慶応四年(明治元年)二月二十八日(1868年3月21日) 江戸城
「はて、それがしは何も話す事はございませぬ。次郎、そうであろう」
「は、はは……」
次郎は、ここは純顕に任せた方がよいと考えたのか、相づちをうったのみである。
「安藤殿、中納言様、我らと話す事が何かおありでしょうか?」
純顕は笑みをたたえ、言い放つ。
「丹後守殿(純顕)、いかがなされたのだ。もしや先ほどの我らの物言いに、なんぞ腹を立てる事でもあったのであろうか。政道を正し、あるべき元の姿に帰すとは申したが、貴殿の家中、大村家中は別でござる」
信正は冷静を装ってはいるが、心中穏やかでないのは明らかである。
純顕の言葉は、幕府のこれまでの体制への挑戦であり、同時に大村藩が今後、幕府の意向に必ずしも従わない可能性を示唆していたからだ。
他の老中たちも、その含みのある言葉に固唾をのんでいる。
特に、次郎の技術外交によって得られる富と国際的評価が、幕府ではなく大村藩に集中している現状を思えば、純顕の発言はただの脅しでは済まされない。
「別? はて、我が家中と他の御家中、いかなる違いがあるのでしょうか」
純顕は首をかしげてみせた。
ふうっとため息をつき、しばらく考えて座り直す。
「大村藩は、我が国の技術と外交の要にございます。他の諸藩とは異なり、公儀にとってなくてはならぬ存在。ゆえに格別に遇して……」
「格別に遇して? これは異な事を承る。我が家中を御公儀の走狗(猟犬)か何かとお考えにござろうか。加えて、他の御家中は何事にかあらん(どうでもいい存在)と仰せなのでしょう」
純顕の声に冷たいものが混じった。
『他の諸藩とは異なり』との発言を逆手にとっての、断定した反論である。
安藤信正の顔から、余裕の笑みが消え失せた。
他の老中たちも、一様に戸惑いの表情を浮かべている。
純顕の言葉は、単なる感情的な反発ではない。大村藩が持つ圧倒的な技術力と国際的なつながりを背景にした、明確な意思表示だった。
「丹後守殿、それは……」
信正が何かを言いかけて口を閉じた。
慶喜は表情を変えず、じっと純顕を見つめている。その瞳の奥に、わずかな苛立ちと、同時に純顕の言葉の真意を見極めようとする鋭い光が見えた。
「我が家中は、公儀の走狗ではございませぬ。御公儀の意向に沿い、国事に奔走してまいりました。それは徳川宗家への忠義と、この国を外敵から守りたい一心ゆえ。然れど、これではまるで、『狡兎死して走狗烹らる』の故事のままではございませぬか」
純顕は、一つ一つの言葉に力を込めて言い切った。
声は静かだが、部屋全体に響き渡る。次郎は、純顕の隣で静かに座って無言のままだ。
宗家への忠義など、よく言ったと内心思っていたが、おくびにも出さない。
「丹後守殿、貴殿の心得違いにございます。打ち捨てるなどと、|然様《さよう》な考えは毛頭……」
「それがしの心得違いですと? ますます異な事を。我らは、御公儀の合議制への参加を命じられ、この国の行く末を真に議論を重ねてまいりました。それが、勅書一つで反故にされる。これを心得違いと仰せならば、何をもって真と説かれるのでしょうか」
純顕の追及に、信正は言葉を詰まらせた。
他の老中たちは誰も発言しない。
「丹後守殿、朝廷より大政委任の宣旨を賜った以上、幕府の政道を旧来の形に戻すのは当然の成り行き。勅命にございますれば、逆らう事能わず」
慶喜が静かに口を開いた。
その声は、将軍後見職としての権威を帯びている。
「なるほど、中納言様(慶喜)の仰せの儀、至極ごもっともにて、勅書に抗うつもりはありませぬ。然りながら、旧来の形が間違っていたゆえ、我らを含む合議制となったのではございませぬか?」
現在の合議制は、島津久光の働きかけで発足したが、久光にそうさせるほど、幕府の権威は弱まっており、頼りなく思われていたのは事実である。
「そもそも、文政の砌(時)に発した打払令など愚策も愚策。和蘭より逐一外国の有り様は聞き及んでいたはずにございます。にもかかわらず無為無策」
ピーンと空気が張り詰め、静まりかえった場内で、純顕の言葉だけが響いている。
あからさまに幕府の政策を批判しているのだ。慶喜や信正はもちろん、同席している幕閣はぐっと堪えていたに違いない。
「中納言様に伺いたく存じます。もし、我が家中がこれまで、一切御公儀の御政道に関わらねば、いかなる仕儀にございました(どうなっていた)でしょうか。今一度お考えいただきたい」
純顕の声には、幕府への問いかけと、わずかな諦めが混じっている。
これ以上の舌戦を望んでいないようにも見えた。
大村藩が幕府の近代化にどれほど貢献してきたか、そしてその貢献が正当に評価されていない現状を、静かに、しかし明確に突きつけている。
慶喜はその問いに即答せず、純顕をじっと見つめた。
純顕の言葉の裏に隠された意図を探っている。
大村藩の離反は幕府にとって、想像を絶する痛手となる。
技術力、財力、そして国際的なつながりを失えば、幕府の近代化は停滞し、列強との差は再び開くだろう。
それどころではない。
列強からは、統一政権であるとの認識と信頼を失い、幕府の権威は内外ともに失墜するのだ。
安藤信正は額に汗をにじませながら、慶喜と純顕の顔を交互に見る。
「丹後守殿……それは、あまりにも極まりし(極端な)物言いではありませぬか」
信正は、声を絞り出した。もはや懇願にも似た響きがある。
「……では丹後守殿、貴殿の望みは何であろうか。江戸に参府したは何か提言があったのであろう?」
それまで黙って純顕の発言を聞いていた慶喜が口を開いた。
「二百七十余藩と朝廷の御用掛による貴族院の設立にございます」
「!」
純顕は慶喜の問いかけに静かに答えた。
その言葉は突飛なようでいて、しかしこの場の全員が感じ取っていた時代の流れを、1つの形として提示しているかのようである。
「貴族院とは……いかがなる仕組みにござるか?」
信正が、戸惑いを隠せない様子で尋ねた。
貴族院という聞き慣れない言葉、そして二百七十余藩と朝廷の名に、従来の幕府の体制がどう結びつくのか、混乱しているのがわかる。
「文字通りにございます。朝廷より国事御用掛の皆々様、そして二百七十余藩の藩主、もしくは名代をもって議院を設けます。そこで国事、とりわけ外交や軍事、この国の行く末に関わる重き事を諮るのです」
純顕は、次郎と事前に練りに練った構想の一端を明かした。
単なる思いつきではない、現実を見据えたうえでの提案である。
「つまり……公儀の政を、諸藩と朝廷が共に差配すると仰せか?」
慶喜の声が、わずかに低くなった。
鋭い視線が、純顕に注がれる。将軍後見職として、また徳川宗家の当主として、彼の胸中には複雑な思いが交錯しているに違いない。
幕府の権威衰退への危機感、しかし同時に、もはや幕府単独ではこの国を治めきれない現実がある。
従三位権中将が従四位下丹後守に配慮しているのだ。
慶喜の純顕に対する言葉が『申すのか』ではなく、『仰せか』なのが、それを如実に表している。
「さようにございます」
純顕は慶喜の視線から逃げず、まっすぐ答えた。
「然れど、それでは公儀の権を損ないましょう。大政委任の宣旨を賜ったばかりにございますぞ」
信正が幕府の立場を慮るように言った。
幕臣としての忠誠心と、幕府体制の維持への強い思いが表れている。
「御公儀の権を損ないませぬ」
純顕がきっぱりと答えた。
「徳川宗家は、依然として武家の棟梁として重きをなして尊ばれます。然れど、御政道は議会の議決により決めるべきにございます」
慶喜が深く考え込んでいる様子を見て、純顕は続けた。
「中納言様(慶喜)、このたびのパリでの技術外交も、我が家中のみでは成し得ませんでした。御公儀の権と我が家中の技術力、そして諸藩の協力があってこその成果でございます」
ここで言う公儀は江戸幕府のことだが、本来公儀は公の儀で、それを執り行う政府のことである。
「中納言様、恐れながら申し上げます」
次郎はこの瞬間まで沈黙を保っていたが、ついに口を開いた。
慶喜が次郎に視線を向ける。
「フランスを筆頭とする諸外国は、我が日本を、まとまりし一つの国と見なしておりまする。彼らが望んでおりますのは、諸藩がてんでに事を構えるのではなく、公儀による、ただ一つの政府なのでござる」
「それは……」
信正が言いかけたが、次郎は続けた。
「ただ今の技術協定も、我が国が統一政府である前提として締結しております。もし政治の乱れが生じれば、これらの協定も危うくなりかねません」
慶喜の表情が険しくなった。
確かに、諸外国からの信頼を失えば、苦労して築いた国際的地位も水泡に帰す。
わかりきったことだ。
「もし、否とするならば?」
「何もいたしませぬ。先ほど申し上げたとおり、我が家中は今後一切政には口を出しませぬ」
――数時間後。
「殿、よろしかったのですか?」
「構わぬ。わしは建言したのみ。容れられずば、おとなしく大村を動かねばよいのだ。次郎、お主は松前に向かえ、家老の勘解由殿とは昵懇であろう?」
「は、それは確かに。まさか、殿……」
わはははは! と純顕は笑った。
決して心身壮健ではないが、こういうときの純顕は妙に豪胆に見える。
「なに、万が一の事を考えてじゃ。軽挙妄動はせん。わしはこれから尾州へ参る」
「! 大納言様(徳川慶勝)のもとにございますか?」
「うむ。横浜から藩営の……ああ、大浦屋へ払い下げたのであったな。連絡客船が出ていたであろう。あれに乗ってゆく。その後加賀、福井、大阪から土佐、宇和島、長州、佐賀、鹿児島と参ろうかの。頼むぞ」
「御意」
次回予告 第426話 (仮)『幕閣と純顕と次郎、北へ南へ』

コメント