元亀元年 十一月二十二日 伊予 湯築城
戦国時代初、関係各国の代表、いわゆる首脳が集まる会談が伊予の湯殿城で開催された。甲相駿三国同盟でも3人である。10人はまずないだろう。
どこで開催するか迷った純正であったが、諫早城はさすがに遠すぎるし、かといって小海城山城や来島城では手狭である。そこで中間地点となる伊予での開催を決めたのだ。
もし、毎年開催するようになったら、持ち回りで開催地を変えるようになるかもしれない。
ともあれ、播磨や備前、備中の大名が海路で讃岐に渡っても、伊予の仏殿城経由で小佐々の文化を感じながら湯殿城へ行ける。
毛利に関しても芸予の島々を経由しての伊予なので、同様である。
伊予は小佐々に服属してから一年あまりになる。そのため土佐と同じくらいに、小佐々の文化度が浸透している。
やはりこの差はいかんともしがたいものなのだ。
①肥前(これはお膝元なので当たり前)。
②筑前、筑後、北肥後(会談と服属希望により麾下へ)。
③豊前、豊後(大友戦以降に仕置き)、種子島。ただし豊後は若干発展している。
④土佐、伊予中部ならびに東部(予土戦役前半)。
⑤南肥後、日向、薩摩、大隅。
⑥伊予喜多郡、宇和郡(伊予西部、南部)。
⑦讃岐、阿波。
図らずも南九州では種子島地域が一番発展している事になる。
肥前や西九州、壱岐対馬や五島の船は、南回り航路なら薩摩の坊津に寄港するより、種子島の赤尾木の湊を通った方が楽だからだ。
それに種子島氏は一昨年の永禄十一年の十一月に、いち早く小佐々と四分六の同盟を結び、その後服属している。
時尭の治める(形式上)熊毛郡(種子島)と馭謨郡(ごむ郡・屋久島)は領土として考えれば、決して広くはない。
しかしトカラ列島とあわせて、南国の情緒が味わえるとして、肥前の富裕層の旅行地として人気なのだ。琉球王国とは領土条約があり、紛争の類いはない。
また、朱印状、いわゆる現在のパスポートのようなものだが、それを持っていれば琉球への渡航も可能である。
しかし純正の中では、明がこのまま琉球を放っておくか? という一抹の不安があった。明に服属し冊封を受けているとは言え、南蛮船の来航もあり、小佐々との貿易で栄えている。
武器弾薬の輸出に関しては純正も慎重だったが、同盟国である琉球が明との間で外交的、経済的、そして軍事的圧力を受けるようであってはならない。
明の滅亡までは74年あるが、歴史がどう動くかわからない。
純正が上座に座り、右手に大友宗麟、河野通宣、三好存保(十河存保・阿波三好の家督を相続、十河家は弟存之が相続)、宇喜多直家に別所長治が座っている。
その先は尼子勝久と山名祐豊だ。
尼子勝久が17歳、三好存保が16歳、別所長治が13歳だ。後見役が後ろに控えているが、そのほかの大名も補佐役が後ろに控えていた。
左手には毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、三村元親、浦上宗景、赤松義祐、山名豊国の順に並んでいる。小佐々陣営の大名はオブザーバーだ。
その他にも、小寺政職や中小の国人もオブザーバーとして何人か参加している。小寺政職の後ろには、20代半ばの青年がいた。
眼光鋭く精悍な外見に、純正はもしや? と思った。
「近衛中将にござる。こたびは忙しい中お越し下さり、感謝いたす」
毛利とは服属よりの同盟とは言え、表向きは同盟である。
そして他の山陽、山陰の面々は未だ服属の返事をもらっていない。書状でその旨を送っていたが、宇喜多以外は、まだ明確な返事がないのだ。
純正の挨拶が終わると、各大名が次々に挨拶をする。
小佐々側の大名は対面を向き、その他は純正を向いて挨拶をした。席次は一応石高の順にならべたが、敵対勢力は対面で座らせた。
「さあさ、まずは腹が減ってはなんとやら、と申します。特製の軽食を用意しましたので、どうぞ召し上がってください」
玉レタスはまだ先だが、レタス自体は日本にあった。
それに魚肉、シーチキンと、キャベツ。本当はトマトにレタスが良かったが、夏。そして今は冬だ。代用だが、うまい。そしてマヨネーズにバター、目玉焼きを加えている。
純正をはじめ小佐々陣営の面々が美味しそうに食べるのをみて、恐る恐る食べ始まる。顔を見れば満足しているのがわかる。
ひとまず掴みはOKだ。純正はそう思った。
宗麟「(小声で)それがしは『そうせじ』や『ういんな』、それから『べいこん』が好きでござるが、入ってないのですな」
純正「(小声で)いやあ考えたけど、いきなりは劇薬でしょ? 肉食はまだまだ広まってないし。だから、『しいちきん』なのさ」
皆が舌鼓を打ちながら談笑し、笑顔が全員に見られるようになってから、皿が下げられ飲み物が出るのを待って発言した。
「では皆様、場もなごんで来たことですし、こたびの会談の議題をお伝えします」
全員が純正を見る。そのまなざしは様々だ。
別所長治や三好存保、尼子勝久などは純正より年下である。羨望のまなざしと、純正がどういう人間なのか、興味津々という訳だ。
吉川元春は、まだ不機嫌なのか無表情だ。尼子勝久は自分が大名と同じ席につけた事が嬉しいらしい。目が輝いている。
「まずは瀬戸内、山陰、山陽の静謐を求めるため、これにつきまする。それがしは戦は好きませぬ。それゆえ争いがなく、みなが平和に暮らせる世をと、これまでやって参りました」
純正が全員を見回しながら、続ける。
「よもやこの中に、おのが欲のために戦をしかけ、領土を拡げ私利私欲を貪らんとする方はおられぬと存ずるが、いかに?」
会議室全体が静まりかえった。波乱の、幕開けである。
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