第471話 『決裂か妥協か』

 慶応五(明治二)年四月十八日(1869年5月29日)

 ――井伊掃部頭、長州征討を動議せり候。

 大村は反対するも強硬採決ならば決裂も辞さずと発言せり候――。

 短い文面は、またたく間に海を越えた。




 ■長州 萩城

「殿。ただちに上洛すべきにございましょう」

 電文を読み上げた木戸孝允は、黙して語らない毛利敬親に向かって進言した。

「もはやこれまで! 幕府の専横、許しがたし!」

「大村が時を稼いでいる間に、我らが兵を率いて京を衝くべきだ!」

 事前に内容を知っていた藩士たちは、ここぞとばかりに憤りを爆発させていた。

 が……。

 殺気立つ者たちを、木戸は冷静な視線で制していたのである。

 感情に任せて動けば、直憲の思うつぼだ。

 征討の格好の口実を与える結果になる。

 木戸は電文の最後の一文を繰り返し読んだ。

『ケツレツモジサズ』

 次郎の覚悟がはっきりと示されていた。

 もし征討に踏み切れば、大村藩が本気で幕府とたもとを分かつ可能性があると、確信したのである。

「うむ、そうせい。政之助の儀は無念ではあるが、その意をくんで大義をなすにはそれがよかろう。されど晋作、抜かるなよ」

「はは」

 敬親は決断するも、傍らの晋作には武備は怠るなと釘をさしたのであった。




 ■薩摩

 時を同じくして小松帯刀邸では、帯刀と西郷、そして大久保が電文を前に協議していた。

 部屋には重い沈黙が垂れ込めている。

 京からの短い知らせが持つ意味を、3人はそれぞれの立場で噛み締めていたのだ。

「小松さぁ、大久保さぁ、好機じゃ」

 沈黙を破ったのは、西郷隆盛であった。

 普段は温和な巨体から、煮えたぎる溶岩の如き怒気が立ち上る。

「幕府がこげな暴挙に出るなら、我らが天誅てんちゅうを加える大義名分が立つ。今こそ兵を挙げ、君側のかんどもを討つべきときではなかか」

 まるで戦の号令である。

 長州が攻められれば次は薩摩だ。

 そうなる前に先手を打つ西郷の思考は単純明快であり、ゆえに恐ろしいほどの説得力を持っていた。

 しかし、殺気立った空気を大久保の一言が断ち切る。

「西郷さぁ、まだじゃっど」
 
 大久保は電文から目を離さず、冷静に首を横に振る。

「今、兵を動かせば、我らはただん反逆の徒になっ。掃部頭ん思うつぼ。征討ん大義名分を、完全に幕府が握ってしまう」

「じゃあこんまま長州が見殺しにされっとを黙って見ていろちゆとな」

「見殺しにはせん。見てみぃ、こん文面を。『ケツレツモジサズ』。左衛門佐殿は、本気で幕府と事を構ゆっかっごをしちょい。我らが武力に訴ゆれば、そん大村んはしごを外す事になっ。さすれば、我らは完全に孤立すっど」
 
 大村藩を敵に回す愚は、絶対に犯してはならなかった。

 黙って二人のやり取りを聞いていた小松帯刀が、静かに口を開く。

「大久保さあの言うとおりじゃ。左衛門佐殿んかっご(覚悟)は本物じゃ。もし大村が幕府と決裂すりゃ、日ノ本は二つに割るっ。我らがそん火種となっわけにはいかん」
 
 帯刀は藩の首席家老として、常に現実的な判断を下さなければならない。

 薩摩一藩で幕府と大村を同時に敵に回すことは、破滅を意味した。

「じゃ、どうせーちゆど」

 西郷は納得しかねる様子で腕を組んだが、小松は大久保と視線を交わしてから答える。

「上洛せんにゃならんやろう。殿には病気平癒を理由に、議会へ復帰していただく。長州もおそらく同じ手を打つじゃろ。我ら|薩長《さっちょう》が再び議会にそろえば、掃部頭とて、数ん力だけで押し通す事はできんはずじゃ」
 
「……よかっど(いいだろう)。じゃが、万一ん備えは怠ってはならん。京が力で我らを排除しようとすんならば、そん時は」

「無論じゃ」

 西郷の言葉に小松は力強くうなずいた。

「吉井さぁ(吉井友実)には、兵を率いていつでも動けるよう、万全の準備をさせちょきもす。上洛して前と同じく言論で戦う。されど、そん背後には常に抜き身ん刀を置いちょくこっを忘れもはん」

 その言葉に、西郷はようやく表情を和らげた。




 一方、京都議事堂――。

 長州征討の可否で熱戦を繰り広げていた貴族院であったが、次郎が放った『黙っていない』発言に、直憲が反論したことで、5日間の休会となっていたのである。

「議長、すなわち貴殿は貴族院の議長職にあって、中立とあらねばならぬ立場。されどかように一方に偏った論を言い張り抗うのは、いかがなものか」

 直憲は、今度は征討の可否ではなく、次郎の立場を批判したのだ。

 貴族院議長は委員会に出席して質疑応答はできても、本会議ではできない。公平で円滑な議事進行のための役職である。誰も指摘してこなかったが、明らかに逸脱していた。

 そこを突いたのだ。




 ■慶応五(明治二)年四月二十四日(1869年6月4日)

 議長はあくまで中立な進行役に徹するべきである。

 一議員として議論に加わり、自らの意見を主張し、議場の流れを特定の方向へ導くことは、職責からの明らかな逸脱行為ではないか。

 誰もが次郎の類まれな弁舌と存在感に圧倒され、あえて触れてこなかった部分。そこを直憲は的確に、そして冷酷に突いたのだ。

「しかり、そのとおりだ!」

「議長は公平であるべきだ!」

「これでは我らの考えなど通るはずもない!」

 次々と公議政体党の議員たちからヤジが飛ぶ。

 無党派層をはじめ日本公論会の議員はもちろん、次郎でさえその主張には反論ができないでいた。
 
 公議党は、次郎の主張に対抗できないからこそ『議長の立場』を持ち出している。
 
 公論会の議員たちのなかには『何を言うか!』と色めき立つ者もいたが、もちろん有効な反論などできない。

 なぜなら直憲の指摘は、議会制を成り立たせるうえでの大原則に則った、紛れもない正論であったからだ。

 議場の空気は、一変した。

 ……かと思われた。




「ではそれがしが」

 そう言って傍聴席にいた純顕が前へ進み出たのである。

「それがしが本来の役目を果たせば障りはないのではござらぬか。無論、議長の次郎には議事進行に専念させる。いかがか?」

「ばかな! 議長に議決権がないなど……それでは議員ではない。議員でないものが議長など、まかり通るのでござろうか」

「はて……議員でなければならぬ法もないではござらぬか」

 確かに、議長の立場や役目はもちろん、必要な資格を定義する根本的な法もなかったのである。

 議会黎明れいめい期の、細かな決まり事がなかったために生じた現象であった。




「まあまあ、各々方、よろしいではありませぬか」

 発言したのは、議長の立場に関する動議で次郎を追い詰めた直憲であった。

 意外ともとれる発言に、公議党の議員も驚きを隠せない。

 公論会の議員は『掃部頭は何を企んでいるのか』と、多くが懐疑的である。

 実はこの時点で直憲は採決しても勝てないと踏んでいた。

 最初の公儀御料所の件は各藩に実害はない。

 そのために根回しで勝てた。

 しかし今回は違う。

 どれだけ負担がないと説得しても、次郎の理論に抗えなかったからである。

 そこで、論点をすり替えたのだ。

「なるほど、六衛督殿の仰せごもっとも。なれば各々方、議長の儀はおいおい論ずるとして、まずは征討の儀。それがしも性急が過ぎましたゆえ、まずは薩長に対して詰問状を送るのはいかがでございましょうや」

 大村藩の立場を考慮したように見せつつ、銭金ではなく、大義によって征討の正統性を得ようとしたのである。




 そのとき――。

 次郎の耳元に何やら伝言が告げられた。




 次回予告 第472話『水面下の奔流』

 直憲による長州征討の動議に対し、議長の次郎は『決裂も辞さず』と強硬に反対する。

 その知らせを受けた長州と薩摩は、大村の覚悟を信じ、挙兵を抑えて上洛し言論で戦う道を選ぶ。

 一方、京都の議会では、直憲が征討の是非ではなく、議長である次郎の中立性を問題視して論点をすり替える。

 さらに劣勢を悟った直憲は妥協案として薩長へ詰問状を送ることを提案。

 議論の最中、次郎のもとに伝言が届く。

 次回、伝言の内容とは? 行き詰まる舌戦の行方やいかに?

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