第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

 弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま

 幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。

 以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オランダに積極的に輸出するのだが、積極的に輸入も行う。

 石炭は燃料としての需要はまだ先かもしれないが、先行して池島や松島の炭鉱も開発を進めた。すでに佐賀藩は高島で炭鉱の開発をしているので、さきに唾をつけておこうという魂胆である。

 考えられ得る商品開発を全て行い、国内需要はもとより、海外の需要に応えるようにした。

 また、佐賀藩や福岡藩の機先を制して、大々的にオランダの文物を輸入したのだ。それをなし得たのは長崎奉行と昵懇じっこんであり、会所(貿易管理局)の調役(長官)である高島家と連携していたからに他ならない。

 したがって大村藩が優位に立つのは目に見えていたのだ。

 その最たるものが、軍艦である。

 帆船ではない。蒸気船である。蒸気船を購入しようと試みたのだ。1から造るより模倣した方が早い。安政五年(1858年)に佐賀藩が購入した電流丸が10万$である。

 安政五年のレートで75,575両だ。弘化三年のレートでは71,839両となる。いずれにしても高炉5基と反射炉4基の合計額とほぼ同じ超高額の購入品である。




 ……が、これは頓挫した。
 
 幕府からの禁制品として、軍艦と大砲があったのだ。幕府にとってみれば、長崎を含めた沿岸部の防衛は重要だが、西国諸藩に力をつけさせたくはないのだろう。

 なんとも中途半端である。軍艦と大砲の購入を幕府の専有事項としたのだ。

 それでは、と次郎が技師の招聘しょうへいに乗り換えたのは言うまでもない。造船所、造船、各種欧米ですでに開発している・・・・・・・・・技術における技師を可能な限り招聘しようと試みた。




 ■医学方

「一之進、殿は、殿はダメなのか?」

 次郎は大村彦次郎あき朝から聞いてすぐ、医学方の一之進の下へ行き、純顕の体質と現状について質問した。

「ちょ、ちょっと……落ち着け、落ち着け次郎」

「御家老様、いかがなされたのですか?」

 新薬の開発について話をしていた長与俊達と一之進が、次郎の様子に驚いて応えた。

「これが落ち着いていられるか! 藩を二分する騒動になるやもしれんのだぞ! 殿は隠居せねばならぬほどお加減が悪いのか? もともと壮健ではないお方ではあったが、それでも隠居など」

「殿が隠居? そのような話、誰が言うておるのだ?」

「さよう、それがしも長年さじ医として仕えておりますが、今、隠居せねばならぬほどの病、その兆しはありませぬ」

 一之進も俊達も、何のことかさっぱりわからない。

「その……あれだ。藩の一部の者が、殿は宿疾しゅくしつがあって国難に処するには厳しい、よって家督を弟君に譲るべきだと申しておるのだ」

 ……。

 ……。

「はあ? あははははは! 馬鹿げたことを! このようなことを申しては不敬にあたるが、万が一の時、いかにするかを論ずるのは必要な事だ。されど今、家督云々うんぬんの話など笑止千万。俺と俊達先生をして障りはないと申しておるのに、いったい誰が異を唱えるというのだ?」

 一之進はすごい自信である。

 俊達は一之進が自分を同列に言ってくれた事がうれしいらしく、にんまりとしている。

「それは……されどお加減が悪いと聞いたぞ。その……宿疾とは……持病か?」

 次郎はまだ半信半疑だ。

「まったく。今のは一過性のものだ。快方に向かっている。次郎、お主だって風邪のひとつくらい引いた事はあるだろう?」

「まあ、あるけど……」

「そうだ。……俺は直接は知らんが、信之介から聞いた。中学の同級生に、岩永、岩永ともかず……だったか? いただろう?」

 一之進は次郎の首に手を回し、俊達に聞こえないように二人して背を向けて聞く。

「お、おう。いたな」

「そいつは体育も休みがちで、運動会はいつも保健室にいたんじゃないのか?」

「……ああ! いたいた。そうだそうだ」

「簡単に言えばそいつと同じだ。身体虚弱だよ。みんな病弱と身体虚弱を一緒だと思っているが違う。病弱は病気によって体が弱っている状態。身体虚弱は、体が弱いから病気にかかりやすい、というものだ」

「ふーん」

「殿はその身体虚弱で、病気にかかりやすいという事だ」

「なーんだ。じゃあ何の問題もないんじゃないか」

「いや、100パーそうだともいいきれんのだ」

「何だよ! どっちなんだよ!」

 一之進は次郎と一緒に俊達の方を向く。

「俊達先生、殿の宿疾はなんでござろう?」

「先生、いまさら何を。『哮喘こうぜん』ではありませぬか」

「哮喘?」

「そう、要するに気管支ぜんそくだ」

「和蘭ではそう呼ぶのでしたね」

「ステロイドを吸入するのが一般的な治療法だが、アドレナリンやエフェドリンも効果がある。しかし三つともまだ開発されていない。そのため漢方に頼るしかない。先生……」

「麻黄ですな」

 漢方では麻黄は喘息の薬と知られている。

「その麻黄からエフェドリンが単離されるんだが、(今から40年後の話なんだよ!)今はまだだ」

「じゃあ作ってくれ」

「簡単に言うなよ。コカインの単離だってまだ……」




 行ってしまった。

 抗炎症剤にしても対症療法なのだ。根治ではない。一之進は新薬開発のリストに入れたが、時間はかかりそうだ。それまでは食事療法や環境改善に頼るほかはない。




 ■某所

「さて、お主が針尾九左衛門殿か」

 次郎は九左衛門を捜し出し、呼び出してその真意を問おうとしている。

「左様にございます。御家老様こそ、いったいいかなる御用向きにございますか」

 一呼吸置き、次郎は本題に入った。家老である大村彦次郎顕朝の義兄であるが、父である針尾熊之承政納は、城代兼旗本番頭備方、兼旗奉行である。

 家督も継いでおらず、年齢も家格も下である。

「聞けばお主は、殿の当主としての進退に物申しておるそうではないか」

「いかにも仰せの通りにございます」

 悪びれているようなそぶりは全くない。

 それに対して次郎も、怒る訳でもなく、発言の是非を問うこともしない。内容については、状況によっては吟味が必要だが、全否定する事もない。

 頭ごなしに声を荒らげては、主君である純顕が掲げた言路洞開に反するからである。

「はじめに申し上げておきますが、義弟の彦次郎殿も御家老様も、心得違いをなさっておいでです」

「なに?」

「それがし、間違った事は申しておりませぬし、殿への忠義の心は揺るいだ事はございませぬ」

「何を申すか。その方は殿より弟君の修理様(大村純ひろ)が当主としてふさわしいと言ったのであろう?」

「申し上げました。されど、それはそれ、これはこれにございます。殿への忠心は揺るぎませぬが、されど病弱であるよりも壮健である方が望ましいのは誠にて、それをそのまま申し上げただけの事」

 ややこしい! それならばそうと、最初に断っておくべきではないか! ……いや待て、もし今、そのような事態・・・・・・・になったらどうするつもりなのだ?

 殿の御嫡男である甲吉郎様(後の武純)が、普通なら家督を相続するべきである。しかし、産まれて間もない。まだ数えで二歳で、ついこの間立って歩き始めたばかりなのだ。

 弘化二年生まれである。

 国難に対し、果敢に処するためには、幼君より英邁えいまいの誉れ高い弟君を養嗣子として迎え、跡継ぎとするのではないか?

 怪しい、怪しすぎるぞ……。

 次郎はそう思った。

 事実、史実では三十七士同盟という名で藩論を勤王倒幕へと導くグループの、盟主となる人物なのだ。次郎はそれを知っているのでなおさら危険視した。

「さようか。あい分かった。されど、いらぬ嫌疑のかからぬようにせねば、彦次郎殿も心労が絶えぬぞ」

「はは。心に留め置きまする」

「時に九左衛門殿。弟君の修理様の事をいかに考える」

「は。誠に英邁なお方と存じまする」

「左様か」

「は……」

 ……。




 ■小銃製造方

 大砲鋳造方では36lbポンド砲が4門完成していた。

 前装型における紙薬莢やっきょうの成功を受けて、後装式の小型銃(拳銃)の製作を開始。

 ①弾を込めるために尾栓を後方へ引く。(この時点ではまだ薬室は開放されず、装填そうてんできない)

 ②右側にあるレバーを手前方向から下方向へ押す。銃の内部の薬室と連動しており、回転して装填口が開く。

 ③装填し、レバーを手前に引いて下に戻す。その後、尾栓を押し込む。尾栓はコッキングインジケーター(出ていれば発射できず、押し込まれていれば発射可能)の役割を果たす。

 試射を行い、良好だったために、同じ構造の小銃を製造するも、威力不足が露呈。その原因は構造上薬室を長くできないために、弾丸のサイズが限定される事と判明。




 ■招聘オランダ教官

 ヘルハルト・ペルス・ライケン(海軍)……航海術・測量術・操艦術・砲術他
 ヘンドリック・ハルデス(海軍機関士官)他37名……蒸気機関・造船・造船所他




 次回 第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』

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