家老

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第267話 『南北戦争』

文久元年十一月二十一日(1861/12/12)   イギリスの後にやってきたフランスであったが、内 容はイギリスとほぼ同じであった。表面上は友好を装ってはいるが、列強1位と2位のつばぜり合いにロシアは付き合うつもりはない。  オランダはやん...
東と西の転生者

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード>  フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳)  11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は...
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第262話 『イギリスとフランスの思惑と攘夷の志士』

文久元年八月十二日(1861/9/16) 大村 「それ見た事か! やってくれた、やってくれたぞ大村の家中が!」  真木和泉は声高に叫んだ。 「これまで公儀の弱腰で異国のいいようにされて参ったが、まこと、胸のすくような仕儀にござる!」 「ええ...
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第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/30) 箱館在日ロシア領事館 「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」  次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。 「まず始め...
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第258話 『戦後処理その3:日露戦争が起きるのか?』

文久元年四月二十一日(1861/5/31) 箱館奉行所 「では領事、時間には限りがありますので、さっそく本題に入らせていただきます」  次郎は挨拶もそこそこに、対馬で起きたロシア軍艦領土侵犯事件についての会談を始めた。 「まず始めに、こちら...
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第257話 『戦後処理その2:前言撤回』

文久元年四月七日(1861/5/16) 対馬 「では杉村殿……いや、佐須伊織殿とお呼びしたほうがよろしいかな」 「ご随意に」 「では伊織殿、ロシアに船の補修と補給のための物資は与えたが、必要以上の上陸や測量などは許していないと?」 「無論に...
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第256話 『戦後処理その1』

遡って文久元年二月二八日(1861/4/7)  二月十九日付(23日博多着) 露国 測量セリ 修理ノタメノ小屋建テリ 食料求メラルルモ 牛ハ断リケリ「これは一体どういう事ですかなゴシケーヴィチ領事、先日退去を命ずるようお願いしたはずですが」...
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第255話 『ロシア軍艦対馬占領事件』

文久元年二月十一日(1861/3/21)  発 宗対馬守 宛 御大老  露国軍艦来航セリ 退去求ムモ 応ジズ 本来は3週間かかる幕府への報告も、博多に着いた時点で電信に直され、幕府と長崎奉行、そして参与である純顕の元へも届いた。実は、対馬に...
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第253話 『清河八郎とヒュースケン、陰謀の痕跡』

万延元年十二月四日(1861/1/7)   史実における長井雅楽の航海遠略策は、公武合体が進まず窮地に陥っていた幕府にとっては渡りに船の政論であったが、今世は攘夷じょうい運動や倒幕運動もそこまで高まっていない。  そのため少なくとも、次郎や...
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第252話 『長井雅楽と航海遠略策。長州と斉彬に迫る影』

万延元年十月二十五日(1860/12/7)  「馬鹿馬鹿しい。然様な些末な事に頭を使うなら、もっと他に為すべき事も考えるべき事もあるでしょう」  小栗上野介は御大老安藤信正の問いに事もなげに答えた。 「ふっ……。些末な事か。相変わらず豊後守...
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第251話 『公武合体と幼い少女』

万延元年十月十八日(1860/11/30)  「次郎を呼んでたもれ」  そう言われて参内し、和宮と会うこととなった次郎であったが、降嫁を認めて公武合体を進めるよう映ったであろう事は間違いない。個人的にはあまり乗り気がしない事であった。  し...
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第250話 『土佐の勤王、それぞれの勤王。そして攘夷』

万延元年九月五日(1860/10/18) 大村  武市瑞山や岡田以蔵とともに大村にやってきた藤田小四郎、平野国臣、真木和泉の3人であったが、必然的に土佐グループとは分かれて行動するようになっていた。  意図していたわけではなく、自然とそうな...
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第248話 『公武合体と龍馬。アギとアザ』

万延元年六月三日(1860/7/20) 江戸城 評定部屋  「出雲守殿、件の公武合体は進んでおろうか」 「は、御大老様発案のとおり奏上いたしましてございます」  久世広周は安藤信正の問いに短く答え、続けた。 「して、その策は成るとして、公議...
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第247話 『変の余波』

安政七年四月十四日(1860/6/3) 江戸城 評定部屋   ※永蟄居ちっきょ 前水戸藩主・徳川斉昭  隠居・謹慎 水戸藩主・徳川慶篤  ※切腹 水戸藩家老・安島帯刀 水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門 水戸藩京都留守居役助役・鵜飼幸吉 水戸...
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第246話 『大老安藤信正と首座久世広周ならびに公儀表警護方』

安政七年三月二十四日(1860/4/14) 江戸城 評定部屋  「御大老、真に斯様かような高札を市井に立てるのでございますか」 「然様、病のため療養とする旨の上書もあれど、斯様な仕儀にてお亡くなりになった事は、すでに江戸市中に知れ渡っておろ...
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第245話 『驚天動地』

安政七年二月十一日(1860/3/3) 江戸城 評定部屋 「何? 警護の数を増やせじゃと?」 「は、然様にございます。折から樺太でのロシアによる襲撃が起こっており、箝口令かんこうれいの甲斐かいなく市井に話が出回っているようでございます。然れ...
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第244話 『莫大な艦隊維持費と二個艦隊計画に樺太派兵増強』

安政七年一月二十日(1860/2/11)   次郎は川路聖謨としあきらと協議の上、ロシア側に慰謝料を払って貰う事と、今後の事件再発防止のために新たな条約を締結する事でゴシケーヴィチとの間で合意した。  慰謝料は1人あたり500両で30名分の...
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第243話 『条約破棄?』

遡って安政六年八月三日(1859/8/30) 大村 産物方 「”Madam”……私は責任者との面談をお願いしたはずですが……」 「私が責任者です。本来なら家老である夫が責任者ですが、留守の際に全権を委任されているのは私です。ですから私に話し...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第242話 『箱館ロシア領事館と大村藩、そして幕府。……やはり攘夷じゃあ!』

安政六年十一月三十日(1859/12/23) 箱館 ロシア領事館 「さて、|如何《いか》なる|故《ゆえ》にて|斯様《かよう》な仕儀とあいなったか、しかとお伺いしたい」  松前藩家老の松前勘解由と立石昭三郎は、ロシア領事のヨシフ・ゴシケーヴィ...
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第241話 『蝦夷地とロシア』

安政六年十一月十五日(1859/12/8) 大阪 「なんですと? 福井の殿様が蒸気船を?」  鴻池善右衛門は大阪で室屋(内田)宗右衛門よりその報を聞いた。 「それはまずい事になりましたな」 「ええ、そう思ったんで御用商人の筆頭である善右衛門...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第239話 『兵備輸入取締令(へいびゆにゅうとりしまりれい)と大浦・小曽根商会の横浜・箱館支所』

安政六年九月二十六日(1859/10/21)   次郎はこれを予見していたのだろうか。  大村藩がオランダに最新軍艦を発注し、しかも鋼鉄艦を発注した直後に、幕府から全国の諸大名に以下の法令が発布された。『兵備輸入取締令』  ・いかなる諸大名...
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第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

安政六年九月一日(1859/9/26)   新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。  海外渡航における諸法規を整備す...
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第237話 『布衣ならよかろう。または六位のいずれか』

安政六年八月三日(1859/8/30) 京都 鷹司邸 「大変光栄な仕儀にございますが、諸般の事様を鑑みまして、主君丹後守様曰いわく、慎んでお断り申し上げたいとの事にございます」  次郎は京の鷹司邸にて、先日掴んだ情報による純顕すみあきの昇進...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)   大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。  まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていっ...
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第231話 『神奈川(横浜)・長崎・箱館開港とオールコックとシーボルト』

安政六年三月二十日(1859/4/22)  『露は落ち 月の光に 影はなし 清き輝き そのままにして』  長野主膳は辞世の句を詠んで自決する前に、井伊直弼に一切罪が及ばないように周到な根回しをした。  まずは証拠隠滅である。  こう書くと狡...
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第230話 『長野主膳とハリスとの交渉』

~安政六年二月十六日(1859/3/20) 水戸 彦根藩邸 次郎襲撃の翌日~ 「御家老様! 御家老様!」 「何事じゃ騒々しい!」  執務室で政務を行っていた彦根藩家老、長野主膳のもとに、側近が息を切らしてやってきたのだ。 「こ、これをご覧く...
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第229話 『岩倉具視、江戸へ。戊午の勅命』

安政六年一月十四日(1859/2/16) 「なんと! そないな事があらしゃったのですか?」  次郎襲撃の報をうけた岩倉具視は、安否を確かめるべく大村藩京屋敷へ急行したのだが、当の次郎は平然として、いたって元気であった。  その次郎から事の成...
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第228話 『三度の襲撃と文明の利器』

安政五年十二月十一日(1859/1/14)  すでに第14代将軍家茂の宣下は終わっており、一橋派は名実ともに勢いを失速させていた。次郎は不時登城の罰を軽くするために、勅許を得るための工作を行っていたのだ。  九条尚忠や三条実美などの幕府に敵...
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第227話 『朝廷の反幕府勢力と処罰の対象者』

安政五年十一月七日(1858/12/11)  大村藩領内では道路整備が行われ、人、馬、馬車、籠などの通行に耐えうるレベルにまで達していた。しかし他の地域は例え天下の台所、京の都といえども、整備はされているものの、そのレベルはお粗末なものであ...
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第223話 『井伊直弼と太田和次郎左衛門』

安政五年七月十五日(1858/8/23)   すでに老中の堀田正睦と松平忠固は罷免され、代わって鯖江藩主の間部詮勝あきかつ、前掛川藩主の太田資始すけもとなどを直弼は老中に抜擢ばってきしていた。  先日不時登城をした松平春嶽は隠居、徳川斉昭・...
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第222話 『違勅』

~安政五年七月十五日(1858/8/23) まで 「次郎よ、如何いかが致した?」  上座の藩主純顕すみあきが次郎にそう問うと、右手に座る利純も真剣な眼差しで次郎をみる。 「は、ただいま報せが入り、急ぎ精煉せいれん方より戻りましてございます」...
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第221話 『条約と朝廷とベッセマー転炉』

安政五年六月十九日(1858/7/29)   歴史は、ハリスの思惑通りに進んだ。  6月に入ってのアロー戦争の休戦を受け、日本に恫喝どうかつとも予言とも、提案とも取れる条約締結の要求が示され、幕府は抗う事ができない状況となったのだ。  しか...
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第219話 『南紀派の開国・攘夷、一橋派の開国・攘夷』

安政五年四月二十三日(1858/6/4) 江戸城 御用部屋 「各々方、井伊掃部頭直弼にございます。此度こたび大老という重責を担うこととなり、身の引き締まる思いにございますれば、今後より一層の皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げ...
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第217話 『長崎亜墨利加商館と管理貿易』

安政四年十二月二十四日(1858/2/7)  「おい、そこの本棚はもう少し左だ。そう、角に台を置くからな。ああ、それそれ、その花瓶を台に置いてくれ。何もないと殺風景だからな。後で花を生ける」 「はい、かしこまりました」  1854年に長崎に...
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第212話 『築地海軍操練所と金属薬莢、そして輸血と血液保存 』

安政四年三月一八日(1857/4/12)   長崎に幕府の海軍伝習所が出来たのは、2年前の嘉永から安政に改元された1855年の8月の事である。  ただし、長崎が遠隔地ということと、日本人の人材が育ってきたこともあり、講武所内の組織の1つとし...
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第210話 『天誅』

安政四年一月二十九日(1857/2/23) 江戸 大村藩邸 「おお! そうかそうか! 謙三さんが『生茶葉蒸器械』と『製茶摩擦器械』の開発に成功したと! ? そうかそうか! 良い事じゃ!」  4か国会談が終わり、クルティウスは下田から長崎へと...
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第205話 『交渉開始』

安政三年九月十五日(1856/10/13)   紆余うよ曲折を経て、次郎の軽快なジャパニーズブラックジョークから始まった日本の対4か国協議は、関係国が5か国で参加したという事もあり、序盤から難航を極めた。  ■日本側参加メンバー  全権 下...
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第203話 『通商条約の前に和親条約の改正』

安政三年八月十七日(1856/9/15)    イギリス・アメリカ・フランス・オランダの4か国艦隊が、各国の領事予定者を乗せて下田に着いた頃、中国では太平天国の乱が継続中であった。  イギリスは太平天国の首都(建都された南京・天京)を公使で...
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第202話 『四ヶ国連合艦隊来航す』

安政三年七月十七日(1856/8/17) 大村藩庁   次郎はあまりの暑さに冷蔵庫の氷を舐め、特製のゴム袋に氷を入れて頭を冷やしてふうふう言っていた。  扇風機もなければエアコンもない。技術を軍事と産業に全フリしてるから、生活環境改善系の機...
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第201話 『山内容堂と大村藩海軍増強計画』

安政三年六月十六日(1856/7/17)   金属薬莢やっきょうの製造にあたり、その他の金属加工製品と同じく、それを加工する加工機械は、研究開発ならびに輸入が並行して行われていた。圧延機やプレス機の精度向上と大量生産である。 『全ては模倣か...
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第200話 『功山と宇和島藩』

安政三年五月十四日(1856/6/16) 伊予 宇和島城  伊予宇和島藩主伊達宗城は幕末の四賢侯と呼ばれ、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに積極的に幕政に参加した事で有名であるが、今世では少し違う。  史実と同じように阿部正弘に幕政の改革...
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第199話 『吉田寅次郎、高杉晋作とともに帰郷する』

安政三年四月十一日(1856/5/14) 長州藩 萩城下 「ごほっごほっごほっ……」 「先生、あまり無理をなさらずに、ご静養くださいませ」 「……九右衛門よ。わしはもう……長くはない、後は頼むぞ」  藩主毛利敬親とともに天保の改革で長州藩の...
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第197話 『御公儀と大村家中-佐賀藩の二番手争い-』

安政三年二月一日(1856/3/7)   幕閣との舌戦が終わり、何とか事なきを得た次郎であったが、阿部正弘の体調が気にかかり、医師団の派遣を申し出た。立場は違えど国を思う気持ちと、相通じる部分があると感じたからだ。  もし生きていれば幕末は...
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第195話 『対談、老中首座堀田正篤』

安政二年十二月二十五日(1856/2/1)~の数日前 <次郎左衛門> 「あーもう面倒臭えなあ、あそこ息が詰まるんだよ。魑魅魍魎ちみもうりょうが跋扈ばっこするっていうの?」 「なに21世紀の人間が非科学的な事を言ってんだよ」 「いや、いま令和...
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第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25)  神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。  次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧...
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第193話 『技術革新と安政の大地震』

安政二年十月八日(1855/11/17)  反射炉に変わる転炉の開発を行うヒントとして、酸素を吹き込む事により脱炭を行い、また不純物を取り除く方法を信之介から与えられた精煉せいれん方は、もう一つのヒントをもらっていた。  ベッセマー転炉では...
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第191話 『鉄道が欲しい!』

安政二年七月十二日(1855/8/24)   大村藩ではライケンらオランダの教官による授業を受ける前から、洋式木造帆船の建造を行い、その航海技術の習熟を次郎の経験と知識、そして深澤組(捕鯨)の協力で行っていた。  それを海軍の創設と考えると...
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第190話 『飛龍丸献上』

安政二年五月二十九日(1855/7/12)   次郎は松前藩への軍事教練と併せて、共同で北方の警備体制を整えた。  ・久春古丹クシャンコタンのロシア軍陣地を焼却。 ・南樺太のクシャンコタンを大泊と名づけ、整備。 ・択捉島単冠ヒトカップ湾と国...
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第189話 『1,500トン級軍艦を買うか造るか』

安政二年四月十四日(1855/5/29)  「寒い! さむいさむいさむい! 無理! むりむりむり!」  次郎は誰もいないところでそう叫び、人がいるところでは心の中で叫びながらプチャーチン一行を大泊まで送り、それから樺太のロシア人開拓港への移...
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第188話 『次郎、ロシアへ』

安政二年二月十八日(1855/4/14) 江戸城 「何故なにゆえにございましょうや」 「控えなされ太田和殿」  次郎は安政東海地震の際の救援活動も人道的に行った。  医療物資の運搬やけが人の治療など諸々である。次郎はそれを誇示するつもりは毛...