第18話 『そのころの日本は? 俺が出来る事なんて、たかが知れてる。あれ? お慶さん』(1837/6/1)

 天保八年 四月二十八日(1837/6/1) 次郎左衛門

 信之助は石けんをいかに簡単に安く大量にできるかを考えている。もちろん品質は変えずに。

 お里は和蘭辞書と反射炉製造書を読みながら翻訳中だ。

 一之進は領内をまわって食生活と体調の聞き取り調査中。

 みんな、仕事をしている。

 俺の目標といえば、ペリー来航までに蒸気船をつくり、横付けできる技術力を大村藩に持たせること。これが第一目標だ。

 最終目標は欧米列強の侵略を防ぎ、不平等条約も結ばない事。国内の世論を統一して、佐幕も攘夷もない状態をつくること。

 一介の藩士である俺が直接影響力を持つことはできないから、あくまでも藩主とともに藩論を統一してということになる。

 そのためには、年表を整理して、国論がどうなっているのか? それに対する各藩の状況はどうか? を正確に把握しておく必要があった。

 ペリーの来航が1852年だから、あと15年しかない。

 そもそも、なんで攘夷って思想になったんだ? 江戸幕府の方針が鎖国だから、開国を迫ってくる国に対して打ち払い? 攘夷? それが俺にしてみれば意味がわからない。

 薪水給与令があったのに、フェートン号事件で異国許すまじ、攘夷となったのか? あれ、騙したイギリスも悪いけど、ちゃんと対抗しなかった幕府も悪いよね。

 やろうとしたけど後手後手にまわった。

 結果全部まとめて打ち払え、だからモリソン号事件になった。

 そもそもの鎖国は、キリスト教の布教が原因じゃなかったっけ? だからオランダが残ったんだ。イギリスは確か、なにかトラブルがあってオランダに負けた。

 ……しかし、世の中(日本国中)が倒幕だ佐幕だ、攘夷だ開国だって騒がしくなるのはペリー来航以降だ。

 結局、藩士の身分では国論を動かすなんてだいそれた事はできないし、出来たとしても……幕府にその力があるのかどうか、わからない。

「ああ、わからん! 結局今はいろいろ考えずに、技術革新と富国強兵しろよって事だよな」

 一之進「何をブツブツ言ってんだ?」

 お里「次郎君、たまになるよね」

 信之介「ほっとけ。いつものことだ」

 いつの間にか帰ってきた一之進とお里、信之介の三人が休憩しつつ俺をダシに笑っている。

「おい、家の主人をのけ者にしてお茶すんな」

 信之介の従者である十兵衛と、助三郎と角兵衛が仲良くなって、本当に自分の家のようにくつろいでいる。

 ……まあ、いいんだけどね。

 うーん、俺の歴史知識が生きてくるのはもうちょっと先か?

 

「若様。お客様です」

 そんなことを考えつつ、サツマイモとゲンノショウコ茶で馬鹿話をしていたら、どうやら客のようだ。

「なんだ? 誰だろう」

 門の前までいって開けると、なんとそこには小さい大浦お慶がいた。

「あ! 君はこの前の……ええっと、お慶ちゃん?」

 本当に予想外の客で驚いたのだ。

「ど、どうしたの? ま、いいや、入って入って」

 そう言って俺は、お慶ちゃんを中にいれ、3人に紹介した。3人とも驚いていたが、予想通りみんな笑って歓迎してくれたのだ。

 縁側に5人座って話を始める。すると信之介と一之進がじっと俺を見る。お里にいたっては右に座っていたが、同じである。原因は左に座ったお慶ちゃんだ。

 なんのためらいもなく、ニコニコ笑って普通にちょこんと横に座ったもんだから、誰も何も言えず無言が続いたが、耐えきれなくなった俺が口を開いた。

「お慶ちゃん、どうしたの? 何かあった?」

 と少し距離を置こうとすると、今度はお里と近くなる。うーむ。

「今日は商談に参りました」

 ん? 商談? どゆこと?

「先日は大変お世話になりました。聞くところによると、太田和様は藩士でありながら商いもされているとの事、ご恩返しではありませんが、何かお役に立てないかと思いました」

 商売、と聞いて俺はハッとした。物(サービス)の売り買いをして金を得る事を商売というが、なにも商人に限った事ではない。

 幕末とは関係なく、武士の内職というのは珍しくはなかった。

 ドラマでも貧乏旗本や御家人が傘を作っているシーンや、女性陣が縫い物をしているシーンはよく見かける。

 あれは本当のところで、城下の武家屋敷の周りには問屋街ができるほどだったという。

 大村藩の改革もそうだ。

 ただ単純に加増するのではなく、加増はするが耕作可能地を与えるから、自分で耕せというものだ。実情は内職と変わらない。

 それを考えれば、『百姓侍』とか『内職侍』など、苦労をしらぬ者達だからこそ口に出せる言葉なのだ。

 あー腹が立ってきた。くそ家老め。

 幸いにして俺の場合は商売はやっているものの、自分の領地だから、採れた産物や様々なものを加工して売っている。

 そういう意味では、江戸の武士の内職とはちょっと違うかもしれない。

「それでお慶ちゃん、どういう商売、なのかな?」

「お慶、もしくは慶とお呼びください。ここからは商談です」

 うわっ! 切り替え早っ! ビクッとしたけど、女の子って妙に切り替えが早い事あるよね。ん? 思い込み?

「次郎様は何やら新しい産物を長崎で売ろうとなさっていませんか?」

「え?」

 俺は3人を見回した。無言で、いいんじゃない? という気配を感じたので、うなずく。

「その通り、藩主様の命で藩の特産品となりうる産物を扱っており、俺も商いをやってはいるが、販路を広げたいとは思っている」

 俺もちょっとサムライ言葉が混じってしまった。

 任せるなら信頼の置ける商人だ。

 その点お慶ちゃんなら問題なさそうだし、家族もしっかりして安心できる。どのみち伝手はないんだ。人をみて判断するしかない。

「何を扱っているか、見せていただくことはできますか?」

「いいよ」

 俺は助三郎にいって、倉庫にある石けんをもってこさせた。助三郎が持ってきたのは、ミカンの香りの石けんだった。

「わあ、これはしゃぼんではありませんか。……いい香り。みかんですね。……失礼ながら次郎様、このような高価な品、いかようにして手に入れたのですか? 売るとは?」

「……」

 無理もない。普通の町人が目にする事などない物だ。お慶ちゃんは出島の商館での商いで、カピタンに見せてもらい、使った事があるらしい。

 俺は再度、みんなを見回した。うなずいている。

「これは、つくったんだ。信じられないかもしれないけど」

「! そんなまさか! 作るだなんて! できるはずありません」

 お慶ちゃんは目を見開いて驚いている。

「それが、できるんだよね。手間暇はかかるけど、難しいものじゃない。それに城の、玖島(大村)の城でだけど、もう御家老様をはじめ城大給(城下住まいの藩士で、ここでは30石以上)の方々に売っている」

「すごい! ものすごい利ではありませぬか? あれ?」

 何かに気づいたようだ。

「次郎様、これは、ひょっとして、油を使ってはおりませぬか?」

「おおすごい! お慶ちゃん! 使っているよ」

「……では、いかほど作られ、いかほどお売りになりたいのか分かりませんが、私の家は油問屋を営んでおります。この石けんに使う油を、卸させてください」

 おお! 願ってもない! 安いに越したことはないけど、大量に仕入れられるならお願いしたい!

「お慶ちゃん、油は菜種に限ったものじゃないよ。椿油や鯨油、それからイワシ油とか。いろんな油でいくつかの石けんを作っているんだ。そろう?」

「もちろんです。油と名のつくものなら何でも扱っております」

 藩内でも捕鯨をしているし、イワシの漁獲や菜種の栽培もやっている。しかし自前で大規模に生産するにはいたっていないし、設備投資も必要だ。

 安定供給できるなら、買った方が早い。それに売価での原価計算も済んでいる。

「よし! 商談成立!」

 俺はお慶ちゃんに手を差し出した。

 ? という顔をしていたが、『よろしく』という親しみを込める挨拶だよ、と教えて握手をした。

「時に次郎様、販路を広げたいとの事でしたが、伝手はあるので?」

「うーん、それはこれからやろうと考えていたところ。長崎でやろうとは考えていたんだけどね」

「それはようございました。でしたら私にお任せください。近隣の長崎警護の諸藩の御武家様はもとより、御公儀のお役人様も多く存じ上げております」

 ひゃあ、本当に9歳? 実際のところは親が知っている、という事なのだろうが、それでも先見の明がすごい。

 俺は3人を見渡し、満場一致で仕入れ契約と販売店特約を結んだ。

 

 次回 第19話 『大村藩保守派の妬み』

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