技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7) 天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正> 昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。 史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子ではなく... 2024.06.06 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第127話 『造船所と新型帆船。一斗缶の開発と一年の空白をどう使う?』(1850/9/14) 嘉永三年八月九日(1850/9/14) 一昨年に建造を開始した大規模造船ドックが完成した。しかし、来年の蒸気機関とそれを用いた工作機械が到着しなければ近代的な造船はできない。あと1年あるが、それまでこのドックは遊ぶ事になる。 造船ドック... 2024.05.31 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9) 嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。(同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り) 十五隻 和蘭オランダ海... 2024.05.30 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第675話 『北条の返事と大同盟政府へ。ガス灯、点る』(1580/2/29) 天正九年二月十五日(1580/2/29) 京都 大使館 「北条より文が届いたが、まさに予想通りだな」 純久が言う。最近は純正が京都に詰めているので、業務は可能な限り補佐の親長や佐吉に任せている。石田一家は能力が高い。父親の正継は京都における... 2024.05.26 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第121話 『セメントの続きと臭水樽揮発問題』(1850/2/19) 嘉永三年一月八日(1850/2/19) 大村藩政庁「高炉セメント?」 全員が信之介の方をむいて会議が中断し、その高炉セメントとはなんぞや? という話になってしまい議論が何日も続いている。次郎が予測、というか史実で発生するコレラは1858年。... 2024.05.25 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 天正八年九月十八日(1579/10/8) 徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。 景勝・景虎両陣営の和睦を図っ... 2024.05.25 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城「これはこれは、久しいですな内府殿」「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」 純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に話をす... 2024.05.24 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘> さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエゲ... 2024.05.22 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第116話 『あわや大惨事! それからお茶の追加注文と武田斐三郎』(1849/8/2) 嘉永二年七月二日(1849/8/2) 五教館大学 石油精製研究室(まったく、いつもながらざっくりとしたお人だ……) 例によってオランダ人医師・化学者のヤン・カレル・ファン・デン・ブルークは、信之介から渡されたメモを見ながら、何度も読み返して... 2024.05.20 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』 天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城 小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。「こりゃあ大したもんだ... 2024.05.19 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22) 嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門> さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。 ... 2024.05.16 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8) 天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かった... 2024.05.15 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第660話 『明国と北条』(1578/12/2) 遡って天正七年八月十七日(1578/9/18) 「申し上げます! 呂宋にて、シーバンニャ(西班牙・Hispania・イスパニア)艦隊壊滅! 小佐々に敗れたそうでございます!」 紫禁城にて首輔である張居正は忙しく業務をこなしていた。 税制改革... 2024.05.11 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第106話 『鍋島直正の憂鬱』(1849/1/9) 嘉永元年十二月十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> 石油の運上金の相場がわかった。 石油96石(17,280ℓ・9千600升)で米48石(4,800升)分。今(嘉永元年)の米の相場だと、1石で銀89匁8分だから48石で4千310匁4分... 2024.05.10 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ 第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7) 天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮 王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千々... 2024.05.10 技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第656話 『対スペイン戦の反省と軍事改革と再編成』(1578/8/12) 天正七年七月九日(1578/8/12) 純正はマニラにて戦勝の祝賀会を行った。 本土に戻ってからもっと盛大な祝賀会があるだろうが、全員を連れて帰るわけにはいかない。そこでマニラに残る艦隊と陸軍のために開いたのだ。捕虜も同じである。 捕虜収... 2024.05.07 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28) 嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時... 2024.05.05 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
Uncategorized 第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20) 弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、... 2024.04.29 Uncategorized
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21) 弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に... 2024.04.26 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9) 遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城 二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。 史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘を実... 2024.04.23 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第88話 『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』(1847/11/21) 弘化四年十月十四日(1847/11/21) 玖島くしま城 <次郎左衛門> さて困った。予想通り蔵六が留学したいと願いでてきた。 いや、留学自体はいいんだ。 誰もが知る維新の十傑で優秀な人材は、何人いてもいい。 大村益次郎は史実では長州陸軍... 2024.04.22 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ... 2024.04.21 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第85話 『ドライゼ銃完成せり。大砲の鋳造幾分か定まれども完全に非ず。儀右衛門、蒸気機関の製造に本格着手せり』(1847/11/5) 弘化四年九月二十八日(1847/11/5) 玖島くしま城下 <次郎左衛門> 「なあ次郎、思うっちゃけどさ……」「何なん?」 信之介の問いに俺は答える。「今、いろんな人の来よるやろ、大村に」「うん」「いや、そいは良かっちゃ(それは良い)けど... 2024.04.19 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第636話 『琉球から台湾、そして呂宋へ』(1578/1/9) 天正六年十二月二日(1578/1/9) 京都 会議所周辺 織田家宿舎「ひゅ、日向守殿! 日向守殿!」 木下藤吉郎秀吉は、真っ青な顔をして叫ぶ。「そうぞうしい。なんですか。もともと貴殿は落ち着きというものがない。城持大名となったのですから、威... 2024.04.16 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28) 弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城 幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。 以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オラン... 2024.04.14 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」 次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。 この頃になると... 2024.04.13 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17) 弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門> 2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。 もうどこにも耀蔵はい... 2024.04.09 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21) 弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門> 仁孝天皇が崩御された。 次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元である。... 2024.04.06 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26) 弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である... 2024.04.05 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第627話 『大同盟脱退に関する傾向と対策。対織田家戦略の見直し』(1576/10/25) 天正五年十月四日(1576/10/25) 諫早城「そうか。織田からはそのような要望が」 純正は経産大臣の岡甚右衛門からの報告を聞いて、考え込む。「皆、いかが思う? 織田は誠に同盟を抜けると思うか?」「まずないでしょう」 そういうのは直茂だ。... 2024.04.04 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
Uncategorized 第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6) 弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島... 2024.04.02 Uncategorized
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18) 弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門>「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」「ははははは! よいのです俊達先生。子ど... 2024.04.01 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第66話 『一度目の試射』(1845/5/23) 弘化二年四月十八日(1845/5/23) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>「お前様、もう、よいのではありませんか……。わたくしはもう、構いませんよ」「え? 何が?」どうしたんだ? 静。怒っているようには……見えないけど……んん?「何が、ではあ... 2024.03.31 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第623話 『中浦ジュリアンの元服と洗礼。遣欧使節団?』(1576/1/18) 天正四年十二月十八日(1576/1/18) 諫早城寒く、それでも晴れ渡った天気のもと、数えで14歳になる中浦小佐々甚吾じんご(中浦ジュリアン)の元服式が行われた。小佐々甚吾純吉である。本来は純正の姉である幸の息子、幸若丸の元服式と同時に行わ... 2024.03.30 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
Uncategorized 第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29) 弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城 史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。 やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。 土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連の関... 2024.03.29 Uncategorized
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4) 天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言... 2024.03.28 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第622話 『織田家の聖アルメイダ大学卒業生と、在諫早大学生』 (1575/10/17) 天正四年九月十四日(1575/10/17) 岐阜城 6年前の永禄十二年に小佐々領へ向かった留学生のうち、大学の部の9名は卒業し、2年前に帰ってきていた。信長の命で『岐阜大学』を設立したのだ。 また彼らは、織田領内では小学・中学・高校という教... 2024.03.28 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30) 天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門>水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗した。... 2024.03.27 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第621話 『珈琲豆の収穫とオーストラリアの発見』(1575/6/10) 天正四年五月二日(1575/6/10)3年前の天正元年正月に出港した南方探険艦隊が、帰港した。前回の航海ではバンテン(バタヴィア)・小スンダ列島・ティモール・パプアニューギニアまで航海したのだが、今回はさらに南方、東方へと向かったようだ。「... 2024.03.27 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第620話 『朝鮮貿易拡大と女真族への援助』(1575/4/21) 天正四年三月十一日(1575/4/21) 対馬の宗氏を介した李氏朝鮮との貿易も、ここにきて様子が変わってきていた。ずいぶん前に対馬の宗氏と五島の宇久氏は純正に服属し、その交易権を委譲していたのだ。 当初より純正は積極的に明を除く諸外国と交... 2024.03.25 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29) 天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門> 俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。 しかし、原理はわか... 2024.03.25 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第615話 関東騒乱終結。北条の勢力拡大と、宇都宮と佐竹の弱体化(1574/10/27) 天正三年十月十三日(1574/10/27) 交渉3日目 茂木城「陸奥守殿、そう譲れぬ譲れぬの一点張りでは、決まるものも決まりませぬ。ここは関東の雄、大国としての徳と民への慈愛をもって、為すべき事を為すほうが良いかと存ずるが、いかに」(……肥... 2024.03.20 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12) 天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。 俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ... 2024.03.18 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25) 天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』 そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。 和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。「まず、和議を行う上での最も重し題目... 2024.03.18 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31) 天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの... 2024.03.17 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17) 天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死... 2024.03.11 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19) 天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場 天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。 もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で江戸... 2024.03.10 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5) 天保十一年九月十日(1840/10/5) ~前略~ 唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之領地... 2024.03.09 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。 第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易 天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた... 2024.03.09 北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く 第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26) 天保十一年五月二十七日(1840/6/26) オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。 当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。 商館長が作成したもの... 2024.03.08 転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く