~安政五年七月十五日(1858/8/23) まで
「次郎よ、如何致した?」
上座の藩主純顕が次郎にそう問うと、右手に座る利純も真剣な眼差しで次郎をみる。
「は、ただいま報せが入り、急ぎ精煉方より戻りましてございます」
「うむ、わしもつぶさには知らぬが、公儀が朝廷に知らせずに条約を結んだそうだな?」
「は、それ自体は特に障りはないのでございますが、問題となっているのは神戸の開港と大阪の開市にございます。都に近き地にございますれば、天子様の御心穏やかならず、また民の動揺も甚だしかろうとの仰せにて、公儀に再考を促すようにございます」
「うべなるかな(なるほど)。然様な事であったか。確かに都に近い場所での開港や開市は、朝廷にとっては大いなる懸念事項となろう」
純顕は腕を組み、深く考え込んだ様子で言葉を続ける。
「次郎、お主はこの事様を如何みる? 朝廷と公儀の間に溝ができれば、国内の混乱は避けられまい」
「は。斯様な事態は非常に憂慮すべきものと存じます。然れどまだ手遅れではございませぬ。某
としては、あまり中央の事に関わるは避けた方が家中のためと存じますが、此度はそうもいきますまい」
「ほう? 如何なることだ?」
利純が身を乗り出して尋ねた。
次郎は両者の表情を確認しながら、慎重に言葉を選んで説明を始める。利純は将軍継嗣問題をはじめとして、失策続きの幕府に考え方が明らかに変わってきたようだ。
以前より幕府を尊重する気持ちが薄らいできているように思える。
純顕もまた、言路洞開を体現すべく、こういった場ではいちいち許可を取らなくても自由に議論ができる様にしていた。この3人の時であれば、なおさらである。
「まず、公儀に対しては、朝廷の意向を十分に伝え、開港地の変更や開市の延期を検討するよう働きかけるべきかと存じます。同時に、朝廷に対しては、仮に神戸の開港と大阪の開市が現のものとなったとしても、天子様の宸襟を悩ますような事にはならぬと、説かねばなりませぬ」
純顕は次郎の答えを聞き、一呼吸置いて答えた。
「うむ、理にかなっておる。然れど、誰がそれを行うのだ?」
「某が参りましょう。京都と江戸、双方に赴き、調整役を買って出る所存にございます」
「次郎? それは危ういのではないか?」
利純も次郎と同じく襲撃にあったのだ。心配そうに利純が声を上げるのも無理からぬ事である。純顕も同様であった。
「某は無位無官ゆえ、直に天子様に拝謁は能わねど、今こそ我が家中の真価を示す時でございます。何方(どちら)にも与せぬ立場で国の未来のために尽力する。これこそが、我らにできる最も大なる貢献かと」
……。
……。
「あいわかった。然れど重々気をつけるのだぞ」
「はは」
純顕の許可を得、利純に心配されつつも、上洛と江戸出府の行動を起こす次郎であった。
まずは、上洛するより先に江戸である。
■京都 御所
「ふむ、岩倉のう……才気溢れる者、ではあるが、些か出しゃばりすぎでおじゃるの」
「は、先頃は先の関白様と計らい、お上の面前にて公儀の違勅をなかったものにしようと画策いたしましてございます」
三条実美は五摂家に次ぐ清華家の家格であり、496石で次郎の援助は受けていたものの、岩倉具視の朝廷改革による実力重視の風潮には、少なからず嫌悪感を抱いていたのだ。
史実ではこの2人は明治の元勲と呼ばれるが、どうやらここでも悪い方へと歴史が変わっているようである。
「では、そこに関白様はご不在であらしゃったと?」
「はい、お上の他には先の関白様と岩倉具視の二名のみであったとの由」
「其れはますます、権を越えた行いでありましゃるな。これはさすがに関白九条尚忠様にお知らせいたし、天子様に真の道を説いていただかねば」
九条尚忠もまた、史実では幕府との協調路線をとった人物であったが、どうも今世では違うようである。
■江戸城
「……わしの知らぬところで勝手にやったことじゃ、では通らぬの……」
「は。やむをえない時は是非もなしのと仰せにて、井上殿、岩瀬殿も苦渋の決断であったかと存じます」
「それにしても、ハリスが言うようにイギリスやフランスが攻めてきたとして、如何に防ぐのだ? 仮に偽りだったとしても、如何にして嘘か誠かを判じれば良かったのだ?」
「ご心中、お察しいたします。六月の春嶽様、水戸のご老公様に水戸様、尾張様の不時登城についても、処罰を考えなくてはなりませぬ」
井伊直弼のイライラは頂点に達しようとしていた。
「まったく何奴も此奴も、周りは皆阿呆ばかりじゃ。何故わからぬのだ! 一橋にしてもそうだ。如何に英明とはいえ、実の子ではないか! あからさますぎるであろう……」
「掃部頭様、どうかお怒りをお収めくださいませ。……いまひとつ」
「なんじゃ?」
「例の大村家中の、家老太田和次郎左衛門が、掃部頭様へ謁見を願い出て数日待っておりまする」
「なに? 然様な陪臣となにゆえわしが会わねばならぬのだ! ……いや、待て、今なんと申した?」
「は、然れば、大村家中の家老、太田和次郎左衛門殿が、謁見を願い出ております」
直弼はしばらく腕を組み、目をつぶって考えていたが、側近に伝えた。
「よし、会おう。すぐに支度をするがよい」
「はは」
■大村領
この頃、安政五年の夏ごろにかけて、長崎はもちろん、江戸でもコレラが大流行し、江戸だけで3~4万人の死者がでた。
のであるが、今世は違った。
「急げ、そこの患者はこのベッドだ」
一之進は陣頭指揮をとりながら患者の治療にあたるが、大村藩の領内では下水道設備と生食の禁止、医療関係者や外出時のマスクの着用など考えられ得る対策をとっていたため、死者はでていない。
感染者も迅速な処置と治療によって、順次回復していったのだ。
長崎においては史実より格段に増えているオランダ船と、通商が決まったアメリカ船が停泊していたが、水際対策の検疫も行われている。
「こんなこと聞いてねえぞ!」
アメリカ船ミシシッピ号の若い船員が憤慨した。船長のジョンソンは額の汗を拭いながら、一之進に向かって苛立ちを隠せない様子で話しかける。
「ドクター、我々は既に健康だと言っているだろう。これ以上の検査は不要だ」
一之進は冷静に、しかし毅然とした態度で返答した。
「船長、我々は貴殿の言葉を信じておりますが、規則は規則です。全ての乗員の検査が終わるまで、上陸は許可できません。全員の体温測定を続けてください。37度を超える者は要注意です。また、下痢や嘔吐の症状がある者は即座に報告を」
一之進は次郎や信之介、お里と同様に英語は堪能だ。さらに検疫の医官たちに指示を出すと、アメリカ人の船医が眉をひそめる。
「そこまでする必要があるのか?」
「コレラの症状は急激に現れます。一刻も早い発見が重要なのです」
一之進は淡々と説明を続けた。甲板の隅では、日本の検疫官が船員たちに問診票を配っていた。
「何だこりゃ?」
ひげ面の船員が聞いている。検疫官はすぐに一之進を呼んで対応を願う。
「過去2週間の体調や寄港地での行動を記入していただくものです」
船員たちはぶつぶつと不平を漏らしながらも、渋々記入を始めた。一方、船内では別の検疫官たちが、客室や船倉の衛生状態を入念にチェックしていた。
「この水樽の水は濁っているな。全て検査だ」
「食料庫の生鮮品、特に魚介類の状態はどうだ?」
厳しい指示が飛び交う中、船員たちの顔には疲労の色が濃くなっていくが、夕暮れ時にはようやく一通りの検査が終わった。
「お疲れ様でした。あと3日間の経過観察の後、無事であれば入港を許可いたします」
「3日だと? こんな厳しい検疫は初めてだな」
船長は深いため息をついた。
次回 第223話 (仮)『井伊直弼と太田和次郎左衛門』
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