書状

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

安政六年九月一日(1859/9/26)   新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。  海外渡航における諸法規を整備す...
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第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸 「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」  次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進...
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第216話 『江戸出府と将軍継嗣問題』

安政四年十一月九日(1857/12/24)   下田、箱館、長崎を開港地としてアメリカ人を居住させ、長崎において限定的な交易を行うという成果をあげたハリスの残りの目的は、江戸へ出府して将軍家定と謁見し、大統領の親書を渡す事であった。 「太田...
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第204話 『サー・タンゴノカミの実力』

安政三年九月十五日(1856/10/13) ~の半月前 江戸城 「な、なんだこれは……」  老中首座を退いたとは言え、いまだ幕閣の中で発言力のあった阿部正弘は目を疑った。  確かに、意見は聞いた。幕政の参考にと、聞きはしたのだ。 立秋の候、...
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第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城  伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。  史実と同じように阿部正弘に幕政の改革...
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第186話 『日露和親条約』

安政元年十二月二十一日(1855/2/7)~遡ること数ヶ月前 「絶対にダメです! 馬鹿ですか? 阿呆あほうですか?」  次郎はそう叫びたいのを必死に我慢して、地道に交渉にあたっていた。プチャーチンに対してではない。日露和親条約締結における日...
天下百年の計?

第725話 『奥羽越三州同盟』

天正十四年二月二十四日(1585/3/25) 出羽国 置賜郡 米沢城  場内は殺伐とした雰囲気でありながらも、一つの目的を持って|怱々《そうそう》たる面々が集まっている。  南部大膳大夫だいぜんのだいぶ信直、斯波民部大輔みんぶのたいふ詮直あ...
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第180話 『幕府対松前・大村藩。松前征伐とかならんよね?』

嘉永七年七月五日(1854/7/29) <次郎左衛門>  さて、幕府はどうでるかな?  江戸時代の奉行は寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三つに分かれていて、そのうち領内の都市部(町方)の行政・司法を担当する役職が町奉行。  幕府以外にも各藩に寺...
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第179話 『攘夷論者徳川斉昭』

嘉永七年六月十一日(1854/7/5) <次郎左衛門>  なんとか和親条約は落ち着いたけど、幕末日本史はこっからなんだよね、本番。幕府の中身はちょっとわからんけど、朝廷も今のところは開国肯定佐幕派だし、西国諸藩もおとなしいもんだ。  俺の仕...
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第168話 『洋上での対プチャーチン。交渉せずとも進言す』

嘉永六年八月二十二日(1853年9月24日) 肥前 外海沖  「Я встречаюсь с вами впервые. Меня зовут Ота Ва Дзиродзаэмон, я главный помощник клана Ом...
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第165話 『公儀からの質し状と登城命令』

嘉永六年七月三日(1853年8月7日) 大村政庁 「また、でございますか」 「……まただ。次郎、お主がJantje(オランダ語のヤンチェ……やんちゃの語源とする説あり)をやらかすから、こうなったのだぞ」  純顕すみあきはいたずらっぽい顔をし...
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第164話 『幕閣と親書の受領。至善丸へのスクリュー艤装』

嘉永六年五月二十三日(1853年6月29日) 江戸城 「なんじゃと! ?」  近習から書状を受け取り、読み上げた老中首座の阿部正弘は驚きの声を上げた。ペリー来航の知らせから城内は緊迫しており、そんな中で、幕閣を驚愕きょうがくさせる出来事があ...
天下百年の計?

第712話 『大日本国銀行』

天正十二年十一月二日(1583/12/15) 肥前国庁舎  最上義光に送った質問状については、予想通りの回答がきた。要するに単なる軍事訓練であり、他領への侵攻の意図はまったくない、という事である。  真偽のほどは別として、純正は念のため、義...
天下百年の計?

第708話 『琉球州誕生か』

天正十二年四月二十六日(1583/6/16) 諫早城  前回の会議で決まった新政府の歳入を調べ上げた。補助金を支払った残りの純粋な歳入だ。  小佐々州……553,346貫 織田州……219,912貫 武田州……76,758貫 北条州……74...
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第153話 『公儀からの質問状』

嘉永五年八月十八日(1852/10/30) 大村藩庁 「然さて次郎よ、この、ごほっ……長崎奉行の志摩守(牧義則)殿からの書状じゃが、どうにも公儀から問いただすようにとのお達しのようじゃ」 「殿、大事ございませぬか? 誰かおらぬか! 俊達先生...
天下百年の計?

第702話 『公方の京都帰還と北条の減封、佐竹と宇都宮』

天正十一年十二月二日(1582/12/26)  小田原御所 「嫌じゃ嫌じゃ! 何ゆえ余が官を辞して上洛し、信長と純正に頭を垂れねばならぬのだ!」  新政府からの通達を聞いた義昭は、書状を破り捨て、激昂げきこうしている。  新政府の情報を探り...
天下百年の計?

第701話 『氏政と。久しぶりに?純久ぶち切れる』

天正十一年十月二十九日 夜 在京大使館(小佐々事務所)<純正> 「ささ、まずは一献」  俺は氏政に酒を勧め、叔父さんは氏規や家老の板部岡江雪斎に勧めている。 「忝かたじけのうございます。では、ご返杯を」  氏政も上機嫌で、俺に杯を返してくる...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第691話 『ヌルハチ』(1581/12/12)

天正十年十一月十七日(1581/12/12) 「そうか、ヌルハチが一統したか」 「は、今は足場固めをしているようですが、直に他の女直へも勢力を拡げようとするでしょう」 「うむ。張居正はいかがだ? 持ち直しそうか?」 「それは未だわかりません...
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第132話 『薩摩からの手紙。ゴムと隼人と産物方』(1851/2/3) 

嘉永四年一月三日(1851/2/3) 師走の候、丹後守殿(大村純顕)におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。※下に超訳あり。  未だ見知らず(会った事もない)、また申し入れず(手紙のやり取りもない)候と雖いえども、先般、御家中が一...
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第129話 『江戸城御用部屋、上の間にて』(1850/12/2)

嘉永三年十一月十七日(1850/12/2) 江戸城御用部屋 上の間 「大村丹後守純顕あき、命により登城いたしましてございます」 「大村家中、太田和次郎左衛門にございます」  二人は老中首座の阿部正弘より呼び出しをうけ、江戸城にいた。  9月...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 

天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城 「これはこれは、久しいですな内府殿」 「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」  純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)   越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。  が、今世は違った。  純正が信長と同じ立場で東に武田...
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第663話 『日ノ本大同盟の今』織田と徳川と浅井(1579/2/12)

天正八年一月十七日(1579/2/12) 『日ノ本大同盟』  純正が天正元年に提唱し、小佐々・織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見の七家で結成した合議同盟の事である。  経済・技術の交流はあるが、主な目的は各国の軍事行動の可否を決定する事と、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第109話 『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』(1849/2/28) 

嘉永二年二月六日(1849/2/28) 拝啓  立夏の候、主殿頭とのものかみ殿におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  先日、大村丹後守殿(大村純顕)より書状を頂戴し、貴領内の宇佐郡佐田村に住まう賀来惟熊これたけ殿を招聘しょう...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門> 「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」  俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考...
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第105回 『蝦夷地の石炭と越後、松代、相良の油田。買い占めへの道』(1848/11/27)

嘉永元年十一月二日(1848/11/27) <次郎左衛門>  適塾の5人が戻ってきた。  洪庵先生の体調は問題ないようだけど、毎月の食事と運動の記録は送って貰っている。そしてその5人は、帰郷の喜びを味わわせる暇もなく、信之介のところに問答無...
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第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓  弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。  さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 ...
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第77回 『プロパンガスか都市ガスか?』(1846/8/2)

弘化三年六月十一日(1846/8/2) 大砲鋳造方   15回目の操業である。  高炉2双4炉、反射炉2双4炉による同時溶解を行った。鉄は合計7,200kgを投入し、36 ポンド砲が1 門できた。鉄湯の流動性は全ての炉が良好という訳ではなく...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第612話 難航、講和会議(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25)  北条勢は常陸方面軍と下野方面軍とに分かれ、同時に北上していた。  佐竹と宇都宮は同盟を結んでいたが、宇都宮は宿敵である那須家と北の蘆名、そして南の結城に包囲されており、連携がとれずに各個撃破され...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城 「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」 「うむ、通すが良い」  日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらな...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第584話 純正の大義名分と信長の大義名分(1572/12/05)

天正元年 十一月一日(1572/12/05) 諫早城  「さてみんな、集まってもらったのは他でもない。例の如く小佐々家の今後の基本方針と、織田・武田・徳川・浅井・畠山・里見に対する外交姿勢について論じたいからである」  集まった閣僚の表情は...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第563話 狭まる謙信包囲網 継戦か、和睦か?

天正元年 四月九日 京都 大使館  ここ数日、京都の大使館にいる純正のもとには、驚くべき報告が多数届いていた。  ・一日に第四艦隊が敗北。  ・七尾城の政変と小佐々水軍と上杉水軍との偶発的海戦。  ・上杉方である城生城の陥落と第二師団三千の...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第559話 立花道雪の包囲vs.上杉謙信の包囲

天正元年 四月五日 午三つ刻(1200) 能登 輪島沖 「兄上、然れど昨日の三国湊は妙でしたね。煙が上がってました。君子危うきに近寄らずで、通り越して塩屋湊に寄りましたが、なにかあったんでしょうか」 「助兵衛(来島通総)よ、いや殿。いい加減...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第553話 享年六十四歳

天正元年 四月四日 午一つ刻(1100) 能登 七尾城 「待たれよ。降るとして、殿(畠山義慶)は小佐々に与するとして越中へ向かったのだぞ。謙信も殿が小佐々に与しているなど、とうに知っておるであろう。如何様にして取り繕うのじゃ?」  温井景隆...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第547話 『晴天の霹靂 越前での一揆と書状。純正、謙信に敗れけり?』

天正元年 四月二日 京都 大使館 純正の顔はいつになく険しい。対上杉戦に舵をきったものの、いったいどれくらいの期間戦が続くのか? 早く終わるに越した事はない。 もちろん、本当は長期戦というよりも経済戦で徐々に謙信を締め付け、撤退させる事が目...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第537話 上杉水軍襲来す!海上の危機と立花道雪の庄川渡河作戦

天正元年 四月一日 越佐海峡 霧島丸 巳の三つ刻(1000) 「単縦陣とする! 我につづけ」  第四艦隊司令長官である佐々清左衛門加雲少将の号令を合図に、陣形を変え、先頭に霧島丸、次いで二番艦足柄・三番艦羽黒と続いた。  小佐々海軍では二隻...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第536話 上杉謙信の離間の計と海上戦略

天正元年 四月一日 越佐海峡 霧島丸 巳の二つ刻(0930) 「長官、入られます!」  艦橋の当直下士官が告げる。 「どんな具合だ?」  長官の加雲は艦長に確認する。初日に数隻を拿捕だほして以来の艦船である。意気が上がり全艦に緊張が走る。 ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第535話 決戦前夜 上杉軍28,000(?)vs.立花道雪軍50,000

天正元年 四月一日 越中 増山城 巳の一つ刻(0900) 「おや? 孫三郎殿、いささか勢ぜいが少ないのではないか?」  越中における上杉勢の最前線である神保氏の居城増山城で、到着早々謙信は、神保の現当主である長住に尋ねる。 「面目次第もござ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第534話 謙信との決戦近し! 越中国人の混沌と畠山義慶の参戦

天正元年 三月三十日 能登 所口湊 「ご一同、それがしも合力いたしたく罷まかり越しました。何卒末席に加えてくだされ」  畠山義慶である。家臣団と合議の上、自らの手勢のみであれば、という条件つきで出陣となったのである。 「畠山修理大夫義慶よし...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第530話 はたして上杉謙信に小佐々純正は勝てるのだろうか?

天正元年(元亀三年・1572) 三月二十七日 京都 大使館 小佐々純正  さて、今の状況を整理してみよう。どうだろうか?  まず、初動が遅れた事は否めない。今まで俺は軍事行動では先手先手を打ってきた。  しかし今回に限っては、状況判断が甘く...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第529話 第二次越相同盟と手切之一札

天正元年 三月二十六日 相模 小田原城  なほなほ(いよいよ) その後のちの事ことの様さま(状況)は如何いかがに候哉そうろうや(いかがでしょうか)、承り候ひうけたまわりそうらい飛脚を以てもって申し入れ候。(事情を聞いて飛脚でお知らせしました...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第523話 『酒と醤油の値段が違う! とある第二師団所属兵の憂鬱』

天正元年 三月十八日 伊勢国桑名郡 住吉浦(桑名) 陸軍第二師団が到着したのは、美濃・尾張・伊勢の三国にまたがる木曽三川が合流し、伊勢湾に流れ込む地点にある、水運で栄える桑名である。 十五日に門司を出発して三日後であった。 ここで一泊し、明...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第521話 上杉謙信と武田信玄 戦国のカリスマと純正の外交戦略

天正元年 三月十七日 越中射水いみず郡 守山城(富山県高岡市東海老坂) 「申し上げます。小佐々権中納言様が郎等ろうどう(家臣)、日高甲斐守と仰せの方がお見えです」 「なんと? 今一度申せ」 「は、権中納言様が郎等、日高甲斐守様、お見えにござ...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第518話 軍神・上杉謙信との対決 島津義弘はじめ島津家はやはり戦闘民族だった?

天正元年 三月十四日 能登国鹿島郡 在能所口湊番所  原田孫七郎は能登在番として、七尾城への兵糧の搬入と、それを隠れ蓑にして鉄砲、武具、弾薬などの搬入も行っていた。  ちなみに滞在と活動資金に関しては、能登を通る小佐々商人から受け取っている...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第516話 上杉謙信・越後の龍を阻む者達 純正、近江にて織田信長と会談す

天正元年(1572年) 三月十二日 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所  近江国蒲生郡武佐宿村(滋賀県近江八幡市武佐町)に、小佐々家と織田家の会議を行う施設が建てられている。  基本というか、岐阜城であったり小佐々の大使館では、いろい...
緊迫の極東と、より東へ

第513話 京都大使館にて、謙信の上洛阻止と義昭の動向

天正元年(元亀三年・1572年) 三月九日 京都大使館(※)古語 「あー疲れたー。やっぱりあわんばい(合わないよ)叔父さん。まあおい(俺)が望んだ事やけど(だけど)さ。堅苦しかったい(堅苦しいんだよ)な~」  純正、久々のまったりくつろぎタ...
緊迫の極東と、より東へ

第512話 能登にて七人衆との会談と、岐阜での一節

天正元年(元亀三年・1572年) 三月五日 能登国 |鳳至《ふげし》郡 天堂城  純正一行は天堂城下で昨日歓待を受け、翌日登城して改めて挨拶を受けた。 「畠山修理大夫義慶よしのりにございます。権中納言様におかれましては、ことさら西国より能登...
緊迫の極東と、より東へ

第510話 肥前より能登へ、敦賀にて純正、長政と初対面す。

天正元年(1572) 二月二十四日 越前国 敦賀郡 敦賀 「何? 権中納言様が敦賀にお越しになっていると?」  長政は仰天した。  越前の統治においては前波吉継をはじめとした朝倉旧臣が行ってはいたが、三国浦をあらたな領地とした長政は、小谷城...
緊迫の極東と、より東へ

第509話 肥前より能登へ、越前での一節

天正元年(1572) 二月二十三日 出雲国島根郡 美保関 小佐々純正  美保関から最寄りの簾すだれ城までは9kmほどあったので、城までは行かずに湊町の高級旅籠? (旅館)に泊まった。  美保関を含めた島根半島は、尼子氏が滅んだ後の再興戦での...
緊迫の極東と、より東へ

第506話 武田勝頼へのKDA(小佐々家開発援助)と有用微生物群(EM)

天正元年(元亀三年・1572年) 二月二十日   甲斐国と言えば黒川金山、黒川金山と言えば戦国の武田家を支えた甲州金を産出した金山として有名である。  信玄の代に最盛期を迎えた黒川金山であるが、勝頼の代にはその産出量も減り、衰退しつつあった...