第427話 『薩長』

 慶応四年(明治元年)三月五日(1868年3月28日) 鹿児島城

「そもそも、今に始まった話では無いわ」

「は」

 鹿児島城内では、江戸城での一件で激高して帰ってきた島津忠義と、その父である久光、そして淀屋清兵衛の三者が会談していた。

 久光の怒りは静かなる闘志に変わっていたのである。

「淀屋よ、お主をわしは知らぬ仲ではない。藩の財政を大いに助けてくれておる。いつぞやの話が、いいよいよ真の話になってきたようだの」

 旧幕閣と大老の仲違いによる大老院の瓦解。

 経緯はどうあれ、大政委任の宣旨を持ち出したことで、一度は諸藩との協調を選んだ幕府が、再びその権威を剥き出しにした瞬間であった。

「人は一度手にした権利や利益を、事様(状況)が変わった言うても、簡単には手放せまへん。それが日本を動かすほどのもんやったら、なおさらでしょう」

 淀屋はニコニコと笑顔ではあるが、目の奥は笑っていない。

 先祖の無念が累々と積み重なっているのだ。

「して、この先は如何致す?」

 ニヤリと笑った久光は淀屋に確認した。

 まるで筋書き通りなのだろう? と言わんばかりである。

 そうだと分かっていて、あえてその筋書きに乗ってやろうとの腹づもりなのだ。

 忠義は忠義で、怒り狂って帰ってきたが、ここにきて冷静に状況を見ていた。

 偉大すぎる伯父に、今だ実権を話さない父久光。

 その陰に隠れて表には出てこないが、共通の敵がいなくなった今、幕府内で権力闘争が起きるのは当然だと考えていたのである。

 で、あるならば大老院の事実上の解散は自明の理であり、幕府が宣旨をかさにきて、旧来の譜代中心の政権に戻そうと画策しているのは明らかだ。

「今、この時こそ、いろんな藩の力を合わせる時でしょう。衰えたとは言うても公儀の力はまだ絶大。薩摩一藩だけではやっていかれへん。ここは国父さまが先頭に立ってまとめて、公儀に対して声を上げるべきでしょう」

「ほう、このわしがか?」

「はい」

(まあ別に、薩摩でも長州でもどこでもええけどな。オレがオレがにだけはならんといてや。せめて幕府が倒れて無うなるまではな。オレとしちゃあ幕府が倒れたらそれでええ。その次は殿さん、あんたらやで)

 淀屋が不敵に笑い、久光がそれに応える。

 悪代官と悪徳商人の構図だ。

「然れど、大政委任の宣旨、とやら。笑わせまする」

 忠義が静かに口を開いた。

「おおかた朝廷を抱き込み、勅を盾に権を強めようと考えたのでしょうが、これを浅知恵と言わずなんと言いましょうか」

「又次郎(忠義)、如何なる事じゃ」

「は、大政委任は日本の御政道を天子様より公儀が預かった由を、宣旨として紙に記した物」

「ふむ」

「裏をかえせば、明らかなる故(理由)あらば、天子様のもとに返さねばならぬのです。こうなれば公儀は公儀でなくなり、詮ずる所徳川は一大名に成り下がり、我らが主となる新しき公儀が生まれまする」

 ふふ、ふふふふふ……。

 久光が笑い出した。

「良きかな、良きかな。淀屋、お主は如何思う?」

「大村の殿さん(純顕)も、ついに公儀を見限られたご様子。あのお方が提言したちゅう『貴族院』なるもの、公儀は蹴ったそうですよ。せやったら、国父様がそれ拾い、薩摩の手で成したらええ事です」

 淀屋はあえて『国父様が』と言い、諸藩ではなく『薩摩の手で』と表現したのだ。

 もちろん、久光も黙って乗せられている訳ではない。

 全てでは無いが、淀屋の思惑を見抜いての事である。

(ほんまに、侍ってのは、特に大名ってやつは気位ばっかり高い。そやさかい乗せやすいのもあんねんけどな)

「父上。徳川が『公儀』を名乗る資格は、もはやございませぬ。真の公儀は、天子様をお支えし、諸藩が力を合わせし新しき政体にて成すべきにございましょう」

 忠義が毅然とした態度で続ける。

「もはや躊躇は無用。公儀に政を委任する勅が出たのであれば、その政を取り上げる勅を我らが天子様より賜れば良いのです。そのための兵は、十分にございます」

 即、出兵ではない。

 武力を匂わせた交渉で、譲歩を引き出すつもりである。

「……うむ、あい分かった。淀屋よ、そのための金はあるのだろうの」

「無論にございます」

 ■山口城

「ついに来たか」

 それが大老院の事実上の解散を受けて帰国していた、藩主毛利敬親の本音である。

 京都で諸侯をひとくくりにして『田舎者』とした慶喜の発言と、とかく人を下に見る立ち居振る舞いが、我慢できないのも事実であった。

 帰藩以来、家臣たちから報告を受けても、ただ『そうせい』とうなずくだけであったが、その穏やかな表情の奥には、長年にわたる幕府への不信があったのである。

 広間に集うのは、家老の周布政之助や桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、井上聞多(馨)ら、藩の命運を担う若き志士たちである。

 その師である吉田松陰の姿もあった。

 彼らの顔には、憤りと、そして隠しきれない高揚感が浮かんでいる。

 長州藩の藩論は佐幕や勤皇、攘夷や開国で揺れ動いていたが、この十数年の間は次郎の活躍もあって攘夷論は消滅し、公武合体で統一されていた。

 しかし、ここにきての宣旨と大老院の解体である。

 藩内の佐幕派は失脚し、尊皇派が大勢を占めるようになっていたのだ。

 渡欧の1年の間に、相当な様変わりである。

「殿! 公儀の暴挙、もはや看過できませぬ! 大政委任の宣旨などと、朝廷を私物化するに等しい所業! 今こそ我らが天誅を加えるべき秋(とき)にございます!」

 最も血気盛んな高杉が声を張り上げた。それに呼応するように、他の者たちも次々に口を開く。

「待て晋作、そう急くな。確かに君の言うとおりだ。尊王の志をもって藩内の考えを一にし、国難に立ち向かって行かねばならんが、それが民を苦しめるものであってはならん。それに僕が思うに、晋作よ、それは、武を以てなすものか、文を以てか」

 松陰が晋作にそう言って万座を見渡し、最後に藩主の敬親を見た。

 敬親はうなずくだけで何も言わない。

「むろん、ここに至っては武を以てでも……」

「まずは!」

 晋作の強硬論を抑えたのが、家老の周布政之助である。

「策はまず、朝廷への周旋(しゅうせん)にござります。先の宣旨を廃していただいた上で、新たに大政奉還の詔を発していただく。もし公儀がこれに異を唱えるなれば、その時こそ朝敵として滅する大義名分が立ちましょう」

 場がしぃん、と静まりかえった。

 始めて聞いた大政奉還の言葉の響きに、酔いしれるように政之助の続きを待つ。

「いずれの儀も、事前の段取りこそが肝要。然るべき準備もなしに事を起こすは、自ら敗因を作るに等しき儀と心得まする」

 そうせい侯は、ふむ、とだけうなずいた。

「御家老様の策、真に見事かと存じます」

 木戸孝允がそう言って続ける。

「然りながら加えて、わが長州のみでは難しかと存じます。我が家中が主導して動くは無論にございますが、薩摩と手を結ぶのも良き策かと。また、大村の動きも無体には(無視は)できませぬ」

 大村――。

 その言葉が全員に重くのしかかった。

 もはや誰も無視できない存在である。

「それは問題ないだろう。僕が聞いた話では、次郎様は……丹後守様(純顕)も合議から外れたようだ。温厚なあの御二方が然様な事をなさるとは。この上公儀に味方はしないだろうよ」

 松陰の言葉に万座に安堵の声が広がり、その後も議論がされたが、やがてその視線は藩主敬親に向いて言った。

「あい分かった。周布の介、朝廷は任せた。玄瑞とともに京に上るのだ。寅次郎、藩内て行きすぎた考えに走る者が出ぬよういたせ。晋作、有事に備え、陸海軍はしかと頼む」

「 「 「はは」 」 」

 次回予告 第428話 (仮)『雲行き』

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