慶長四年十一月十二日(西暦1599年12月29日) 能登 七尾城
「何、書状じゃと?」
「は、岐阜の宰相武井十左衛門からそれがしへの書状にございます」
武井十左衛門は織田の重臣であったが、だとしても直接他家の当主に手紙は送れない。
そのため、同じ家臣である義隆(弟であるが、家臣)に送ってきたのである。
「ほう……あの、親子で織田家に使えてきたという男か? 確か当代は……それでも七十近かったな。まあよい、何と書いてあったのだ」
上杉戦において純正と義兄弟の契りをむすんだ畠山義慶も、すでに46歳となり円熟味を増していた。
二男三女に恵まれて息子二人も有能であるという。
「ただ今の有り様、如何様に思ひ座すか、とございました」
弟の義隆は兄を支えて領国経営にあたっていた有能な臣下だった。
しかし、いまいち十左衛門の書状の意味をくみ取れない。
「ただ今の有り様、とは、殿下の沙汰についてにございましょうか? 痛みを伴うものなれど、それが天下万民のためならば、これまでも殿下のお考えのもとに、この能州を治めてきたではありませんか」
「然なり(そうだ)」
2人で考えていたが、1つの結論にいたった。
「織田州といえば肥前州を除けば大国。その振る舞いは誰もが気にかけておりましょう。……もしや、謀反の兆しあり、にございましょうや? その上でそれがしに探りを入れて、兄上の考え確かめたのでは?」
書状には、前後に時候のあいさつや今後もよろしくといった文章が続いていたが、それ以外に核心にふれる内容はなかった。
「ふん、彼の者が中将様、いや、仮にそうだったとしても、当代になるであろう若者をそそのかしているのであろう。いずれにしても是非に及ばず。わが畠山は殿下と一心同体。適当に返事をしておけ」
「はっ」
■出羽 尾浦城
「これはまた、織田州からの書状であるか」
大宝寺義氏(49)は眉をひそめて書状を見つめていた。
大宝寺家は、肥前国と上杉の戦では港を提供して協力し、大日本国設立時にはいち早く加盟をした大名家である。
それ以前より肥前国の北海道交易に加わっており、そのおかげで繁栄の道を歩んできたのだ。
もともと義氏のワンマンに近かったため、規模は小さいながらも、畠山家と同様に肥前国化が他州より進んでいる。
「はい、武井十左衛門なる者からそれがしへの書状にございます」
家老の池田盛周(39)が答えた。
「して、何と書いてある?」
「『此度の殿下のご沙汰、如何にお考えでございましょうや。我ら織田家にとりましても、誠に悩ましき儀にて、皆様方のお考えを承りたく存じます。時勢は大きく変わろうとしており、皆様方のお考えひとつで、将来は大きく変わるものと存じます』とございます」
義氏は書状を置き、ふんっと鼻で笑う。
「何じゃこれは? これは明らかに、殿下のこたびの御沙汰の儀ではないか。皆様方の考えで大きく変わるとは、もしは謀反の気を探っておるのか? そうでなくとも、殿下の御政道に反する意有りや無しや? であろうか」
「然に候。いずれにもとれるかと存じます。しかも、いかに岐阜の宰相とはいえ、一介の家臣がかような書状を送るなど、ありえませぬ……いかがいたしますか?」
「知れたこと。お主も分かっていよう」
義氏が即答して盛周を見ると、彼はニコリとわらってうなずく。
「もし殿下に従わねば、われらは上杉に与せねばならなかった。然らばいかがあいなった? 上杉が大日本国に参ずるまで、われらは貧困にあえいでおったはずじゃ。考えとうもない」
「仰せの通りでございます」
「加えて、殿下の政策によって、我が領内は豊かになった。織田州がいかなる考えを持とうとも、我が大宝寺家は殿下と運命を共にする。『殿下のご政道に異議なし。大宝寺家は変わらず忠義を尽くす所存』とでも書いておけ」
「はっ」
■安房 久留里城
「殿、織田州からそれがしに書状が届いております」
里見義重(30)に筆頭家老の正木憲時(51)が報告した。
義重は後北条氏と死闘を繰り広げた里見義弘の嫡男で、義弘死亡後の家督争いを制して、里見家は大日本国に加盟していたのである。
「織田州から? はて、何の用であろうか」
憲時は持参した書状を読み上げ始めた。
「なるほど、殿下の御政道について、他の大名の考えを聞きたいということか。『皆様方のお考えひとつで将来は変わる』と書かれておる。これは明らかに、殿下へ抗う勢を募ろうとしているな」
「殿、我らはいかが致しましょう?」
「決まっておろう。我が里見家は、北条家との長年の争いで疲弊していた。それを救ってくださったのは殿下ではないか。殿下の御政道によって、我が安房の民は豊かになった。新しい港も建設され、交易も盛んになった」
確かに義弘の時代はかろうじて均衡を保ってはいた。
しかしジリ貧である。
このまま何もせずに北条と争っても里見家に勝機はなかったのだ。
「確かに、身の上を廃しすべての民に教育を施すのが我らの務めならば、武士にとって厳しい御政道やもしれぬ。されどそれが民のためになるなら、我らは甘んじて受け入れるべきだろう。戦になれば殿下にお味方するが、適当に返事を書いておけ」
「御意」
■相模 小田原城
「これは……織田州からの書状だな」
北条氏直は書状を手にしていた。
38歳の氏直は、父氏政の後を継いで北条家の当主となっていたが、その北条家は純正の差配により減封となり、州としては武蔵、相模、伊豆の3県のみである。
「はい、武井十左衛門からの書状でございます」
家老の板部岡江雪斎が答えた。
「ふむ……江雪斎よ、聞くが、仮に北条一力では無理であるが、他州皆まとまって当たれば、万に一つも我らに勝ち目はなかろうか」
「……難しかと存じます。それも極めて難しかと。加えて他州すべてが抗うとも思えませぬ」
江雪斎の分析は的確であった。
圧倒的に勝る肥前国の軍事力に対して、味方がまとまらなければ勝てるはずがないのである。
「政繁よ、率直に聞く。殿下の御政道を受け入れれば、我が北条家はいかがなる?」
重臣の1人である大道寺政繁は答える。
北条家を内政面・軍事面と支えてきた男だ。
「有り体に(正直に)に申し上げます。家中としての力は間違いなく衰えましょう」
「やはりそうか。されど殿下に弓引けば、こたびは間違いなく改易ぞ」
「然に候(そうです)。さりとて(そうは言っても)、ただ今は北関東の佐竹や結城は肥前国なれば致し方ございませぬが、近ごろは上総安房の里見にも商いにおいて先んじされておるのが実情。このままでは北条は、里見や佐竹の下風に立たねばならなくなるのも真にございます」
産業発展の度合いは当然肥前国内である北関東が進んでいる。里見家は知行地制ながらも、北条領よりは発展していたのだ。
特に太平洋周りで北海道との交易を行う航路ができてからは、如実に変化が現れている。
「されど我らは小佐々に敗れた」
「然に候。されどそれは船戦の話にございましょう。陸の兵も同じように強いでしょうか。抗う勢を集め、勝てたならば再び関東の覇者となりえますぞ」
「あい分かった。されどよくよく考えねばならん。適当に返事を書いておくのだ。ことの成り行きをしかと見極めねばならんからの」
「はっ」
氏政は敵対に心動きつつも、慎重に状況を見極めようと決めたのであった。
■甲斐 躑躅ヶ崎館
「織田州からの書状か」
武田信勝(33)は書状を見つめていった。
父勝頼から家督を継いで武田家の当主となっていたが、まだその影響力は完全ではなかった。
「はい、それがし宛に武井十左衛門殿からの書状でございます」
武藤喜兵衛(53)がそう答え、曽根虎盛が横に控えている。
「返事はいかがいたしましょうか」
「知れたこと。お主に文を送ればわしに伝わるとは承知しておろう。然れどかような書状を家臣が寄越すなど、織田州は一体いいかがしたのだ。少将殿が逝去され、中将殿も病と聞く。大いに乱れておると考えてよかろう」
「恐らくは中将様のお考えではありますまい。当代のお考えでもないと存じます」
喜兵衛が答えると虎盛も補足する。
「然様、おそらくは武井殿の考えにて、軽々に動いてはなりませぬ」
「わしの考えは決まっておる。祖父上が認め、父上が当世随一の傑物と評した殿下に、わしごときが敵うはずもない。確かに……」
信勝は続けた。
「家中の反乱を防ぐために予算の流用はした。その儀について責められるならば、罪を負おう。悪しきことだとわかっていても、肥前州のようには変われなかったが、ここいらで代わらねばならん」
武田州は、金山の採掘をはじめ臭水の採掘や天蚕などの産業育成で、純正のテコ入れもあったのだ。
「是非におよばず、ともで書いておけ」
「ははっ」
■三河 岡崎城
「これはまた大胆不敵であるな」
徳川家康は書状を手にしていた。
「はい、武井十左衛門からそれがしに届いた書状でございます」
本多正信が答えた。
「『殿下のご政道、理想的ではございますが、現実的な困難が多々ございます。我ら織田家も、家臣団の強い反発に苦慮しており、単独では対処しきれません。大名の皆様方と連携し、殿下に政策の見直しをお願いしたく存じます』……殿下の宣言にもかかわらず見直しとはな」
「いかがなさいますか」
「正信よ、考えずとも答えは決まっておろう。殿下の肥前国は確かに強い。われらだけでは到底太刀打ちできまい。然れどすべての州が反目いたさば、いかがなる? 中将殿とは長き付き合い。これが真の織田の総意ならば、織田に与しよう。真に織田の総意なればな」
「はっ」
■近江 小谷城
「織田州からの書状か」
浅井長政(55)は書状を見つめていた。
「はい、織田家家老の、武井十左衛門からの書状でございます」
弟の浅井政元(52)が答えた。
「要するに、このままでは大名家がなくなる、その前に皆で合力して抗おうと言うのだな?」
「そのようです」
「確かに、殿下の御政道は性急すぎる。この二十年で馬が馬車となり汽車となり、道が固く整えられ、文を通わす時も短くなった。真に便の良い世になった。されど、分をもってそれぞれの生業となさねば、どこの馬の骨ともわからぬ者の下風に、わが浅井の家が立たねばならぬとも限らん」
「兄上、このまま従えば、浅井家の先はありません。他州も恐らく同じ考えです。皆で合力すれば、殿下も考え直されるはずです」
「うむ……されど熟慮に熟慮を重ねねばならん。真の織田の、義兄上の考えを……聞きにまいろう」
「手配いたします」
■越後 春日山城
「申し上げます」
「なんじゃ」
「織田州の武井十左衛門どのから、それがしに書状が届きましてございます」
筆頭家老直江兼続(40)からの知らせに眉間にシワをよせながら、上杉景勝(44)は正対している。
「何と書いてあったのだ」
「は、殿下の御政道についての考えを聞かせてほしいとの由にございました」
「ほう。兼続よ、お主はいかが思う?」
「御実城様、先の御実城様ですら、殿下には勝てませんでした。我らに殿下と戦って勝てる筋があるとお思いですか?」
兼続の言葉に、景勝は深く頷いた。
「然り。加えて我が上杉家は、殿下のお陰で越後の支配を安んずることができた。もし大日本国に加わらねば、民は飢え、越後は無法の地となっていたであろう」
景勝は続けた。
「予算の流用の責は負わねばならん。加えて殿下の御政道は古きを良しとする者にとっては相容れぬものであろう。されど、痛みがなければ何も生まれぬのもまた真なり。兼続よ、お主が考えて適当に書いて送っておけ」
「承知いたしました」
再び戦乱の世となるのであろうか。
次回予告 第882話 『信長の病状』

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