第441話 『技術の担い手』

 慶応四年六月二十三日(1868年8月11日)  横浜外国人居留地内 商館

 商館内は緊張感に包まれていた。

 幕府とフランス、双方の技術者を集めた実務者協議の場である。

 パリ万博において、フランスに対する無煙火薬と高強度鋼の供与に関する協定が結ばれた。

 今回の会合は品質基準のすり合わせをするためである。

 正式供与を前に、製造されるであろう新型銃器の部品など、要するに一般的な工業製品における品質基準の確認であった。

「ですから、こちらの試作小銃に使われているネジの規格についてです。我々の基準では、この公差は許容できない。ピッチや径にこれほどのばらつきがあっては、部品の互換性が確保できず、量産や戦場での修理に致命的な問題を生じさせます」

 会合は完全に停滞していた。

 フランス人技術者が通訳を介して苛立いらだたしげに繰り返す。

 目の前には幕府の鉄砲鍛冶や職人たちが座っているが、皆一様に顔を青くさせ、押し黙っているばかりだ。

 彼らの知識は、一本一本手作業で調整する『現物合わせ』の技である。

 全ての部品が均一であるべき『規格化』の概念を問われても、的確に答える言葉を持ち合わせていなかった。

「……そ、それは、腕利きの職人がおりますゆえ、よしなに……」

 フランス側はあきれて物が言えない。


 何だこれは?

 パリで見たのは夢だったのか?

 話には聞いていたが、やはり大村クランの技術者でないと話が通じないのだろうか。


 関口製造所の所長や職人が、脂汗を浮かべて曖昧に答えるのが精一杯である。

 パリでの交渉は、結局のところ大村藩の次郎たちが主導した。

 今回こそ幕府が主導権を握ろうと意気込んだものの、技術の根幹はもはや幕府の手にはない。

 その事実が、屈辱的な形で露呈してしまっている。

 いや、根幹などはじめからなかったのだ。


 控えめなノックと同時に扉が開き、二人の男が入室した。


「遅くなりまして申し訳ございません。大村藩より参りました、太田和隼人でございます」

「同じく、松林廉之助にございます」

 現れたのは次郎の実弟である隼人と、理化学研究所で信之介の片腕を務める廉之助であった。

 幕府からの急な要請を受け、協議に参加するために呼び寄せられたのである。

「おお、お待ちしておりましたぞ」

 所長の案内で隼人と廉之助はフランス人技術者の前に座ると、まずは丁寧に頭を下げた。

 フランス人技術者は明らかに怪しんでいる。

 2人が明らかに雰囲気の異なる、学者然とした風貌だったからだ。

「君たちはこの部品の品質管理について説明できるのかね」

 隼人は通詞を挟まずに流暢りゅうちょうなフランス語で直接答える。

「はい。その規格の不統一については、我々も問題視しております。原因は、製鋼段階での材質の不均一さと、加工時の温度管理の甘さにあります」

 フランス人技術者の表情が変わった。

「我らが供給する高強度鋼は、パリでご説明したとおり、炭素含有量を厳密に管理しております。それを基にした圧延・加工を行い、マイクロメートル単位の精度で規格を統一できます。こちらのサンプルをご覧ください」

 隼人が提示した大村製のネジは、どれも寸分の違いなく同じ形をしていた。

 フランス人技術者は手に取ってノギスで計測し、その精度に驚きの表情を浮かべる。

 続いて、廉之助が口を開いた。

「また、防錆ぼうせい処理についても、現在の鉄漿てっしょう(おはぐろ)では不十分です。我々は亜鉛めっきによるガルバニック腐食防止技術を導入しており、塩害など過酷な環境下でも長期間の品質維持が可能です」

 廉之助もまた、化学的な知見からよどみなく説明を加えた。

 2人が発する言葉は経験則ではなく、科学的根拠に裏打ちされた揺るぎない事実である。

 幕府の技術者たちは理解不能な言葉を聞いて、ぼう然と二人を見つめるばかりであった。

 フランス人技術者たちの態度も完全に変わっている。

 彼らは隼人と廉之助を対等な技術者として認め、次々と専門的な質問を投げかけ始めた。議論は停滞から一転、活気を帯びていく。

 その様子を目の当たりにした幕府の役人たちは安堵あんどした。

 しかし同時に、技術の主導権が完全に大村藩の手に渡ってしまった現実を、改めて痛感せざるを得なかったのである。


 この小さな協議の場での出来事は、来るべき新時代において、技術を制する者が全てを制する事実を明確に示していたのだ。


 ■遡って慶応四年五月十四日(1868年7月3日)

 次郎は幕府から命じられた『重要技術管理法案』作成の準備を進めていた。

「申し上げます」

「何じゃ」

 町人の身なりをしてはいるが、どこか武家の雰囲気を隠せない男がふすまの外から声をかけてきた。

 藤田助三郎である。

 外では完全に町人になりきる助三郎だが、藩邸に入れば元に戻るのだ。

「は、加賀藩の使いと仰せの方がお越しにございます」

「ちゅうなご……いや、今は宰相様であったな。よい、お通しせよ」

「ははっ」


 襖が静かに開き、初夏の柔らかな光の中に一人の男が姿を現す。

 町人の粋な着物を身につけているが、背筋は武士らしくすっと伸び、まなざしには油断のない光が宿っていた。

 加賀藩隠密おんみつ、森口清六郎である。

蔵人くろうど様におかれましては、御息災にて何よりでございます」

 清六郎は深々と頭を下げた。声は静かで抑揚がない。訓練された隠密特有の、感情を悟らせない話し方だった。

「面を上げられよ。宰相様は息災か」

 次郎は柔らかな声で応じたが、内心では唐突な訪問の真意を探っていた。

 加賀藩とはこれまでも交易を通じて付き合いはあったが、政治的な接触は稀である。ましてや、この京の混乱の最中に、わざわざ隠密を寄越す意図が次郎にはわからない。

「は。殿はご壮健にございます。さて、本日は殿より、蔵人様にお伝えしたい儀がございまして、まかり越しました」

 清六郎は懐から折り畳まれた奉書紙を取り出した。

 その手つきは慎重で、扱うものが極めて繊細な情報である事実を示している。

 次郎は軽くうなずいて、机に清六郎が奉書紙を置くのを促した。

「こちらは、先日京にて発生いたしました洛中らくちゅう火災の儀に関わる、些細ささいな報せにございます」

 清六郎は銭屋五兵衛が犯人に関する風聞を聞いた件、薩摩以外の複数の風体の人間と接触していた件等々を話した。

 点と点が、かすかにつながり始める。

「当初は単なる密貿易の類かと思われましたが、その男が京の薩摩藩邸放火事件に関わっていたとの確証を得ました。他の犯人も同じく、複数の男を介して何者かの指図があったのでしょう」

 清六郎の言葉は、次郎が独自につかんでいた情報と見事に符合した。

 ガソリンの流出、そして犯人の正体。加賀藩は、その一部始終を追っていたのだ。


「ご苦労であった。この旨(内容)は殿にも伝えておくゆえ、宰相様にも然様さようにお伝えいたせ」

「は」

 慶寧が見返りを求めているとも思えないが、自分たちが調べた結果とほぼ同じ調査結果に、加賀藩もたどり着いていたのである。

 犯人は一体誰だ?

 まさか……?

 しかし確証がない。

 巧妙に仕組まれているうえに、証拠を残さないよう工作していたのだ。

 事件の確証がなく、幕府も手をこまねいている。

 次郎は捜査に限界を感じながらも、あとは幕府に任せる他ない、自分は自分の仕事をしようと考え始めた。


 ■京都 明保野亭

「あれから二年か。あの男、口ばかりかと思うておったが、ついにやったようだな」

「然様。それがしもおりましたが、その後は音沙汰なし。こうして飲み食いできる金と、世の中に不満を持ったやつらを集めるために金だけは送ってきおる」

 確かに、2年前は数人に減っていた取り巻きであったが、いつの間にか20人以上に増えていた。もっとも全員が今ここにいるわけではない。

「さて、次は何を考えておるのか……」


 ■四条小橋上ル真町 桝屋

「御用改である! 神妙に致すが良い!」

 新選組の隊士たちが怒鳴り声と同時に桝屋になだれ込んだ。

 しかし、店内には番頭と女中が震え上がっているだけで、肝心の主人である古高喜右衛門(俊太郎)の姿は見当たらない。

「主人はどこにおる!」

 土方歳三が刀の柄に手をかけながら番頭をにらみつけた。

「お、お客様のお座敷に……」

 番頭の震え声に従い、隊士たちが奥へと向かう。しかし、そこにいたのは将棋盤を前にした2人の商人風の男だけであった。

「これは新選組の方々。何かご用でも?」

 片方の男が平然と言い放つ。

「……失礼した。おい! 帰るぞ!」

 結局、押収できたと思ったゲベール銃1ちょうは先代からの形見で、護身用として福岡藩主の許可と幕府の許可を事前に得ていたもので、罰則に値するものではなかった。

「念には念をと思いましたが、まさか当たるとは」

「私も商才はあるか思てましたけど、あの人は別格どすな。移しといて良かったどす」

 喜右衛門と男は茶をすすり、将棋を指しながら歓談を続けた。


 ■明保野亭 裏座敷

「桝屋に踏み込みがあったようですな」

「ほう? それで如何いかがした?」

「もぬけの殻で、新選組も地団駄を踏んだようです」

「ふふふふふ。面白くなってきたのう」


 次回予告 第442話 (仮)『水面下と議会』

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