第429話 『壮大なる根回し』

 慶応四年(明治元年)三月十日(1868年4月2日) 弘前城

「大老院の解散、まことに公儀のなさる事はよう分からぬ。薩摩の考えで設けられ、互いの考えが合わぬとか、悪口雑言飛び交ったとか。それと此度こたびの来訪は関わりがあるのか?」

 雪解けの気配が漂う弘前城の一室。

 若き藩主・津軽承昭つぐあきらと家老の西館宇膳・山中兵部・杉山八兵衛らは、次郎を丁重に迎えた。

 蝦夷えぞ地警備の負担減と利権への恩義が、穏やかな雰囲気を作り出している。

 次郎は幕府による合議制『大老院』の破棄の真相を語り、その上で純顕が提唱する新構想を口にした。

「名を、『貴族院』と申します」
 
 藩の石高や家格を問わず全ての藩に等しく一票を与えるその内容は、承昭にとって衝撃的だった。

 宿敵・南部家と対等。その響きは、津軽家にとってあらがいがたい魅力を持っている。

「面白い事を考えられる」

 承昭はつぶやいた。

 次郎は大村藩の朝廷工作と前後して、幕府が同様に議院設置を提案するであろうと語る。

 しかしそれは結局、これまで同様外様とざまを抑え込むための道具に過ぎない、と説いたのだ。

「いずれ幕府より院発足との知らせがあり、味方せよとの沙汰が下るかと存じます」

 ただ、決断は迫らなかった。

「今はまだお決めになる時ではございません。れど、幕府の示す道だけが全てではない事。加えて薩長さっちょうが、いよいよとなれば戦を仕掛ける恐れがある事。この二つをお心に留め置いていただきたいのです」


 幕府か、大村か、あるいは――。


 ■三月十二日(4月4日) 盛岡城

「これはこれは蔵人くろうど殿、此度は何か良き知らせでもお持ちなのかな?」

 穏やかな表情で家老の楢山ならやま佐渡が次郎を迎えた。

「おう、それならばわしも楽しみじゃ。此度は何用じゃ?」

 南部利剛としひさも笑顔である。

 盛岡城の書院は静かな威厳に満ちていたが、弘前藩同様、奥州諸藩は警備減免と蝦夷地利権で大村藩とは友好的なのだ。

 そんな中、次郎は江戸の政変と大村藩の『貴族院』構想を丁寧に語った。

 全てを聞き終えた楢山が、思慮深く口を開く。

「なるほど『貴族院』にござるか。壮大にして、危うき考え。徳川三百年の秩序を、根底から変えるお考えですな」

 その口調にトゲはなく、純粋な政治家としての関心からであった。

「ご懸念はもっともにございます。然れどそれがしが望むのは、奥州の諸藩が一堂に会し、話し合う場を持つ事。津軽少将様も、この話には前向きでございました。しかして幕府はおそらく……命に従えと沙汰を出すでしょう」

「何ですと? 津軽が?」

 楢山の眉がピクリと動いた。

 幕府よりも津軽に、である。

「殿」

「うむ」

 津軽に先んじられるわけにはいかない。

 敵か味方かの話ではない。

 新たな時代の主導権争いが、既に始まっているのだ。その舞台から降りる選択肢は、南部家の誇りが許さなかった。


 ■三月十五日(4月7日) 仙台城

 奥羽で随一の石高を誇る伊達家の居城・仙台城。家老・但木土佐は、藩主・伊達慶邦よしくにと共に、次郎を城内に招き入れた。

 そのたたずまいには、大藩としての風格が漂う。

「蔵人殿、貴殿には借りがある」

 但木は穏やかに切り出した。

「先の遣欧けんおうの折、開成丸の儀においてはご迷惑をおかけ致した。渡欧ならず帰国したみぎり(際)は御家中に妬みそねみもあり申したが、今はあれで良かったと考えております。あのまま向かえば、大事になったやもしれませぬゆえ」

 現在仙台藩では三浦乾也を中心に海軍の再建が行われている。

「とんでもない事にございます。我が殿は常々、日本国の仲間同士、助け合うは当然と仰せにございます」

 次郎はそう応じ、本題に入った。

 江戸の政変、薩長が推し進める『大政奉還』という名の権力簒奪さんだつ計画、そして対抗策としての『貴族院』構想を、よどみなく語る。

 決して大村藩が実権を握って幕府の代わりに牛耳る話ではない。

「なるほど。すなわち御公儀の古い手立てでは、薩長の新しい手立てには勝てぬ。故に、大村家中の更に新しい手立てであらがう。我らにもその仲間となれと、そうおっしゃるわけですな」

 但木は静かに聞いていたが、やがて口を開いた。慶邦は黙って聞いている。

「然に候」

 次郎は率直に認めた。

「薩長が政権を握れば、待つのは幕府の解体。幕府が勝っても、待つのは古くさい世。然れど我らが『貴族院』で多数を制すれば、中将様(慶邦)のような名家が、その家格にふさわしい敬意と実利を得る新しい世を作れます。それがしは、そのためのお味方を集めに参りました」

 あまりに単刀直入な物言いに、但木は逆に興味を引かれた。

 ウソは言っていない。

 明治以降の華族制度は、相応の特権と敬意と実利があったのだ。

「面白い。然れど我らが御家中につく利は?」

「実利をお持ちしております」

 次郎は最新技術(日本国内では)の供与と、奥羽物流網の構想図を広げた。

「これは、味方となる御家中への、ほんの手付けにございます」

 但木と慶邦は顔を見合わせた。

 目の前の男は綺麗事きれいごとではなく、むき出しの利害で同盟を求めている。その方がよほど信用できると、このとき彼らは判断した。


「殿、ああは申しましたが」

「うむ」


 ■三月十九日(4月11日) 秋田 久保田城

 城内は再会を喜ぶ和やかな空気に満ちていた。

 藩主・佐竹義堯よしたかと家老・小野岡義礼よしひろは、旧知の間柄である次郎を心から歓迎したのである。

 次郎は単刀直入に切り出した。

「中将(義堯)様、此度は近く設けられるであろう新しき議院につき、お願いしたき儀がございましてまかり越しました」

 そう言って貴族院構想と説明し、幕府が行うであろう目論見もくろみを話したうえで、味方になるように説いたのである。

 味方とは言うが、別に純顕にも次郎にも政治的野心はない。

 ただ志を同じくして幕府の専横を防ぐためである。

「次郎殿、話は得心いたした。蝦夷地の一件、加えてこれまでの貴殿との縁を考えれば、我らがいずれにつくべきか、迷う余地はござらぬ」

 次郎が蔵人になる前からの付き合いであり、油田開発と蝦夷地の利権は重きをなした。

 小野岡は深くうなずき、藩主・義堯も力強く応じたのである。

「うむ。もはや公儀公儀と寄らば大樹ではない。大樹はかつての雄々しさを失っておるでな。丹後守殿が新しい世を作られるならば、この左近さこん(義堯)、喜んで味方いたそう」

「ありがたき幸せ!」

 次郎は深々と頭を下げた。

 そこに複雑な駆け引きは不要だった。これまでの信頼関係が、最も強い絆となっている。久保田藩は、迷いなく大村藩の「盟友」となったのである。


 以降、庄内・長岡・新発田・高田・松代と、日本海側と信州の各藩を訪問した次郎であったが、おおむね感触は良好であった。


 ■京都 岩倉邸

 屋敷の空気はいつになく重く、岩倉の表情には焦りと苦渋の色が浮かんでいる。

 数日前、徳川慶喜が御所に参内したのだ。

 完璧な臣下の礼をもって『大政委任』の再確認を取り付け、さらに『新たな政の仕組みを整える』と奏上した一件は、朝廷内に大きな衝撃を与えていた。

「……してやられましたな、丹後守殿(純顕)」

 岩倉は、忌々いまいましげに吐き捨てた。

「彼の者、ただの後見職やない。我らが動く前に、真秀まほなる(完璧な)形で先手を打ってきおった。お上もあそこまで恭順の意を示されては、無下にはできまへん」

 眼前に座る純顕の表情も、厳しかった。

「然に候。中納言様(慶喜)は、自らを『天子様の忠臣』とさだむ(位置づける)事で、我らや薩長を『秩序を乱す者』と為すでしょう。奏上した『新たな政』は、正に幕府を主とした議会の考え。このままでは、朝廷のお墨付きを得た幕府が率いる議会と成りますぞ」

 純顕は、懐から一枚の紙を取り出した。それは次郎が奥州へつ前に残していった、『貴族院』の構想案である。

「岩倉様。もはや一刻の猶予もございません。中納言様の考えが形を成す前に、我らの『貴族院』こそが真の『公議』であると、天子様にお認めいただかねばなりませぬ」

 ここで言う『公儀』は、もちろん幕府のことではない。

 新しい政体、議会制度であった。

 この頃から純正や次郎は、幕府を公儀ではなく、単に幕府と呼ぶようになる。

 元々の幕府の意味は、中国で出征中の将軍の陣が幕で覆われていたので、そう呼ばれていたのが転じたのだ。

 日本では近衛府の唐名を幕府と呼び、近衛大将の居館をそう呼んだことに始まる。

 時が下って鎌倉、室町、江戸時代の武家政権を幕府と呼んだが、幕府すなわち公儀(政権・政体)であった。


 岩倉は、深くため息をついた。

「そやけど、丹後守殿。今の朝廷でそれあたうやろか? 慶喜の奏上で、二条(斉敬)様や中川宮(久邇宮朝彦親王)様ら佐幕派は勢いづいとります。あの方らは、慶喜の奏上を『公儀の改心』と捉え、敢えて(積極的に)支えに回るやろう」

「然ればこそ、急がねばなりませぬ。岩倉様のお力で、天子様のご信任厚い中山(忠能)様や徳大寺(公純)様に、慶喜の策の欺瞞ぎまんを説いていただきたい」

 岩倉は、純顕の真意を探るように、じっと彼の目を見つめる。

「加えて、それがかたしであれば、奥の手がございます」

 純顕は、そこで一歩踏み込んだ提案をした。

 国事御用掛とは別に、新たな諮問機関を設けるものである。

 そこから『朝廷の推挙』の名目で、自分たちの息のかかった者を議員候補として帝に奏上させるのだ。

 岩倉の目に、初めて光が戻った。

 慶喜が作った土俵の上で戦うのではなく、全く別の土俵を作り出す。

 まさに逆転の発想だった。

 慶喜が『帝の忠臣』を気取る以上、帝ご自身の推挙を無下にはできないはずだ。

 そう思ったのである。

「おもろい。慶喜がお上の権を用いるんやったら、我らはその更に上を行く、ちゅうわけどすな」

 岩倉は、険しい表情の中に、かすかな笑みを浮かべる。

「岩倉様。急ぎ、三条(実美)様にもお声がけを。薩長の連中も、このままでは中納言様に全て持っていかれると焦っているはず。利害は同じとなりますぞ」

 慶喜の先制攻撃によって生まれた危機感が、皮肉にも、これまで交わらなかった者たちを結びつけようとしている。

 京の政局が、にわかに熱を帯び始めた瞬間だった。


 次回予告 第430話 (仮)『どんな手を使っても』

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