第916話 『王たちのチェス盤』

 慶長八年四月一日(西暦1603年5月11日) リスボン

「何が賢王だ。バカバカしい。稀代きだいの愚王ではないか」

「馬鹿野郎! 大声で言うんじゃねえ。捕まっちまうぞ」

「庶子とは言えかわいそうに。何千何万リーグも果ての東の国に嫁がされるとは……」

「ダイニホン……か何か知らないが、結局政略結婚だね。まあ庶民には関係ないこった」




 少なからず、表には出ないにしろ、いたのは確かだ。

 セバスティアンの治世も、人種の壁を完全に取り払うには時間が足りなかったようである。

 枢機きょうが終身刑となっても、保守派が弾圧されたわけではない。

 カトリック派はある者は国外に逃げ、ある者は自らの信条に則って国内に残っていた。

 しかし、セバスティアン1世の治世が民衆にとって豊かさをもたらすなら、批判は消えてなくなる。

 図らずも成立した三国同盟に、世界の命運が委ねられたのであった。




 ■慶長八年五月十五日(西暦1603年6月24日) リスボン

 リスボンの街は、かつてない祝祭の雰囲気に包まれていた。

 テージョ川を行き交う船には色とりどりの旗が掲げられ、サン・ジョルジェ城からジェロニモス修道院へ続く道は、花で飾られたアーチで埋め尽くされている。

 大日本帝国皇太子の小佐々平十郎純勝とポルトガル王国第1王女のマルガリーダ。そして、ネーデルラント連邦共和国の総督の弟君、フレデリック・ヘンドリックとポルトガル王国第2王女のイザベル。

 2組の歴史的な婚礼が、今日同時に執り行われるのだ。

 第1王女マルガリーダは、セバスティアンによって正式に認知され、特別勅令で王女の地位を授かっている。母君の出自に関わらず、彼女は正統な王女として諸外国からも承認されたのだ。




 式の後の祝賀会は夜更けまで続いた。




 ■サファヴィー朝ペルシア 首都エスファハーン

「陛下、本当に良かったのでしょうか」

「……何がだ?」

 アッバースは、ファールス州知事で側近のアッラーヴェルディー・ハーンに聞き返した。

「国内の電信の開通は良いですが、オスマンとの友好路線など……やっとウズベクを討伐してホラーサーンを奪い返したばかりではありませんか。北西方面の国境は安定しました。アゼルバイジャンやタブリーズなど、奪還計画の途上だったのですぞ」

 アッバース1世は、アッラーヴェルディーの言葉を遮らずに最後まで聞き届けた。

 玉座から立ち上がると、イマーム広場を見下ろす大きな窓へとゆっくりと歩を進める。壮麗な青いタイルで飾られた王宮の外には、彼の治世の象徴である壮大な都市が広がっていた。

「お前の意見も一理ある。オスマンは我らが父祖の土地を奪った宿敵。憎しみは決して消えぬ」

 アッバースは静かに言った。声は低く、落ち着いている。

「ですが陛下、ならばなぜ……」

 アッラーヴェルディーがなおも食い下がろうとするのを、アッバースは片手をあげて制した。

「視点を変えよ。我らの敵は、もはや西のオスマンだけではない。世界が変わろうとしているのだ」

 アッバースは振り返って、鋭い瞳で側近を射抜いた。

「先日、日本の使節が見せた技術を忘れたか。長らく交易しているが、『電信』なる物は初めて見た。瞬時に情報を遠方へ伝えるのだぞ。軍馬をいくら走らせても、到底及ばぬ速さでだ」

 彼の脳裏には、日本の使節ジュリアンが実演して見せた光景が焼き付いていた。

 遠く離れた受信機が、寸分違わず同じ符号を打ち出すのである。魔法などではなく、緻密な計算と設計に基づいた技術の産物だとジュリアンは言った。

「戦争とは、情報の奪い合いでもある。敵の配置、兵の動き、補給路。敵より早くそれらを正確に知る者が勝つ。電信網が国土を覆えば、我らは国内の反乱の兆候をいち早く察知し、国境を脅かす敵の動きを即座につかめる。すなわち何万の兵にも勝る力となるのだ」

 側近は言葉を失った。アッバースの言葉は、想像をはるかに超えていたのである。

「それに、日本がもたらすのは電信だけではない。鉄を造る技術、船を動かす技術、そして新式の鉄砲。我らが失地を回復するために必要なものは、兵の数ではない。兵一人ひとりの質を高める、優れた技術なのだ」

 当然だが最新のスクリュー蒸気船や後装式の大砲やライフル銃ではない。

 しかし、この時代の明らかなるオーパーツなのだ。

 アッバースは再び窓の外に目を向ける。

「オスマンとの間に電信を敷設するのは、彼らと友好を結ぶためではない。いずれ断たれるのを前提にしているのだ」

「!」

 まさにアッラーヴェルディーの心中を表していた。

「断たれる? ではなぜ……」

「良いか、平和とは戦争と戦争の間の準備期間でしかないのだよ。むしろそう思っていた方が被害も少ない。表向きはヤツらと友好を装って情報を吸い上げ、日本の技術を我が物とするためだ。今は力を蓄えるとき。この好機を逃せば、我らはオスマンどころか、世界の潮流から取り残される」




「陛下、日本の使節代表がコンスタンティノープルから戻ってまいりました」

「ほう……」

「陛下、この度は我が国の申し出を受け入れていただき、誠に……」

「ジュリアン殿、その件はもう良い。互いに利益があるのでな。それよりも……西の国のネーデルラントがオスマンに兵器を提供する噂を聞いた。……もし本当なら、もちろん貴国は同等の支援をしていただけるのでしょうな?」

「! ……もちろんです。両国の平和が我が国の国益にもなりますので」




 アッバースの笑みを浮かべた視線がジュリアンに突き刺さった。




 ■タウングー朝ビルマ  首都 アヴァ

 乾季の乾いた風が吹く練兵場で、轟音ごうおんと共に鉛の弾が分厚い的の板を撃ち抜いた。兵士が構えるのは、日本から供与されたばかりの雷管式の鉄砲である。

 火縄銃とは比較にならない貫通力と速射性能を目の当たりにして、居並ぶ将軍たちから驚嘆の声が上がった。

 しかし、玉座からその様子を眺めるニャウンヤン・ミンの表情は、満足と警戒が入り混じって複雑である。

「陛下。日本の技術は恐るべきものです。これがあれば、シャン族の残党を一掃するのも時間の問題かと」

 側近の1人が興奮気味に話しかけた。

 ニャウンヤンは静かにうなずく。

「うむ。鉄の作り方や米の増やし方、それに鉄砲。日本の力は、我が王朝再興の礎となるだろう。彼らは我らに利をもたらした。今のところはな」

 王の言葉には偽りはなかった。

 この2~3年で、日本の技術はビルマの国力を着実に底上げしている。しかし、だからこそ彼の内心の疑念は深まっていたのだ。

「されど陛下……」

 側近は声を潜める。

「数年前まで日本は、我が国の混乱に乗じてシリアムをはじめとする沿岸の地を奪い、中小勢力をあおって我らを分裂させようとしていたはず。それが今になって、これほどの支援。いったい何を望むのでしょうか」

 ニャウンヤンは、試射を終えた鉄砲を手に取った。

 ずしりと重い鉄の感触を確かめながら、低い声で答える。

「狙いは変わっておらんよ。我らの支配だ。やり方を変えたに過ぎん。今や奴らにとって分裂した小国をまとめるよりも、このオレを手なずける方が手っ取り早いと考えたのだ。悪く言えば、東のアユタヤを牽制けんせいするための、都合の良い駒としてな」

「なんと……」

 彼は鉄砲の銃口を、東の空のアユタヤのある方角へと向けた。

「しかし、支配といっても征服されるわけではない。……そうだな、影響下に置く、と言った方が正しいかもしれんな。それに仮に利用されていたとしても、されるだけでは終わらん。いつの日か……我らの手で沿岸の地を奪還し、父祖バインナウン王の偉業を再びこの地に成し遂げる。その時まで、日本とは友人でいるのだ」

 ニャウンヤンは壮大な野心を抱いていたが、客観的に見ると、ほぼ不可能に近い険しい道のりであるのは明らかであった。




 ■アユタヤ王朝 首都アユタヤ

 チャオプラヤー川のほとりに立つ壮麗な王宮。

 ナレースワン大王は、ポルトガル商人からもたらされた最新の報告書を前に、苦々しい表情を浮かべていた。

「……やはり事実か。日本が、タウングーのヤツらに軍事支援を始めたのは」

 御前に控える外交を司る大臣が、重い口調で答える。

「は。間違いございませぬ。新型の鉄砲とその弾薬が運び込まれたようです。ニャウンヤンは勢いづき、シャン諸州の平定を急速に進めているとの知らせも……」

 ナレースワンは拳を強く握りしめた。

「純正め……! 10年以上前に明が敗れたと聞き、やむなく奴らと手を結んだ。対等な交易相手として我らを遇しているかと思えば、その裏で宿敵であるタウングーを利するとは! 我らをはかりにかけて弄ぶつもりか!」

 かつてアユタヤは、日本の台頭を危険視して交易を制限していた。

 だが、宗主国と頼んだ明の敗北により、日本との関係を結ばざるを得なくなった経緯がある。以来、交易によって国は潤ったが、ナレースワンの日本への不信感は消えていなかった。

「陛下。日本は我が国とタウングーを両天秤てんびんにかけて競わせて、東南アジアへの影響力をさらに強固にするつもりなのでしょう」

「分かっておる!」

 ナレースワンは声を荒らげた。

「奴らにとって、我らは駒の1つに過ぎぬのだ。タウングーが力をつければ、我らは奴らへの依存を深めざるを得なくなる。実に狡猾こうかつな手を……」

 しばらくの沈黙の後、ナレースワンは顔を上げた。

 その目には、数多の戦場を駆け抜け、独立を勝ち取った英雄の闘志がよみがえっている。

「もはや猶予はない。対立させるのが目的なら、我らにも軍備を提供させよう。ポルトガルは日本に敵わぬとしても、オランダはどうなのだ? いずれにしてもタウングーの再興は許さぬ。そして日本には、我らが決して御しやすい駒ではないと、いずれ思い知らせてくれる」

 西のタウングーでは再興の野心が、東のアユタヤでは独立のプライドが新たな緊張の火種を生み出していた。純正が描く壮大な計画の裏側で、各地のおもわくは複雑に絡み合い、静かに未来の嵐を育んでいたのである。




 次回予告 第917話 (仮)『ハーグの密談』

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