第884話 『純正、問答無用』

 慶長五年二月十六日(西暦1600年3月12日) 諫早城

「して、殿下、この先は如何いかがなさるおつもりでしょうか。陸海軍すべて備えは十分にて、あとは殿下の号令のみにございます」

「まあ待て、直茂、まだ最後の確認をいたしておらぬ。安土の政庁にて、諸大名の答えを聞いてからじゃ」

 純正は、4か月前に大日本国の他州の大名に対して、肥前国に服属するよう命じていた。

 信忠の急死によって進まなかったが、信長が小康状態の今、最後通牒つうちょうの返事を聞いておく考えである。

「殿下は彼の者らがいかに答えるとお考えですか?」

「まあ、素直に首を縦に振るとは思えんな」

 純正は目をつむって首をグルグル回し、座ったまま伸びをしてため息混じりに言った。

「ただ、何処いずこが従い何処が叛くそむくかは、おおよそ見当がついておる」

 閣僚全員が集まった会議室のテーブルには、畿内を中心にした日本地図が置かれていた。いつもは国外のエリア地図なのだが、久しぶりである。

「まずは能登、ここは障りあるまい」

修理大夫しゅりのかみ様(畠山義慶よしのり)にございますな。北方交易の要、畿内に通ずる港を擁して栄えております。調べによれば予算の流用もほとんどなかったとか」

 能登は古来、大陸との交易が盛んであった。

 蝦夷地えぞちや奥州との交易でも栄えていたが、肥前国との交易と大日本国加盟によって港湾都市が発展している。

然りしかり。次郎(畠山義慶)はオレの義弟じゃ。こんなオレを慕ってくれ、オレも彼奴あやつとは気が合う。政道もなかなかどうして、他州の中では最も金本位制が根付いておる。他も推して知るべしじゃ」

「では次は?」

 敵か味方かを早期に判断するのは、戦略の基本である。

 日和見に時間を割くわけにはいかないのだ。

「うむ。上杉と大宝寺も障り(問題)なかろう。上杉は我らなしでは立ちゆかん。大宝寺も同じじゃ。左京大夫さきょうのかみ(大宝寺義氏)とは付き合いも長い」

 上杉は困窮して大日本国に加盟したのであり、肥前国の経済圏がなければ自立は不可能である。

「北条と里見は如何にございましょう? 北条は我らに一度敗れておりますゆえ、易々と敵に回るとも思えませぬが」

「そこよな。里見は畠山と同じで県境を我らとのみ接しておるし、東回りの北方交易の利を失う愚は冒さぬだろう。障りとなるは北条よ。敗れたとはいえ、関東の雄ぞ。古くからの北条縁故の者も多い。油断はできぬだろう。戦となれば……」

 まあ、万に一つも負けはないだろうがな、と純正は続けた。

「残るは織田、徳川、武田、浅井にございますな」

「うむ」

 純正は考え込んだ。

 仮に他州すべてが敵に回っても負けはしないが、念には念を入れなければならない。

 国内の乱れは海外、つまり肥前国全土に波及しかねない。

 ちなみにこのころ肥前国では、旧来の日本と北海道を『日本地域』または『日本本土』と呼称し、海外領土を域外領土と呼ぶ決まりになっていた。

 しばらくは海外・域外・本土の併用である。

 また、北海道地方の再編も進み、松前県を東北地方から切り離し、北海道全域と周辺島嶼部とうしょぶ(北方四島含む)とあわせて北海道とするよう動いていた。

「織田家は中将殿の病次第よの。何やらきな臭い動きもあるようだし、浅井や徳川は迎合のきらいがある」

「武田はいかがでしょう?」

「ふむ……判ずるのは難しかたしところではあるが……叛きはしまい。北条と徳川に挟まれてはいるが、山が多く平地が少ないゆえ、多くの金を注いでおるからの。恩を感じ先を考えるならば、勝頼……今は信勝であったな。愚かではなかろう」

 甲斐かい・信濃・駿河を指でトントンとたたきながら、考えている。

「お主らの考えはいかがじゃ? 全員、忌憚きたんのない考えを申せ」


 全員、多少の違いはあったものの、おおむね純正の考えと同じであった。


 ■安土政庁

 安土にある大日本国政庁は、琵琶湖のほとりにある。京都から北陸、美濃を通って甲斐へ、尾張から東海道へ通じる交通の要衝で、商業も盛んであった。

 慶長伏見地震の発生を知っていた純正は大阪城築城を延期していたが、大日本国政庁を大規模に造らなくて良かったと考えていた。

 戦乱によって焼失するかもしれないからである。

 純正は政庁の広間に入り、上座に腰を下ろした。

 左右には鍋島直茂、黒田官兵衛、土居清良、佐志方庄兵衛、尾和谷弥三郎、宇喜多基家ら戦略会議室の面々が控えている。

 彼らの表情もまた、この場の空気を反映して引き締まっていた。

「皆の者、遠路はるばるよう参られた。大儀である。さて、無駄話は無用じゃな。返事を聞かせてもらおうか。大日本国を肥前国となし、肥前国の法のもと、すべての政道を執り行う」

 万座に大きなざわめきが起こった。

 名目上対等である純正と各大名の間が、『大儀である』の一言で君臣の関係に変化している。

 ざわめきどころではない。

 さらに『保護国である大日本国』が『肥前国の一部』と表現されたのだ。

 それはすなわち、各大名に完全服従を要求し、一切の反論を認めないことに等しい。

 参加した各州の代表者たちは、ただ立ち尽くしていた。

 てつくような空気が議場に張り詰め、誰もが息を潜めている。その沈黙は、何事かが起こる前の予兆のようだった。

 その時、沈黙を破って一人の男がゆっくりと立ち上がる。

「殿下、誠に恐縮に存じますが、一言申し上げたく存じます」

 浅井長政の顔には迷いがなく、まっすぐ純正を見据えていた。

「申してみよ、備前守」

 長政は深呼吸をした。彼の声は、議場全体に響き渡る。

「殿下の御政道は、確かにあらまおし(理想的)かと存じます。民を安んじ、国を富ませ、争いのなき世を築く。それは、我ら皆が願うところでございます」

 ここまでは、誰もが予想できる言葉だった。しかし、長政の次に続く言葉に、議場は再びざわめき始める。

「されど、その進め方においては、我らの実の事の様じつのことのさま(実情)に合わせ、時をかけて進めさせていただきたい。伏してお願い申し上げます」

 それは、純正の宣言に対する、柔らかな抵抗とも言える言葉だった。

 完全な拒絶ではない。

 しかし、無条件の服従でもない。それは、この場で誰にも言えなかった多くの大名たちの本音でもあった。

 純正の目は、長政の言葉を聞きながら微動だにしない。

 長政は、さらに続けた。

「織田州においては、中将殿の御病、ならびに権少将殿のご逝去により家中もいささか乱れており、急いてせいて変わるはさらなる乱れを招きかねませぬ。他の州においても、それぞれに抱える難事がございます。どうか、殿下におかれましては、我らの事の様に鑑み、お心得(ご理解)いただければと存じます」

 長政は深々と頭を下げた。その姿勢には必死の懇願と、そしてかすかな覚悟がにじんでいる。

 議場は再び静まり返った。すべての視線が純正に集まっている。彼の返事一つで、この国の未来が決まるのだ。

「……ふむ。備前守よ。お主の言い分はよく分かった。その上で一つ尋ねたい」

「は……」

「お主ら一体、この十九年、何をしておったのじゃ? 十九年、十分すぎる年月であろう」

「殿下、お言葉ですが……確かに十九年は長き年月かと存じます。されど、肥前州と我ら他の州とでは、そもそもの始まりからして大きく異なるのです」

「始まりだと? 面白い。何が違うのだ」

 純正は眉をひそめる。

「殿下は一領主であった頃より、この日ノ本を、いや、世界を見据えておられました。遠く南蛮との交易に目を向け、新しき技を取り入れ、領民を、家臣を育ててこられた。それは、我らには考えも及ばぬ事でございます」

 長政の声はどこか遠い過去を語るようだったが、その言葉には純正に対する畏敬の念が込められている。

「ん、しばし待て」

「は」

 純正は後ろを向き、口を大きく開けてゆっくり息を吐いた。

 ふあーあーあーあー。

 音で表せばこうなるだろう。

 ホジホジホジ……。

 汚れた手を紙で拭った。

「で?」

「我々は、目の前の戦に明け暮れ、家を守り、領地を広げる事しか考えておりませんでした。殿下のごとき高き志など、持ち合わせていなかったのです」

 長政は自嘲気味に笑った。

 その言葉に、議場にいる他の大名たちの顔にも同じ苦渋の色が浮かぶ。彼らもまた長政と同じ思いを抱いていたのだ。

「で、それはオレも同じだが? 然様な(そんな)事をお主は言いたいのか?」

「いえ決して!」

「……では何じゃ?」

「は……大日本国ができてから後も、その差は埋まるどころか、広がるばかりにございました。殿下は惜しみなく技を与え、商いの道を広げ、教育の重きを説かれました。されど、我らはそれを十分に生かす事能わずあたわず

 長政は一呼吸おいて続ける。

「それは、我らが殿下のごとく先見の明を持たず、旧来の考えから抜け出せなかったが故です。殿下。十九年の年月は、我らにとってはあまりにも短すぎたのです。肥前州が四十年をかけて築き上げたものを、我々が僅か十九年で成し遂げる事は、到底能わぬ事にございました」


「で、大量に予算を使い込んで別の事に使ったと? 足りない分は肥前国から金を出して十分に補ったと思うがの。違うか? 十分に学校を建て、教育能う礎は作れたと思うが。いかがじゃ? 要するに金は欲しいが従いたくはない、そうであろう?」

 ふう、とため息をついたあと、今度は純正が続ける。

「十九年が短いなら何年じゃ? オレは十九年後は七十だぞ。じき死ぬわ。その先か? もしオレが|此度《こたび》言わなければ、五十年百年と予算の垂れ流しで何も変わらず。そうなっておったのではないか? 備前守よ、オレの問いにすべて答えよ。長々とはいらん。手短に申せ」

「……殿下の仰せの通りです」

 長政は観念して答えた。

「だ、か、ら、何が仰せの通りなのだ!」

 純正は苛立いらだちを隠せない。

 あまり言いたくはないが、言わなければならないのだ。

「確かに我らは、殿下からの助けを受けながら、その意に沿わぬ使い方をしてまいりました」

 長政の率直な答えに、議場がざわめいた。

「学校建設の予算を城の修築に、教師の俸給を家臣への恩賞に流用した事も真でございます」

「ほう、まあ、聞いてはおったがな。その額はつぶさに調べ、しかと返してもらわねばならん」

 純正の表情は冷ややかだ。

 感情を捨てて、理性的に、現実的に粛々と進めなければならない。

「ならば何ゆえ然様な事をいたした?」

「逆らう家臣が出る事を恐れたからにございます。急いた変化は乱れを招くと考え、おろおろと(少しずつ)進めるつもりでおりました」

「おろおろと(少しずつ)? 十九年間もか。して、何が変わった?」

「それは……」

「それにオレは、何年必要か、と問うたが?」

「……分かりませぬ」

 長政は正直に答えた。

「家臣団を得心させるのに、あと何年かかるかは……」

「分からぬものに、金も人も物も、かけられぬなあ」

 純正は淡々と告げる。

「皆の考えはようわかったが、良いか? もう一度言うが、分からんものに金も人も物もかけられん。ゆえに選べ」

 静まりかえった室内に、純正の声が響く。

「望む者は肥前国とする。それ以外は元のままじゃ。ああ、心得違いをするでないぞ、これまで通りではない。大日本国、いや、日ノ本大同盟よりも前に戻るのだ。貸した金は全額利子をつけて返してもらう」

 さらに、続ける。

「肥前国の商人や町人、すべての国民の命、財を、一名でもじゃ。脅かせば、わかっておろうな。戦じゃ。戦国の世に戻るが、致し方あるまい。ああそれから、禁裏と洛中においては、さきのごとく我が兵が守るゆえ案ずるな。大阪との間にも、民を安んずるために街道に兵をおく」

 純正は京に近い長政と信秀に向かって言った。


 数日後、到着はバラバラであったが、書状にて回答が純正のもとに届いた。

 会議場の雰囲気から即決は無理と考えた純正が、答えを後から寄越すよう命じたのである。


 ・能登州は能登県と改称。越中内の畠山領は越中県となる。

 ・上杉州は越後県へ改称。ならびに東加賀・能登・越中・佐渡・越後をもって北陸地方を新設。総督府は金沢。

 ・大宝寺州は出羽県ならびに奥州地方へ編入。

 ・武田州は「甲信駿(こうしんすん)地方」として新設。甲斐県・信濃県・駿河県はそのまま。吉原港は駿河県に編入。これにより吉原県は消滅。

 ・里見州は安房県・上総県として関東地方に編入。

 関東地方の総督府は吉原・館山・太田と候補があったが、海運と対北条を見据えて、古くからの港町である安房館山と決定。

 ここに、19年間続いた大日本国はその歴史に幕を閉じた。


「馬鹿な事を申すな! 何ゆえ我らが食を差配してはならぬのだ。拙者は殿下(純正)の命を受けて中将様(信長)を診ているのだ。食の差配をして何が悪い?」

「Je hebt een goede reden om ons je eten niet toe te vertrouwen, hè?(オレたちに食事を任せられない、やましい理由があるんじゃないのか?)」

「滅相もございませぬ!」

 織田方の信長の侍医は平謝りだが、傍らの十左衛門は頑なに拒んでいる。

「……申し上げにくき事ではございますが、異国の者に上様を診ていただく訳には参りませぬ」

「馬鹿な! 織田州には異国の者がおらぬと申すか! それに拙者は和漢の医術も心得ておるし、それを専ら生業としておる医師もおるのだぞ」

「……」

「然程に案じておるなら材の調達からくりや(厨房)の中まで守(監視)をつけて見張れば良い。毒味もせよ。それでも拒むなら、殿下に御出座いただく他ございませんぞ」


「申し上げます!」

「然様か」

 駆け込んできた近習に確認し、十左衛門は言い放つ。

「諸般の事情により、大日本国はなくなり、織田州は織田家の領国とあいなり申した。ゆえにその儀に及ばず。我が家中の医師にて上様を診る」

「何じゃと!」


 次回予告 第885話 (仮)『信長の願いと敵味方』

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