第638話 『調略、そして調略』(1578/3/2)

 天正七年一月十四日(1578/3/2) 呂宋国 カラバルソン地方

 当たり前だが、小佐々家はスペインとの国交はない。

 それでも以前から現地住民とは交易してきた。緩衝地帯ではないが、情報収取を含めて常日ごろからコンタクトをとっておくことで、行動を起こし易くしていたのだ。

 幸いにしてマニラのすぐ南のバタンガスにおいては、小佐々兵に対する嫌悪感は少ない。もっと南に行けばわからないが、少なくとも敵対心はもっておらず、直接的な対立はない。

 境界線が引かれているわけではないが、わかりやすいのが言葉である。

 バタンガスはマニラと同じようにタガログ語が多い。フィリピンは細かく分けると100を超える言語があるが、そのタガログ語圏が緩衝地帯と言ってもよかった。

「Maaari ko bang ipagpalit ang baril na ito sa bigas?」
(本当にこの銃と米を交換してもいいのか?)※タガログ語

「Ay, hindi mahalaga. Kailangan ba ito para sa pagtatanggol sa sarili?」
(ああ、構わない。護身のためには必要だろう?)

 小佐々軍は軍事介入していない。

 誰だって隣でドンパチされたら良い気分はしないが、自衛のためだと言われ、旧式ではあるがマスケット銃(火縄銃)を米などの食料品や日用品と交換していたのだ。

 タガログ語圏のバタンガス、その南のミンドロ島とボアク島、そして東側のサンタ・エレナやカラバルソン地方は友好的なので、反スペインの感情を盛り上げるのは簡単だった。

 直接的にも間接的にも、スペインには良い感情は持っていない。

 広大なフィリピンの地のすべての部族に対して調略をしかけるのは、あまりにも時間がかかる。そのため最短距離でセブ島を含むビサ諸島へと抜けるルートが考えられた。

 すなわち、マニラ⇒ミンドロ島⇒パナイ島⇒ネグロス島というルートである。ネグロス島のスペイン勢力はセブ島対岸に偏っており、西岸には原住民の集落しか存在しない。

 ミンドロ島があるミマロパ地方の、より南西部のコロン島やパラワン島などの島々は、タガログ語圏ではあるが厳密にはクユノン語圏である。

 少数派もいるため厳密には分けられないが、海を隔てていて目標のセブ島海域とは離れるので、今回の調略には含まれなかった。
 
 また、スペインの影響力もさほどない。

 スペインはレガスピの指揮の下、マニラ侵攻の前にミンドロ島内のマンブラオ、ルバング島の住民を平定した。
 
 しかし小佐々との戦闘で敗退したのを機に住民の反乱が起こり、それ以後スペインの勢力は入ってはこなかった。

 セブ島周辺の要塞化を先決としたのであろう。

 セブ島やネグロス島の北西、ミンドロ島の南東に位置するパナイ島も、スペインのマニラ侵攻における前線基地であった。
 
  スペインは第一次、第二次のマニラ侵攻に、乱妨取り(略奪)を条件に尖兵せんぺいとして参加させたのだ。

 しかし、マニラ侵攻は失敗した。

 第一次は警告のみで終わり、第二次は惨敗ではなかったものの、いわゆる勝者の特権である略奪など、できなかったのだ。スペインにとって得るものはなかった。

 日々の圧政と、キリスト教への強制的な改宗に現地の住民が耐えてきたのは、侵攻する地でのスペイン軍の略奪のおこぼれ目当てである。

 それが提供されないまま、スペイン軍の搾取のもと、原住民の不満は高まっていたのだ。




 ■マニラ 小佐々軍駐屯地

「して、いかがじゃ? 調略はすすんでおるか?」

 純正は情報省担当官に聞く。

「は。南のミンドロ島においては、なんなく調略能いましてございます。出兵の際は水先案内をするとまで申しておりました」

「ふむ。イスパニアは搾り取る事しか知らぬのだろうな。こうも容易く寝返るとは」

「つぶさに申し上げれば、もともと反イスパニアの勢が強かったのも事実にございます。それよりも朗報はパナイ島にございます」

「ほう、いかがした?」

 純正は期待に目を輝かせる。

「パナイ島はイスパニアが本拠地を移そうとした場所で、マニラに目をつけ、その前線基地にしようと目論んだ島にございます」

「ふむ」

「されど、マニラ侵攻能わず、セブ島や周りの島々にて備えるにあたり、パナイの住民の不満がたまっております」

「ほう? では我らが打ち入ると同時に、一揆いっきを起こすと?」

「は。つぶさには今しばらく時がかかりましょうが、必ずや」

「あい分かった。さらに進めよ」




 民ありて国あり。

 純正が常々心がけてきた事であり、一時の利益のために領民を酷使するなど、あってはならないのだ。

 スペインはキリスト教布教の名の下に、虐げているだけではないか。

 改めて純正は感じた。




 ■某所

「なに? そのような事が……いつかは、とは思うておったが、存外早いの」

「は。取り急ぎお知らせを、との事にございます」

「はて、その知らせは我らにとって良きものであろうかの? それにその者、家中ではかなりの重きをなしておると聞く。その者が何ゆえに我らに与するような事を」

「その儀につきましては、それがしには判ず事は能いませぬが、わざわざ危うきを冒してまで知らせに来たという事は、なにがしかの由にございましょう」

「ふむ……さりとて、軽々に動くは身の破滅じゃ。ここは知らせるのみにて、事の趨勢すうせいをしばらく見るとしよう」

「はは」




 次回 第639話 『純正、ヌエバ・エスパーニャ副王領、フィリピン総督フランシスコ・デ・サンデ・ピコンと相対す』

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