元亀元年 七月二日 岐阜城
「まったく戦になりませぬ」
岐阜城の居室で信長と話しているのは、嫡男の勘九郎信忠である。
「ほう、どのように違うのだ」
「は、われらが戦をする際は、まず斥候を出して相手の動きを探ります。籠城するのか野戦なのか、野戦ならばどこが主戦場になるか、どこにすべきかを考え決めるかと存じます」
うむ、と信長。
「そこまではほぼ同じですが、いざ会敵したらまずは大砲にて相手の出鼻をくじき、戦意を喪失させます。小佐々の大砲は、おおよそ一里から一里半飛びまする」
信長の眉がピクリと動く。
「一里、とな」
「はい、大砲の種類にもよりますが、一番短いものでも五町ほどは飛びまする。それは鉄砲とは違い、この手元、筒の先からではなく後から込める大砲にて仕組みが違います」
(今、われらが作っているのは、小佐々ではすでに旧式なのか)
信長は予想はしていたが、明らかに驚きを隠せない。十倍も距離が違えば、確かに戦にならない。
「また、兵は騎兵、歩兵、砲兵と分かれております。他にも衛生兵や工兵、そして輜重兵などがおり各々の役をこなしております。このうち工兵は、歩兵を兼ねる時も多うございます」
「槍兵や弓兵はおらぬのか?」
「はい、おりませぬ。さきほどの歩兵、騎兵、砲兵の三種で、なにやら三兵戦術と申しておりました」
「槍兵……では騎馬の突撃に足軽はどうするのだ? 雨の日は火縄が使えまい? 弓兵がおらぬと困るであろう?」
信長が当然ともとれる質問をすると、信忠は即座に答える。
「小佐々では鉄砲の先に刀をつけ、槍の代わりにしております。長槍に比べて短いので使い勝手が問われますが、もっぱら槍兵として足軽を使うよりは、そのほうが強いのです」
信長が首をかしげる。本当にそうなのか? 実際には戦場を見てみなければわからない。
「種子島においては驚くべき事がふたつあります。まず、その数が尋常ではありませぬ。歩兵すべてが持っております。数にすれば、おおよそ五万挺ほどはあるでしょうか」
「ご、五万挺? 馬鹿な! そんなはずがあろうか!」
信長が驚くのも無理はない。史実での信長は、長篠の戦いで三千挺の鉄砲を使用したとされるが、その十倍以上で、桁が違う。
「なんと、領内に鉄砲鍛冶場がどれほどあるというのだ。火薬の量も尋常ではなかろう」。
「はい、詳細は存じ上げませぬが、お考えの通りかと存じます。また、小佐々の鉄砲には火縄がありませぬ」
「なんだと? 冗談を申すでない」
「誠にございまする。火縄ではなく、火打ち石にて火花を散らし、玉薬に火をつけるのです。全てではありませぬが、霧雨や小雨であれば火縄より格段に撃てまする」
大砲の数も鉄砲の数も、仕組みも飛距離も違う。
いったい何年先を行っているのだ? 信長は恐怖にも似た感情を覚える。どれほどの財力なのだ? どれほどの技術力なのだ?
「あいわかった。それで……、どうだ、他にはなにかあるか? 学問はどうなのだ? 小佐々の領内には小学、中学、高等学校とあるというではないか」
信長は諦めたような顔をして聞く。
「はい、それがしは中学一年、今年の春に二年になりましたが、国語、数学、理科、社会、それからポルトガル語を習っております」
「なに? 何? なんだ? 南蛮の言葉まで学ぶのか?」
「はい、弾正大弼様、いえ、今は近衛中将様となりましたが、いわくこれからは、『国際化社会』らしいのです。良く存じませぬが、漢文とも日ノ本の言葉とも違うので面白うございます」
「なるほどの、まあ純正が考えることじゃ。後日の役に立つのであろう。その他の国語や数学、理科や社会など耳慣れぬの」
信長の中にはいぶかしがったり、恐れたり、様々な感情が入り混じる。
しかし純正の事や領国のこと、すべてが新しい事なので、信長はその話をするときには常に生き生きとしている。
「はい、まずは国語にございますが、こちらは要するに読み書きにございます。われらは、四書五経をはじめとした文書に多くふれておりますゆえ良いのですが、武家ではないものもおります」
「なに? 町人や百姓も同じように学んでいると申すか」
「はい、ゆえにその者どもはわれらに比べ、文書に触れておりませぬ。まずは小学にて読み書きを覚え、徐々に漢字の数や難解な書物を読むように順をおって学んでおります」
ふむう、と信長はうなる。商人なら、まだわかる。丁稚で読み書きやそろばんは必要となるので学ぶが、百姓が読み書きや算術を学んでなんになるのだ?
それが信長の正直な感想なのだ。
「実のところ肥前様の領内では、武家も町民も商人も百姓も関係なく、小学までは誰でも学べるのです。小学は、それぞれの村々にある寺でも、新しい学校と同じような事を学べます」
いったい純正の狙いは何なのだ?
「そうして求める者の中で優れた者が選ばれ、中学へ進みます。最初は武家の中には、その者らを毛嫌いする者も多かったようですが、肥前様がそれを許さないのです」
「なぜだ?」
「はい、礼儀や礼節はもちろん大事ですが、武家が他の者を見下したり、犬猫のように扱うのは間違っていると。家柄や身分、格式は大事だが、農民や町人を蔑ろにしては国がたちゆかぬ、と」
なるほど、確かに一理ある。秀吉を召し抱えた信長である。このあたりは理解が早い。
「そうして優れた者が大学で、どのような作物がどのうようにすればより多く、より飢饉に強いかを学べるのです。これは商いでも同じであり、職人の子は工学部にて、さらなるからくりを学ぶのです」
「なるほど、そうした学びの積み重ねが、さまざまな作物や産物、そして銭を生むしくみとなって国を富ませるのであるな」
「はい、さようにございます」
「うむ、それから数学とやらは、おそらく、算術か?」
「は、しかしこれは、様々な学問の基になるものでございます。大砲の玉がどれほど飛ぶのかを求めたり、城を築く時にどうすればもっとも強固な土塁や城壁がつくれるか、など、なにしろ不可欠な学問でございます」
「ふむ、理科は?」
「これはそれがしもはじめて聞いた学問にございますが、南蛮では錬金術とも呼ばれております」
しかし、と信忠は続ける。
「もっとも、先生方の申し伝えによれば、錬金の術は『木石問わず、すべてのものが命を持つようなもの』とされています。しかし理科、つまりは変質の学、化学ともいえるものは、『この世のさまざまな現れはすべて変質の働きによるもの』とされ、これらは似て非なる物のようです」
信長は頭を抱え、しかめっ面をしていたが、やがて言った。
「よくわからぬが、南蛮の模倣だけにとどまらず、純正の領内では独自の学問が芽生えているようであるな」
信忠はうなずく。
「社会は日ノ本にとどまらず、ルソンや富春、アユタヤなどの南方に、欧州を含めた世界の、この世の有様を学びます」
その後も信長は信忠に対して質問を繰り返し、聞き入る。
難解な言葉も時には出てきたが、信長の純正に対する、小佐々領に対する知的好奇心はますます盛んになるばかりであった。
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