第683話 『柳とキナと百三十万二千九百貫』(1580/10/23)

 天正九年九月十五日(1580/10/23)

「松庵先生、また一緒に研究を進めましょう」

 東玄甫は診療所の裏庭で宇田川松庵に声をかけた。宇田川松庵は雷酸水銀を発見した化学者で、科学技術省の職員である。庭には何度も使用された柳の木がそびえていた。

「もちろんです、玄甫先生。我々がこの研究を始めたのは何年前でしたかね」

 松庵は懐かしそうに微笑んだ。

 アルメイダ大学医学部教授であり、外科医である東玄甫は、厚生労働省の大臣でもあった。大学設立当初は人材が少なく兼務していたが、今では後進が育ち、教鞭きょうべんを執る事と大臣業務は少なくなっている。

 その分臨床と研究に時間がとれるようになったのだが、その様々な研究ルーティンの一つに新薬の開発があった。
 
 その中でも特に力を入れていたのが鎮痛薬や麻酔薬、原因の異なる細菌やウイルス由来の病気の予防・治療薬である。

 今取り組んでいるのは、薬効のある植物からその成分を抽出して、薬として利用する事だ。

 古来より柳の樹皮は痛みを和らげる効果がある事で知られており、南米原産のキナの木の樹皮が抗マラリア薬として有効だという事もわかっていた。

 その効能を科学的に証明し、抽出するのが目的だったのだが、一筋縄ではいかなかった。




 柳の樹皮を丁寧に剥ぎ取り、乾燥させた。乾燥した樹皮を細かく砕き、水に浸して煮出すという手順は手慣れたものである。

「この作業も随分と慣れましたね」

 松庵は鍋に水を注ぎながら言った。

「そうですね。されど、毎回新たな発見があるものです。今日も何か新しいことがわかるかもしれません」

 松庵の言葉に玄甫はうなずく。

 大きな鍋に粉末を入れ、水を加えて火にかけた。しばらくして、鍋の中の液体は濃い茶色に変わり始めた。

「抽出液の色と香りが前回とは少し違いますね。成分の変化があるのかもしれません」

「それは興味深いですね。ろ過してさらに煮詰めましょう」

 二人は煮詰めた液体をろ過し、さらに煮詰めることで、濃縮液を得た。この作業を何度繰り返したであろうか。




 濃縮液を何度も試験し、その効果を確かめた結果、痛みを和らげる力が確認されたのだ。

「柳の名に因んで、これを柳痛散と名付けましょう」

 玄甫の提案に松庵も同意する。

「良い名ですね! この柳痛散が、多くの人々の苦しみを和らげることでしょう」

 長年の努力の結果、柳痛散の効果は確かに証明された。

 東玄甫と松庵はさらに研究を進め、抽出方法を改良し、より純粋な柳痛散を得ることに成功した。その結果、柳痛散は痛み止めとして広く利用されるようになったのだ。

「これで、痛みに苦しむ人々を救うことができる。我々の努力が実を結んだのです」

 東玄甫は満足げに微笑んだ。




 数日後、別の研究チームがキナの木の樹皮からキニーネを抽出した。医学は、進歩してゆく。




 ■京都 合議所

「さて、新しき政庁たる大阪城、仮にそう呼びますが、その算用(見積もり)をして参りました」

 純正はそう言って見積書を出し、全員に見せた。

「ひゃ、百三十万二千九百貫~! ?」

 万座の驚きとざわめきの中、家康が見積書をじっくり見ながら言った。

「これは……おびただし(莫大な)ついえ(費用)にござるな。されど、相当な費えと考えておったが、やはりつぶさに数字を目の当たりにすると圧倒される」

(なんと、我が家中の入米いりまい(歳入)の二年分ではないか!)

 信長が冷静に発言する。

「百三十万二千九百貫である、か。されどそれだけのあたい(価値)があろう。新政府の象徴たる城であり、我らの威信を示す場所でもある。費えに見合う値がある」

(純正め、平然とこのような算用を見せてくるとは。もしやそれだけの銭が余っておるのか。だとすれば、もはや我が家中はどうやっても勝てぬな……)

 勝頼は眉をひそめる。

「確かに、新政府の礎を築くには、かようなおびただし銭を投ずる事も肝要にござろう。我らが助け合って銭を出し合えばなんとかなろうが……」

(内府殿は阿呆なのか? 我が領の収入は約百七十万貫。これでは入米のかなりを投じねばならぬ……)

 しばらくのざわめきの後、長政が提案する。

「されど、一度にこれだけの費えとなるとさすがに厳しいものがござる。ここはみなで分かち、その上で考える事が肝要であると存ずる。例えば数年にわたって費えを分ける事も考えられよう」

(家中の入米はおおよそ七十万千七百五十貫。五年でも厳しいわ)

「新政府の礎を築くために、我ら全員が力を合わせねばなりませぬ。それぞれの御家中から銭と労力を出しましょうぞ」

(わが畠山家の入米は二十九万四千七百三十五貫。北海の海運にて銭は回って居るが、それでも到底賄えぬ)

「されど、やはり厳しゅうござるな」

(我が領の入米は約五十六万千四百貫。数年かければなんとか捻出できるが、他の大名の協力が不可欠だな……)

 里見義重の後見人である正木憲時が慎重に発言した。




「方々、いろいろと費えの件で考えておられるようですが、この純正、生半可な気持ちでこの大日本政府の考えを発議したのではござらぬ。まずは、我が小佐々が出しましょう」

 純正の言葉に一同が驚き、静まり返った。

 まず家康が口を開く。

「それは……有り難い申し出にござる。されど、これほどの大金を一家中が負うとなると、やはり重しかと存じます。皆で分かち合うのが筋にござろう」

「内府殿の申し出は感謝致す。されど、これは我ら全員の題目である。皆で協力して、この費えを担うべきと存ずる」

(純正がこの費用を全て負担できる財力を持っているとは……。甘えてもよいが、それでは中央政府は純正の政府になってしまうの。これほどの力を示されると、そうだと言われても仕方がないが、我らも応えねばならぬ)

 信長だ。

 その後も純正の申し出に感謝しつつも、体面を重んずる戦国大名なのか、同じような意見ばかりが出た。あるいは純正はそうなる事を読んでいたのであろうか。

「それでは、銭の調達の策と担う割合について、次の会合で言問こととう(議論する)事と致し、各家中が出せる銭の額を明らかにして持ち寄りましょう。新政府を設ける事は我ら全員の責であり、共に力を合わせて成し遂げるべきでござる」




 一同がうなずき、次回の会合に向けて準備を進めることを確認した。




 次回 第684話 (仮)『注射器の開発と北条、明、イスパニアと欧州』

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