第857話 『盤上の策士たち』

 慶長三年十月三十日(西暦1598年11月28日) 海西地方 天津市

 開封府で万暦帝との会見を終えた純正は、大陸三分の計が実現しようとしている今、海西地方の天津市で今後の対策を練っていた。

 女真はモンゴルの侵攻を受けて防戦のために遼東へ撤退し、寧夏は十分得るべき物は得たとして、保定府を領土の南限としている。

 明は寧夏との講和に同意はしたが、女真に奪われた登州を奪還するために反攻作戦を開始していた。

「直茂よ、こうもうまくいくとは思わなかったぞ」

「殿下の徳の成せる業にございます」

 大河ドラマでよく耳にするフレーズである。

 純正はニヤリと笑った。

「蒙古に種はまいておったが、こうも早く花が咲くとは思わなかったがな」

「仰せのとおりにございます」

 明には明の、女真には女真の、寧夏には寧夏向けに間諜かんちょうを送り込み、工作していたのである。

 それはモンゴルに対しても同様であった。

 寧夏国は、哱拝ぼはいが明に反乱を起こした際、モンゴルのオルドス部の族長ジョリクトゥと同盟を結んでいた。そのため、哱承恩ぼしょうおんの代になっても家族ぐるみの付き合いが続いている。

 純正は寧夏に対する造反を考慮しつつ、論功行賞に不満を抱く者たちの矛先を女真に向けようとしたのだ。

 哱拝の乱の際、同盟相手はオルドス部だけであったが、明に割譲を要求するころには、分け前を得ようと他の五部族も加勢している。

 哱拝の死と代替わりでカリスマ性が失われたのと同時に、オルドス部への行賞が過度に偏重しているとして、不満が噴出してきたのだ。

「まさに鶏が先か卵が先かでございますな」

しかり。此度こたびは鶏である女真の山東侵攻よりも、卵のモンゴルの不満が先であったな。山東への侵攻がなくとも、寧夏への不満は積もっていたであろうからの」

 オルドス部のジョリクトゥと哱承恩は顔見知りであり、家族同様の関係である。

 哱拝と共に戦った息子の哱承恩や土文秀、劉東暘が存命である限り、オルドスと寧夏の対立は難しかったのだ。

 しかし他の五部は違う。

 表向きは寧夏からの離反を見せていないが、本心は分からない。

 そこで女真の山東侵攻である。

 特に女真と対立していたチャハル部のブイグ・ハーンは、ここぞとばかりにモンゴル部族を結集し、女真に攻撃を仕掛けたのだ。

 そこでオルドス部は、直接的に寧夏に敵対するわけではないため、女真への侵攻に加担したのである。

「さて皆の衆、此度の戦、いかほど続くかの。オレとしては明が山東を取り戻すまでは続いてほしいが、いかがかの?」

 直茂をはじめとした戦略会議室の面々は、それぞれが考え込んでいる。

「その判を下すのは難し事かと存じます」

「ほう」

 直茂は腕を組んだ。

「女真軍は登州に守備兵を残したまま遼東へ退きました。然りながらモンゴル軍との戦いにめどが立てば、すぐにでも戻ってくるでしょう。一方の明軍は……」

「民が立ち上がっておるからの。義勇軍の数も増えておろう」

「はい。李化龍りかりゅう殿の報告では、すでに一万を超えたとか」

「ヌルハチもさぞ悔しがっておろう。遼東に攻め込まれ、せっかくの山東侵攻もこれからという時にじゃな……」

 純正はニヤリと笑う。

「女真も明も、いずれ疲弊するであろう。そのときこそが、真の三国鼎立ていりつの始まりじゃ」

れど殿下、女真軍が早々に遼東での戦いを終え、明への反撃に出た場合は?」

「……ふふふ。これまでの戦いとは違うて、寧夏は動かぬ。彼らも保定府での休戦に満足しておる。今はまだ、女真とは手を結ぶまいよ。それこそオレの顔に泥を塗る行いじゃ。然様な悪手はまかり間違っても打たぬであろうよ」

 純正は以前話した影響力の件を思い出した。

 室町幕府や朝廷が、戦乱を収めるために自らの権威を利用したのと同様である。

(オレも同じなのか?)

「ふっ……」

「いかがなさいましたか? 殿下」

「いや、然しもなし(大したことはない)じゃ」

 然様でございますか、と直茂が言うと、いつもの純正に戻った。




「申し上げます! 明軍、河間府から青州の防衛線を押し上げ、登州全域へ攻め入った由にございます!」

 息をきらせて伝令が駆け込んできた。

「ほう、李如松にしても李化龍にしても、ひとかどの将であるな。民兵をまとめあげ、五軍の兵と共に戦うは、易しに非ずぞ」

「は、さすがにヌルハチの攻めを耐え抜いた李化龍に、軍をまとめ上げて無事に開封へ遷都を成し遂げた李如松の用兵は、一見の価値があるやもしれませぬ」

「おいおい、それは困るぞ、有能な将とは戦いとうはない」

 ははははは、と笑いが起きた。

 盤上の駒を動かすプレイヤーの視線で楽しんでいるのかもしれない。

 いや、楽しむという表現は不謹慎だ。

 図らずもその力を持ち、コマを動かせる地位にまで達したと言うべきだろう。

「では、官兵衛。明は登州を奪い返すのにいかほどの時を要するかの。女真と蒙古の戦もそうじゃ。簡単に終わってしまっては、返す刀でまた登州に戻ってくるやもしれんからの」

 黒田官兵衛は純正の問いかけに、しばらく目を閉じて考え込んだ。

「登州の奪還には、早くとも三ヶ月はかかりましょう」

「ほう、それほどの時を要するか」

「はい。兵力においては寧夏との和議がなったゆえ、明軍が優位にございます。然れど女真が河間府を捨て、さきの李化龍と同じく登州の蓬莱ほうらいで守りを固めれば、時がかかりましょう」

 官兵衛は机上の地図を指差しながら、話を続ける。

沙門しゃもん島を拠点に補給線を築いておりますゆえ、兵糧矢弾が遼東より運び込まれれば、長戦となるかと」

「うむ」

「一方、遼東での戦いですが……」

「なんじゃ?」

「こちらは予断を許しません。蒙古連合軍は騎馬戦にたけており、女真軍も同様。互角の戦いになるでしょう」

 純正はうなずきながらコーヒーカップを手に取った。

 南蛮貿易でコーヒーを入手し、南方の領土で栽培し始めてからは、手放せない。

 前世と同じくお茶を飲み、時に紅茶やウーロン茶、そしてコーヒーだ。

 会議室のメンバーにも、好みの飲み物とお茶菓子がある。

 それを飲み食いしながら会議をするのだ。

 リラックスした状態の方が、より良いアイデアが出る。

「然様か。然れば、遼東での戦いが長引けば長引くほど、明にとっては好都合となるわけじゃな」

「はい。然れど……」

 官兵衛は言葉を切ったが、何かを懸念しているようである。

「なんじゃ?」

「ヌルハチは策士。モンゴルとの和議を結び、すぐさま登州への反転も考えられます」

 純正は不敵にほほ笑んだ。

「心配は無用じゃ。蒙古の各部族、とりわけチャハル部のブイグ・ハーンは、そう簡単には引き下がらぬであろう。自らが率先して軍を起こしたのじゃ。女真が蒙古の軍をことごとく打ち負かさぬ限り、退きはしまいよ」

「では、我らとしてはしばらくは様子見にございますね」

「|然《しか》り。……ああ、そういえば安南(ベトナム)の……何と言ったかの」

 人間の脳にはやはりキャパシティがあるらしい。

 興味の有無や必要性、緊急度に応じて、保存時間や再生までの時間が決まっているのだろうか。なかなか名前を思い出せない。

「後黎朝の鄧松ていしょうにございますか」

「ああ、交易を求めて数年前に使者を遣わしてきておったろう? あれは如何いかがあいなっておる?」

 確か……。

 そう言って発言したのは土井清良である。

「殿下より、国内が定まらぬうちは交易まかりならぬとの仰せでしたので、すぐには始めませんでした。然りながら簒奪さんだつの王朝たるばく朝を北へ追いやり、民心も安んじておりますので、公ではありませぬが、民同士の商いは許しております」

「ほう? では安南は完全に鄧松が統べておるのか?」

「いえ、莫朝は北へ逃れた後、明の助けをうけて高平(カオバン)にって、いまだに虎視眈々こしたんたんと狙っております」

「……うべな(なるほど)。では黎朝に使者を送り、正式に国交を開こうと伝えよ。阮朝は別だが、民の心を得ておらぬ簒奪の王朝を滅すのは、悪しき行いではあるまい」

「は」

 明も今はそれどころではない。

 宗主権を放棄した以上、援助をしても意味がなく、その余力もないのだ。

 八紘一宇はっこういちう、なるであろうか。




 次回予告 第858話 (仮)『鄧松と明黎国境・中原の争いやまず』

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