第61話 『徳川斉昭の謹慎とおイネ道中に適塾留学生』(1844/6/21) 

 天保十五年五月六日(1844/6/21) 

 一之進がおイネを探して二宮敬作と出会い、なりゆきで診療所の手伝いをしていたころ、フランス船アルクメール号が那覇に入港し、通商を求めていた。

 モリソン号事件に続きイギリス船サマラン号、そしてフランス船アルクメール号である。
 
 江戸幕府の鎖国政策においても変革を迫られていたのだ。

 そのころ幕府は、アヘン戦争で清がイギリスに敗れた事でようやく危機感を強めていたが、鉄砲斉射の軍事調練をした水戸藩の徳川斉昭を、謹慎処分にしてしまう。

 水戸藩の徳川斉昭は海防の重要性や西洋式の軍隊、そして海軍の創設と蝦夷地の開発の重要性など、非常に先見の明を持った賢君といえる人物であった。
 
 幕府はそれをよしとしなかったのだ。

 

 ■玖島くしま城下 次郎邸 <次郎>

 適塾への留学(遊学)を提案したはいいが、いったい誰がいいだろうか。
 
 藩の公費を使っての留学だから、優秀な者を選ぶのはもちろんだが、上級武士から選べとの圧がある。

 俺的にはそんな基準はまったく無意味だという事はわかっているし、適塾に行けば身分なんて関係ない。

 しかし、留学経験が藩政における出世コースとなれば、老中の方々がうるさいんだよね。

 さーて……。

 うーん、稲田又左衛門くんかなあ。あ、まだ養子に入ってない。確か19歳で稲田家の養子に……いや、見たぞ。もう養子に入って五教館で勉強してるもん!

 あれ、今さらだけど知らん間に、歴史改変。

 それから……といろいろ考えていると、信之介と隼人がなにやら子供を連れてきた。

「信之介、誰この子?」

「えーっと名前はね……松林……なんだっけ?」

 いや、俺に聞くなよ。お前が連れてきたんだろうが。

「それがし、藩医松林杏哲が嫡男、松林廉之助と申します。御家老様にはいつも父がお世話になっております」

 小さい。まだ小学生くらいだろうか? 深々と頭を下げている。

「(? ああ、杏哲先生か)おお、小さいのに賢いね。いくつ?」

「六つにございます。御家老様におかれましては、数え六つのそれがしなど若輩かと存じます。さりながら元服はしておりませんが乳飲み子ではございませぬ。どうか、よろしくお願いいたします」

 まじかこの子。6歳だろ? 俺の6歳の時なんて坊主頭に三日月のハゲ傷のある、はな垂れ小僧だったぞ。まさしく。

 ……ん?

 松林廉之助……ああ! 松林飯山じゃねえか!

 松林飯山(通称廉之助)はこの後大村藩の藩儒となる人物で、安さかごん斎に師事し、昌平こうに学ぶ。

 安政6年には五教館の学頭になって、その後大坂で松本けい堂らと雙松岡そうしょうこう塾を開くんだ。
 
 藩内でも尊王派として活躍したけど、慶応3年1月3日に佐幕派藩士に暗殺される。

 うひゃあ! 神童で名高いこの子が何でここにいるんだ? Wikipediaにも載ってるぞ! これ、暗殺を防げって天からの使命なのか?

「あ、うん。よろしくね」

 俺は短く廉之助に返事をした。

(おい! なんで杏哲先生の子供がここにいるんだよ!)

(知らねえよ! 蛎浦かきのうらの炭鉱を視察中に見つけたんだ)

(見つけたらなんで連れてくる事になるんだよ!)

(わからん! 炭鉱の石炭を燃やしている時に、この子が煙をずーっと見てたから聞いたんだよ!)

(なんて! ?)

(なんで煙りばっかり見てるのか? って。別に悪い事じゃねえだろうが!)

(それからが大事なんだよ! そんでこの子は何て言ったんだ?)

(うちで薪をくときは白い煙、炭を燃やしたら煙はでずに、今この石炭を燃やすとなんで黒い煙がでるんだろう? って)

(で?)

(そりゃあちゃんと答えたさ! 当たり前だろう。大人の役目だ。石炭を燃やして黒い煙がでるのは、不完全燃焼で酸素が足りない。だからススなどで黒く見える。白い煙は水蒸気。小さな水の粒だな。それが太陽の光に反射して白く見える。炭を燃やして煙がでないのは、二酸化炭素は無色だから。木炭は炭素で酸素と結びついて二酸化炭素となる。見えない理由はこれだ)

 信之介は、えへん! という様な顔をしている。

 こいつ、もう完全に令和の信之介だな。完全にそうだ。江戸の要素がないぞ。

(馬鹿かお前! ソンなこと言ったら頭がおかしいと思われるだろう! 変な噂が立つに決まっている! 前よりましにはなったけど、俺たちはただでさえ目立つんだぞ!)

(馬鹿とはなんだ馬鹿とは! 適当に言葉を濁せというのか? 知的好奇心旺盛な子供の気持ちを嘘で踏みにじるのか?)

(いや、そうじゃないけど……どうすんだよ)

「先生、先ほどの続きを教えてください。不完全燃焼なるものは、いかなる時になるのですか? この世にあるものが燃えるとは、いったいどのようなことわりなのでしょうか」

 俺たち二人の無言のテレパシー会話を察知したのだろうか? そしてすでに廉之助は信之介を先生と呼んでいる。なんだこれは?

「お? そうか。では部屋でゆっくり教えて進ぜよう。隼人も来い。二人に教えてやる」

「お、おい……」

 自己顕示欲? 承認欲求? 何て言うのが正しいのかわからないけど、今信之介は幼い廉之助の質問攻勢に舞い上がっている。ああ、これ、どうしようか。

 後から杏哲先生に謝りにいかないとな。

 

 数日後松林杏哲からは、(俺が五教館最年少首席だった事をふまえて)五教館の教えと同レベルにしてくれるなら、という事で許可を貰った。信之介の二番弟子の誕生だ。

 いや、俺、大丈夫だろうか。

 一之進はパワーアップするし(ブレーンができる)、信之介は弟子二人。俺も欲しいな。まじ、欲しい。

 

 ■備前国 岡山 石井宗謙宅兼診療所

「なんですと? この私を大村藩へ招聘しょうへいしたいと仰せなのですか?」

 宗謙は一之進のあまりのとっぴな提案に、あんぐりと口を開けたままであった。

 

 次回 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』

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