第556話 純正、婦負郡南部、新川郡南西部を服属させる

 天正元年(元亀三年・1572) 四月五日 京都 大使館

 

 発 敦賀信号所 宛 権中納言 複 治部少丞

 秘メ 敦賀ニテ 数多ノ 兵船 アリ 帆ノ 紋二ヨリ 奈佐 毛利 小早川 村上 他 山陰 山陽ノ 船手衆 ト 認ム 秘メ

 発 権中納言 宛 敦賀信号所

 秘メ 異変二非ズ 我ノ命二ヨリ 敦賀二寄港シケリ 船手衆ナリ 以後モ 異変 アレバ 伝ヘヨ 秘メ

 

 発 東野山城信号所 宛 権中納言

 秘メ 謙信 越中 増山城着 庄川ヲ 挟ミテ 道雪殿 布陣 ○四○一 秘メ ○四○四

 

 発 第二師団 宛 権中納言

 秘メ 我 飛騨 吉城郡 塩屋村 着到 明日ヨリ 北上シ 城生城 目指す ○四○二 秘メ ○四○四 経由 郡山八幡城

 

「良し。だいぶ遅れてしまったが、なんとか間に合いそうだ。津留(湊の経済封鎖)をしても上杉の船手もおろうしな。第四艦隊だけで完全に封じる事は出来ぬゆえ、毛利や村上にも手伝って貰うことになった。山名傘下の奈佐日本之介を手懐けられたのは大きいな」

「御屋形様、いかほど越後へ向かわせたので?」

 傍らにいた純久が聞いてきた。

 浅井領という事もあり、水軍の移動計画の詳細などは知らせていない。そのため、異変と受け取った者が信号所を通じて知らせてきたのだ。

「すまぬな。急いでいたゆえ、お主らにはからずに決めてしまった。六百艘はあろうな」

「何を仰せになりますか。どうぞお気になさらずに。それにしても六百艘とは! 数にして一万を越えまするな」

「うむ。すべての湊は抑えられずとも、直江津や柿崎、新潟津などの主な湊を抑えれば、謙信といえどかなりの痛手となろう」

「仰せの通りにございます。第二師団も無事飛騨に着到したようですが、ここからは用心が必要ですな。越中までの山越えは、辛うじて獣道より広いほどの狭さにござれば、謙信の奇襲も考えられます」

「うむ。賢光ともみつも重々承知しておろうが、失は避けられぬだろう。なんとか踏ん張って峠を越えて、城生城を攻撃してもらわねばならぬ」

 

 ■越中 新川郡 岩木村 神明宮 第二師団 

「申し上げます! 上熊野城主、二宮左衛門大夫様がお見えになっております」

「よし、通せ」

 上熊野城は岩木城のさらに北東約5kmにある城であり、飛騨街道を通じて富山城へといたる、城生城とならぶ要衝の城である。

「初めてお目に掛かります、上熊野城主、二宮左衛門大夫(余五郎)にございます」

「うむ、小佐々軍第二師団長、小田弾正少忠(賢光)である。この機に話とは、服属の申出であろうか?」

「は、左様にございます」

 余五郎はそう言って、自分の名前と館本郷館主の田中一正、そして城生城主の斎藤信利の名前が入った起請文を見せた。

「これは……」

 斎藤信利の家臣である斎藤喜右衛門から聞いていたとおり、城生城主の斎藤信利は小佐々軍に服属するようだ。

 そのため、今の城兵は謙信の直参兵ばかりで、家族や供回りは上杉兵が第二師団の襲撃から戻ってくる前に脱出し、上熊野城主である余五郎に保護されていた。

「弾正少忠殿(小田賢光少将)、よろしいか? 岩木城に入っている塩屋筑前守秋貞は、時流の読める男にござる。正直なところ、上杉だ神保だ一向宗だで、筑前守殿も、いい加減争うのに疲れておるはずにござる。本領安堵を題目(条件)とすれば、必ずや降ると思われます」

 城生城主の斎藤信利と塩屋秋貞は、神通川沿いの婦負郡と新川郡の南部の覇権を争い続けてきた歴史がある。

 両者はその都度上杉については離れ、神保については離れを繰り返し、また単独でもお互いに領土を争っていたのだ。

 この条件を塩屋秋貞がのみ、そして城生城を落とせれば、純正は新川郡の布瀬村以南と婦負郡の広田村以南を手に入れる事ができる。

 謙信にとって大きな痛手となることは間違いない。

「それは有り難い。あいわかった。早速岩木城へ向かい、降伏を促していただきたい」

「承知した」

 岩木城にしても城生城にしても、攻撃の準備は出来ていた。

 しかし、血を流さずに開城できればそれに越したことはない。城生城は上杉の直参の将兵なので難しいだろうが、それでも岩木城が降伏すれば心理的影響は大きいだろう。

 

 ■岩木城

「殿、上熊野城の二宮左衛門大夫様がお見えになりました」

「おお、後詰めとはありがたい! 通すが良い」

 しばらくすると余五郎が入ってきた。

「筑前守殿(塩屋秋貞)、昨年の城生じょうのう城攻め以来にございますかな」

「おお、そうであったな。抜く(攻め落とす)事は能わねど、われらの強さを見せることは出来申した。感謝いたす。こたびも後詰め、かたじけのうござる」

 秋貞は頭を下げた。

「その事でござるが、此度は後詰めではござらぬ」

「なに? ではなんじゃ? まさか……このわしに降れと申すのか?」

「左様、これをご覧ください」

 そういって余五郎は賢光に見せた起請文を見せ、さらに賢光が書いた本領安堵の起請文も見せたのだ。

「この、小田、弾正少忠……賢光とは、誰じゃ?」

「飛騨から越中へ入った小佐々権中納言様の勢の大将にござる。ほれ、ここに権中納言様の、弾正少忠殿を名代とする起請文もある」

「なんと……まさか」

 秋貞は三通の起請文をしっかり読み、そしてさらに読んだ。

「筑前守殿(塩屋秋貞)、すでに隠尾城に鉢伏山城、千代ヶ様城と壇の城も落ちた。さらに長沢城に富崎城、白鳥城まで落ちたのだ。いかに謙信とて此度は分が悪い。いま降れば本領は安堵となる。迷う事はないであろう?」

 秋貞はしばらく無言で考えていたが、短く一言で答えた。

 

「あい分かった。降るとする」

 こうして二宮左衛門大夫(余五郎)の言ったとおり、戦わずして勝利を得たのであるが、同じように派遣した城生城は徹底抗戦の構えを崩さなかった。

 午三つ刻(1200)、城生城への砲撃が開始された。
 

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