第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

 天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城

「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」

 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。

「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かったような短かったような。継いだばかりの頃は、元服したての右も左もわからぬ青二才であったが、縁というものは分からぬ物よの。内府殿との巡り合わせでこのように生きながらえ、能登もいさかいなく治まっておる。その内府殿はわしを友と呼んでくれた」

 連家は返事をせず、黙って聞いている。にこやかに話す義慶はさらに続けた。

「ご多忙ゆえ近頃はお目にかかる事も難しいが、我ら畠山家と小佐々家は、昵懇じっこんと言ってもよい。アイヌ交易の中継地として、小佐々家にとっても我ら畠山家の存在は欠かせぬものとなっておる」

 仮にそれが利益の為だとしても、小佐々家と友好関係にあることは、多大な利益を能登にもたらしていたのだ。

「はっ。輪島や穴見、七尾のみなとが、小佐々家の蝦夷地交易の要衝となっておりますゆえ」

「うむ。また我らは、小佐々家の留学制度にも多くの恩恵を受けておる。商いでは若狭や越前で諍いもあると聞くが、幸いにして能登では聞かぬ」

「それがしもそう聞き及んでおります。他の御家中では小佐々家の銭と品の流れに押されつつある、との事にございます」

 連家の言葉に、義慶はうなずきながらも、眉根を寄せる。

「孫兵衛よ、さりとて我ら畠山家も、内府殿の厚意に甘えてばかりもおられぬぞ」

 なごやかな雰囲気がピリッとする。

「仰せの通りにございます。我らも小佐々家に依るばかりではなく、一力(独力)で銭をつくり、国をさらに富ます道を探らねばなりませぬ」

「うむ」

「何かお考えはございますか?」

 連家の問いに義慶が答える。

「まずは、能登の生業を更に栄えさせねばならぬ。輪島索麺に嶋海苔しまのり、能登釜をはじめとした産物の質を高め、七尾・松波・穴水・輪島・福浦・宇出津などの湊をさらに整える。これによって能登の力を高めていくのだ」

「畠山家の力を着実に高めていくということですな」

「うむ。加えて我らも教育に力を入れねばならぬ。小佐々家を手本としつつ、能登の子弟を育てる。彼らこそが、畠山家の先を担う宝となる。無論、武家に限った事ではないぞ。優れた者は町民でも留学させるのだ」

「はは。されど万が一、小佐々家との繋がりが悪しき様となった時はいかがなさいますか? 到底我らのみでは抗する事能いませぬ。いずこかの家中と別に盟を結んだ方が、良いのではありませぬか?」

「……それは考えてはおらぬ。ないとは思うが、万が一にも、その兆しが見えた時に考えれば良い」

 義慶の言葉に、家臣たちは深く頷いたのであった。




 ■躑躅ヶ崎館
 
「さて、喜兵衛、九郎(左衛門尉)よ。近頃のわが領内の勝手向き(財政)はいかがじゃ。わしが家督を継いでより七年。少しは豊かになったであろうか」
 
 側近である武藤喜兵衛(真田昌幸)と曽根九郎左衛門尉虎盛に、勝頼は思慮深げな表情を浮かべながら尋ねる。

「無論にございます。野田城から退いた後、御屋形様は家督をお継ぎになりました。先代のご指示通りに喪に服し(たフリをして)、三年といわずゆるりと腰を据えられて、領内の治に励んでこられました」

 喜兵衛が答える。

「うむ」

 勝頼は目をつむりあごをさすりながら聞いている。

「左様にございます。小佐々への五万貫の借銭は厳しゅうございましたが、ようやく返す目処がつきましてございます。吉原の湊の割譲も由々しき事かと思いましたが、蓋を開けてみれば小佐々の銭で湊を整え、帆別銭の入りも増えました。極めたるは信濃における天蚕にございます」

「誠に!」

 喜兵衛の話に虎盛も同調する。

「あれを育て繭とし、糸を作っては絹に負けぬ風合いの布ができましてございます。信州の風土ふどがよほど適していたのでしょう。京大坂でも高値で売れておりますれば、今後もわが家中の勝手向きを支える、重し産物に間違いございませぬ」

「うむ。それもこれも皆の励みの賜物である。感謝いたす」

「何を仰せになりますか。所領を拡げ、それによって強きを示してきたは、武田の家風にございます。よくこの時流を見抜き、小佐々と組む事をお選びになった御屋形様がいてこそにございます」

「ふふふ。世辞でもそう言うてくれると嬉しいものよの」

 三人の間に笑いが起こり、張り詰めた空気は少し和らいだかに見えた。
 
「喜兵衛、我らは内府殿が掲げた大同盟に入り、小佐々家とは同盟関係にある。されど織田家ほどには、商いにおいて小佐々領内の商人のあおりを受けてはおらぬ。これは、我ら武田家が織田家の動きを封ずる勢だからであろう」
 
「それがしもそう考えております。今は武田の方が織田より力が弱い故、織田が強くなりすぎぬよう、わざと差配しておるのではないでしょうか」

 織田の動きを封じるために、武田を助けるという勝頼と喜兵衛の予測は当たっている。もっともそれは、大同盟が成立する前からの事で、武田と結んで織田家の拡大を止める方法でもあったのだ。
 
「九郎(曽根虎盛)はいかが思う?」

「は。それがしも同じ考えにございます。しかして今、大同盟により、織田家が戦で所領を拡げる事能わぬようになり申した。これは織田家に限りませぬ。織田家が弱まり、武田が強くなればいかが相成るか?」

 勝頼は笑っているが、代わりに喜兵衛が答えた。

「これまでとは逆に、武田を抑えにくるのではなかろうか」

「さよう。そうならぬよう、またなったとしても障りのなきように、手を打っておかねばなりませぬ。なに、小佐々に弓引くわけでもござらぬし、信義にもとる行いでもございませぬ」

「いかがいたすのじゃ?」

 喜兵衛が九郎に尋ねる。

「織田にござる」

「織田?」

「左様。札の表と裏のように、おそらく内府様は織田と武田が拮抗きっこうしておるのが望ましいのでしょう。大同盟の前と後では意味合いが変わって参りますが、どちらかが強くなりすぎず、という事にございます」

「ふむ。していかがいたす?」

 勝頼が聞く。

「は。されば織田に使者を送り、これまで以上によしみを通わし、昵懇となるのです。両家がともに栄えれば、障りある事が起きたとしても、乗り越えられる事と存じます」

「あいわかった! 九郎よ、織田へ行き、そのように伝え誼を通わすのだ。喜兵衛、そちは小佐々へ行き、留学生の人数制限を取りやめてもらえるように交渉いたせ。先の世をつくるのは若者ゆえ、今以上に小佐々の文物にふれさせるのだ」

「「はは」」




 ■久留里城

「殿! お気を確かに! まだまだ里見家は殿を必要としております! 北条との約定により鎮まっておるものの、房総いまだ定まらず、殿のお力が要るのです!」

 病床にある義弘は、かつて北条氏政と熾烈しれつな争いを繰り広げ、里見氏最大の版図を築きあげた知勇の将とは思えぬほど、衰弱しきっていた。

「父上! それがしはまだ若輩にございます! どうか早くお元気になって、それがしをお導きくださいませ!」

 嫡男である義重と家臣に看取られて、安房里見氏第六代当主、里見義弘は没した。享年四十九。史実より一年長生きはしたものの、やはり人間五十年であった。

 房総一円を股にかけた里見氏のお家騒動が始まる。

 次回 第665話 (仮)『房総騒乱、義頼起つ』

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