第659話 『中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノとともにセバスティアン一世に謁見す』(1578/11/7)

 天正七年十月二十二日(1578/11/7) ポルトガル リスボン王宮

 王の臣下を先頭に、リスボンの荘厳な王宮の廊下を歩く一団の中に、四人の少年の姿があった。三年前の天正四年十二月十八日(1576/1/18)に長崎を出港した伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノである。

 3万キロも離れた日本からはるばる欧州へたどり着いた彼らは、ポルトガル国王セバスティアン一世との謁見に臨むのだった。きらびやかな宝石に彩られた輝かしい王の玉座の前に立った四人は、郷に入れば郷に従えで、当時・・の欧風の衣装に身を包んでいる。

 というのも小佐々領では洋装が珍しくなくなり、純正はもちろん、普段は洋装をしている者も増えていたのだ。ただし、朝廷に参内する時や、他の大名と会談する時などは別である。同等もしくは格下の相手、そして普段着として洋服を着ていた。

 その洋服は現代の洋服と当時の中間、というかイメージとしては幕末から明治時代だろうか。ポルトガルにあわせた衣装というのは、いわゆるあの、首の周りにモワモワとしたゴムのようなバネのようなフリル? である。

 四人はセバスティアンに対して畏敬の念を込めて一礼する。
 
 先頭のジュリアンが流ちょうなポルトガル語で話し始めた。史実では大友宗麟の名代である伊東マンショが正使だが、今世では小佐々純正の名代であるジュリアンが正使である。

「偉大なるポルトガル国王セバスティアン一世陛下、我ら四名は海路はるばる二年十ヶ月の旅を経て、ここリスボンの地に到着いたしました。日ノ本の西国を治める肥前王、小佐々内大臣右近衛大将が、我らを通して陛下にご挨拶申し上げます」

 セバスティアンは玉座から立ち上がると、友好の印として両手を広げ、柔和な笑みを浮かべた。もう何人も何度も、小佐々からの留学生を受け入れ、謁見してきた彼である。

 しかし、今回は違う。小佐々純正の親書を携えての正式な外交使節である。実際、史実ではクリスチャンとしてローマ法王に会いにいくのが主であったが、今回は副なのだ。

 あくまでメインはセバスティアンとの会談である。

「遠き東の国、ジパングからよくぞお越しになりました。貴殿らの臨席を心より歓迎いたします。名代としての凜とした振る舞いと、誰にでも慈愛をもって接する態度に、余は敬意を表しますぞ」

 その言葉に、四人の表情が和らいだ。

「それでは陛下、まずはこちらをご覧ください」

 そういってジュリアンが取りだしたのは、純正の親書である。うやうやしくセバスティアンに手渡すと、彼はそれを受け取り一読する。

「肥前王との友好の証として、このお手紙に込められた思いを胸に刻みましょう。これを機に、両国のさらなる交流が進展することを願ってやまない」

 若いという事もあるのだろうが、柔和なセバスティアンの言葉に四人は感激し、遠く長かった道のりを思い起こし、感激もひとしおである。

 厳かな謁見の場であったが、セバスティアンの人懐っこい物腰は四人の緊張を次第にほぐしていく。その後セバスティアンは一行を寛いだ応接の間へと招き、日本からの旅の話に耳を傾けた。

 大海原を越える航海の苦労や異国の地で出会った驚きの数々。四人は瞳をきらきらと輝かせながら、まるで冒険たんを語るように、リスボンまでの旅路を話して聞かせるのであった。

 単なる友好国、同盟国であれば、ここまでの対応をセバスティアンもしなかったであろう。

 しかし小佐々は別なのだ。欧州ではまだ見ぬ未知の武器を扱い、自力で3万キロに及ぶ航海を成し遂げる技術力と国力。留学生に教えているつもりが、すでに学ぶ立場になっていたのだから、当然と言えば当然である。

 数ヶ月前に起きたレイテ湾海戦の純正の勝利は知るよしもないが、その前段のマニラ沖海戦でスペインを破った事は忘れることはない。無礼な態度でせっかくの友好関係をドブに捨てるなど、できるはずがないのだ。




 ■遡ること天正七年一月 インド ゴア

 ゴアの街を歩く四人は、目の当たりにした光景に言葉を失っていた。

 ポルトガル人居留者たちが、現地のインド人を見下すような態度で接している様子が随所に見られたのだ。それどころではない。奴隷のような扱いを受ける人達がそこかしこにいたのである。

「これは、キリストの教えに反するのではないか。私たちは皆、神の子として平等のはずだ」

 伊東マンショが困惑した表情でつぶやいた。頭の中でなんども考えを巡らしている。

「そうだね。『自分を愛するように、隣人を愛しなさい』と聖書にあるのに、この有様だなんて……」

 ジュリアンは同意する。通りでは、ポルトガル人の商人がインド人の労働者を罵倒する声が響いていた。

「何をやっている! 働け! 働くのだ!」

 商人の怒号とムチに労働者たちはうずくまり、反抗するそぶりされ許されずにムチを背に受け、うめいていた。

「人を愛することが信仰の核心なのに、これでは全く愛を感じられません」

 原マルチノが悲しそうに言った。

「私たちキリスト教徒は、こんな差別を見過ごしてはいけません。何かできることがあるはずです」

 千々石ミゲルが力強く言葉を発した。四人は目の当たりにした理不尽な差別の現実に衝撃を受けていたが、それがキリスト教の教義に反することに、深い憂慮を感じずにはいられなかった。




 ■天正七年六月 アフリカ 希望峰

 1488年にバルトロメウ・ディアスが発見し、その後欧州とアジアとを結んでいた喜望峰航路は、重要地点であったにもかかわらず航海の難所であった。補給地点がないのである。
 
 そこで純正はリスボンと日本を行き来する船の安全のために入植者をつのり、南方の東南アジアと同じように、喜望峰に街をつくっていたのだ。

 一行はようやく航路の三分の二を超え、アフリカ大陸の南端に位置する喜望峰に到達した。当初は補給のみの目的で作られた町であったが、徐々にアフリカと東洋、ヨーロッパを結ぶ交易の拠点として栄えつつあったのだ。

 小佐々家の支配下にあるこの町では人種差別は存在せず、多様な民族が共生していた。アフリカ原住民やヨーロッパ人、アジア人が入り交じり、活気あふれる市場では様々な言語が飛びかっている。

 街の中心には、小佐々家の七つ割平四つ目の家紋を掲げた役所があり、秩序ある統治が行われていることを象徴していた。四人は喜望峰町とゴアの対照的な姿に、世界の複雑さを垣間見た。

 一方では人種を越えた平和共存が実現され、他方では差別と抑圧が蔓延まんえんしていた。この経験は、彼らに『理想の国家とは何か』を深く考えさせる機会となった。

 喜望峰を離れ、大西洋を渡る航海を経て、一行はようやくリスボンの地に到着した。




 ■リスボン王宮

 「陛下、お言葉をいただき光栄です。私たち肥前の民は、ポルトガルとの友好を何よりも大切にしております」

 マンショが感謝の言葉を述べると、セバスティアン王は優しい笑みを浮かべて続けた。

 「肥前王である小佐々殿は、余にとって非常に興味深い方です。贈っていただいた孫子の兵法や四書五経など、東洋の叡智えいちに感銘を受けました。機会があれば、ぜひ直接お会いしてお話を伺いたいものです」

 四人は顔を見合わせながら、夢のような未来を想像する。

 実際、蒸気機関が開発された。今はまだよちよち歩きの試験段階だが、やがては川や沿岸部、その後日本近海を経て、環太平洋やインド洋、アフリカを経てヨーロッパへ。

 夢ではない。実現可能な未来なのだ。

 「陛下、必ずやお会いできる日が来ることでしょう。私たちの主君もまた、陛下との友好を心から望んでおります」

 ミゲルが力強く答えた。セバスティアンはうなずき、さらに言葉を続けた。

 「東洋の技術や文化は、我がポルトガルにとっても学ぶべきものが数多くあります。鉛筆や望遠鏡、そして火縄のない銃など、肥前国の発展ぶりには目を見張るものがあります」

 それを聞いて、ジュリアンが思い出したように発言した。

「後でもよいと思っていたのですが、わが主君から陛下への贈り物になります」

 ジュリアンはそういって六分儀と時計を見せる。

「こ、これはまさか……時計なのか? 時計がこのように小さく、しかも……振り子がないではないか!」

「これが……今は時間が12時ですから日本、肥前国では夜の8時になります」

「なに? なぜそのような事がわかるのだ?」

「地球の外周を24時間で割ると15°となります。いまこのリスボンと、わが肥前国は120°東にあるので、8時間経過している事になり、現在が夜の8時となる訳です。ちなみにその時計は正確ですので、定時、例えば正午に太陽を測定して時差を考えて計算すると、正確な経度がわかって現在地が測定できるのです」

 こちらは目録になります。四人はそう言って贈呈する時計と六分儀、そして目録をセバスティアンに渡して歓談を続けようとしたが、セバスティアンアはそれどころではなかった。




(これは、ますます友好を深めておかなければならない。絶対に敵にしてはならない。はるか東の肥前国は、この欧州の100年は先をいっている)




 次回 第660話 (仮)『明国と北条』

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