第413話 元亀元年の浦上宗景への詰問状

元亀元年の浦上宗景への詰問状 新たなる戦乱の幕開け
元亀元年の浦上宗景への詰問状

 元亀元年 九月十五日 諫早城

「殿、大使館より定時通信にございます」

 京都大使館に配属されている情報省の職員(忍び)から定時報告があった。

 京都~堺湊、阿波湊~土佐宿毛湊、豊後佐伯湊~肥前諫早城間はすでに街道が整備されており、駅馬車も走っている。

 さらに土佐の甲浦から宿毛までは信号所もあるので、三日から四日ごとに定時連絡が送られてくるのだ。

「見せよ」

 

 発 京都大使館内情報省職員 宛 総司令部

 秘メ 織田弾正忠様、伊勢長島ヲ攻メリ。大砲ナラビニ南蛮式ノ船アリテ、総勢五万ニテ包囲殲滅セントス。浅井備前守様、若狭ヨリ丹後二攻メ入レリ。 秘メ ○九一○

 

 伊勢長島の一向一揆攻めか、と純正は思った。本来は攻略には4年かかっている。

 しかし、第三次の7~8万に比べれば少ないものの、水軍も参加している。補給を遮断し、孤立させて兵糧攻めを行えば、あるいは陥落させ平定させるかもしれない。

 そうすれば、信長包囲網がいっそう弱体化する。

 現時点で信長包囲網の有力な勢力は、本願寺に雑賀衆、朝倉義景と比叡山延暦寺である。筒井順慶は松永久秀に屈し、織田の傘下となっている。

 武田信玄は第二次包囲網に参加するも、途中の三河野田城で病没する。

 織田家と武田家はまだ関係が良好なはずだ。比叡山延暦寺も焼き討ちされていないので、信玄が信長を「天魔ノ変化」と非難することもない。

 このままいけば天台座主の覚恕法親王(かくじょぼうしんのう・正親町天皇の弟宮)が甲斐に亡命することもなく、義昭の命で西上する事もないかもしれない。

 少なくとも、今は信長にとって差し迫った脅威ではなかった。

 信長にとって、今は長島一向一揆が当面の敵であり、足元を固めて本格的に畿内の制圧に取りかかろうとしていたのだ。

(これは、包囲網がどうなるかわからぬな。弱体化しているのは明らかだが、信長はどうでるだろうか?)

 第二次包囲網は三年後の元亀三年に終結する。

 しかし、義昭の行動に信長も辟易しているし、義昭の信長からの独立心が強くなるのが早い。歴史より早いのだ。

 決別するのは時間の問題かもしれなかった。

(備前守殿は、これはすごいな。歴史と真逆も真逆を行ってるじゃないか。しかし、あまり行きすぎると、信長の反感を買うか? このあたりでお祝いと釘さしの手紙でも書いておくか)

 ■備前 天神山城

「殿」

「なんじゃ」

 家老の明石行雄が浦上宗景に声をかけた。

「小佐々から、書状が届いております」

「なに? 小佐々から?」

 宗景は不審に思った。まったくではないが、接点がない。敵対はしていないが、親交もない。良い文か、悪い文か。

「小佐々は九州と四国を統べる大大名だが、山陽と山陰には介入せずに慎重な姿勢だと聞き及んでおるが、なんであろう」

 宗景は書状を開き文面を読むが、顔色がみるみる変わっていっているのがわかる。

「どのような事を書いているのですか」

 宗景はぐしゃりと書状を握りつぶし、行雄に渡す。

「読んでみよ! 物腰は丁寧だが、要するに宇喜多を切り捨て、降れと言うてきておるのだ。まさに、慇懃無礼だ」

 

 浦上帯刀左衛門尉殿

 突然の文、何卒お許し願います。名月の晴れ渡る夜、左衛門尉殿におかれては、いかがお過ごしかと思いて筆をとりて候。

 筆をとるのも初めてにして、面識もなきに候へども、実のところ両家にはつながりがありて候。

 その理由をこれより述べさせていただきたく存じ候。

 昨年左衛門尉(浦上宗景)殿は、播磨守護の赤松家の当主の座を奪いたる謀反人たる赤松義祐、ならびに小寺政職を助け、正統な赤松家当主たる赤松晴久を庇護せり赤松下野守政秀殿に攻め入りて候。

 公方様ならびに織田弾正忠殿、下野守殿を助け給うたれども、これすなわち下野守殿の行いを正当とする幕府の沙汰に候。

 しかるに左衛門尉殿はこれに従わず、下野守殿を降伏せしめ所領をわがものと致して候。

 当家は公方様に従い奉り、弾正忠殿とも盟約を結びて昵懇の間柄ゆえ、見過ごすこと能わざりて候。

 播磨、備前の事なれば、本来なら西国探題の務めに候へども、探題は久しくなきに等しく候。

 また配下の国衆である宇喜多右衛門尉殿の非道は聞きおよび、わが領民ならびに商船も被害を受けて、看過できぬ事態になりて候。

 はばかりながらそれがしは、微力なれども争いをやめ静謐をもたらさんだけの力は持ちたると存じて候。

 播磨、美作、備前の大名国衆がそれがしに従えば、争いは起きず静謐となり候。

 返事は急がずとも良いと存じ候へども、左衛門尉殿のお答えやご見解はいかばかりかと存じ候。

 正四位下近衛中将源朝臣

 

「なんと無礼な! 傍若無人にもほどがある。とうてい呑めるものではありませぬぞ」。

 明石行雄は顔を赤くして怒りをあらわにしている。

「その通りじゃ。宇喜多の帰参を許し力を蓄え、備前に美作、そして播磨にも力を伸ばしているのだ。ここで小佐々にくだるなど……」

 宗景は行雄が書状を読む間に、少し冷静になったようである。

 2人とも純正の手紙には憤慨しているようだが、それでもどう対処すべきか考えなければならなかった。

 内容は2人にとって無礼だが、小佐々の強大さは知らぬものがいない。

「いずれにしても会わねばなるまい。どのような意図で文を書いたのか。われらを従わせるとしてどうするのか。そして小佐々に対するならば、正直なところ、毛利と和を結ぶしかあるまい」

「さようにございますな。われらは毛利とも戦い、織田とも戦っております。まずは小佐々の要求の詳細を聞き、とうてい受け入れられぬものであれば、毛利と結ぶもやむなしにございます」

 ふむう、と宗景は考え込む。

「よし、そちは使者として小佐々と会ってきてくれぬか。それから対応を考えよう」。

 手紙の内容と純正の真意を探るため、会談の申し込みが純正のもとに伝えられた。浦上側の代表は明石行雄だが、小佐々側は太田和利三郎になるであろう。

 純正は同様の文を播磨の赤松義祐や別所長治、小寺政職らの大名国人衆にも送った。

 もちろん、文面の主語や内容は変えた。

『浦上にはこういう書状を送ったけど、みなさんをどうこうするつもりはありませんし、どうしたいかはご自身でお決めください』みたいなものだ。

 あくまでも丁寧に、慎重に、ゆっくりと調略をしてゆく方針である。

 別所氏は親織田なので問題ない。

 幕府と織田に敵対した現当主の赤松義祐や小寺には、過ぎたる事ですまされぬとはいえ、これ以上の争いは望まない、と送ったのだ。

 小佐々、毛利、浦上、尼子、山名、赤松、別所……。それぞれの思惑が交錯していくなか、時はすぎていく。

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