第146話 『高杉晋作と箱館・横浜・新潟・神戸・長崎』(1852/2/10) 

 嘉永五年一月二十一日(1852/2/10) 長州 萩城下  

 後年、異例の出世を遂げて周布政之助は長州藩の指導者たる立場に立つ周布であったが、この時はまだ江戸祐筆ゆうひつ役である椋梨むくなし藤太の添役でしかなかった。

 そのため晋作は、最初は江戸にいる周布を頼ろうと思ったが、やめて他の伝手を頼ったのである。




「残念だが、家中として認める訳にはいかぬ」

 家老の村田清風は、晋作を見て、残念そうに言った。

「なに故にございますか?」

 遊学を願い出て九日経ち、やっと清風に目通りが叶ったのだ。晋作は残念でならない。

「お主、此度こたびの我が家中からの大村への遊学、危うく能わぬ所であった事、知らぬのか」

 幕府の大村藩への『大船建造の禁の廃止』の条件、それは他藩への技術供与を禁じる事であった。禁じる事で大村藩の技術は、幕府以外には漏れないはずだったのだ。

 ところが、法の抜け穴とでも言うべきか、それまでに遊学をしていた者や申し込んだ者は適用されず、吉田松陰や宮部鼎蔵は勿論もちろんのこと、長州藩からの遊学生は除外されている。

「然れど、これからとなると如何いかがあいなると思う? 我が家中も大村家中も公儀より詮議され、とがを負うやも知れぬ。いや、事が事ゆえに、間違いなく負うであろう。然様な事、家中として許せるわけなかろう。無論、お主達の気持ちもわからんでもない。然れどそれが為に家中を危うくすれば元も子もない」

 晋作は清風の言葉に納得せざるを得なかった。幕府の厳しい規制の中、これ以上長州藩を危険にさらすわけにはいかないからだ。しかし、大村での遊学の夢を諦めるのは辛かった。

 ……。
 ……。
 ……。

 晋作は一計を案じた。

「仰せの通りにございます。然れど一つ、お伺いしたき儀がございます」

「なんじゃ。何なりと申すが良い」

「は。然ればその、公儀が出したる題目、以後は他の家中からの遊学を禁ず、にございます。これは遊学を禁ず、だけにございますか?」

 晋作の真顔で訴える様に、清風は何事かと答える。

如何いかにも。大村家中と公儀の取り決め故つぶさには知らぬが、それにより我が家中からの遊学は先の一度のみとなっておる。それが如何いかがしたのじゃ」

 晋作は真剣な面持ちで清風を見つめ、そっと尋ねる。
 
「もしやとは存じますが、遊学でないなら良いのでしょうか?」

「何?」

 清風は首をかしげ、晋作が言ったことをもう一度考える。

 遊学ではない?

「如何なる事か」

「は。よもや公儀も、大村家中の領内に出入りする全ての者を管領かんれい(管理)するなど出来ますまい。商人もおれば旅人もおりまする」

 晋作の言葉に、清風は目を見開いた。
 
「なるほど、然様な抜け道があったか。確かに遊学以外の名目なら、公儀も一々は管領しかねるであろう」

「然様にございまする。商人や旅人に扮すれば、大村領内に入ることは能うかと」

「ふむ……あくまでも商人であり旅人である、とな。遊学ではなく、見聞を広めるならば……。あい分かった。では皆と諮って殿に上書いたそう。許されれば良し、駄目であれば待つほかないぞ。それから許されたとて、あくまで見聞を広めるのみぞ。よいな?」

「はは。有り難き幸せにございまする」




 ■<高杉晋作>

 まぁったく! 公儀もみみっちいぜ。たかだか遊学の徒を禁ずるなんてよ。公儀公儀と、自分の事しか考えてねえじゃねえか。だから頭が凝り固まって、異国に対してもああせい、こうせいと右往左往じゃねえか。




 ――高杉晋作、このときわずか13歳である。




 ■大村政庁

「それで、用地の買収は進んでおるのか?」

「はい、まずは長崎の藩屋敷近くの敷地を買い、蔵屋敷を備えられる様いたしました」

「奉行所からは何かあったか?」

「いえ何も。内藤様も牧様も、わが家中には大いに便宜を図って頂いております故、此度のことも何事もなく」

「然様か。付け届けを忘れるでないぞ」

 付け届け、である。決して賄賂ではない。

 次郎は長崎の藩屋敷周辺の手ごろな敷地を購入し、藩の貿易品の倉庫を建築して、一大物流拠点にしようとしていたのだ。それは長崎に限った事ではない。

 通商条約が結ばれれば、函館・横浜・新潟・神戸も開港となるのだ。
 
 それに先んじて用地を押さえ、現地の商人や関係各所とパイプを作っておくことで、他藩、ひいては幕府に先んじて莫大な利益を得ようと考えたのだ。

 そのため、藩が表だって屋敷や倉庫を設けるとよろしくない。いらぬ疑いをかけられるからである。小曽根屋と大浦屋に御用商人として表に立ってもらい、藩は裏で差配する。

 小曽根乾堂には蒸気船の件で便宜を図ったし、大浦慶に関しては言わずもがなである。

「横浜については如何だ?」 
 
「横浜は天領ゆえ、表立った動きは控えております。然れど密かに有力な町人とよしみを通わしております」

 次郎が尋ねると勘定奉行の後藤多仲は慎重に答えた。

 史実では横浜は幕府が神奈川湊の代わりに開港したのだ。天領とはいえ今は単なる寒村。用地を買うことはできないが、商人を通じてなんらかの対策を講じる事はできる。

「箱館と新潟、神戸については如何だ?」
 
「箱館は松前領ゆえ、松前藩との交渉が肝要にございますが、こちらはつつがなく進んでおります。新潟と神戸は同じく天領ゆえ、代官所との交誼こうぎを深めつつ、地元の商人との繋がりを探っております」

 多仲は淡々と述べた。

 幕府には藩の意図を悟られない様に慎重に動かなければならない。同時に、将来の拠点設置に向けて着実に布石を打っておかねばならないのだ。

「後藤殿、引き続き努めてくれ。然れど公儀にあらぬ疑いをかけられても困るゆえ、気をつけるのだ」

「はっ、承知いたしました」

 多仲は一礼して答えた。

「ああそれと、駿河の清水湊の……同じく蔵屋敷だが、こちらも頼んだぞ。茶の栽培と仕入れについては産物方が行っておるが、銭勘定がからむでな。助けあって行ってくれ」

「は!」

 静岡県はお茶の一大生産地になる。次郎はここで栽培用地の開発や生産者との契約を大々的に行い、清水湊から将来開港される横浜へ輸送するつもりなのだ。

 史実では横浜の茶の輸出量は1860年に長崎を抜く。それからは横浜優位で推移し、長崎のピークである1872年ですら、横浜はその3倍の輸出量となるのだ。

 長崎での貿易の優位性は、通商条約による五港開港でなくなる。いつまでも長崎にこだわっていては駄目なのだ。

 幕府は、どうでるだろうか? それどころではないだろうか。




 次回 第147話 (仮)『万次郎の帰国と山内容堂』

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