第430話 『どんな手を使っても』

 慶応四年(明治元年)三月二十八日(1868年4月20日) 

 先般、大老院解散の儀、我が言に配慮なきゆえに貴殿の気を害せしこと、我が不徳に御座候。

 然れども、幕府が日本を差配する大義に揺らぎ無く、此度改めて帝より大政委任の宣旨を賜り候。

 合議の重しは、我も得心致したり候。

 而して新たな形で合議の場を設けることにも相成りましょう。

 その折には、諸侯にもご助力願いたく存じ候。

 恐々謹言。

 慶喜 花押

 大隅守殿

(このまえの大老院解散の時、ちょっと言い過ぎました。でも幕府主導には間違いなく、陛下より宣旨ももらってます。会議の重要性は理解しているので、新たな合議になるでしょう。その時はよろしく!)

 先般、大老院を解散致し候。

 これ、より強固なる公儀を打ち立てるための布石に候。

 而して此度、帝より大政委任の宣旨を賜り、幕府の導きにて新しき貴族院なる議会を設ける仕儀とあいなり候。

 よって、貴殿に於かれましては、速やかに幕府に与すると答うるべく、之旨(これむね)申し伝え候。

 右、幕府の指図に候間、分をわきまえぬ者の甘言に惑わされ、判断を誤ること無きよう、強く申し伝え候。

 恐々謹言

 慶喜 花押

 伊達中将殿

(先日大老院を解散したが、これはより強固な公儀を作るための布石だ。そういうわけで、今回陛下から宣旨をもらったので、幕府主導で新しく貴族院をつくる。だから貴殿も幕府に協力するって速攻で返事するように。公式命令だから、わけわからんヤツの言葉に惑わされて判断誤るなよ)

「えええ! なんですかこれ? これを本当に大隅守様(島津忠義)や、奥州の諸大名御家中皆に送ったのですか? しかも伊達中将様には両方?」

「然様。祐筆ではなく、恐れ多くもわざと(わざわざ)将軍後見職なる殿の直筆でな。これで万事収まるであろう。他にも東海や畿内の諸藩にも送っておる」

「然様な事ではなく、障りは旨でございます!」

 渋沢もハッキリ物をいう性格だったが、少なくとも慶喜や上野介よりは人の気持ちが理解できたのである。

 あああ、ダメだこりゃ。

 薩長は手遅れだな。

 加賀様と春嶽様、それから土佐様宛は書き直してもらおう。

 奥州諸藩はこれ、まるで命令文じゃないか。

 まじで……。

「上野介様、折り入ってお願いがございます」

「ほう、実はわしもお主に頼みがあってな。いや、頼みというより、殿と諮ってお主が任に適しておると思うてな」

「如何なる事にございましょうか」

「うむ、文だけでは心許ない。お主、自ら赴いて諸大名を説いてくれぬか」

「え?」

 渋沢は経済畑であり、交渉ごとはあまり経験がない。

「……断るといっても、命なのでございましょう? その代わり、この書状、私が書いた物を草案にして、今一度送り直していただけますか。これではせっかく殿がお書きになっても台無しでございます」

「お、おう。そうか。では殿にとうお伝えしよう。頼んだぞ、早いに越したことはないゆえ、公儀の船を使ってもかまわぬ」

「は」

 ■京都 小松帯刀邸

「……してやられた、ちゅうこっですな」

 京の薩摩藩邸の一室は、重い沈黙に支配されていた。

 小松帯刀の前に座る西郷吉之助は巨体を微動だにせず、ただ一点を見つめている。

 彼らが国元から藩主の密命を帯びて上京した時には、すでに全てが手遅れだったのだ。

「ああ。慶喜め、我らが動く前に『大政委任』の宣旨を取り付け、あろうことか大村の『貴族院』の名まで掠め取って奏上しおった。今や、あやつが『帝の忠臣』で、我らが『秩序を乱す者』よ」

 帯刀も西郷も、慶喜や幕府に個人的な恨みはない。

 ただ、主君が馬鹿にされたことは、怒りの矛先になるには十分な理由なのである。

 帯刀は忌々しげに畳を指で叩いた。

「小松さぁ。こげんなったからには、もはや道は一つしかありもはん。慶喜の『公儀貴族院』なるものが形を成す前に、こっちが大政奉還を為させるしか……」

 西郷の目が、静かに据わった。

「いけんすっど(どうするの)? 吉之助さぁ。慶喜は大義名分を手に入れた。今、我らが兵を動かせば、それこそ朝敵とないかねん」

「力づっではいかん。じゃっどん、知恵を使いもす。帝ご自身から『真ん公議とはないか、改めて諸藩に問う』ちゅうお言葉を引き出すとじゃ。慶喜が帝ん権威を盾にすんなら、こっちはそん権威そのものを、こちらに引き寄せっまで」

 慶喜の先制攻撃は薩摩を窮地に追い込んだが、同時に、より過激で、より大胆な次の一手を決意させることにもなっていた。

 ■長州藩邸

 長州藩邸の空気もまた、薩摩と同様に険悪だった。

 周布政之助は、慶喜からの書状の内容を記された国許からの電信を、鬼の形相で睨みつけ、久坂玄瑞は青白い顔で黙考している。

「……ふざけるにも、程がある!」

 ついに周布の怒声が上がった。

「殿を愚弄するにも、程があるというものだ! 『不徳であった』だと? 笑わせる!」

「御家老様、御静まりなさいませ」

 久坂は冷静だったが、その声には冷たい怒りが宿っていた。

「怒鳴ったところで、この有り様は変わりません。障りとなるの(問題)は、如何にしてこの盤面をひっくり返すかにございましょう」

「如何いたすのだ? 慶喜は帝のお墨付きを得た。今や、幕府こそが『正義』だ!」

「然に候わず」

 久坂は首を振った。

「慶喜が得たのは、あくまで『帝の忠臣』という『立場』に過ぎません。ならば、我らはそれ以上の『忠誠』を帝にお示しすれば良い。すなわち、幕府ではなく、帝に直接、この国の全てを捧げる『大政奉還』を建白するのです」

 周布は怪訝な顔をして久坂を見る。

「それは、聞くところによれば薩摩も同じ事を言っておろう? それでも我らが先導能う(主導権を握れる)というのか?」

「然に候」

 久坂は断言した。

「薩摩が狙うは幕府に代わる新たな覇権。然れど我ら長州が訴えるのは、ただひたすらに帝を尊ぶ『尊皇』の真心。私利私欲のない純なる忠義こそが、終には(最終的に)帝の御心を動かすのです。今すぐ、三条様らと携え、帝に直に我らの真意を伝えるための策を練ります」

 長州もまた慶喜の動きを逆手に取り、より純粋な尊皇の道を突き進んでいく。

 ■岩倉邸

 大村純顕は、岩倉具視と共に水面下で国事御用掛への工作を続けていた。

 慶喜の奏上で勢いづく二条斉敬ら佐幕派に対し、彼らは帝の外祖父である中山忠能や、徳大寺公純といった、帝の信任が厚い穏健派に的を絞っていたのである。

「然様なわけで、中納言様の『公儀貴族院』は名ばかりで、その実徳川による政をこの先も続けようとの策に過ぎませぬ」

 岩倉邸で、純顕は中山忠能に静かに語りかけ、さらに続ける。

「帝が真に望んでおられるのは、徳川家の安泰に非ずして日の本の安寧のはず。そのためには、真に公平な議会『貴族院』こそが要るのです」

「丹後守殿の仰せの儀はよう分かる。ここ三十年、お上のため朝廷のため、窮する我らを助けてもろうた恩義もある。そやけど、二条殿らの勢いも無視はできひん。事を急いだら、朝廷が真っ二つになりかねん……」

「然ればこそ、中山様のお力が要るのです。まずは、帝に『両者の案を、じっくりと吟味したい』と奏上いただく。それだけで、中納言様の行いに歯止めをかけられます」

 2人は決して焦らなかった。

 もともと親大村が多いのである。

 一歩一歩着実に、朝廷の中枢に協力者を増やしていったのだ。

 ■北陸道

 一方、次郎は越後の地を後にして、北陸道を西へと進んでいた。

 能登と越中は加賀藩の領地になるので登城はせず、本藩の藩庁所在地である金沢へ直接向かったのである。

 ところで、加賀藩では遣欧使節の帰藩直後、政変が起きていた。

 前田斉泰が隠居して慶寧が家督をついだのだが、先に帰藩していた岡田雄次郎がその責任を負って蟄居謹慎を命ぜられていたのである。

 慶寧が帰藩後に許されたのだが、今度は家督相続前に慶寧が謹慎を命じられ、ようやく許されて家督を継いだのである。

 継承後の慶寧の動きは速かった。

 腹心と示し合わせて本多政均らの親斉泰派の家老を粛正し、父である斉泰も一切藩政に関わることのないように幽閉同然としたのだ。

 佐幕派であった藩論は勢いを失い、公武合体を支持はするが、あくまで諸大名による合議制を原則としたのである。

「これは蔵人殿、渡欧の際は世話になったの」

「とんでもない事にございます」

 金沢城内では饗応の宴が開催され、次郎の説得はもはや必要なかった。

 北前船をからめた日本海航路による蝦夷地・樺太交易の利権を匂わせたのはもちろんである。

 続く越前福井藩は言うまでもなく、春嶽はもともと合議制の支持者で、次郎や純顕が掲げた貴族院にも賛成の立場であった。

 今、日の本に国難ありて、然りながら性急な変革は、いたずらに乱れを招くのみと心得候。

 而して将軍後見職たる一橋中納言殿より、公儀貴族院を設けるとの儀を聞き及び候間、これこそ、幕府という屋台骨を守りつつ、衆知を集める良策と心得候。

 今こそ我らが団結し、この公儀貴族院を盛り立て、天下の安寧を保つべき時と考え候間、河内守殿におかれても、この慶勝と思いを一つにし、公儀にご協力願いたく存じ候。

 恐々謹言 慶勝 花押

 井上河内守殿(遠江国浜松藩主)

(今日本は国難が確かに多い。でも急すぎる改革は混乱を招くだけだと思う。そんなわけで~慶喜が貴族院をつくると聞いたので、これこそ幕府を立て直す良策。オレたちが団結して平和を築こう。幕府に協力してくれ。……るよね?)

 ■江戸城 

「御老中様、先般の借款の儀につき細部を談合したいと、ロッシュ殿からの申し出にございます」

「イギリスよりガウワー殿が、早期条約の締結と開港について……」

「ロシアより技術者を遣る儀につきまして……」

「アメリカから国債の詳細と技術支援での……」

 間をおかず頻繁にやってくる各国からの申し出に対する対処法を外国奉行から聞かれ、信正は慶喜に確認する。

「それぞれ、つぶさなる旨と期日について、役人を交えて談合いたす。これでよろしいですね?」

「……うむ。良きに計らえ。大村は……如何に処しておるのだ?」

「今のところ、直に大村と話しをしておる国はありませんが、これ以上滞りますとあるいは……」

「ええい! 国許に帰ったとはいえ敵になったわけではあるまい? 今一度使いを遣り、登城するよう申し伝えよ」

「ははっ」

 次回予告 第431話 (仮)『政争と議会と外交』

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