商人

八紘共栄圏を目指して

第823話 『新生バンテン王国』

文禄四年十二月二十八日(1596/1/27) バンテン王国「さあさあっ! 重苦しい話は終わりじゃ! 終わりっ!」 純正は立ち上がって、万座に向かって呼びかけた。「ムハンマド殿、そもそもの発端はコショウの貿易に関することだと聞き及んでおる。今...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第350話 『賠償金交渉と英国議会』

慶応元年二月十五日(1865/3/12) 台場大砲製造ならびに設置費用 2,870,000ポンド 艦載砲製造ならびに換装費用 33,000ポンド 艦隊運用費用 87,000ポンド 台場損害回復費用(長州) 52,000ポンド 艦船修理費用 ...
八紘共栄圏を目指して

第821話 『バンテン王国とネーデルランド、総督府と純正』

文禄四年十二月十日(1596/1/9) 実はバンテンでの暴動が起きたときにプラタマが提案したオランダ接近案は、結論から言うとうまくいかなかった。 プラタマはバンテンではなく、スンダ・クラパ(現在のジャカルタ・以前のバタヴィア)に漂着したオラ...
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第820話 『バンテン王国の争乱、広がる』

文禄四年十一月二十九日(1595/12/29)「手ぬるい!」 ウィラブラタの怒号が王宮に響き渡った。その声にムハンマドは拳を握りしめて凝視した。「民の怒りは正当だ。肥前国の横暴を許すべきではありません!」 ウィラブラタはそう声をあげ、ズカズ...
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第344話 『小栗上野介の財政・貨幣政策』

元治元年十月六日(1864/11/5) 小栗上野介は外国奉行としてアメリカやフランスと交渉することはもちろん、勘定奉行として幕府の財政の健全化と増大する軍事費や様々な歳出を補うべく、その施策にまい進していた。「このままでは立ち行かなくなる」...
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第819話 『バンテン国王カンジェン・ラトゥ・バンテン』

文禄四年十一月二十九日(1595/12/29) バンテン王国の港町は異様な緊張感に包まれていた。港には数隻の肥前国商船が停泊し、不気味な影を落としている。かつては活気に満ちていた埠頭ふとうも、今では人影もまばらだった。「おい、あれを見ろ!」...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

時系列・あらすじ

以下、旧暦表示。随時更新します。1837年天保7年11月: 50歳の男が幕末の大村藩下級藩士に転生。若い妻と息子がいる状況に戸惑うが、純顕と純熈に仕え、列強に対抗する決意を固める。前世の記憶を頼りに、激動の幕末を生き抜こうと覚悟する。天保7...
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第339話 『対英、対列強会議』

元治元年七月十四日(1864/8/15) 江戸城 御用部屋「さて方々、これより先のイギリスならびに列強に対する策を論じたいと存じます」 集まったメンバーは下記のとおり。 ・将軍後見職 一橋慶喜 ・政事総裁職 松平春嶽 ・大老筆頭 安藤信正 ...
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第814話 『ロシア・ツアーリ国のフョードル1世』

文禄四年七月十七日(1595/8/22) ロシア モスクワ イワン雷帝の息子であるフョードル1世が崩御して5年。 崩御前から摂政であったボリス・ゴドゥノフは次々に政敵を駆逐し、事実上の権力者であったが、フョードルの崩御後に即位してツアーリと...
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第809話 『イングランドとフランスとネーデルランドの使者』

文禄四年一月七日(1595/2/15) 諫早城「さて、本来なら個別に面談するところだが、ポルトガル以外の国とは国交がない。ゆえに同時に挨拶となりました。失礼をご理解いただきたい」 純正は向かって左からイギリス・フランス・オランダの使者の顔を...
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第807話 『斜陽のイスパニアと隆盛のポルトガル』

文禄三年十一月二十七日(1595/1/7) スペイン マドリード王宮 フェリペ2世は重々しい表情で窓辺に立ち、マドリードの王宮から広がる景色を眺めていた。彼の目には、かつての帝国の栄光と現在の苦境が映し出されているようだった。「陛下」 側近...
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第806話 『海軍の拡大とシーレーン』

文禄三年十月十七日(1594/11/28) 諫早城 石炭ストーブで暖を取る面々を前に、コーヒーを飲みつつ談笑し、一息ついたところで直茂が発言した。 「さて方々。こたびは先の陸軍再編の如く、海軍の再編について議を進めたく存ずる。まずはこれまで...
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第322話 『国外退去ならびに臨戦態勢』

文久四年三月四日(1864年4月9日) 「急ぎなさい。私が戻るかオールコック前公使が戻るか分からないが、正直なところ良い思い出がない。できればあまり関わり合いたくない国だがな」 駐日イギリス代理公使のエドワード・セント・ジョン・ニールは、執...
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第801話 『洛中』

文禄三年三月二十八日(1594/5/18) 京都の片隅にある小さな居酒屋の2階。 薄暗い部屋の中で、3人の男がささやくように会話を交わしていた。 かつての室町幕府将軍・足利義昭、近江の宇多源氏佐々木氏流六角氏の16代当主・六角義治、そして美...
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第319話 『アラスカ売却交渉とロシア太平洋艦隊のネーバルプレゼンス』

文久三年十二月十一日(1864年1月19日) 箱館「ほう……これはまた、珍しい。何かの交渉ならば、ぜひお手柔らかに願いたいものですな」 駐日函館ロシア領事のヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチは、決して良い思い出とは言い難い相手と、再び交...
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第798話 『再びの戦火』

文禄二年十月二十六日(1593/12/18) 順天府(北京)より山西省の太原府・大同府、北直隷の宣府・開平衛・永平府、山東省の廣寧衛へ使者が派遣され、正式に寧夏国の領土となって明の地図から消滅した。 命令に背いて抵抗する勢力もあったが、士気...
八紘共栄圏を目指して

第794話 『割譲開始』

文禄二年五月十一日(1593/6/10)  明国から割譲された広州、寧波、天津の3港は、海西地方として肥前国に組み込まれた。総督府は広州である。居住民に関しては向こう2年の間は自由とし、その間に肥前国籍とするか明国籍とするかを選ばせた。「お...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』

文久二年十一月二十日(1863年1月9日) 肥前大村 生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。 パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第298話 『埠頭の攻防とそれぞれの思惑』

文久二年九月一日(1862年10月23日) 夜 上海 埠頭ふとう「rukko! eh log chor nahin! (待て! ちょっと! 人たち、あれ、犯人、違う!)」「おお晋九郎! 遅いぞ! 何やってたんだ!」 息を切らしながら説明して...
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第293話 『青幇と黄金栄』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) 玉蘭閣ぎょくらんかく 晋作とその一行は重厚な扉を押し開け、『玉蘭閣』の中へと足を踏み入れる。 そこは豪華絢爛けんらんな装飾と、妖艶な雰囲気に満ちた別世界だった。華やかな衣装をまとった人々が行き交い...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第288話 『生麦事件交渉-3-真実は上海に』

文久二年八月十二日(1862年9月5日) 夜 神奈川奉行所「安藤様、あまりに差し出がましい物言い、真に申し訳ございませぬ」 次郎は前面にでてニールと交渉した事を謝るが、信正はからからと笑って答える。「なに、蔵人がそうだと言う事は丹後守殿から...
東アジアの風雲

第761話 『北方三国同盟と明の滅亡への序曲』

天正十九年五月十一日(1590/6/12) 紫禁城「兵はいる。だが動かすことは難しいだろう」 内閣大学士の申時行は誰に告げるわけでもなく、静かに、淡々と述べた。「100万の兵を抱え、各地の衛所にも精鋭がいる。しかし……」「軍餉ぐんしょう(兵...
東アジアの風雲

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード> フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳) 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は当時...
東アジアの風雲

第755話 『肥前銀行と大日本国銀行』

天正十八年十月九日(1589/11/16)  灰色の雲に覆われた空の下、肥前国諫早において大日本国銀行監査総監の近江屋治郎右衛門は、随員20名を従えて肥前銀行本店に到着した。  5層の巨大な蔵造りの建物群は、それ自体が1つの街区を形成してい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第262話 『イギリスとフランスの思惑と攘夷の志士』

文久元年八月十二日(1861/9/16) 大村「それ見た事か! やってくれた、やってくれたぞ大村の家中が!」 真木和泉は声高に叫んだ。「これまで公儀の弱腰で異国のいいようにされて参ったが、まこと、胸のすくような仕儀にござる!」「ええ、まさか...
東アジアの風雲

第752話 『飢饉のその後とジャガイモ畑』

天正十八年五月二十六日(1589/7/8) 仙台城「では、早速本題に入りま しょう」 と小佐々治三郎純久が切り出した。「只今ただいまの奥州の事の様ことのさまについて、伊達殿から説いていただきましょう」 政宗は深刻な表情で答える。「然されば、...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第253話 『清河八郎とヒュースケン、陰謀の痕跡』

万延元年十二月四日(1861/1/7)  史実における長井雅楽の航海遠略策は、公武合体が進まず窮地に陥っていた幕府にとっては渡りに船の政論であったが、今世は攘夷じょうい運動や倒幕運動もそこまで高まっていない。 そのため少なくとも、次郎や上野...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第252話 『長井雅楽と航海遠略策。長州と斉彬に迫る影』

万延元年十月二十五日(1860/12/7) 「馬鹿馬鹿しい。然様な些末な事に頭を使うなら、もっと他に為すべき事も考えるべき事もあるでしょう」 小栗上野介は御大老安藤信正の問いに事もなげに答えた。「ふっ……。些末な事か。相変わらず豊後守(当時...
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第249話 『朝廷の和宮降嫁に対する意向とイギリスと薩摩の情勢』

万延元年七月二十日(1860/9/5) 京都御所 陣座 太閤鷹司政通、関白九条尚忠、正四位下右近衛権少将の三条実美、同じく正四位下右近衛権少将の岩倉具視の4人の重臣が集まっていた。  同じ官位官職ではあるが、実美は具視を格下に見ている。 政...
大日本国から世界へ

第747話 『モノモタパ王』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン 純正はインドへ駆逐艦を派遣し、カリカットの総督府からポルトガル領のゴアを経由して、ムガル帝国領内の通過を許可してもらって、オスマン帝国へ使者をだした。 同時にポルトガルへも親書を送り...
大日本国から世界へ

第746話 『ケープタウンとポルトガル。周辺の王国とインドと同じ状況』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン カリカットからソコトラ沖の海戦を経て、マダガスカルに到着して現地を視察した後、純正の艦隊はケープタウンに到着した。「父上、朝夕は肌寒いですが、日中は過ごし易うございますね」「うむ。今...
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第241話 『蝦夷地とロシア』

安政六年十一月十五日(1859/12/8) 大阪「なんですと? 福井の殿様が蒸気船を?」 鴻池善右衛門は大阪で室屋(内田)宗右衛門よりその報を聞いた。「それはまずい事になりましたな」「ええ、そう思ったんで御用商人の筆頭である善右衛門さんにお...
転生したら弱小領主の嫡男でした!!元アラフィフの戦国サバイバル

第239話 『兵備輸入取締令(へいびゆにゅうとりしまりれい)と大浦・小曽根商会の横浜・箱館支所』

安政六年九月二十六日(1859/10/21)  次郎はこれを予見していたのだろうか。 大村藩がオランダに最新軍艦を発注し、しかも鋼鉄艦を発注した直後に、幕府から全国の諸大名に以下の法令が発布された。『兵備輸入取締令』 ・いかなる諸大名、また...
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第238話 『遣米使節と海外領事館ならびに渡航許可』

安政六年九月一日(1859/9/26)  新見正興や村垣範正、小栗上野介をはじめとする使節団の派遣にともない、法整備も行われた。渡航先のサンフランシスコでは日本初の外国における領事館の設置が行われるのだ。 海外渡航における諸法規を整備する必...
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第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

安政六年七月五日(1859/8/3)  大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。 まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていったの...
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第235話 『薩摩、佐賀、長州』

安政六年七月五日(1859/8/3)  ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。 1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。 2. 攘夷じょうい論:外国...
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第230話 『長野主膳とハリスとの交渉』

~安政六年二月十六日(1859/3/20) 水戸 彦根藩邸 次郎襲撃の翌日~「御家老様! 御家老様!」「何事じゃ騒々しい!」 執務室で政務を行っていた彦根藩家老、長野主膳のもとに、側近が息を切らしてやってきたのだ。「こ、これをご覧ください!...
大日本国から世界へ

第741話 『ルソン総督と北川長介純清』

天正十六年十二月二十九日(1588/1/27)フィリピン「父上、やはりルソンまで来ると暑うございますね。台湾も暖こうございましたが、さらに南だとこうも暑いものでしょうか」「ふふ、平十郎よ、そなたは肥前国から出るのは初めてではなかろう? 海軍...
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第217話 『長崎亜墨利加商館と管理貿易』

安政四年十二月二十四日(1858/2/7) 「おい、そこの本棚はもう少し左だ。そう、角に台を置くからな。ああ、それそれ、その花瓶を台に置いてくれ。何もないと殺風景だからな。後で花を生ける」「はい、かしこまりました」 1854年に長崎に外国人...
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第216話 『江戸出府と将軍継嗣問題』

安政四年十一月九日(1857/12/24)  下田、箱館、長崎を開港地としてアメリカ人を居住させ、長崎において限定的な交易を行うという成果をあげたハリスの残りの目的は、江戸へ出府して将軍家定と謁見し、大統領の親書を渡す事であった。「太田和殿...
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第212話 『築地海軍操練所と金属薬莢、そして輸血と血液保存 』

安政四年三月一八日(1857/4/12)  長崎に幕府の海軍伝習所が出来たのは、2年前の嘉永から安政に改元された1855年の8月の事である。 ただし、長崎が遠隔地ということと、日本人の人材が育ってきたこともあり、講武所内の組織の1つとして正...
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第211話 『下手人とその波紋』

安政四年二月二十三日(1857/3/18) 大村藩庁『天諭攘夷じょうい義の誓い』 我ら天諭攘夷義士同盟は、ここに大村家中丹後守純顕並びにその一派に対する襲撃の所以を明らかにせん。 其その一、外夷いとの交易を推し進め、我が国の神聖なる土地を穢...
天下百年の計?

第736話 『ペトロパブロフスク・カムチャツキーからオホーツクをへてウラジオストクへ』

天正十六年六月十七日(1587/7/22)沿海地方 沿海県 ニコラエフスク・ナ・アムーレ(北黒瀬浦) 純正は小樽を出港後、1か月半かけて北加伊道沿岸を回り、その後カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、オホーツクのオホーツクを...
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第208話 『オランダと同じように』

安政三年十二月七日(1857/1/2)~それまで 交渉は難航していた。 ハリスが言っている事も一理あるが、日本としては下田と箱館を開港して、各国の船に対しては便宜を図っている。食料や水、燃料などの必需品も迅速に補給できるように順次体制が整っ...
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第207話 『武力衝突! ?』

安政三年十一月十日(1856/12/7) ~それまで「あいや待たれよ! 信濃守殿(井上清直)、どうか御静まり下さいませ! Dear Brooke, let's remain calm. Let's take a short break.(ブ...
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第205話 『交渉開始』

安政三年九月十五日(1856/10/13)  紆余うよ曲折を経て、次郎の軽快なジャパニーズブラックジョークから始まった日本の対4か国協議は、関係国が5か国で参加したという事もあり、序盤から難航を極めた。 ■日本側参加メンバー 全権 下田奉行...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第203話 『通商条約の前に和親条約の改正』

安政三年八月十七日(1856/9/15)   イギリス・アメリカ・フランス・オランダの4か国艦隊が、各国の領事予定者を乗せて下田に着いた頃、中国では太平天国の乱が継続中であった。 イギリスは太平天国の首都(建都された南京・天京)を公使である...
天下百年の計?

第732話 『吉原県吉原湊』

天正十六年一月十八日(1587/2/25) 地震発生から1年と2か月が経ったが、純正は地震が発生してすぐに決定をした。 向こう10年間を復旧期間とし、全域の復旧ならびに新規の高層建築の建造を禁止したのだ。もちろん、計画していた大阪城も例外で...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第197話 『御公儀と大村家中-佐賀藩の二番手争い-』

安政三年二月一日(1856/3/7)  幕閣との舌戦が終わり、何とか事なきを得た次郎であったが、阿部正弘の体調が気にかかり、医師団の派遣を申し出た。立場は違えど国を思う気持ちと、相通じる部分があると感じたからだ。 もし生きていれば幕末は変わ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第194話 『堀田正睦老中首座となり、蝦夷地上知再燃す』

安政二年十一月十七日(1855/12/25) 神に祈るしかない、というのはこの事なのだろう。 次郎は消火器や雲龍水の設置によって地震の被害を少なくしようと試みたが、確かに効果がなかったとは言えない。しかし、藤田東湖らの死因は倒壊による圧死で...