第162話 『サスケハナ艦上にて対峙する』

 嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖

「提督、奴らはどうするでしょうか」

 ブキャナンがペリーに尋ねると、ペリーは葉巻をふかしながら静かに言う。

「ふむ。琉球の件があるので慎重に行動しなければならないが、臆することはない。奴らにはこの姿が悪魔の様に映っているだろう。蒸気船など見た事もないであろうからな。ここで大上段に構えていれば、そのうちに妥協して、しかるべき役人が親書を受け取りに来るであろう」

「仰る通りですね。どうしても言うことを聞かないのであれば、脅しで数発放てば、縮み上がって降参するのではないでしょうか」

 昨日の幕府の対応に、艦内は殺気に包まれていた。

 合衆国大統領の親書を渡すに足りる役職の人間を望んでいたにもかかわらず、対応したのが浦賀奉行所の副奉行(詐称)だったから、というのも理由のひとつだろう。

 いわゆる地方の役人である。

「少なくとも交渉の権限を持つ外務大臣もしくは次官レベルでないと話にならない」

「その通りですね」

 ペリーは全艦に臨戦態勢をとらせ、日本側がどんな対応をしても対処できるようにしていた。



「Aangenaam kennis te maken. Uraga Magistraat Eizaemon Kayama.(はじめまして。浦賀奉行の香山栄左衛門です)」

 幕府は中島三郎助が副奉行で断られたので、同じく与力の香山栄左衛門に、今度は奉行を詐称させて交渉に当たろうとしたのだ。

「伝令! 浦賀奉行と申す者が会談を申し出ております」

 水兵の報告にペリーとブキャナンは眉をひそめる。

「少しは位があがったが、副が主に変わっただけではないか」

「まったくです。どうしますか? 追い返しますか?」

 ブキャナンの発言にペリーが返す。

「いや、ここは誠意を見せて乗艦させようではないか。しかし交渉はせぬ」

「は、それでは仰せの通りに」

 ブキャナンは部下に指示を出し、香山と通訳の堀達之助、その従者を乗艦させた。

「初めてお目にかかります。浦賀奉行の香山栄左衛門と申します」

「……合衆国東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーである」

「サスケハナ艦長のフランクリン・ブキャナン中佐である」

「副官のアダムス・コンティ大尉だ」

 艦隊の司令長官と副官、そして旗艦の艦長が自己紹介を終えて、乗艦した栄左衛門を見据える。挨拶は交わしたものの、とても友好的な雰囲気ではない。
 
 要望など受け付けない、というオーラがアメリカ側から発せられているのだ。

 しかし栄左衛門は臆せず言う。

「本日はお目通りを賜り、誠に光栄に存じます。昨日、副奉行の中島三郎助が伺った際に、アメリカ合衆国大統領の親書を渡すのが目的だと伺いましたが、相違ございませぬか」
 
 ペリーは一瞬目を細めたが、すぐに冷静な表情を取り戻し、静かに答えた。

「その通りだ。我々の来航の目的は、日本政府に大統領の親書を直接お渡しすることにある。その後、両国の恒久的な通商関係を築くための話し合いを行いたいと考えている。しかし、対応する役職の者が相応でなければ、交渉は進まぬ。親書を受け取るのにふさわしい地位の者が必要だ」

 親書を渡し、その後に通商の交渉をしようというのだ。しかし親書を渡す相手にしても、高位の者でなければ親書自体が軽んじられていると言うのだろう。

 奉行(という体の)の香山栄左衛門でさえ不足だという。

「もし、応じなければ、我らは武装して江戸湾を進み、上陸して城へ向かう事となる」

 副官のコンティ大尉が憤然とした態度で言った。ペリーもブキャナンもそれを制するでもなく、あまり脅かすなよ、とでも言いたげな雰囲気で不敵な笑みを浮かべている。

「……お待ちください。それはあまりに無法ではございませぬか。いきなり人の国へやってきては親書を受け取れ、開国して通商をせよなどとは、道理が通りませぬ」

 栄左衛門の言葉を達之助がオランダ語で話し、アメリカ側のオランダ語通訳であるポートマンを通じてペリー達に伝わる。
 
 それを聞いたペリーは一瞬表情を変えたが、すぐに冷たい微笑を浮かべた。

「日本にも道理があるのは理解できる。しかし道理と世界の現実とは、往々にしてかけ離れている事もある。我々は日本との友好関係を築きたいと願っているが、それは日本が国際社会の現実を受け入れることで初めて成り立つのだ」

 清国は世界の現実が見えておらず、そのためにイギリスにいいようにしてやられた。
 
 日本もこのままでは清国の二の舞になってしまう。そうなる前に開国をして、自分たちと交易をして力を強めた方がよい、と言いたいのだろう。

 清国について言えば、一理あるのかもしれない。実際にアヘン戦争における清国の敗北は、日本にとって大きな衝撃であった。

「……然れど、それを決める権限はそれがしにはございませぬ。帰って上役と相談したいので、時間をいただけませんか?」

 その後の何度かのやり取りの後、栄左衛門がそう言うと、ペリーが返す。

「どのくらい必要なのだ?」

「四日頂きたく存じます」

「三日で十分だろう。我々はすでに一日無駄にしているのだ」

 そう言うとペリーは、コンティに目配せをして命令を下した。すると各艦に指令が行き渡り、それぞれ一隻ずつ合計四隻のボートが浦賀湾内へ進み、測量を始めた。

「な! 何をなさる!」

 香山栄左衛門は厳重に抗議するも受け入れられず、測量艇隊はそのまま進む。

「親書の受け渡しはここでは行えないだろう? 然るべき場所、つまりはここ浦賀に上陸しなければならない。艦の安全な航行のためには仕方の無いことで、なんら問題はないであろう?」

 ペリーがそう言って笑うと傍らの二人も笑い、対面している栄左衛門にとっては屈辱であった。




 どおーん! 

「何事か!」

 ペリーは立ち上がって音の聞こえた方を向き、すぐさまコンティに状況を確認させた。
 
 ブキャナンは見張り員に周囲をさらに調べる様に伝えた。栄左衛門一行も頭を抱えている。一体何が起こったのか? もしやアメリカ側からの攻撃なのだろうか。

 どおーん! どおーん! どおーん!

 さらに大砲の発射音は続く。

「伝令! 方位202.5°距離3.78、艦影あり!」

「なに? 艦影だと? 詳しく知らせ!」




「香山様! どうやら、なにか船が近づいてきているようです!」

「なに、船だと? 船が如何いかがしたのだ?」

「わかりませぬ。それがしも英語は和蘭語ほどは話せませぬが、それでもシップと、船の事を言っておりました!」

 頭を抱えながらもオランダ語通訳の堀達之助が、聞き取った英語の『シップ』という単語から、船に関する話題をしている事を栄左衛門に伝える。




 どおーん! どおーん! どおーん!

 大砲の発砲音は13発で終わり、その艦影はどんどん大きくなっていく。

 徳行丸をはじめとした昇龍丸、蒼龍そうりゅう丸、飛龍丸の大村藩の艦隊であった。艦隊は整然と単縦陣で進み、旗艦サスケハナ号へ向けて近づいているのだ。

「なんだあれは? どこの艦だ?」

 イギリスでもフランスでもロシアでも無い。日本国大村藩の艦である。

「わかりません! 不明です。見た事もない旗が掲げられています!」

 メインマストには大村の家紋が掲げられ、艦尾には旭日旗が掲げられている。

 しかし艦隊旗艦の徳行丸でさえ400トンであり、ペリー艦隊のサスケハナ号と比べれば1/4から1/5の差があるのだ。近づけば近づくほど、ペリー艦隊の軍艦との差は大きく開いていく。

 本来であれば、例えばこれが同じ認識の下でのランデブーであれば、おそらくペリー一行も、弱小国の貧弱な海軍と一笑に付すことができたかもしれない。




「Welcome. This is the Omura Clan Navy of Japan. We welcome your fleet, even though it is sudden. We wish to come aboard your fleet.(ようこそ。こちらは日本の大村藩海軍です。突然の事とはいえ、貴国の艦隊を歓迎する。乗艦を希望する)」




 ペリーは耳を疑った。
 
 日本の藩が独自に海軍を持ち、その艦隊が目の前に現れるなど、驚天動地の出来事なのだ。予想を遙かに上回る出来事ではあったが、すぐに冷静さを取り戻し、コンティ大尉に指示を出す。

「副官、乗艦できるように準備を整えろ。だが、慎重に行動し、我々の優位を崩さぬように」

 ペリーからの指示を受けたコンティは即座に命令を伝達し、準備を始めた。ペリーは続けてブキャナンに向かって質問する。

「中佐、この、目の前の事実は信じがたい事ではあるが、事実は事実として認めなければなるまい。ただし、日本の藩が独自に行動する事などあり得るのだろうか?」
 
「正直なところ、わかりません。しかし、彼らが歓迎の意を示し、乗艦を希望するならば応じた方がよいでしょう。小さいとはいえ軍艦で、しかも全て蒸気軍艦です。何が起こるかわかりません」

 ブキャナンが首をかしげながら答えるとペリーはうなずいた。

「ならば、こちらも礼儀を尽くそう。ただし、決して油断はするな」

 しばらくして次郎をはじめとする大村藩の使節団が、サスケハナ号に乗艦する準備が整った。ペリーは甲板で次郎達を迎え入れ、通訳を通じて会話を始めようとする。

 純顕は次郎が安全を確かめてからの乗艦となった。

「しばらくお待ちください」

 次郎はペリー一行にそう言って、栄左衛門に近づいて挨拶をする。

「久方ぶりにございます。大村家中、家老の太田和次郎左衛門にございます」

「お、おお! 貴殿はあのときの!」

 栄左衛門も三郎助も、以前次郎が大浦慶らと一緒に江戸に向かおうとした際に、浦賀で応対をしたのだ。

「その節は失礼つかまつった」

「いえ、こちらの方こそ……いやいや! これはいったい如何いかなる仕儀にござろうか?」

 栄左衛門は状況が飲み込めず、次郎に説明を求めた。

 そこで次郎は昨年の別段オランダ風説書の件、逐一清国経由やオランダ経由で入ってくる情報で、おそらく今ぐらいにペリーが来航するであろうと予測していた事を説明したのだ。

「うべなるかな(なるほど)。然れど、これは一体……。御家中はこれほどの蒸気船を、あの船だけではなかったのでござるな」

「然様」

「然れど、これよりは如何なさるおつもりか? 公儀からは親書の受領はやむなしといえども、四日の猶予と伝えたにもかかわらず、三日と言われ、あまつさえ浦賀の湊の測量を行っておるのだ」




「それは、無礼千万にございますな。それについては我らと諸共に、とことんペリーと言問いたしましょう」




 次回 第163話 (仮)『次郎vs.ペリー 日本の事情とアメリカの事情』

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