天正二年 一月十四日(1573/02/16) 夜 近江国蒲生郡 武佐宿村 織田宿舎
「殿、いかがなさるおつもりですか?」
「左様、このままでは織田は完全に小佐々の下風に立ち、顔色をうかがわねばならなくなりますぞ」
光秀の言葉に秀吉が同調する。珍しい事であったが、これが信長の意図するところでもあった。
「ほう? お主ら二人の考えが時を経ずして同じとは、いかに重しかを物語っておるのう」
ふはははは、と信長は笑う。
「「笑い事ではございませぬ」」
「ははは、まあそう怒るな。考えあっての事じゃ。お主らは本当に、この会盟、大同盟が小佐々のみで成り立つと思うておるのか?」
「……そは、小佐々の一力(単独)では、なせぬと?」
「なにか秘策がおありなのですか?」
光秀に続き秀吉も信長の言葉を待つ。
「わが織田と、浅井徳川、そして武田が組んで小佐々と相対するならば、なんとする?」
「「! !」」
光秀と秀吉は顔を見合わせた。
「長政や家康には言質をとっておる。もとより両家は織田と一蓮托生。誓詞を交わしたとて簡単には我らに討ち入るなどできるはずもない。されど、取り合うべきは(問題にするのは)そこではない」
「では?」
光秀は目をつむり考えているが、秀吉は身を乗り出して信長の答えを促す。
「いついかなる時でも我らと意を一にする、という事じゃ。それから武田とも話をして、これも賛同を得ておる」
「な! いつ勝頼、いや大膳大夫様とお会いになったのですか?」
秀吉は驚きの声をあげるが、それは光秀も同じだ。
「事が露見してはならぬゆえ、密かに会うたのじゃ。心配いたすな。風はわれらに逆風ばかりではない」
■日ノ本大同盟会談の前日 某所
「これは兵部卿様、いや……織田殿、勘九郎殿の御父君とお呼びすればよいのですかな?」
勝頼は信長の呼び方に苦慮した。
「いや、遠慮はいらぬ。……いりませぬ。松姫の御父君。確かに我らが高は上にて、歳もわしが上ではあるが、格式で言えば武田が上にござろう。……いやいや、此度はそのような事を話にきたのではないのじゃ」
信長も苦慮している。他者に対してこういう呼び方をするのは久しぶりであろうか。純正に対するより腰が低いかもしれない。
それだけ勝頼の、武田の位置づけが織田にとって重要だという事だろう。かつての仇敵が、織田の命運を握っているといっても過言ではない。
「では互いに織田殿、武田殿でいかがでしょうか」
「そういたそう」
ふふ、と二人の顔に笑みがこぼれた。
「して、此度は如何なるご用件でしょうか。明日は中納言様主催の七大名の会談ですぞ」
「存じております。武田殿は此度の会談の内容は聞き及んでおりますか?」
「つぶさには(詳細は)存じませんが、なにやら我らのうち、如何なる国においても、勢(軍勢)を起こして他国に討ち入る儀は合議にて諮るべしと」
「その通り。この儀についての武田殿の御存念を伺いたい」
「ふむ。存念にござるか。然れば、いささか窮屈な儀にはござるが、あながちそればかりではないかと存ずる。軍には大儀が要るが、皆が認める大義なくば、挙句は自らを窮する事となる。合議の上ならば、それもあるまい」
勝頼は、みずからの大義を掲げても、納得されるものでなければ、小佐々をはじめとした諸大名から非難をうけると言いたいのだ。
それはつまり、小佐々との同盟破棄や軍事制裁の対象となりうるという意味である。しかし合議の上の戦争ならば、その心配はない。
「されどそれでは小佐々の、権中納言殿の力を助長する事になりませぬか? 我らは小佐々家に服属しているわけではありませぬ。高は及ばねど、対等の盟約なのです」
信長の発言にたいして勝頼は答える。
「然にあらず。既に小佐々より様々なる恩恵を受けておる上、名目上は対等であっても、その実は銭や様々なる匠の技にて、明らかに下でござる。それは、うすうす感じておられるのではありませぬか?」
「そは確かに否定はできぬが、軍門に降った訳ではない」
「然に候(そうです)。ゆえにこの合議制は、我らの行いを制するものではなく、小佐々の行いを制するものと同義なのです」
「……うべなるかな(なるほど)。さすがに信玄公の世継ぎにして甲斐武田家のご当主にござる。ではその御存念をお聞きした上で、それをさらに強しとなす腹案がそれがしにござるが、ご同意なされるか?」
「うべなうべな(なるほどなるほど)。それがし、得心いたした。小佐々に害する事でもなし、至極まっとうな権にござる。同意いたします」
「忝し」
■天正二年 一月十五日(1573/02/17) 近江国蒲生郡 武佐宿村 小佐々織田合議所
「では、中納言様が仰せの合議における勢を起こす、つまりは兵事にござるが、その兵事の行いを合議するのは何処から何処までの定(範囲)にござるか?」
武田家の家老、曽根虎盛が発議した。
「そは律令の通りなり。北は陸奥に出羽から、南は薩摩大隅までにございます」
小佐々家外務大臣、太田和利三郎が答えた。
「ひとつお伺いしたいが、小佐々家は薩摩大隅の南、琉球を超えた高山国や呂宋国も領土となしていると聞く。これは含まれぬので?」
「含まれませぬ。これはあくまで朝廷に願い出て、高山国や呂宋国を治めるわが郎党の小佐々家中の立場を明らかにするためのもの。ゆくゆくは、日ノ本が一統された時には含むかもしれませぬが、今はまだ含むべきではないかと考えまする」
おおお、という声が満座に響き渡った。
それもそのはずだ。呂宋や高山など、どこにあって誰が住むのか全く知らないのだ。そんなところまで含められたら、たまったものではない。
想像もつかない場所での事など、構う余裕などないのだ。
純正にしても、明やスペインが攻めてきたら、援軍は一人でも多い方がありがたいが、すぐではない。戦況が悪ければ、最後の手段で緊急事案として発議すればいい。
賛成されなくても、いないものとして戦略を練っている。最悪、全軍全力で南下して雌雄を決すればよいのだ。
まだまだ続く。
次回 第588話 報復行動の可否と恩賞の基準
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