慶応四年十二月二十日(1869年2月1日) 鹿児島へ向かう船上 <次郎左衛門>
さーて、どうしたもんかな。
馨や俊輔にはああ言ったけど、あれはあくまで方便みたいなもんだ。
あいつらきっと『大村藩はオレたちの味方だ』なんて思い込んだままだろうし、撤回して最初から話そうもんなら収拾がつかなかっただろうしな。
勘違いでもあの場ではああ言うしかなかった。
……なかった。……はずだ。
『時と場合による』
自分で言っておきながら歯切れが悪すぎる。
確かに幕府が力任せに薩長をたたき潰そうとしたら加勢するしかない。放っておけば議会どころか国が崩れる。けど本当にそれでいいのか?
オレは何をしたかったんだ?
……そう!
ソフトランディングだよ。
攘夷だなんだで流血沙汰はなしに、穏便に平等に開国する。
そのための技術革新と富国(藩)強兵だったし、朝廷への献金と根回しだったじゃねえか。
やりたかったのは断じて武力討幕じゃない。
議会を作ったのも全部『流血を減らすため』のはずだった。
江戸城無血開城ならぬ、江戸幕府無血倒幕だよ。
大日本帝国政府は幕府じゃなく、議会で決められた内閣を政権にして国政を担う。
そのためにやってきたんじゃないか。
でも、時間がかかる。
岩倉具視や殿が言いたいのもわかる。
まどろっこしいからいっその事っていう、薩長の考えもわかる(武力は? だが)。
それに勝てるに決まってるんだよ。
大村藩の軍事力を総動員すれば勝てる。でも残るのは死体の山だ。
それが正しい未来なのかは疑問だし。
急がないといけないかな。
ちょっと幕府を脅すにしろ何にしろ、方法を考えても、大政奉還だけじゃ足りない。
天領だけで400万石あるんだからな。
徳川宗家を……少なくとも加賀藩レベルまで落とさないといけない。
うーん……。
あー寒い!
まさに冬の海だな! 曇りでいかにも鉛色って感じだ。
「御家老様、あまり外におられますとお風邪を召されますぞ」
「ん、ああ分かった」
■鹿児島城
「中将様(久光)ならびに少将様(忠義)に置かれましてはご機嫌麗しく……」
次郎は頭を下げて挨拶しているが、2人は無表情で対応している。
「通り一遍の挨拶はよい。次郎殿、こたびは何用かな?」
上座の忠義を差し置いて国父の久光が先に発言した。鹿児島ではやはり影響力が大きいようである。
「取り立てて用はございませぬ。大村に帰る途中で立ち寄ったまでにございます」
ウソであった。
大村に帰るのではなく京都に行く予定であったし、大村に帰るにしても東まわりと西まわりでは、西まわりが圧倒的に距離が短い。用事がなければ鹿児島は通らないのだ。
「はは……戯言を。まあよい。薩摩としては御家中と争うつもりは毛頭ないゆえ、我が家中にいらぬ騒ぎを起こさずにいてほしいものだ」
「は……」
■小松帯刀邸
小松帯刀は身分の分け隔てなく交友をしていたために、屋敷は藩士の会合場所、悪く言えばたまり場となっていた。
「さあ次郎様、こちらです」
「かたじけない」
石高で比べれば、はるかに島津家が格上である。
しかし大村藩の軍事・経済・技術力は群を抜いているので、それを踏まえれば同等かもしれない。
帯刀のほうが10歳以上年下で、大村藩での伝習課程での恩義もある。
そのためにお互いに敬意を払った話し方だった。
襖が静かに開き、次郎が案内された座敷には既に西郷隆盛と大久保利通、五代友厚が座している。
帯刀が席を整え、互いに短く会釈を交わした。
場の空気は和やかさはないが、かと言って張り詰めているわけでもない。
次郎は帯刀たちの、帯刀たちは次郎の思惑を探ろうとしているだけである。
小松帯刀と五代友厚は良く知った間柄であったが、西郷と大久保は数回面識がある程度であった。
「さて、次郎様。おい(オレ)は回りくでとが(回りくどいのが)苦手じゃっで、こけ(ここに)越しやった(お越しになった)真ん訳を伺おごたっ(伺いたい)」
西郷が低く声を発した。
次郎はすぐには答えずに、笑みを浮かべて視線を一度庭へと向ける。雲間から差す薄陽が、庭石の上にわずかな陰影を落としていた。その光景を見た後、次郎は口を開く。
「西郷殿……そのとおり、耳に入った噂を確かめるために参ったのだ」
背筋を伸ばして平静を装い、表情を保った。
「噂とは、どん件を指していらっしゃっとな(いらっしゃるのか)」
「西郷殿、硬い硬い硬い。何も詰問しに来たのではないし、オレはそんな立場ではない」
次郎はたまらず口に出し、用件を話し出す。
「長崎での会合の儀だ。イギリスの、いや、スコットランド人かな。長州の馨や俊輔と一緒に会合したのでござろう? 武器ではなく、人を遣わす話と聞いた。それゆえ長州はオレが話していったん留めおき、グラバーには適当に話しておく形となった。薩摩はいかがなのだろうか」
ここで次郎は機先を制した。
すでに説得によって、グラバーとの交渉が保留になっていると伝えたのである。
西郷の表情が微かに変わった。大久保もまた、次郎の言葉に眉をひそめる。
「今さらじゃっどん、次郎様ん調べ集むっ力には驚かさるっ」
五代が静かに言った。
列強との条約、樺太・対馬事件、生麦事件からの日英戦争の収拾。
あげればきりがないが、全ての次郎の功績は情報を力としているからに他ならない。
「いかにも、我らもグラバーと会合した。長州と同じく、軍艦大砲銃をつくる技術者ん遣わす儀にちてじゃ(ついてだ)」
五代の発言の後、帯刀が次郎の視線を受け止めた。お互いの真意を探り合っている。
「然れど次郎様が越しやり、長州がそん話を留めたと聞いたならば、我らも軽々しゅう進むっわけにはいかん」
西郷は考えつつ話すが、落ち着きを取り戻している。
「我らも長州と同じ考えじゃ。幕府ん(の)我らを圧す力が強まっ中、自衛んためん武備は必要不可欠やろう。御家中ん如っ自前で兵器を製造すっ(する)権があっち(あると)考えもす」
そうだよね、そうなるよな。
次郎はそう考えた。
「次郎様は、我らとグラバーん(との)取引に反対じゃしか(なのですか)? そいとも、大村藩が代わって我らに技術を提供すっとでありもすか?」
大久保が西郷の発言に続いたが、これも長州での井上の考えと同じであった。
教科書どおりの答えにならざるを得ない。
「大村藩が公に薩摩や長州に武器や技術を供与すれば、幕府に征討の口実を与える。それではオレが避けたい内乱を招いてしまう」
次郎はきっぱりと答えた。
「然れど幕府が不当に武力を用いるならば、オレも黙ってはいない。その時は、大村藩も何らかの形で協力するだろう」
次郎の言葉はどうしても含みを持たせた形になった。
これが彼らにどう響くか。
西郷は腕を組み、大久保は鋭い視線を次郎に注ぐ。
帯刀は目をつむって腕を組み、五代は膝の上でトントンと握った拳をたたいている。
「何らかん(何らかの)形とは、具体的にどげんこっやろうか(どんな事だろうか)」
大久保が問い詰める形となった。
具体的な言質を引き出そうとする強い意志が見える。
「それは……(その時の状況による)。然れど、薩摩が孤立はせぬと約束しよう」
次郎は明言を避けた。今はこれ以上の言質を与えるべきではない。
大村藩の強力な後ろ盾があるなら、オレたちも万全の体制で臨むぞ! となってはいけない。それに、妙な噂が広まって幕府の警戒を招けば、厄介なだけだ。
いや、もうオレたちも腹をくくる時期に来ているのか?
議論に議論を重ね、どうにもならないなら武力で……。
いや、いやいやいや!
それじゃあ今までやってきた意味がない。
次郎は葛藤していた。
「グラバーとの契約は藩の財政を圧迫する。されば幕府に付け入る隙を与えるだけゆえ、今は情勢を見極めるべきではないか」
次郎はもう一度グラバーとの契約の危険性を説いた。
帯刀が西郷と大久保に視線を送ると二人は無言でうなずく。
「……承知しもした。ここへったん(ここはいったん)、次郎様ん言葉を信じもんそ。ただし……もし幕府が刃を向けたなら、むざむざけしみはしもはんじゃ(死にはしませんよ)」
帯刀の言葉は、薩摩がグラバーとの契約を一時凍結する意向を示していた。
「グラバーとん話は、一旦留めおきもんそ。幕府ん動向を今少し見極むっ(見極めます)」
次郎はひとまず安心した。
長州に続いて薩摩もグラバーとの密約を保留にできたのだから、これは大きな成果である。
しかし、彼らの武力討幕の意志は消えてはいない。
■江戸城
「中納言(慶喜)、そなたの事は頼りにしておるが、京では立て続けに騒ぎが起こっていると聞き及んでおる。いかがなのだ?」
「は、その儀につきましては滞りなく収まりましてございます」
「? 然様か。余が聞いた話とは随分違うようだが……」
慶喜の額から冷や汗がしたたり落ちた。
次回予告 第460話 (仮)『問責と仕切り直し』

コメント