第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16)

 天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所

「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」

「なるほど」

 居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男がいた。

(そうだな。長崎はもちろん、江戸湾に台場を築くべきだろう。それから天子様をお守りするために大阪や兵庫、そしてオロシアに対するために、函館などの蝦夷地にも必要だろう。他にもある)

「いま、幕府は和蘭オランダとの交易で銅を使っているが、国内も含めて銅の使用量を抑えて西洋式の大砲を数千門造るのが急務である」

「なるほど」

(しかし和蘭と対外交易をしているのなら、抑えるとしても和蘭の赤字ばかりでは厳しいだろう。それに数千もの大砲を造るより、より遠くへ飛び、威力のある大砲を造る方が現実的だ)

「西洋式の大船を建造する。そうして江戸周辺の商船が難破しないようにせねばならぬ」

「なるほど」

(本来ならば大船建造の禁を廃し、沿岸諸藩に建造を許し、西洋の船が来航しても対処できるようにすべきだな)

「海運に関しては人選を厳とせねばならぬ。異国との通商に、言葉もわからぬ、慣習も知らぬでは、いらぬ過ちが生じる恐れあり。また、すべからく不正は厳しく取り締まるべきである」

「なるほど」

(当然。ド素人が海運に携わったら事故の元だし、利益なんて出るはずがない。最低限の言語と、西洋の商習慣に習熟していないと無理。不正なんてとんでもない)

「洋式にならって船艦を造り、専門的に水軍の調練を行い、伝習させる事が肝要である」

「なるほど」

(長崎の和蘭人に教えを請うて船艦を造り、伝習所をつくって学ばせる必要があるな)

「いかに地方であろうと、津々浦々に至るまで学校を興し、盛んに教育をするべし」

「なるほど」

(武士も町民も、男女問わずに教育をする事こそが日本の将来を決める)

「信賞必罰することで、御政道の温かい情けと厳しさが明らかとなる。そうすれば民の団結はいや増すばかり」

「なるほど」

(当たり前。正しいことをやったのに、賄賂で罪を着せられたら、誰が正しい行いをする? 信賞必罰を明確にするのは、法治国家の礎である。政府への信頼感が高まれば、国のためにという者も多く現れる)

「有能な者を推挙し、実績のある者がそれ相応の地位や名誉を得る事ができるようにせねば、進んで働く者がいなくなる」

「なるほど」

(年功序列は年の功で全てが決まる。年長者が知識も経験も豊富で間違いがない、という前提でこそ成り立つ。年少者が優れていれば、当たり前だが成り立たない)

 

「ええい! 誰じゃ。先ほどから聞いておれば、横からごちゃごちゃと! 名を名乗れ!」

「人に名を聞くときは、自分から名乗るのが道理であろう? その程度もわきまえぬ者が、天下国家を論ずるなど片腹痛し」

「ぐぬぬ……。それがしは海岸防禦御用掛顧問かいがんぼうぎょごようがかりこもんの佐久間象山 である。名を名乗れ!」

 

「……それがし、大村藩家老にて殖産方、太田和次郎左衛門である」

 

 それから八日後の天保十三年十一月二十四日、佐久間象山は自らが作成した従来の海防八策に、それぞれ一つずつ加えた海防十六策を上書として提出した。

 

 ■天保十四年四月十六日(1843/5/16) 玖島くしま城 <次郎>

「完成したぞ」

 江戸から大村に帰って早々、信之介から報告を受けた。

 4年前の天保十年九月(1839/9)に研究開発を始めた捕鯨船が、やっと完成したのだ。捕鯨砲は先行して2年前に完成していた。
 
 その間に俺は、捕鯨組の面々に航海術を教えていたのだ。

 捕鯨組なのに船がない。そんなもどかしい思いをさせていたので、喜びもひとしおだ。

「3本マストの全長が28mで喫水は1.8m。65tで乗員は30名。普通の捕鯨船の3倍はあるぞ」

 ただ、完成という信之介の言葉は嬉しいのだが、残念でもある。
 
 大船建造の禁のおかげで大型船を作れないからだ。荷船(輸送船)はその適用外なのだが、捕鯨船はどうなんだ?

 おそらくダメだろう。

 明確に禁止が解除されるのが今から10年後の1853年だけど、秋帆先生は捕まってないし、長英さんが釈放されれば、英龍さんも象山さんもいる。

 なんとか流れで解除されないかな? と淡い期待を持っている。

 信之介の負担はブラック過ぎるけど、もうちょい頑張って。
 
 でも隼人が加わったから多少は楽になったかな? 佐賀藩の佐野常民は各藩かららん学者を招聘しょうへいしたらしいけど、殿に進言してみよう。

 人材を育成するのは大事だけど、招聘するのが手っ取り早い。

 ・高炉
 ・反射炉

 この二つは日本語に翻訳したヒュゲーニンの著書通りに建造が進んで、大砲の鋳造も行われている。これはお里の役割が大きかった。
 
 翻訳の精度がまるで違うのだ。

 現代(前世)と幕末のオランダ語の違いはあるが、既存の蘭和辞典と照らし合わせて精度の向上を図っている。
 
 それが、建造物の性能と鋳造作業のクオリティの差に如実に表れていた。

 去年の1月に1基目の高炉と反射炉の建造に着手して、4か月後の5月に完成した。確か佐賀藩の反射炉による鋳造は十数回失敗して、やっと成功している。

 2・3・4号炉も完成して、大砲をくりぬく錐鑽すいさん台や、それを動かす水車なども随時制作している。

 鋳造自体は成功したが、まだまだ問題点が多いようだ。

 

「大丈夫か?」

 俺は信之介に声をかけるが、信之介は文句は言うものの、実験と物作りは性に合っているのだろう。へこたれない。

「まったく問題ない。お前は俺が自由にできる環境だけ作ってくれればいいんだよ」

 ブラックだブラックだと言っても、なんだかんだでやってくれるのが信之介だ。ただ、体にだけは注意してほしい。
 
 そうだ、一之進の健康診断を受けてもらおう。

 お里の体調も心配だな。一之進に……いや、うーん、ダメだ! 確かシーボルトの娘にいなかったかな?

「おーい! 一之進!」

「なんだ?」

「長崎に行ってくれん?」

「なんで?」

「楠本イネ」

「は?」

「日本初の女医で産婦人科の」

「? ……ああ、なんか聞いた事あるような、ないような」

「そのイネが長崎に……いなかったら伊予までいってくれ」

「はあ? 長崎? 伊予まで? ……なんで?」

「なんでも」

「なんでもって……」

「二宮敬作に石井宗謙なんだよ!」

「いや、意味がわからん」

 ……。

 

 捕鯨船の乗組員達は試験航海を行う事になった。航海技術の習熟が必要だ。2番艦以降も建造し、10隻ほどつくる。
 
 そこで航海術に秀でた乗組員をたくさん育成して、海軍をつくるんだ!

 次回 第57話 『土地豊穣ほうじょうにして百穀能く実り~なかんずく真珠をもって当領第一の名産とす』

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