永禄四年(1561年)九月 大村館 沢森政忠
「平九郎よ。おぬしの言った通りになったのう」。
八月、宮の前事件は、史実通りに起きた。本当は事件前に、準備万端で横瀬浦誘致を進める予定だったけど、仕方ない。
「は、また今回の件は、三年前の宣教師ガスパル・ヴィレラの追放も大きく関わっておりまする。ポルトガルは平戸に不信感を抱いており、松浦隆信は事件の首謀者を罰していないとか。間隙をぬって食い込むには、まさに今かと」
父と小佐々弾正様同席のもと、大村民部大輔純忠の御前にて意見を述べる。
「左様か。余も南蛮船をなんとか呼び込めないかと考えておった。しかし決め手がなかったのだ」。
(お膳立てが足りなかったのか? 松浦は敵にまわすが、いずれにしても相神浦が滅びれば、全面衝突するはずだ。早いに越した事はない。この人やり手だかなんだか、よくわからん!)
「力及ばず申し訳ございません。それに関しましては腹案がございます」。
前置きをした後で俺は話し始めた。純忠は身を乗り出す。
「されば、豊後の大友左衛門督様のお力をお借りなさいませ。豊後府内は南蛮との商いも盛んで、平戸と同じ頃に始めておりまする。またキリシタンとの衝突も起きておらず(今のところはね!)、肥前守護の左衛門督様の推薦であれば、南蛮人も良い返事をするかと」
純忠はうなずきながら聞いている。
「また、府内在住のコスメ・デ・トーレスに対しても、民部大輔様はキリシタンに興味をいだいており、領内の横瀬港を開き南蛮船を招きたい、との旨お書きください。もちろん、現地を治める横瀬村の代官も同じ意向(反対派はいない)だとも添えるのが肝要です」
「なるほど、弾正、兵部小禄、その方らはどう思う?」
「は、それがしも同じ考えにございます。松浦が力を持っているのは南蛮との交易による力が大きく、民部大輔様におかれましては、今後松浦との衝突は避けられませぬ。したがって今、この時に南蛮と関わりを持って力を蓄える事に、益はあっても損はございませぬ」
と父が言えば、小佐々様がつづく。
「南蛮貿易はキリシタンと一体になっておりますれば、我らが布教に関心がある、と匂わせるのが肝要。そのためにもトーレスなる神父の元へ文を送るのは、効果的かと存じます」。
二人とも、俺の受け売りー!
でもそれが効果的。
元服したとは言え、数え十二の鼻ったれが言う言葉と、歴戦のツワモノで西海に名のしれた小佐々の頭領と、その腹心が言うのでは重みが全く違う。そしてこの二人は、大村様の信頼も厚い。
「新助、そちはどうだ?」
脇に控えていた家老の朝長新助純安は、『は、よきお考えかと』と言葉少なに答えた。
「ふむ。そうであるか。……よし、では動くとしよう」
こうしてやっと、横瀬浦南蛮船誘致が現実味を帯びてきた。
「……それから、ほれ、例の、しゃぼんじゃが……」
「は、これに」
俺は十二個が一箱にまとまったしゃぼんを、スッと差し出した。もちろん! 最高級ブランド「沢森しゃぼん(仮称)」じゃないよ。やっすーい、やつのほう。まあ、ばれないだろ。
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