遡って嘉永三年三月一日(1850/4/12) 大村政庁
「さて、此度皆を呼んだのは、来る九月の江戸参府の儀にて、大いに諮らねばならぬ題目があっての事じゃ。次郎左衛門、よいか」
いつも柔和な純顕には珍しく、少し険しい顔をしている。
「は。それでは僭越ながらそれがし、太田和次郎左衛門より申し上げまする」
集められた藩の上層部は、何事かと次郎の言葉を待つ。
「我が家中はこれまで、盛んに領内の生業を奨励し、新たに興しては勝手向きを潤さんがために動いて参りました。その途上、和蘭との自由な商いを許され、異国の文物を取り入れる事でついに、此の間の如き蒸気船を造るにいたりましてございます」
次郎はいったん万座を見回して、続ける。
「この蒸気機関を江戸参府に用いたく、ただいま建造しております御座船飛龍丸に取り付けられるよう、船大工と図っております。蒸気船を参府に用いれば大阪までの道程が短くて済み、路銀も大幅に減ります。これはわが家中の勝手向きに大いに益となりまする」
江戸の藩邸の滞在費用や運営費、そして旅費は、大村藩に限らずどの藩でも大きな負担となっており、これを削減できれば藩の財政にも大きな効果が期待できるのだ。
それに対して、家老の古株である一門の大村五郎兵衛昌直が反論する。
「待たれよ次郎左衛門殿。勝手向きに益のある事は解せる。されど公儀の許しもなく蒸気船を用いて参府するとなると、危ういのではないか。もし露見、いや間違いなく露見するであろう。公儀からの咎めを受けるのではなかろうか?」
「一体何の咎にございましょうか」
次郎は間髪をいれずに答えた。
「蒸気船の建造とそれを用うるは、公儀から許された和蘭との貿易にてなし得た物であり、我が家中十年の集大成でもあります。これはひとえに長崎ならびに我が領の備えの為にございます。過日公儀は、わが家中の長崎警固の上書を退けられた。その砌、『各々努めよ』との仰せであり、また禁に触れる大船でもござりませぬ。我が家中が栄えんがための真っ当な取り組みにて、なんら誹りを受ける謂れもございませぬ」
至極真っ当な、理路整然とした言い分である。
「和次郎左衛門殿、確かにそうかもしれぬ。然れど江戸参府は我が家中の威信を示す重き儀式でもある。他の家中から無闇矢鱈に目止めらるる(注目される)行いは、公儀からいらぬ疑いをかけられかねぬ、と申しておるのだ」
五郎兵衛昌直の言う事も理屈は通っている。
「公儀の件は無論だが、新たな蒸気船が何らかの事故に遭うた時、その責は誰が負うのじゃ? 江戸参府はすなわち、単なる移動ではなく、我が家中そのものなのだ」
続いたのは次席家老の大村彦次郎友彰である。次郎には打算的とは言え、家老になった時から友好的ではあったが、さすがに厳しいと感じたのだろう。
「その儀はご安心くださいませ。蒸気船はあれより十分に試験され、その信は確たるものにございます。また、これまでの船と同じく風の無いときや港に着ける時にしか使いませぬ。修理の職人も共に向かわせますゆえ、案ずる事はございませぬ」
一同がざわつきながら藩主純顕を見る。
「次郎左衛門、蒸気船の便の良さと益のある事。またその匠の技を示すことは得心いたした。されど他の家老たちの懸念ももっともである。何か策はあるのか?」
「されば殿。それがしは公儀に対して前もって報せを送り、許しを得れば障りなしと存じます。なんら負い目を感じるものではございませぬが、蒸気船を使うは長崎の警固に益ありと説くのです。さすれば必ずや公儀の許しも得られるでしょう」
まるで用意されたかのような問答で、スラスラと次郎は答えた。
「公儀に対して前もって報せを送り、許しを得るのは賢明な策であるかと存じます。なんら公儀に仇なすものでもなし、一風変わった御座船よと、考えてもらうだけにございましょう」
助け船を出したのは、五教館で研究している適塾遊学の東馬の父親である、稲田又左衛門昌廉である。
「確かに、事前に報せ許しを得れば、幕府からの信も厚くなると言うもの」
他の家老の賛同の声を聞きながら、藩論がまとまりつつある。次郎は幕府の信頼云々はいまさらとは思ったが、得られるならそれでよし。
「よし、皆の意見をあわせると、参府に蒸気船を用うるは我が家中にとって重き一歩となる。されど此度の参府に関する事は、公儀への通達と許可申請を必須とする。和次郎左衛門、幕府への通達を準備し、許可を求める手続きを進めよ」
「はは」
■嘉永三年九月二十八日(1850/11/2)
今年の初めに次郎によって大村に連れてこられた小久保健二郎は、初めて見るまるで異国のような(異国がどんなものかすら知らないが)世界に、驚きの連続であった。
自分は医者であり、病の事を人よりも多少知っているだけだと考えていたのだが、産物方に来てみたら驚いたのだ。女性が陣頭指揮を執りながら国の発展に寄与している。
自分の故郷では考えられない事だ。
「あー、ジロちゃん紹介の人ね!」
と第一声で健二郎を迎えたのがお里である。それからお茶、お茶、お茶ざんまいである。
しかし不思議と苦ではない。茶の魅力に惹きつけられ、自分がこの茶を世界に広めるために、機械化をすべきだと考えるようになったのだ(洗脳された?)。
「ん?」
健二郎は何かに気付いた。
ふと目に入った茶壺を持ち上げると、中の茶葉が自然に揺れ動く様子が目に入ったのだ。
「うん? この動き……もし茶葉がむら無く動くようにすれば、もっと均一に焙煎できるのではないか?」
ブツブツと健二郎は独り言をつぶやき始めた。
すぐに作業場に向かい、焙炉の中で茶葉が均等に動くような仕組みを考え始めたのだ。
これまでは茶葉が一部だけ焦げたり、逆に十分に焙煎されなかったりと、品質のばらつきが大きな問題であった。さらに、多くの茶葉が無駄になってしまうこともしばしばあったのだ。
「いかにすれば、茶葉が壺の中で自然に動くようにできるだろうか?」
健二郎はしばらく考え込み、ひらめいた。
「そうだ、回せばいいんだ!」
回転円筒式の『焙茶機械』の開発の始まりであった。
次回 第129話 (仮)『江戸城御用部屋、上の間にて』
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