顕あきにゲベール銃の複製を申請し、硝石と火薬の藩内での大規模な製造を進言している頃、肥前一の大藩である佐賀藩、佐賀城で会見が行われていた。  会見、といっても仰仰し...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第21話 『黒幕と顛末』(1837/7/6)

天保八年 六月四日(1837/7/6) 雪浦村 冨永屋敷 <次郎左衛門> 「あ痛……」  痛みと共に目が覚めた。 「おお! 目が覚めたぞ!」  一之進が俺の顔を見て安堵の声を上げる。それを聞いて、交代で仮眠をとっていた信之介にお里が駆け寄っ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第575話 電気という概念と様々な試行錯誤

天正元年(1572)六月一日 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門政藤』  そう題された論文の中身を読み返し、頭をひねりながら修正を繰り返しているのは、科学技術省大臣で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第13話 『二十四歳、肥前佐賀藩、十代藩主鍋島直正という男』(1837/4/19)

天保八年 三月十五日(1837/4/19) 玖島くしま城 太田和次郎 「よう参った。次郎よ」 「ははっ。本日はお日柄も良く、藩主様におかれましては……」 「よいよい、わしらだけの時はそう畏まるでない。叔父上方や、渋江や針尾がおったら別だがの...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第571話 京見物と能登旅行。越中仕置きに早すぎる社会勉強。

天正元年(1572) 四月二十四日 京都 大使館 「ほーれほれほれ、ばあ~」  表情筋がないのか? というくらい顔を緩ませているのは、関白二条晴良である。ここは小佐々の在京大使館で、純正をはじめ舞姫に藤姫、そして子供達がいる。  晴良の娘の...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第7話 『果たして幕末に石けんは売れるのか? 儲かるなら作るしかない』(1837/1/9)

天保七年 十二月三日(1837/1/9) 暮れ六つ(1717) 雪浦村 冨永館  なんだこれ? どういう状況?  ここは雪浦村、雪浦川の河口近くの開けた集落にある、城代冨永|鷲之助《わしのすけ》の館である。  家督を継いでからの鷲之助は玖島...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第567話 国内と国外~ヌルハチの祖父とフェリペ二世~

天正元年(1572) 四月十四日 岐阜城  「ははっ」  長秀が苦笑いし、光秀や秀吉はわからないようにため息をしている。 「さて、加賀の、本願寺の動きはどうか?」 「は、謙信からの計略によって引き起こされた一揆にございましたが、それにより本...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第565話 続く謙信の誤算と和睦への流れ

天正元年 四月十日 京都 大使館 「大使、関白様がお見えです」  大使館の近習が純久につげる。 「叔父上、これは……」 「うむ、昨日の和議の件に関しての事であろうな」 「……よし、お通ししろ」  ちょうど二人の時の来客であった。  純正は四...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第3話 『胡蝶の夢と従五位下大村丹後守純顕』(1837/1/8) 

天保七年 十二月二日(1837/1/8) 暮れ七つ(0405) 肥前大村藩 玖島城下 「ぎゃああ! ぐああ! ぐはあ! はあ、はあ……」  玖島城下の旅籠で、信之介と一部屋ずつ借りて泊まった俺は、隣室から聞こえてきた断末魔のような叫び声で、...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第554話 上杉謙信に後手後手の小佐々純正。起死回生、なるか?

天正元年 四月四日 日本海 「(おい、誠に、これは同じ、海なのか?)……!」 「ははは! だらしねえなあ旦那! それでも同じ海賊か? こんなもん凪なぎだ!」 「やかましい! 何も言うておらぬではないか! いささか驚いておるだけじゃ! 軍いく...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第553話 享年六十四歳

天正元年 四月四日 午一つ刻(1100) 能登 七尾城 「待たれよ。降るとして、殿(畠山義慶)は小佐々に与するとして越中へ向かったのだぞ。謙信も殿が小佐々に与しているなど、とうに知っておるであろう。如何様にして取り繕うのじゃ?」  温井景隆...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第552話 阿尾城陥落の真実と能登所口湊

天正元年 四月四日 辰一つ刻(0700) 能登 射水郡 千久里城 「おお! 無事であったか!」  庄川東岸(広上村)の道雪本陣で報告してきた家臣より、妻と嫡男の無事は聞かされていたが、実物を見てほっと胸をなで下ろす菊池武勝である。  千久里...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第547話 『晴天の霹靂 越前での一揆と書状。純正、謙信に敗れけり?』

天正元年 四月二日 京都 大使館 純正の顔はいつになく険しい。対上杉戦に舵をきったものの、いったいどれくらいの期間戦が続くのか? 早く終わるに越した事はない。 もちろん、本当は長期戦というよりも経済戦で徐々に謙信を締め付け、撤退させる事が目...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第533話 上杉謙信とはどんなやつだ?以前武田信玄に聞いた事。

天正元年 三月三十日 甲斐 躑躅ヶ崎館 信玄居室(下に意訳あり)  なおなお 寒さの厳しい砌みぎり(時・頃)にて、心地ここちあやまる(体調不良・病気になる)事のなきよう、お祈り申し上げ候。  師走の候、武田大膳大夫(信玄)様におかれましては...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館   純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。  第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城...
緊迫の極東と、より東へ

第513話 京都大使館にて、謙信の上洛阻止と義昭の動向

天正元年(元亀三年・1572年) 三月九日 京都大使館(※)古語 「あー疲れたー。やっぱりあわんばい(合わないよ)叔父さん。まあおい(俺)が望んだ事やけど(だけど)さ。堅苦しかったい(堅苦しいんだよ)な~」  純正、久々のまったりくつろぎタ...
緊迫の極東と、より東へ

第497話 和睦交渉のゆくえと幸若丸の元服

天正元年(元亀三年・1572年) 正月十一日  「領地の返還、割譲以外に和睦の条件がございますか?」  家康と石川数正は話し合っている。曽根虎盛の言う事に腹を立てても、確かに寝返った国人衆の扱いには困るのが現実だ。  織田・徳川と武田の和睦...
緊迫の極東と、より東へ

第488話 耐火レンガと反射炉への道

元亀二年 十一月十五日  信長は勅書に基づき、延暦寺や本願寺、伊賀衆や雑賀、松永弾正、そして朝倉義景に対して事実上の降伏勧告とも言える和議の申し出を行った。  条件は次の通り。  ・延暦寺は武装解除して賠償金二千貫。そもそも何の理由があって...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第460話 海軍再建計画と山陰山陽大街道計画

元亀二年 五月二十四日 姫路城  純正は五月十二日には塩置城に入り、赤松義祐と三木道有の仕置をした。  すでに毛利・小早川・三村の連合軍は、播磨北部の国人を制圧して城下に集まっており、宇喜多・陸軍連合軍も沿岸の城を制圧して集結していた。 「...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第455話 悪人?吉川駿河守元春

元亀二年 四月二十一日 伯耆国 岩倉城  吉川元春の軍勢が岩倉城を包囲した翌日、美作の小田草城へ向かっていた南条元続は急報を受けた。急ぎ陣払いをして岩倉城の救援に向かったのだが、すでに城は落とされた後であった。  吉川軍の裏切りという事態と...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第446話 信長の越前攻め

元亀二年 二月八日 岐阜城 「時は来た。いざ越前へ攻め入るぞ」。  満を持した信長の号令の下、一次侵攻の時と同じように、浅井長政の一万とあわせて、合計六万の軍勢が越前に攻め入ったのだ。  浅井長政軍を主力とした一万五千の兵が敦賀口から金ヶ崎...