慶長八年七月十日(西暦1603年8月16日)
「これで、欧州での務めは全て終わったな」
テムズ川を下る御座船(遣欧艦隊旗艦)の甲板で、純正は小さくつぶやいた。
数か月に及んだ欧州歴訪の最後を飾るロンドンの街並みが、灰色の空の下でゆっくりと遠ざかる。
岸壁では、ロバート・セシルをはじめとするイングランドの重臣たちが見送りのために整列していた。儀礼的な挨拶は既に済ませて、今は互いに無言で離れていく船を見つめている。
純勝が隣に立ち、父と同じように陸地から目を離さずに言った。
「長かったようで、あっという間の数か月にございました。ポルトガルでの婚礼が、まるで昨日の出来事のようです」
「うむ。されど得たものは大きい。日葡蘭三国同盟の締結とフランスとの友好確認。そしてスペインとイングランドへの牽制。我らが望む形でおおよその決着を見た」
船が河口に近づくにつれて川幅は広がり、風が強くなる。
日本の蒸気船団が上げる黒煙は、風に流されて東へとたなびいた。
イングランドの船乗りたちが物珍しそうに、あるいは畏怖の念を込めて、鉄の巨船が静かに進む様を眺めている。欧州の海において、日本の船団はその存在だけで国威を示していた。
オランダとイギリスの関係は、基本的に良好であったが、純正の予言通り新大陸での権益をめぐって競争が激化している。
アフリカ以東に関してはまったく問題はない。
北海に出て、進路を南西に取る。
目指すは、大西洋を越えた先にある故国、日本である。長い船旅が再び始まった。帰路は、往路とは異なり、外交の緊張感から解放された安堵感が漂っている。
しかし、皇帝である純正の頭の中は、休むことなく次の一手を思考していた。
航海が安定軌道に入った数日後、純正は旗艦の作戦室に主だった者たちを集めた。皇太子の純勝、そして遠征に同行した戦略会議室の面々が顔を揃える。
鍋島直茂を筆頭に、古参の尾和谷弥三郎と佐志方庄兵衛、土居清良であった。
さらに勘兵衛の息子の長政も加わった。
父親の官兵衛は新参の5人一緒に日本に残っている。
広げられた世界地図を前に、純正は静かに口を開いた。
「これより、今回の欧州歴訪の総括を行う。得られた成果と情報を整理し、帝国の次なる針路を定めねばならぬ」
重臣たちの顔に緊張が走った。
欧州で成し遂げた外交的勝利に浮かれることなく、純正は既にもっと先を見据えている。その厳格な姿勢が、彼らの気も引き締めた。
「まず平十郎よ、こたびの欧州訪問をいかに見る? 加えてわが国は今後はいかにすべきか?」
純正の問いに純勝は居住まいを正した。
父であり皇帝である純正は、純勝の皇太子としての資質を試しているのである。
「はい、父上。こたびの歴訪は、我が国の力を欧州全土に明らかに示すまたとない機となりました。特にポルトガル、オランダとの三国同盟は、今後の世界の勢力の図を塗り替える礎となりましょう」
純勝はしばらく考えた後に、はっきりとした口調で答えた。
図らずも結婚によって結ばれたこの同盟は、単なる軍事や経済の連携に留まらない。文化や技術の交流をさらに深めて、互いの国力を高め合う関係を築くべきだと言ったのだ。
純勝はさらに地図上のポルトガルとオランダを指し示す。
「今後はこの強固なる同盟を軸として、欧州における我が国の威勢を安んじることこそ肝要にございましょう」
フランスとは友好を保ち、イングランドとは距離を置きつつ情報を得る。
そして力を失ったスペインが、新たな混乱の火種とならぬよう監視を続けるのだ。武力ではなく、経済と情報の力で欧州に関与していくことが、日本の進むべき道である。
淀みない返答であった。
皇太子として帝国の進むべき大局を的確に捉えている。純正は満足げにうなずいて、その視線を鍋島直茂に向けた。
「直茂、そなたの考えも聞こう」
鍋島直茂は深く一礼し、静かに口を開いた。
「殿下のお考え、誠にごもっともと存じます。されど、一点付け加えるべき儀があるとすれば、それは同盟に伴う務めにござりましょう」
同盟とは利益を分かち合い、安全保障面でも協力することである。
特にポルトガルはセバスティアンの急進的な改革に対する反乱分子がいないとも限らないのだ。
内政干渉すべきではないが、必要ならば支援を視野に入れなければならない。
老練な重臣の言葉に室内の空気が引き締まった。
直茂の指摘は、純勝が描いた大きな戦略に現実的な釘を刺すものであった。
尾和谷弥三郎や土居清良も、深くうなずいている。
「直茂の申す通りよ。同盟は諸刃の剣でもある。我らが欧州で得た最大の成果は、同時に最大の危うさともなり得る。ロンドンを出航する前、ポルトガルに置いた間者より知らせが上がっておった」
純正はそう切り出して、重臣たちの顔を見渡した。
「セバスティアン国王の改革に対し、旧来の権益を奪われた貴族や聖職者共の反発が、水面下で渦巻き始めておる。そして、その動きをハプスブルクの残党が煽っておる兆しがある、とな」
枢機卿が終身流刑となって一派が放逐されたとはいえ、信奉者がいなくなったわけではない。
今のところは国内政策が順調で国民生活も豊かなので問題はないが、きっかけさえあれば、急激に反乱に結びつく可能性は否定できないのである。
直接兵を送るような真似はポルトガルの誇りをいたずらに傷つけて、かえって事態を悪化させる愚策に過ぎない。
しかし、セバスティアン体制が揺らぐのを座して見過ごせば、血をもって結んだ三国同盟そのものが瓦解するのだ。
純正が導き出した答えであり帝国が取るべき方針は、ただ一つである。
それは決して表には出ずに影からの支援に徹することだ。
ポルトガル国内に張り巡らせた情報網を最大限に活用し、反乱の芽となる情報をいち早く、そして正確につかむ。その上で、得た知らせをセバスティアン国王自身に届け、対処はあくまで彼らの手で行わせるのだ。
黒田長政が鋭い目で問いかける。
「恐れながら。ネーデルラントのフレデリック殿には、この件をどこまでお伝えすべきにございましょうか」
「良い問いだ、長政。フレデリックには全てを伝える。彼はもはや家族であり、同盟の要じゃ。彼を通じてネーデルラント共和国にも知らせを共有させ、ポルトガルを孤立させぬよう、政道、経綸の両面から支えを行わせる。日蘭が側面からポルトガルを支える形が望ましい」
具体的な戦略が示され、重臣たちはそれぞれの役割を頭の中で描き始めた。欧州を離れた船上は、既に帝国の次なる政策を決める政庁と化していた。
■大日本帝国 首都 諫早
「何? バンテン王国の使者が来ていると?」
外務省アジア太平洋局第二課長の島津忠恒は、部下の報告を聞いて驚いた。
が、すぐに要件の予想はついた。
「よし、お通ししろ」
忠恒は居住まいを整えた。
バンテン王国との関係は、7年前の大使殺害事件を境に悪化している。講和条約を結んで和平はなったものの、バンテン王国の貿易赤字と財政の逼迫は国を傾けるに足る大問題であった。
やがて案内された使者が部屋に入ってくる。
年の頃は40前後、やつれた顔に深い憂いを宿した男であった。
かつてのバンテン王国の威勢は見る影もない。
「バンテン王国右宰相ラデン・マス・ユダ・プラタマと申します。この度は重要な要件があってお伺いしました」
通訳をまじえた挨拶の後、深々と頭を下げた。
「それがしは島津忠恒、アジア・太平洋生涯局の東南アジア課長を務めております。まずは長旅、ご苦労であった」
忠恒は丁寧に応じたが、内心では警戒を怠らなかった。
バンテン王国は16世紀から胡椒などの香辛料貿易で繁栄した港市国家である。
しかし日本が技術革新と領土拡張によって香辛料の自給が可能となって以降、その経済基盤は完全に崩壊していたのである。
「恐れ入ります。実は、我が王ムハンマド陛下より、貴国皇帝陛下へ緊急にお伝えしたき儀がございまして」
プラタマは震える手で懐から絹に包まれた書状を取り出した。
「そうですか。して、その内容は?」
「我が国は、もはや立ち行かぬ状況にございます。7年前の講和条約により賠償金の支払いを続けておりましたが、貿易収入の激減により、国庫は底を突きました」
使者の声は次第に震えを帯びてきた。
「民は飢え、商人は離散し、港には船影もまばらにございます。このままでは王国そのものが消滅してしまいます」
「それは気の毒なことじゃが……帰国の有り様は今にはじまった事ではございますまい。七年前、それがゆえに大使を弑する事件となったのでございましょう。いささか遅いのでは」
忠恒は表情を変えずに応じた。
オランダは東インド会社を設立していたが、日本国領内であり、しかもバンテンから購入してはいない。
「それは、その通りにございます。しかし……」
プラタマは言葉に詰まったが、確かに忠恒の言う通りである。
「我らが願いますのは、貴国の慈悲深きご配慮にございます。賠償金の減額、もしくは支払い猶予をお認めいただけませぬでしょうか」
「ふむ……。されどわが皇帝陛下のお慈悲によって分割での弁済を認めたのじゃ。|所課《しょか》(ふたん)を減らすために柵封をすすめたが、断ったと聞き及んでおります」
忠恒は顎に手を当てて考えた。バンテン王国の要求は理解できるが、十分に譲歩して、朝鮮や琉球のように冊封国になるように勧めてもいたのだ。
「それは……」
「いずれにしてもご使者どの。わが皇帝陛下は欧州へ訪問中である。戻るのは早くて半年後となるゆえ、それまで待たれるか、一度戻って貴国の考えまとめて再訪していただくより他はない」
「は……分かりました」
プラタマは失意のうちに帰国したのである。
次回予告 第921話 (仮)『帰路その2』

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