第236話 『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』

 安政六年七月五日(1859/8/3) 

 大村藩発の国産電信設備は、大村藩の領内はもちろんのこと、西国諸藩の領内にも敷設された。

 まずはじめに佐賀藩と島原藩、平戸藩と五島藩、唐津藩といった近隣の藩に敷設され、徐々に九州全域へと広がっていったのだ。
 
 現在はほぼ九州を網羅しており、海を隔てた長州藩と宇和島藩、土佐藩は現在敷設中である。

 島原藩と唐津藩は譜代ではあったものの、敷設に際して幕府中央とのしがらみはなかった。聞役としての横のつながりと、情報における伝達速度の重要性を十分に理解していたともいえよう。

 九州内、特に豊前と豊後は親藩、譜代、外様の領地が入り交じっているために、最短距離ではなく、敷設可能領域に敷設された。




 ■宇和島藩

「なに? 功山が大村に帰りたい・・・・、と申しておるのか?」

「は、殿のご温情ありがたく、誠に申し上げにくい事だ、と申しております」

 功山が宇和島に来て・・3年が経っていたが、すでに蒸気機関を大村で完成させていた功山は、期間限定で連れてきた部下と、宇和島の職人とで国産の宇和島藩蒸気船を完成させていたのだ。

「いったい、如何いかなる事だ?」

「それが、やはりここは自分がいる場所ではないと……。この三年、家中のために心血を注いで蒸気船の建造に関わってはきたものの、周りの人間が自分を見る目が、大村とでは大違いだ、と申しております」

 しがない金属細工の職人だった功山である。

 故郷に錦を飾って大村から戻ってきたとしても、昔から知る人間や、身分意識の強い人間からすると、蔑みの対象だったのだろう。

「それは……今まで以上に功山を遇し、周りの者達にも決して昔と同じように扱うなと、厳に命じていたのではないのか」

「は、然様さようでございます。然れど、誰彼が言ったやったというのは分かりませぬが、やはり見えぬところで、功山らに対する目は卑しい金属細工職人のままであったのでしょう」

「なんと……然様な習わしは一刻も早くなくさねばならぬが、人の考えというものは、そう簡単に変わるものではないのであろうな……」




 かくして前原功山は藩主伊達宗城に願い出て、大村へ帰って・・・いったのであった。

 安政の大獄の影響は、ない。(始まってない)




 ■土佐藩

 史実におけるこれより後年は、『酔えば勤皇、覚めれば佐幕』と揶揄やゆされた山内容堂であったが、今世のこの時点では幕府を容認する尊王、雄藩合議主義思想であった。

「ふむ、公儀も……井伊直弼もよくわからぬな。隠居を命じたかと思えば減刑など。おかげで一橋派は助かったが……。いや、すでに公方様は決しておるのだから、南紀も一橋もないか。探りをいれつつ、少し間をとろうかの」

「は、同じ一橋派でも水戸様は攘夷じょういを掲げ、然れども、派の大勢は開国にございました。将軍継嗣の争いに敗れた今、つながりを持つ事は大事なれど、今の公儀に我ら外様を登用する気運なし。然らば、今は家中の栄えを主とするが肝要かと存じます」

「うむ」

 土佐藩参政として藩政に復帰した吉田東洋のもと、門閥打破・殖産興業・軍制改革・開国貿易等、富国強兵を目的とした改革が行われ、成果をあげていたのだ。

「大村から取入れたる電信は、高知城下より宿毛郡大深浦村までは敷かれております。伊予宇和島の小山村より、つながるのは幾月もかからぬかと」

「然様か……蒸気船は如何いかがじゃ?」

 その問いに東洋はやや顔をしかめながら答える。

「彼の船は……まず、買うにしても造るにしても、金がかかります。そのため、まずは古くても良いので、程度が良い小ぶりな船を買い、商いに使うのです。商いで利を得つつ、同時に大村への留学は続け、家中でも造り能うようするのが上策かと」

「ふむ。お主の考えを良しとしよう。それを家中の考えとなす」

 東洋はうなずき、さらに続ける。

「また、商人どもにも加勢をするよう申しつけ、共に船を買い入れる仕組みを整えるべきかと存じます。商いの利が家中に戻ってくれば、それこそ家中の財政も潤います。また、大村家中との交渉を通じ、船の売買に有利な条件を得られるよう努めるべきかと存じます」

「誰か適した者はおるか?」

 容堂はさかずきを飲み干し、次の盃をつぎながら東洋に問う。

「は、殿は坂本龍馬なる男を見知っておられますでしょうか」

「さ、か、本……龍馬……。? ああ、あの才谷屋の龍馬であるか」

「然様でございます。あの坂本龍馬でございます。あの者は大村家中の家老より、家中屋敷の出入り自由と蒸気船の出入り自由の免状を与えられ、おそらくは大村の遊学生とならび、いやそれ以上のつながりがございます」

「ほう……確か郷士であったと記憶しておるが、その郷士風情に、この大役が務まると?」

「は、務まらねば死罪でもなんでもお好きなようになされば良いかと存じます。務まれば、その時はその時でございます」

 坂本龍馬の名前が出た途端、容堂は興味を失ったような顔をしたが、それでも使える者は使うという考えから、龍馬を登用することにした。

「いま、何処だ?」

「江戸から戻ってきております」

「然様か。早速に報せを出し、役目につかせよ」

「はは」




 ■越前 福井城

「ほう……これはなんとも……。この機械を使って遠くの者とでも文のやり取りができるのか?」

「然様にございます」

 松平春嶽は城下に備え付けられた電信機を見ながら言った。




『我ハ春嶽ナリ』




「おお! 誠じゃ! これがあれば馬も要らぬし飛脚も要らぬ! なんとすごい」

 子供のように無邪気に喜ぶ春嶽を前に、左内は笑顔で答える。

「領内に敷設すれば有事・平時に関わらず家中の役に立つ事は間違いありませぬ。蒸気船の買い付けの交渉も終わりましたし、次は家中にて造る事を目指すのみにございます」

「ははは、井伊めに隠居を命じられたときはどうなるかと思っておったが、奴め、取り消しおった。それに加えてこの電信に蒸気船、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありとはこの事であるな」

 越前福井藩においては、3年前に大村藩より買い入れた中古の帆船による交易で利益をあげており、小型の帆船であれば自前で製造できるようになっていた。

 造船所の拡充と蒸気船の造船、製鉄と武備、西国諸藩と比べて遅れてはいるものの、着実に進んでいたのだ。

「左内よ、これからも頼むぞ」

「はは」

 ・薩摩藩は蒸気船を建造し、造船所があるが、大型の建造・修理は不可。(スクリューは不可)

 ・佐賀藩は電流丸(外国へ発注)を所有し、三重津にて簡単な修理はできるものの、製造ならびに大修理は不可。建造実績なし。(スクリューは不可)

 ・宇和島藩は蒸気船を建造、修理可能な小規模造船所あり。(スクリューは不可)

 ・長州、土佐、越前は建造・修理可能な造船所は未完成。




 ■江戸城

「なに? それは真か?」

「真にございます。彼の家中はもはや……はばかりながら申し上げます。もはや……日本ではありませぬ。然すれば、諸外国と対等に渡り合い、技術を高め国を富まし、強兵をなすには……。言葉も違い、文化も習わしも違う外国に倣うより、大村家中に大いに学ぶべきかと存じます」

「ううむ……。然様か……なんと公儀が、公儀がここまで劣っているとは……。間に合わぬのか」

(これが本当なら、確かにそうだろうが……。あいわかった、そうせい、と言える訳がない)

「間に合う、合わぬの問題ではございませぬ」




「なんじゃ? なに! ? ……ふむ……うむ、なるほど。……よし、これは使えるかもしれぬぞ。ふふふ……子細(詳細)を調べて報せよと伝えるのだ」

 小栗上野介と話していた井伊直弼に、何やら情報が入ったようである。




 ■大村藩庁

「弱ったの」

「弱りましたね」

 純顕に続いて利純は言った。

「恐れながら申し上げます。此度こたびの報せ、勅が発せられる前にて知り得た事、まことに良き事かと存じます。殿の昇進はともかく、某の叙任など恐れ多い事にございます。如何に……功があったとしても、間違いなく家中の敵を作ることになりまする」

「うむ」

「丁重にお断り申し上げるのが上策かと存じます」




 次回 第237話 (仮)『勅と外様と譜代と親藩』

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