慶長四年七月二十八日(西暦1599年9月17日) 諫早城・純正私室
「申し訳ありません、フレデリック殿下。本日の電信施設見学は急きょ延期とさせていただきたく」
純正は朝食後にフレデリックを私室に呼び、予定の変更を告げた。昨夜、一晩中考え抜いた末の決断である。
「構いません。何か急用でも?」
フレデリックは特に気にせずに答えるが、純正の発言を予測していた感があった。
自分のほかにも転生者が存在し、別の勢力を作り上げている。
転生したばかりの頃に考えたこと。
それは現状の把握と、今後どうするかだ。
昨日純正はフレデリックと面会し、一晩かけて結論に至ったのである。
「いえ、急用ではないのですが……」
純正は少し言葉を濁した。部屋には2人だけ。側近たちも退室させている。
「実は、あなたと2人だけで、じっくりと話をしたいと思いまして」
フレデリックの表情がわずかに変わった。
昨日までの外交的な笑顔から、より真剣なまなざしに変わったのである。
「私も同意見ですね。公式の会談では話せない内容があまりにも多すぎます」
2人は向かい合って座った。テーブルの上には茶と菓子が用意されているが、どちらも手をつけようとしない。
「フレデリック殿、単刀直入に伺います」
純正は深呼吸して、決意を固めた。
「あなたは……いつから、この時代にいらっしゃるのですか?」
その言葉に、フレデリックは目を大きく見開いた。しばらくの沈黙の後、彼は静かに答える。
「1589年……私が5歳のときです。ある日突然、前世の記憶がよみがえりました」
「前世の記憶……」
純正は息をのんだ。やはり、自分と同じだったのだ。
「私は1561年、12歳のときです。事故で……」
「私も事故でした」
フレデリックはうなずいた。
「心臓発作です。2025年、51歳でした。仕事は駐オランダ日本大使です。執務室で倒れて、気がついたらオラニエ公の次男でした」
「私は2023年の50歳のとき。家電メーカーの営業本部長で、実家に帰省中に事故に遭ったんです」
2人はお互いを見つめ合った。
お互いが転生者だと確信していたが、ここでまさに同じ境遇の人間を見つけたのだ。
|安堵《あんど》と、それでもまだ残る警戒心が入り混じった複雑な感情が、空気を重くしている。
「あなたの場合、記憶が戻ったのは1589年ですね?」
「そうです。それ以降の急速なオランダの技術革新は、全て私たちがやってきました」
フレデリックは率直に認めた。
「私たちというのは?」
「108名です」
「108名? それは事実ですか? 本当に、本当にあなたと同じ転生者が……」
純正はバカな質問をしていると分かっている。
分かっていても、もう一度聞いたのだ。
108名と聞いてはいた。
だからこそ、即決で協力体制を願い出たのだ。
しかし、改めて聞いても信じがたい。
だが、蒸気船に乗ってオランダから日本まで来たのだ。そうとしか結論を出せない。
「はい。さまざまな分野の専門家が、1589年前後に転生してきました。医師、技術者、学者、軍人……現代の知識を持つ者たちが集まったのです」
「……ふう。それなら、私の38年の成果に10年で追いついてきたのも納得がいく」
「私たちも最初は混乱しました。しかし、徐々に仲間を見つけ、協力しながら活動し始めたのです」
フレデリックは少し緊張した面持ちで続けた。
「あなたは……お1人で?」
「ええ、1人です。38年間、ずっと」
今度はフレデリックが驚く番だった。
「1人で、これほどまでに……」
「必死でした」
純正は苦笑いを浮かべた。
もちろん、厳密には1人ではない。
父親も転生者であったし、多くの有能な戦国武将や官吏が純正を支えてきた。
「生き残るためには、何でもやらなければならなかった」
純正はポルトガルとの交換留学や大学の設立、教育制度の充実や富国強兵のための資源開発(商品開発)、陸海軍兵学校や軍備の拡充や技術革新等々を話したのである。
フレデリックは感嘆の表情を浮かべた。
「それは……想像を絶します。私たちには各分野の専門家がいましたから、分担して進められました。しかし、あなたは全てを……」
「その代わり、時間はありました」
純正は立ち上がり、窓の外を見る。
38年の苦労の結晶が民の幸せとして表れ、繁栄を謳歌している事実がそこにはあった。
「38年間、一貫したビジョンで国を導けました。あなた方のように急速ではありませんが、着実に力を蓄えてきたんです」
2人の間には奇妙な敬意が生まれていた。それぞれ異なるアプローチで、同様の成果を上げてきた結果への相互理解である。
「ところで」
フレデリックが口調を変えた。
「あなたも前世の歴史を覚えていらっしゃるなら、今後何が起こるかも……」
「ええ、ある程度は。特にオレは歴史オタクだったので」
純正は小さく笑う。
「しかし、すでに歴史は大きく変わっています。オレたちの影響で」
フレデリックもあわせて、『オレ』と言って笑顔を見せた。
「オランダの独立は本来1648年のはずでした。しかし、50年以上早く実現している」
純正は再び席に着いてフレデリックに尋ねる。
「では、今後の世界をどうお考えですか? このまま行けば……いや、もうこの際、タメ口でいきませんか?」
「そうですね……いや、そうだな」
「今後の世界はどうなる?」
と純正。
「混乱は避けられないだろうな」
フレデリックは真剣な表情で答え、続ける。
「スペインの凋落、あんたの国の台頭とポルトガルの隆盛。そんでオレらの急成長。歴史上の勢力バランスが完全に崩れている」
「そして、それに対応できない『普通の』為政者たちが混乱する」
苦々しく言って、さらに純正は続ける。
「セバスティアン1世は優秀だけど、それでも16世紀の人だ。限界があるんじゃないか? 21世紀的な発想はできないだろう?」
「……残念ながら、カトリックとプロテスタントの親和政策がやっとだ。それ以外は無理。いわゆるキリスト教圏以外は異教だしね。そもそも、黒人やオレたち……いや、今のオレは白人だけど、中身は日本人だからね。有色人種に対しては、差別意識が根強いんじゃないか?」
フレデリックは深くため息をついた。
「だろうね。この時代の価値観からすれば、オレたちの考えは異端以外の何物でもない。技術もそうだけど、思想が一番面倒くさいな」
純正はそう言って、目の前の茶わんに手を伸ばし、冷めた茶を一口飲んだ。
「オレたちの国が、比較的スムーズに、少なくともオレの理想に近い形で統治できているのは、オレが絶対的な権力者だからだよ。トップダウンで価値観を植え付けて、反論するやつを抑え込める」
皮肉とも自嘲とも取れる響きが純正の声には含まれていた。
確かに純正は民主主義的に合議制を敷いてはいるが、結局は多数決ではなく、純正が決定を下しているのである。
ある意味これは、歴史上の名君と呼ばれた人が、広く意見を聞いて判断を下した経緯に近いかもしれない。
民主主義の土壌は形成されつつはあるが、身分制度はいまだに根強く残っており、38年かけても21世紀と同じ社会にはできなかったのだ。
いや、これは当然だろう。
ベストではないが、ベターな政治形態なのだ。
「でも、オランダは違う。議会や都市の権力が強いだろう? それに宗教問題も根深い。全員が同じ考えで動けるわけじゃないだろ?」
純正の発言にフレデリックは苦笑する。
「そのとおり。理想を掲げても、現実は一筋縄ではいかない。特に、宗教勢力や保守派は、オレたちの急進的なやり方を警戒している。技術はまだしも、社会改革や価値観の変革には猛反発だ。だから、表向きはマウリッツ兄上の功績として進めている部分も多い」
「なるほど……まあ、いろいろと面倒くせえなあ。でも、それが現実だよ。オレも38年かけてようやくここまで来た」
純正は肩をすくめた。
「あんたはすげえよ。1人でよくやったと思う」
フレデリックは感心して言った。
「で、本題なんだが……今後どうする?」
「前にも言ったが、協力するの一択だろう」
純正は即答した。
「108人 vs 1人じゃ、いずれオレが追い抜かれる。なら、一緒にやった方がいい」
すばらしく開けっぴろげだ。
フレデリックを信用しているのか、それとも、うそをついたところで結果は変わらない、それならば全てを吐露したほうがいいと考えたのだろうか。
「うーん。確かに。でもまあ、持てる国と持たざる国だぞ。持てる国はあんたの国、持たざるはオレの国だ。資源がない。鉄ひとつとっても、輸入に頼らなくちゃいけない。だから、あんたの考えには同感だけど、条件がある」
「……軍事技術の共有は慎重に、だろ?」
「そうだ。でも、それもそうだが、もっと大きな問題がある」
フレデリックはそう言って身を乗り出した。
「他国の反応だ。ポルトガル、スペイン、イングランド、フランス……」
「ああ、それは確かに。急にオレが、いや肥前国がオランダと接近したら、警戒されるな。特にポルトガルに……」
純正は考え込んだ。
「そうだ。だからこそ、オープンな枠組みが必要なんだよ」
フレデリックの目が光った。
「『世界技術協力機構』みたいな、名前は何でもいいんだけど、そういうもんを作って、参加国を広く募る」
「なるほど……それなら警戒心も薄れるか。最初は肥前国、オランダ、ポルトガルの三国から始めるのはどうだ? 本部はそうだな……地理的にはインドがいいだろう。チャウルはどうだ?」
「チャウル? どこだそれ? めちゃくちゃマイナーだな。知らんぞ」
「あ、うん……」
21世紀からの転生人・フレデリックへの質問の中で、インドの帝国と言えばムガル帝国を思い出すかもしれない。
史実では当時、北部にはムガル帝国、南部にはヴィジャヤナガル王国があった。
そして中部には、アフマドナガル王国・ビジャープル王国・ベラール王国・ゴールコンダ王国・ビーダル王国があったのである。
ヴィジャヤナガル王国は、1565年にデカン高原の5王国連合軍とのターリコータの戦いで敗れる。その後は衰退の一途をたどっていくのだ。
しかし、今世では純正が肩入れしている。
積極的な軍事支援はしないが、ポルトガルが支援するムガル帝国との間で均衡がとれていたのだ。
それぞれの支援を受けたムガル帝国とヴィジャヤナガル王国は、今ではデカン高原の5王国を圧迫している。
候補地のチャウルはムンバイの南にあり、政治的な混乱が続く中、肥前国が入植していたところであった。しかし、完全に統治しているわけではない。
「あー、なるほどね」
「距離を考えるとアラビアかアフリカ東岸もあるんだが、治安維持を考えたらチャウルがいいかなと思う」
「OK! じゃあ、それでいこうか」
フレデリックの返事に純正はうなずいた。
「医学、農業、通信技術あたりから始めて、軍事技術は一切扱わない」
「うん、それでいこう」
「長い道のりになりそうだが、面白くなりそうだ」
2人は固く握手を交わした。
次回予告 第876話 (仮)『技術の真実』

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