年表

以下、旧暦表示。随時更新します。

天保七年(1836~1837)

十一月
清水亨、太田和次郎左衛門武秋として肥前大村藩へ転生。

十二月
十一代大村藩主、大村純顕に謁見し、藩の財政再建ならびに軍制改革、富国強兵の(裏)家老に任じられる。(裏家老は仮称)

天保八年(1837~1838)

一月
石けんの試供品を献上。藩の主要産物とするべく量産の許可を得、製造を開始する。

三月
石けんの増産のため、個人製造販売と並行して藩営の製造所を建築。増産開始。佐賀藩の事例を出して、長崎の高島秋帆の技術習得と、長崎を基盤として石けんの九州各藩への販売を計画。

四月
七月末に起こるであろうモリソン号事件を警告すべく藩主に提言。

六月
モリソン号事件

八月
白帆注進心得を進言。

九月
ゲベール銃模造開始。

天保九年(1838~1839)

一月
長崎にて小曽根六左衛門(乾堂の父)と会う。

四月
ゲベール銃完成。
幕府より巡見使が大村へ。
パーカションロック式の研究(雷汞から雷管)。

十一月
参勤交代、同行して江戸へ。
江川英龍、高野長英、渡辺崋山らと知り合う。

天保十年(1839~1840)

五月
大村へ戻る。
家老に任命。
高炉研究開発
椎茸栽培研究開発
雷管研究開発

八月
耐火レンガ・コークス炉(ビーハイブ)試験製造

九月
捕鯨組(深澤組)復活
洋式捕鯨船と捕鯨銃の研究開発

十月
ペニシリン開発研究開始
椎茸栽培開始
アヘン戦争まもなく
蛮社の獄で渡辺崋山が蟄居で高野長英は永牢処分になる。

天保十一年(1840~41)

一月
捕鯨砲、捕鯨船開発

二月
椎茸栽培続行(天保十三年収穫予定)

三月
藩校五教館蘭学導入
私塾『開明塾』開塾

四月
信之介、精錬方任命

五月
オランダ風説書(天保十年分)純顕に開示

九月
オランダ風説書(天保十一年分)開示
高島秋帆『天保上書』

十一月
江戸参府
次郎他三人は同行せず。

天保十二年(1841~42)

五月
信之介、昭三郎とともに、モルティール砲、ホーウィッスル砲鋳造
久原にて軍事調練
高島秋帆徳丸原で同じく演習
雷汞ならびに雷管完成
捕鯨砲完成

十月
渡辺崋山自刃

十一月
江川英龍、西洋銃製造

天保十三年(1842~43)

一月
コークス製造開始
耐火レンガ製造(目処が立った)
高炉ならびに反射炉、試作炉製造

二月
領内にて鉱山調査、試掘
塩田に流下式を導入できるか検討

三月
医学方設立、一之進副頭取(でもゆるーく自宅勤務)

六月
天保十三年度オランダ風説書(2年分)開示

九月
江戸参府、次郎は同行

十一月
高野長英赦免のため、恩赦を得るべく寺院・徳川斉昭・幕閣へのロビー活動(?)を行う。

佐久間象山、従来の海防八策に追加し、海防十六策として上申。

天保十四年(1843~44)

六月
領内にて殖産興業の一環として真珠の養殖が実現して販売を開始

九月
精煉方より火術方を分離。さらに大砲鋳造方と細分化。領内三カ所にて鉄鉱石の採掘開始。

十二月
楠本イネを探しに伊予~岡山

天保十五年(1844)弘化元年(1844~45)

三月
ライフリングの研究・開発(ミニエー銃へ)
流下式塩田へ、領内の既存の塩田約二十九町を変更

五月
適塾へ留学生を派遣
松林飯山(廉之助)、信之介門下へ。

九月
オランダ軍艦パレンバン号へ純顕乗艦。次郎くまなく調査。

十一月
徳川斉昭、蟄居解除。
高島秋帆・高野長英・田中久重・二宮敬作・石井宗謙・イネ大村藩へ

弘化二年(1845~46)

二月
ジエチルエーテル生成へ
ソルベー法研究開発

三月
マンハッタン号浦賀に来航

四月
核鋳砲1回目試射

六月
天然痘予防接種開始
経口補水液製造のための塩、砂糖の備蓄
公衆衛生改善の為の施策を行う。

七月
サマラン号長崎入港
ライフリング方法、炭素工具鋼を用いた切削を採用。200挺のミニエー銃にライフリング加工開始。ドライゼ銃の開発継続中
幕府、オランダへ技術供与求める。出島の拡充。(親書の返書)

十二月
台場、造船所、ガス灯の研究(実行間近)

弘化三年(1846)

一月
京都にて朝廷に対してロビー活動を始める。

二月
開明塾、五教館、年齢別の教育制度導入(初等、中等、高等)
800両を朝廷(奥)に献金。

三月
コカイン精製の研究開始
年度末収支計算
東彼杵工業地域構想
佐賀藩、反射炉建設・種痘導入準備
前装式ニードルガン完成

六月
15回目の操業
石炭ガス、プロパン方式で展示予定。その後都市ガス形式で流通予定

七月
幕府、オランダとの通商内容緩和、上限を撤廃し出島の拡張を進める。
『技師』の招聘も許可。
大村・佐賀・福岡の3藩が事実上幕府とともに交易を許可される。

九月
幕府、軍艦と大砲の購入を禁ず。大船建造の禁、変わらず。
純顕発病するも快方へ向かう。
隠居騒動
オランダより海軍教官・機関技師招聘計39名
後装式ピストル実用化

十一月
佐久間象山、大村へ招聘決定

弘化四年(1847)

三月
信州にて地震発生。復興のため象山の大村招聘は取りやめ。

六月
佐賀藩、種痘

八月
コカイン単離成功をうけて工場設立

九月
ドライゼ銃の完成。蒸気機関の製造研究に移る。

『G.J.Verdam“Gronden der toegespaste Werktuigkunst ”Groningen.1828-1837.』

(ヘルダム『応用機械学の基礎』1828~1837年 フローニンゲン)

『H.Huijgens“Handleiding tot de Kennis van het Scheeps-Stoomwerktuig ”Amsterdam, 1847.』

(ホイヘンス『船舶蒸気機関説案内』1847年 アムステルダム)

十月
村田蔵六(大村益次郎)、大村来訪。

十一月
養蚕・茶の増産

十二月
スカウト活動開始。
緒方洪庵、長崎にて一之進と会う。
大島高任・手塚律蔵・上野俊之丞・上野彦馬・杉亨二

弘化五年/嘉永元年(1848)

一月
岩倉具視、鷹司政通の歌道に入門
大島高任・手塚律蔵・上野俊之丞・上野彦馬・杉亨二ら大村藩遊学。
ガス灯、武家屋敷と調練場、川棚工業地域。
佐久間象山、大村へ到着。

二月
五教館大学設立。総括次郎、学長高野長英。

三月
肥後の橋本勘五郎、大村へ。
賀来惟熊、島原藩主の命が必要と、遊学招聘保留。

六月
幕府、高島秋帆を呼び戻すため長崎に使者をおくる。
オランダから軍艦・大砲購入不可となり、国産を模索する。
大村藩ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスら109名をオランダより招聘。

9月
蒸気機関純国産化で方針統一⇒しかし期限の問題でオランダに発注(9万両・設置4万5千両)。開発は続ける。
川棚造船所122.5m規模を木材と粘土で建造することを決定。
ヤン・カレル・ファン・デン・ブルークにソルベー法の開発を依頼。(写真&電信)

11月
蝦夷地をはじめ全国の鉱山や資源を片っ端から権利購入する作戦を開始。

嘉永二年(1849)

1月
幕府より大船建造の禁を犯したとの疑いで目付が来藩。疑いは晴れる。
薩摩江戸藩邸にて帆船が大村藩のものとバレる。

2月
島原藩の賀来惟熊、宇和島藩の前原功山が来藩決定。
島原藩に経済援助

3月
電信の実験成功。しかし信号の減衰等で距離の問題あり。絶縁や継電器の研究にすすむ。

4月
大船建造の禁違反として幕府より目付が来藩。しかしえん罪。

閏4月
お茶の受注。35,000斤となる。八女をはじめ九州全域に仕入れの根回しをしていたため。全極的にお茶の仕入れ先を拡大。
マリナー号浦賀・下田に来航。

5月
領内で産出されていたモンモリロン石を利用した魚油の精製を開始。増産と販路拡大。

6月
蒸気機関を各鉱山へ導入するも、大島鉱山にて不具合発生。さらなる改良が必要。

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