慶応四年十月二十日(1868年12月3日) 京都 大村藩邸
京都の混乱が一応の決着を見てから六日が過ぎ、徳川慶喜の政治的手腕によって表面上は秩序が回復したかに見えた。
しかし次郎には、この平穏が砂上の楼閣に過ぎないと分かっている。
三権分立の草案を作成しつつ、書斎で山と積まれた報告書に目を通していた次郎の前に、側近の助三郎が現れた。
「御家老様、長州の毛利様が病に伏されたとの報せが入りました」
「病か」
次郎は筆を置いた。
毛利敬親の病が何を意味するか瞬時に理解したのである。十中八九、周布政之助の死によって動揺した長州藩内を収拾するための口実であろう。
長州の家老格である周布が死に、騒乱の真犯人である2人が捕まったが、首謀者逮捕までの道筋はいまだ見えない。
松平容保が守護職を引責辞任して長州の不満を削ぎ、一応の体裁を保った。しかしその結果、所司代と守護職を松平定敬が兼務する人事によって、幕府の権力の増加につながっていたのである。
「長州の議会への出席は?」
「当分の間休職をなされ、藩政に専念するため国元へ戻られる由にございます」
次郎は深く息を吐いた。
長州の撤退は予想していたが、これで議会における力関係は大きく変わる。薩摩も長州に追随する可能性が高い。そうなれば薩長のわずか2票とはいえ、他の議員(藩の代表)に与える影響は大きい。
日本公論会としての意見を、議会で推し進める力が弱まるのが予想されるのだ。
「薩摩の動きは?」
「島津様(忠義・従四位下左近衛少将)も、藩政上の重き儀があるとして、近く鹿児島へ戻られる計らい(予定)にございます」
「然様か。騒ぎの黒幕は如何だ?」
「申し訳ありません。未だ……」
「良い。時をかけてでも必ずや見つけ出すのだ」
「ははっ」
さて、そろそろ岩倉さんに動いてもらわなきゃいかんな。守護職の辞任で終わらせるつもりだろうが、所司代が兼務したんじゃ同じじゃねえか。
ここらでトップダウンかますしかない。
本当ならオレもそうだが、殿には厳しい役目になるとは思うけど、このタイミングしかない。
「御家老様」
「何じゃ?」
助三郎とは別の近習が告げてきた。
「党員の皆様方がお見えになっております」
「うむ」
藩主純顕に打ち明けた三権分立の構想を他の議員(藩主)たちに伝え、納得してもらう必要があったのである。
武士は武家諸法度、公家は禁中並公家諸法度、民間の裁判は公事方御定書があった。しかし、特に公事方御定書は非公開であり、民衆は内容を知らず、その結果『なんとなく』罪と罰をとらえて生活していたのである。
藩邸の大広間には松前藩や奥州の日本海側の諸藩、松代藩に加賀藩が集まってきていた。公家の中では穏健派が出席したが、これは幕府の専横を快く思わないからであり、必ずしも理念に賛同してはいない。
本来なら上座に党首である純顕が座り、補佐の次郎が純顕から向かって左に座るべきなのだが、序列や格式にうるさい時代である。党内で余計な波風を立てないために、上座は空けてあるのだ。
「さて大村殿(従四位下権中将)、三権分立の法の是非を論じたいとの事。然れどそもそも、三権分立とは如何なる仕儀にございましょうや」
加賀藩主・前田慶寧(従三位参議・加賀守)が発言した。
「加賀守殿、子細はこの蔵人よりご説明いたしまする」
純顕の答えに次郎は席を立ち、静かに一同へ一礼した。
視線が自分に集まるのを感じながら、用意していた文書を配る。
「各々方にお示しするのは、政(まつりごと)の仕組みを改める一案にございます。法を定める者、裁きをする者、法を執り行う者。この三つを分け、互いに口入れ(干渉)せぬよういたします」
何人かが顔を見合わせた。
松前勘解由(松前藩名代)が眉をひそめる。
「何ゆえ分けねばならぬのでしょうか。無論、満足はしておりませぬが、只今の幕府とそれぞれの御家中の仕組みで事足りております」
「事足りていると見えるのは、力ある者が自らを律している間だけにございます。力を持つ者が法を作り、自ら裁けば、己の都合で決める事が出来てしまいます。これはやがて乱れを呼びます」
先月起きた料亭『升屋』での刃傷沙汰は記憶に新しいどころか、生々しい現実として残っている。非公開の公事方御定書では限界があり、武士同士でのいざこざでさえも、藩の自治権のために裁判が難航したのだ。
そもそも騒乱罪自体が定められていたのかも怪しい。
公家、武家、町民を網羅した法律を制定する前に、三権の分立が必要だと考えたのである。
「その仕組み……政と裁きと執行を分ければ、誰が最も上に立つのか」
慶寧が質問した。
「誰かが上に立つのではありません。それぞれが互いを制し、全体で一つの働きをする形です」
低いざわめきが広がる。
主君と臣下が常識である彼らにとって、違和感があるのが当然であった。
松代藩の真田幸民(従五位下信濃守)が発言する。
「然れば徳川家は如何あいなる? 公方様のお立場は」
最初から大村藩の日本公論会に賛同している議員たちであるが、徳川家への敵対を無条件で是としているわけではない。
対して次郎は淡々と答える。
「将軍家は政を司る一つの役です。同じく、裁きをする役と執行を担う役に別の者を置く。全ての役は、法に定められた中でのみ事を為すのです」
穏健派の公家が扇で口元を隠しながら笑みを漏らす。
「法に従えと仰せられましても、その法をお定めになりますは如何なるお方にてあらしゃいますか」
「それが、只今の貴族院にございます」
次郎の言葉に大広間の空気が変わる。それまで抱いていた漠然とした疑念に、明確な形が与えられたからだ。
貴族院は、現在まさに自分たちが議席を占める場所である。すなわち次郎は、法を制定する絶大な権力を幕府から奪い取り、自分たちに移すと述べているのだ。
そもそも次郎が提案した貴族院、いまだ実現していない平民院を含めた議会制民主主義はそのとおりであったが、慶喜が提案した貴族院は違う。
解散した大老院の名目上の代わりであり、諸大名の不満をそらすために全員参加とし、実際は親藩と譜代による親徳川政権の樹立と強大化に他ならなかった。
起きてしまった事案、これから起こるであろう事案に対して議論をするためであり、立法の概念は欠落していたのである。
「蔵人殿(次郎)」
慶寧が重々しく口を開いた。
「貴殿が仰る貴族院による立法とは、只今我らが参加している議会とは全く異なるのでござろうか」
「然に候わず。只今の貴族院は起きた儀を如何にするか諮り、これより起こり得る儀につき諮るのみ。真の議会とは然に候わず。法を定め、行政たる官府を監視能う権を持たねばならぬのです」
会場がざわめき始める。
参加者たちは、自分たちが参加している議会の本質を初めて理解したのだ。
「つまり、我らは今まで、ただの相談役に過ぎなかったのか……」
勘解由が苦々しくつぶやいた。
「然に候」
次郎は率直に答えた。
「然ればこそ変えねばなりませぬし、変え能うるのも我ら貴族院にございます」
次郎は図を示しながら説明を続けた。
3つの円が描かれ、それぞれが独立しながらも相互に関連している構図である。
「立法の府である議会が法を制定し、行政府がそれを執行し、司法府が法の適用を監視する。加えてそれぞれが他の権力を牽制する仕組みです」
「然れど蔵人殿」
幸民が発言した。
「然様な法を取り入れれば、只今の政の仕組みは根本から変わりましょう。中納言様(慶喜)は受け入れましょうや」
「……受け入れぬでしょう」
またも万座がざわつく。
受け入れないと分かりきっている案を提示するのである。
徳川幕府、慶喜に対しての宣戦布告とも取られかねない。
幸民の質問は核心を突いていた。
三権分立の導入は徳川政権の根本的な変革を意味しているのだ。
「然れど只今の法の仕組みでは、此度の如き騒ぎが再び起きたとしても、公正な裁きは行えませぬ。当人の切腹は仕方ないとしても、長州の周布殿の死はあまりに不憫。誰が堂々と公正な裁きであったと言えましょうや」
各々方、と前置きをして全体を次郎は見回し、ゆっくりと話し出した。
「某、徳川宗家にも幕府にも思うところはございません。然りながら、これまで二百六十年続きてきた仕組み、徳川幕府による仕組みが上手く回らなくなってきておる事、ご承知かと存じます」
そう言って次郎は、幕府が諸大名に課してきた様々な制約について述べた。
「参勤交代に武家諸法度、国替えや改易に減封、誰のための法でござろうか。高(石高)に応じた軍役もあり、城の修繕もその都度幕府に知らせねばなりませぬ。江戸や京都の屋敷の費えに目付けによる監視。数え上げればきりがござらん。これら全て幕府のための法。我らに何の益もございませぬ。幕府のためではなく、日本の国益のための法を、公正なる法をつくらねばなりませぬ」
次郎の言葉は大広間の空気を一変させた。
これまで彼らが心の奥底に押し込め、口にできず憚ってきた幕府への不満――。
全てを白日の下に晒したからだ。
それは誰もが否定できない、二百六十年にわたって蓄積されてきた事実である。
全ては徳川家の安泰のためであり、自らの藩や領民のためではなかった。
よし!
これで掴んだ!
あとは他の無党派層も取り込んでいけばいい!
■数日後 薩摩藩邸
「戦じゃ戦。議論などしちょってん、ないも変わらん。結局徳川が一人でんさばっちょっで(のさばっているから)、こげん騒ぎが起きたど。どう見てん(どう見ても)幕府に有利な沙汰じゃらせんか(じゃないか)。長州ははめられたようなもんじゃ。もしや、黒幕も幕府かもしれんぞ。守護職が辞めたち聞いたが、所司代が兼ぬれば同じじゃらせんか」
西郷は国元へ戻る支度をしながら小松や大久保に語りかけている。
回りくどい議論の複雑な手順に対する根深い疑念と、武人特有の直接的な解決への強い欲求が渦を巻いていた。
「吉之助さぁ、そげん気張っても、ないも始まらん。戦をするにも、大義名分ちゅうもんが要りもす。そいに、どげんまかり間違うても、大村と戦をしちゃならん」
小松帯刀である。
西郷の激情をなだめつつも、その心は同じ気持ちであった。
慶喜の決断は薩摩にとって他人事ではない。一人の権力者の判断で有力藩の重臣の生命が失われたのだ。今回は長州、次は自分たちかもしれない。この恐怖感が彼の心に深く刻まれていたのだ。
「じゃっどん、小松さぁ。こんままじゃ、長州の次は我ら薩摩が狙われもすぞ。大村の考えも聞くに値はしもすが、あまりに遠すぎる。国の仕組みを変えるち言うちょっが、そいは結局、徳川が支配すっか、大村が支配すっかの違いしかなか」
そばで黙って聞いていた大久保利通が口を開く。
「……吉之助さぁ。今の我らだけでは、幕府には勝てん。兵の数も、金の力も違いすぎる」
「そんために、長州がおっとじゃなかか」
西郷は、こともなげに言った。
「長州は、此度の事で幕府への恨みが骨の髄まで染みちょっ。我らと同じ、いや、それ以上の怒りを抱えちょる。こん怒りを一つに束ねれば、必ずや大きな力となりもす」
「……じゃっどん長州は、険悪じゃあなかが昵懇でもなか。そう易易と手を組むとは、思えもはんが」
「そんために帯刀さあがおっとじゃなかか。長崎と大村の伝習所で、長州のもんはたくさん見知っとっじゃろ」
家老クラスであった小松帯刀は、確かに伝習所時代に他藩の多くの藩士とも親交があった。
さらに長州は、一人でも味方が欲しい状態である。
薩摩の要望を無下にするとは考えにくかった。
次回予告 第453話 (仮)『山口城下と弾正台と近衛府』

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