南蛮

天下百年の計?

第724話 『会合衆の世界進出と九州五傑』

天正十四年一月十五日(1585/2/14) 堺 「そう、それが最も難し事なのだ」  会合衆の議論は連日続き、白熱していった。  千宗易(利休)の提案に多くの者が興味を示す一方で、実現に向けての課題も浮き彫りになっていた。  山上宗二は腕を組...
天下百年の計?

第723話 『肥前国(州)の貿易状況』

天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城  大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。  厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易...
天下百年の計?

第711話 『最上の馬揃えと商人の動き』

天正十二年九月十八日(1583/11/2) 新政府庁舎  武田州……清水湊8万貫 徳川州……大浜湊10万貫 浅井州……小浜湊7万貫 里見州……館山湊9万貫 畠山州……七尾湊8万貫 大宝寺州……酒井湊6万貫  各州から港湾整備の予算申請が出た...
天下百年の計?

第710話 『琉球国の処遇と港湾インフラ』

天正十二年八月三日(1583/9/18) 新政府庁舎 「さて方々、此度こたびの言問に入る前に、此この間あった琉球国との仕儀に付いてお知らせを致したく存ずる」  純正は先日行われた琉球国との交渉の顚末てんまつを報告した。事後報告ではあるが、情...
『邪馬壱国の壱与~1,769年の眠りから覚めた美女とおっさん。時代考証や設定などは完全無視です!~』

第11話 『卒善中郎将の掖邪狗(エキヤク・ヒエシエコ)』

2024/6/12(水) 15:00 九州大学 「昨日なんで休講だったのかな? ねえ、誰か先生の連絡先知らないの?」 「知らねー。だってあの先生、嫌いじゃないけど、あんまり人付き合い得意そうじゃないだろ?」 「確かに。明日も休講なのかな?」...
天下百年の計?

第705話 『越後と残りの奥州』(小佐々家中会議)

天正十二年閏うるう一月十一日(1583/3/5) 肥前国庁舎   本当に小佐々が全部の金を出すのでいいのか?  何か良い方法はないのか?  純正は戦略会議室のメンバーを集めての会議の中で、想定問答を行った。  来るべき新政府の会議における、...
天下百年の計?

第698話 『力による現状変更と海上保険と貿易会社』(1582/7/10)

天正十一年六月二十一日(1582/7/10) 新政府暫定庁舎  信長を襲った犯人は全部で47人。  純正の予想通り、犯人グループは朝倉・六角・松永・本願寺の残党であったが、首謀者はまだ見つかっていなかった。しいて首謀者としてあげるなら、六角...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形  メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城  小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。 「こりゃあ大したも...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第656話 『対スペイン戦の反省と軍事改革と再編成』(1578/8/12) 

天正七年七月九日(1578/8/12)   純正はマニラにて戦勝の祝賀会を行った。  本土に戻ってからもっと盛大な祝賀会があるだろうが、全員を連れて帰るわけにはいかない。そこでマニラに残る艦隊と陸軍のために開いたのだ。捕虜も同じである。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第653話 『レイテ沖海戦~伍~起死回生と窮途末路』(1578/6/23)12:00

天正七年五月十八日(1578/6/23)12:00 接敵地点より南へ20km カバリアン湾沖東22km地点  「提督! 前方に艦影あり! 敵艦と思われます! 多数!」  ゴイチ艦隊旗艦の見張りが大声で報告する。 「ちくしょう。もう来やがった...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第647話 『長蛇の列とタブゴンの戦い』

天正七年五月三日 レイテ島南部 タブゴン  パパン! パパパパーン……。  タブゴン湾を見渡せる150mほどの丘の上から、散発的に銃撃が小佐々軍の偵察分隊に加えられている。しかし、幸いな事に距離は500mを超えているようだ。当たらない。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第641話 『開戦! パナイ島の戦い』(1578/4/26) 

天正七年三月二十日(1578/4/26) パナイ島 パナイ川河口  パナイ川はパナイ島の北東部にあり、入江に注ぎ込む河口は二つに分かれているために、封鎖がしにくいと言う理由で、ポルトガルから逃れるためのスペイン軍の拠点とされてきた。  マニ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第635話 『織田海軍と第四艦隊、信忠と澄隆の乗艦』(1577/11/24)

天正六年十月十五日(1577/11/24) 伊勢国大湊 「おい、あれが小佐々の船かよ……」 「あの大砲の数はなんだ。織田の倍はあるじゃないか」 「何隻だ? 何隻いるんだ?」 「十隻はいるぞ。何日留まるのだ? 酒屋に旅籠が繁盛するぞ!」  佐...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城 「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」 「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第631話 『開戦か交渉か』(1577/8/15)

天正六年閏うるう七月二十四日(1577/8/15) 諫早城 「御屋形様、それがしは開戦の時と存じます」  会議が始まって、純正は全員に南遣艦隊からの通信文を見せた。 発 第一艦隊司令長官 宛 御屋形様  秘メ 明国 張居正 ト イスパニア ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25)

天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城 「そうか。織田からはそのような要望が」  純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。 「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」 「まずないでしょう」  そういうの...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明  父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。  ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。  ...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第624話 『日ノ本大同盟内の経済格差と移住問題』(1576/2/9) 

天正五年一月十日(1576/2/9) 永禄四年四月(1561)に、沢森平九郎政忠として転生して15年がたっていた。 その治める版図は北は北海道の北西岸、南は鹿児島県のトカラ列島、東は静岡県の吉原湊(租借地)に、西は五島列島までに及んでいた。...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17)

天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城  6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。  また彼らは、織田領内では小学・中学・高校とい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第611話 小田原評定ならぬ小田原決定(1574/9/29) 

天正三年九月十五日(1574/9/29) 小田原城 小田原城は、戦国時代最大級の全長9kmにおよぶ総構えが有名だが、この時にはまだ完成していない。 秀吉が行った天正十八年(1590)の小田原侵攻に備えるために構築されたのだ。 上杉謙信の小田...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第49話 『長与俊達と尾上一之進。西洋医学は大村から花開く』

天保十三年一月二十五日(1842/3/6)  砂鉄と鉄鉱石をどう調達するのかに関しては協議を続けるとして、再度入念に領内を調査することとなった。  次郎が帰宅した際にお里が領内の他の候補地を教えてくれた事と、編纂へんさん途中の大村郷村記を再...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4)  そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。  結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されて...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村 「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」 「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあい...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第591話 北方探険艦隊の帰還と暗躍・北条氏政(1573/3/31)

天正二年二月十八日(1573/3/31) 肥前 諫早 「よう戻ってきたな三郎右衛門に清右衛門。大義であった」  北方探険艦隊司令の伊能三郎右衛門忠孝と副将の間宮清右衛門森蔵である。  2人は探検艦隊を率いて北海道を西岸から北上し、樺太を発見...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎 「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」  父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第582話 房総の雄 里見佐馬頭義弘

天正元年(1572)九月二十八日 上総 久留里城 「殿! 安房勝山城より急使にございます!」 「なんじゃ、騒々しい。通せ」  上総久留里城主であり、安房と上総を治める里見佐馬頭さまのかみ義弘のもとに、安房国平郡勝山城より急ぎの知らせが入った...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第580話 武田大膳大夫勝頼の野望

天正元年(1572)九月二日 甲斐 躑躅ヶ崎館 「わしは、其方そなた達あっての武田じゃと思うておる」  武田家第十七代当主で、甲斐源氏二十代目である武田勝頼は、重臣を前にそう言った。  馬場美濃守(信房)に山県三郎兵衛尉(昌景)、高坂弾正(...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第577話 尚元王の死と万暦帝の即位

天正元年(1572)七月十九日  三ヶ月前に、純正の同盟国(通商和親・準安保)である、琉球王国第二尚氏王統の第五代国王である尚元王が崩御した。  特に名君というわけでもなく、普通の王であったが、古来より王朝の代替わりの際には政情が不安定にな...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第575話 電気という概念と様々な試行錯誤

天正元年(1572)六月一日 『磁気的現象と電気的現象についての考察:天正元年六月一日(注:ユリウス暦1572/7/10):太田和忠右衛門政藤』  そう題された論文の中身を読み返し、頭をひねりながら修正を繰り返しているのは、科学技術省大臣で...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第574話 上杉戦の反省と留学生の今後

少し遡って天正元年(1572) 三月三十日 諫早城 織田信忠  小佐々の殿様、権中納言様が上杉と軍いくさをなさっているさなか、春休みという事でわれらはいったん故郷へ帰り、元服を済ませた。  父は今年の三月が中学の終わりで、小佐々の領民は卒業...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第522話 第三師団長の憂いと伊集院忠棟、安国寺恵瓊ほか続々

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十八日 阿波 橘浦   十三日に白地城下の駐屯地を出発した小佐々陸軍第三師団が、橘浦に到着したのは十八日の夕刻であった。  小田増光陸軍少将は兵に休息をとらせ、乗艦の段取りをすませて宿舎にいた。  ふと...
対上杉謙信 奥州東国をも巻き込む

第520話 対上杉謙信 純正の調略と荷留・津留の経済封鎖

天正元年(元亀三年・1572年) 三月十六日 京都 大使館   純正は謙信が話し合いに応じ、戦う事なく拮抗状態が維持できればと考えていたが、やはりそれは出来なかった。  第二師団には尾張より木曽川を上って飛騨に入り、越中との国境である塩屋城...
緊迫の極東と、より東へ

第512話 能登にて七人衆との会談と、岐阜での一節

天正元年(元亀三年・1572年) 三月五日 能登国 |鳳至《ふげし》郡 天堂城  純正一行は天堂城下で昨日歓待を受け、翌日登城して改めて挨拶を受けた。 「畠山修理大夫義慶よしのりにございます。権中納言様におかれましては、ことさら西国より能登...
緊迫の極東と、より東へ

第510話 肥前より能登へ、敦賀にて純正、長政と初対面す。

天正元年(1572) 二月二十四日 越前国 敦賀郡 敦賀 「何? 権中納言様が敦賀にお越しになっていると?」  長政は仰天した。  越前の統治においては前波吉継をはじめとした朝倉旧臣が行ってはいたが、三国浦をあらたな領地とした長政は、小谷城...
緊迫の極東と、より東へ

第508話 肥前より能登へ、日本初と東国の不気味な動き

天正元年(1572) 二月二十二日 筑前遠賀郡 岡湊 山鹿城 小佐々純正  小佐々領内では、特に海岸沿いの街道には信号所や伝馬宿を設置させている。  街道のコンクリート舗装は全部は終わっていないけど、信号所・伝馬宿・舗装の順に整備を続けてい...
緊迫の極東と、より東へ

第496話 孤立無援に四面楚歌 徳川家康vs.曽根虎盛

元亀三年改め天正元年(1572年) 正月九日 岐阜城  信長としては反織田の包囲網が崩れたとは言え油断できない状況であり、雪解けを待って朝倉攻めをする為には、武田との和睦は喫緊の課題であった。  そのため純久の仲介で光秀を調整役として、虎盛...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第484話 織田弾正忠信長と太田和治部少輔直正。狐と狸の化かし合い。

元亀二年 十月二十一日 信貴山城 織田軍本陣  勅書です! 信長さん  長い間戦乱が続いて、ようやく平和になってきたかな~と思ってたけど、またきな臭くなってきているような? という事をスゲー病んで考えて込んでる今日この頃。  理由のない戦争...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第465話 小佐々純久とグネッキ・ソルディ・オルガンティノ

元亀二年 七月十六日 京都 大使館 「おお、これはオルガンティノ殿、久しいですね。どうされたのですか?」  京都でフロイスとともに布教をしているオルガンティノが訪問してきた。  オルガンティノはイエズス会の宣教師で司祭である。  昨年の元亀...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第464話 異国との交錯と得体の知れない小佐々家の存在

元亀二年 七月十二日 小笠原諸島 父島 「隊長! 何を言っているんだ! ? こいつらが俺たちの船を沈めたんだ! 敵だ! 敵は殺さなければならない!」  いったい何を言っているんだ?   守備隊長のフェルナンド・アルバレス・デ・トレドはもとよ...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第463話 イエズス会とイスパニアと小笠原諸島

元亀二年 七月十二日 小笠原諸島 父島 『¡Ey! ¡Mirar! ¡Puedo ver el barco!  ¡Parece que se dirige hacia aquí!』 (おーい! 見てみろ! 船が見えるぞ! こっちに向かってい...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第446話 信長の越前攻め

元亀二年 二月八日 岐阜城 「時は来た。いざ越前へ攻め入るぞ」。  満を持した信長の号令の下、一次侵攻の時と同じように、浅井長政の一万とあわせて、合計六万の軍勢が越前に攻め入ったのだ。  浅井長政軍を主力とした一万五千の兵が敦賀口から金ヶ崎...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第443話 通訳を求めて堺へ。紙屋甚六の旅

元亀元年 十二月二十三日 大和国(奈良県) 「やはり遠いですな、大和は。ここからさらに京に堺にとなると、さらに遠い。そしてこのたびのお役目は、難儀な事ですなあ」  そうやって同行者に愚痴をこぼす者がいる。  相模国小田原の紙商人の紙屋甚六で...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第440話 純正から延暦寺への手紙

元亀元年 十二月七日 諫早城  天台座主にして金蓮院准后様(比叡山延暦寺大僧正)  拝啓 寒さを感じる霜月の候、准三后様におかれましては、ご自愛いただきたく存じたてまつり候。  初めての文ならびに突如としての送文と相成りますが、何卒お許し願...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第433話 変革の時

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城  元親は純正の発言の意図が理解できない。 「それは一体、どう言うことなのでしょうか?」 「言葉通りの意味である。宇喜多殿とは使者を通じて、服属したいとの旨を承っており、了承したのだ。その際、この毛利家...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第430話 力と政治

元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城    戦国時代初、関係各国の代表、いわゆる首脳が集まる会談が伊予の湯殿城で開催された。甲相駿三国同盟でも3人である。10人はまずないだろう。  どこで開催するか迷った純正であったが、諫早城はさすがに遠...
第2.5次信長包囲網と迫り来る陰

第429話 西国騒乱!?史上最悪の兄弟喧嘩。完膚なきまでに叩きのめされる。

元亀元年 十一月十五日 吉田郡山城 「本気で呑むというのか、隆景」  諫早城で純正との会談を終えて戻ってきた隆景は、輝元と元春、ならびに恵瓊ほか数人の重臣にその内容を告げた。  小佐々と四分六(毛利が四:感覚的な表現)の同盟を結ぶことを提案...
新たなる戦乱の幕開け

第413話 元亀元年の浦上宗景への詰問状

元亀元年 九月十五日 諫早城 「殿、大使館より定時通信にございます」  京都大使館に配属されている情報省の職員(忍び)から定時報告があった。  京都~堺湊、阿波湊~土佐宿毛湊、豊後佐伯湊~肥前諫早城間はすでに街道が整備されており、駅馬車も走...
新たなる戦乱の幕開け

第408話 織田信忠と留学生の夏休み

元亀元年 七月二日 岐阜城 「まったく戦になりませぬ」  岐阜城の居室で信長と話しているのは、嫡男の勘九郎信忠である。 「ほう、どのように違うのだ」 「は、われらが戦をする際は、まず斥候を出して相手の動きを探ります。籠城するのか野戦なのか、...
新たなる戦乱の幕開け

第406話 正確な時計とライフル銃と気球と石炭ガスにコークス①

元亀元年 六月のある日 諫早城 時計製作研究会  小佐々領内では、永禄五年(1562年)に南蛮船が横瀬に寄港してから、機械式時計の研究と開発が進められてきた。  最初に宣教師よりもたらされた時計には分針がなく、一日に半刻(1時間)以上のズレ...