嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>
「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」
俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えていたが、いつの間にかこうなってしまった。政敵は……今のところはいない。
「然に候(そうです)。入目(歳出)は多うございますが、入米(歳入)も多うございますので特段障りはございませぬ」
勘定奉行の後藤多仲が答える。なるほど。前回の会議の通り、石油や石炭から加工品や副産物ができて販売できればさらに増えるな。
「お里殿、産物方として領内の産物の具合はいかがじゃ?」
俺は公私混同しない、タイプだ(多分)。しちゃいけないのは現代も同じだし、この時代ならなおさらだ。お里を俺の奥方様ではなく、れっきとした産物方の責任者として認識してもらわなくてはならない。
ようやく今は形になってきたが、最初はひどいもんだった。
「はい。オランダ貿易に関しては自由化と共に波佐見におけるコンプラ瓶の売れ行きが好調です。こちらは増産を続けており、伊万里や有田とは趣が違いますので評判が良いようです」
「うむ」
「茶と生糸は増産を続けておりますし、石炭や石油の精製が可能になれば、収益はもっとのびるかと」
「あいわかった。子細は書面にて提出してくれ」
「はい」
何も問題はないようだ。ペリー来航まで我慢って言ったけど、ちょっとずつ緩和されてるかな? それとも表だけ?
「医学方はいかがじゃ? 新薬の開発や城下の衛生管理については」
一之進は副頭取なので欠席だが、頭取の長与俊達が出席している。あの野郎、逃げたな。
「はい。おかげ様をもちましてペニシリンにエーテル、そして種痘にコカインと新しき薬は障りなく使われ、さらなる調べを行っては新たな薬を作らんとしております。また衛生に関しましては、こたび招きましたる和蘭の技師と力を合わせ、下水道をいかに設えるかをつぶさに調べ、近々上書するつもりにございます」
「あいわかった。下水の管理は衛生的に大事であるからな。コレラは糞便や吐瀉物から感染するし、ペストは鼠のノミからうつるからの」
「! ……さようにございますが、御家老様は何ゆえそのような事までご存じで?」
やべ!
「ああ、うん。いや、以前に一之進から聞いた事があるゆえな。ま、まあそれは良いとして鼠殺しの薬も作っておるのだな?」
「は。あわせてマスクの製造や、メガネの形にガラスをこしらえてゴムを周りにあつらえるゴーグルなるものを精煉方に依頼しております」
「さようか。続けてくれ」
うーん、マスクはまだしも、ゴーグルって作れんのか? 殺鼠剤はなんかよくわからんけど、一之進ならやるやろ。
「陸軍奉行に海軍奉行、いかがにござろう?」
秋帆先生にこういう言い方はしづらかったが、むこうはそう思っていなかった。海防掛から海軍奉行へ昇格した江頭官太夫さんもがっつり年上である。そんな事を言えばみんな年上なんだが。
「まずは海軍からにござるが、ライケン殿をはじめとした教官より、日夜厳しい訓練を受けております故、練度は上がっております。また、外海の台場にございますが、つぶさに設える場所が決まりましたゆえ、あとは大砲鋳造方より納品を待つばかりにございます」
「うむ。陸軍はいかがにござろうか」
秋帆先生に聞く。
「は、新しき銃も全員に行き渡り、目下それにあわせた兵法を昭三郎とともに思案しているところにございます。砲についてはカノン砲が鋳造されておりますので、試射もかねて運用し、隊に配備しております。また、新しき砲と弾の研究も鋳造方では行われておりますので、順次お知らせいたします」
「あいわかった。三兵制度の完成もたのむぞ」
「はは」
秋帆先生はなんだか嬉しそうだ。
「五教館はいかがでしょうか。大学の運営に問題はありませぬか?」
長英さんは学長に任命された五教館大学で、精力的に働いている。研究メンバーがやりやすいような環境をつくり、そうは言っても他の学生から苦情が出ないように配慮を怠らない。
任命して正解だった。
「は。今のところは障りありませぬ。しいてあげれば五教館と開明塾の卒業生の派閥ですが、みな優秀な若者ですから、新しき知識を学ぶとなれば、いずれ消えていくと案じてはおりませぬ」
「うむ。引き続き頼みます。最後は精煉方だが、信之介、電信の研究はいかがだ?」
「……それについては興斎どのと新しい、えーっと……ブルーク殿に聞いてくれ、くだされ」
「……お主精煉方の責任者なのだから、もう少し詳しく」
明らかに面倒くさそうな態度の信之介だったが、周りはもう慣れたのか、クスクスと笑っている。本来ならいくら幼なじみとはいえ、筆頭家老と奉行格である。
格下が格上にとる態度ではない。しかし信之介の性格というか雰囲気が、なぜだかそれを許してしまうのだ。
「ごほん。失礼いたしました。電信に関してはほぼ出来上がっております。あとは実験をしつつ距離を伸ばすだけにごあいます。数町程度なら、今でもご覧にいれること能いまする」
長距離の電線では信号が減衰してしまい、伝達が不可となることを言っているようだ。素地は出来上がっているので、あとは改良を加えるだけである。ん? これ信之介知ってるんじゃないか?
知ってて面倒くさいからやめた?
「あい分かった。ではいずれ折を見て実験をしてもらおう。今のところいかほどの距離を電信できるのかをな」
しまったあ! という信之介の顔を見逃さなかったが、後の祭りである。
■数時間後
「なに? 御公儀の目付、井戸石見守殿(正六位下・布衣)が来られていると?」
次郎は従者より、幕府から目付が来ているという報告を受けた。藩主である純顕に謁見の申し出と、藩内の調査が目的のようだ。
「そうか……。井戸様はまっすぐ藩庁にお越しになるのか?」
「は。目付とはいえ勝手に領内の様々な設えをお見せする事はできませぬゆえ、しかるべき場所でお待ちいただき、御家老様のご沙汰を待っております」
「あい分かった。よいな? 何も見せるなよ。井戸殿の目的がわからねば余計な事はできぬゆえな」
「はは」
■大村藩庁 謁見の間
「丹後守様におかれましては、ますますご健勝の事とお慶び申し上げます。それがし、公儀目付、井戸石見守(弘道)にございます」
幕閣、おそらく阿部正弘の命を受けて若年寄が派遣したのだろう。
「丹後守にござる。……して石見守殿、われらは目付殿にお越し頂くような事はしておりませぬが」
「無論の事、丹後守殿の幕府への忠義は公儀開闢以来まったく変わっておりませぬ」
白々しい。まったく慇懃無礼だな、と次郎は思った。
「では何ゆえにはるばるこの西国まで、お越しになったのか」
「は。さればここ大村にて、大船を造り禁を犯している、との噂を耳にいたしましてございます。無論本来であれば一笑に付す所ではございますが、なにぶん一度ならず二度三度とございました。ゆえに、念のため確かめて参れ、との事にございます」
純顕はふう、とため息をついた。金は出さないが口は出す。
「さようにござるか。さればその儀はここなる家老、太田和次郎左衛門よりお聞きなさるが良い。次郎左衛門」
「は。では丹後守様、論より証拠、これより御船蔵へ参り、しかと御検分いただきましょう」
次郎はそう言って大村藩の御船蔵(格納庫)へ弘道を連れて行った。
「こ、これは……洋船ではございませぬか!」
「いかにも」
「いかにもとは! 大船建造の禁はすなわち、大船につながる洋船を造るを禁ずるものにござろう!」
目付の井戸弘道は、御船蔵につながれている海軍の帆走軍艦をみて、驚きを露わにする。
「はて、これは異な事を承る。大船建造の禁とはすなわち、宝永の砌、『荷船之外、五百斛(石)以上の大船を造るへかさる事』ではございませんか? それがし、浅学にて、『洋船』を禁ずとの文言を知りませぬ」
「な、なにを言われる! 大船とはすなわち洋船も含むに決まっておりましょう」
「然に候わず。いずこに洋船を禁ずと書かれておるのですか? しかも我が藩は出島にて和蘭と交易を始めて以来、海防を担って参りました。昨今、異国船たびたび来航し、御公儀より『しかと励め』と仰せつかっております。金は出さぬが口は出す、台場が駄目で四百五十石の船をつくって備えるも罷りならぬとは、いかにして長崎を守ればよろしいのか?」
「そ、それはそれがしのあずかり知らぬ事。で、では間違いなく五百石はないのでございましょうな」
「無論の事。いか様にもお調べくだされ」
井戸弘道は船を隅から隅まで調べ、長さも測ったが、五百石以上の船であるとの確証を得ることはできなかったのだ。
「では、阿部様にも、よろしくお伝えくだされ」
「!」
■江戸 薩摩藩邸
「そうか。やはりそうであったか」
「は、つぶさに調べたところ、間違いなく大村の船にございました」
「さようか……あい分かった。ご苦労であった(さて、いかにするか)」
島津斉彬はいまだ江戸の藩邸住まいで実権はなかったが、この事実により大村藩に接近する事を考えるのであった。
次回 第109話 (仮)『島原藩主松平忠精と賀来惟熊、真田幸貫の書状にて大村藩の要請に応ず』
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