第550話 阿尾城の失陥と限界街道

 天正元年 四月三日 酉三つ刻(1800) 庄川東岸(広上村) 道雪本陣 晴れ

「申し上げます! 阿尾城、落ちましてございます!」

「なんじゃと! ?」

「馬鹿な!」

 菊池武勝は状況がのみ込めない。一体誰が阿尾城を落としたというのだ?

「数多の上杉の船手(水軍)が現われ、もとより城兵は少なく、奥方様と十六郎様は、南西二里(7.854km)の千久里城へ落ち延びましてございます!」

「なんという事だ! く! 道雪殿、誠に申し訳ないが……」

 菊池武勝の顔が苦痛にゆがんでいる。

「心得ております。然れど、上杉の兵が如何ほどかもわかりませぬ。……。修理大夫殿(畠山義慶)、すまぬが、伊豆守殿(菊池武勝)に合力していただけぬか?」

「心得ました。全力をもって合力いたす」

 

「道雪様、上杉の船手(水軍)が阿尾城まで取り掛きけり(攻め寄せた)なれば、能登や加賀にも上杉の手が伸びたる(伸びている)と思い分きたる(考えた)方がよしと存じます」

「うむ。いくさ上手とは聞き及んでおったが、よもやここまでとは。御屋形様は二重三重と調略を行いたりといえども、とうとうと(とっとと)終わらせた方がよいな。明日、仕掛ける」

 

 発 道雪 宛 一条権中納言

 メ 明日 本陣 立チ渡リテ(移動して) 全軍 上杉ニ 掛カラム(攻撃する) 一条殿ハ 増山城ニ 備エラレタシ メ

 

 ■庄川東岸(東保村) 一条軍 本陣

「何? 明日総掛かり(総攻撃)じゃと? われらは増山城の備えとな? ……それでは武功を立てられぬではないか!」

「一条殿(あえて権中納言とは言わない)、それもお役目にござるぞ。われらの勢は自ら考え働く事能うとしても、そは総大将の道雪殿の下知のもと。城の勢に備えよと命ならば、備えるしかあるまい」

 一条兼定が読んだ通信文を、長宗我部元親と安芸弘恒も読む。元親は努めて冷静に兼定に答えたのだ。

「そのようなことは心得ておる。然れど、肥前勢は千代ヶためし城と壇の城を抜いた(落とした)というではないか。このままじゃと、わが隊のみ何の武功もないまま終わってしまうぞ」

「落ち居なされませ(落ち着いてください)。何も明日、全てが終わる訳ではございますまい。大将たるもの、ゆるりと腰を据えることも肝要かと存じます。(※初めて会ったが、家柄だけの男なのか?)うではありませぬか、宮内少輔殿(長宗我部元親)」

(掃部よ、抜かりないか?)

(ございませぬ。明日には答えがでるかと存じます)

 安芸弘恒は、隣の元親に眉ひとつ動かさず無表情で尋ねる。

「左様、急いては事をし損じるとも言いまする。加えて、臨むはあの軍神と言われる謙信にござる。慎みなし事(不謹慎)なれど、破るはそう易き事にあらず。それゆえ待っておれば、自ずと機は訪れる事と存じまする」

(親泰、手はず通り進んでおるか?)

(ご心配には及びませぬ)

 

「宗珊よ、あの二人、妙に大人しとは思わぬか?」

「然うですな。宮内少輔(元親)殿は今少し意地のある(自己主張する)方かと思うておりましたが。十太夫殿(安芸弘恒)はまだ若い。それにしては思慮分別がありすぎのような気もいたしまする」

「然うだな。くくく……例の件、上手く運んでおるか?」

「無論にございます」

「くれぐれも露見することのないようにな」

「はは」

 

 ■越中国 婦負郡 片掛村 第二師団

「はあ、はあ、はあ、はあ……」

「ぜえ、ぜえ、ひい、ひい……」

「ごく……。ふう、ふう……」

 

「全隊、止まれ。本日はここで野営とする」

 野営の指示を出したのは、眠れていないのか、クマのできた顔に無精髭をはやし、血走った目をした小田賢光少将である。

 休憩をし、食事をして睡眠をとるのは兵にとってはなによりの娯楽であるが、喜々としているものは誰もいない。皆疲れ果て、賢光と同じような顔をしたものがほとんどなのだ。

「参謀長、いかほど進めたのだ?」

「おおよそ、四里半かと」

 富山城を過ぎて、一日に謙信が増山城に到着したとの報告を受けたのは、二日の朝である。今は三日の日没が近いが、わずか四里半(17.9km)しか進めていない。

 視界不良のため、夜間の行軍は緊急の場合を除き、あまり行わない。奇襲を行う場合や、敵の攻撃にさらされている城や部隊を救出する時くらいである。

 したがって、日出から日没を14時間と考えると、1日で約24km、2日で48kmは行軍できる。食事や休憩を挟んだとしても、40kmは行軍可能なのだ。

 しかし、第二師団のこの二日間の行軍距離は、通常の半分以下である。

 極限状態にある将兵の状態からみてもわかるように、上杉兵の間断のない攻撃にさらされたのだ。鉄砲や大砲は、近接戦闘には向いていない。

 向いていないというよりも、役にたたない。

 小佐々軍では、山中で行軍の予定がある部隊の将兵には、軍服の上に防刃用の鎧の着用を許可している。

 特に大砲の運用に関しては砲兵の存在が必須のため、損失を最低限に抑えなければ、砲を奪われるのに等しいのだ。

「いかほどの失(損失)か?」

「は、おおよそ数百から千ほどかと」

「五分の失であるか……。これより多くの失は避けたいが、笹津村までは耐えねばなるまい。信濃路も、同じ事の様であろうな」

「は……」

 笹津村は長い山間の隘路をぬけた平地である。ここであれば大砲や鉄砲の効果的な運用が可能となる。

 

 ■飛騨国 吉城郡 杉原村 斎藤喜右衛門隊

「なんじゃ、これは……」

 喜右衛門は一帯に広がる死体に言葉を失いながらも、激しい戦闘が行われたであろう街道において、状況の分析を行っている。

「いかがであったか?」

「は、一里先(3.92727km)、小豆沢村から、おそらくは越中に入りてもこの様子が続いているものと思われます」

「然うか」

 小佐々軍だけではない。上杉兵とおぼしい、いや、実際には上杉兵かどうかは判断ができないのだが、装いの違う兵士がそこかしこに倒れていたのだ。

 両軍が入り乱れた戦いが行われた事を物語っている。考えられるとすれば上杉兵と小佐々兵しかない。

「万を超す勢なのだ、半里から一里ほどにもなろう。よいか、われらは笹津まで小佐々軍が着到したのち、後詰めとして向かうのだ」

「はは」

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