第456話 『スコットランド商人のささやき』

 慶応四年十一月中旬(1868年12月下旬)

「おや、井上さあと伊藤さあじゃなかと? どげんしたと?」

 開国の影響を受けて西欧と東洋の文化が混在する国際都市長崎で、出島の多様な商業活動の騒音から距離を置いた丸山の静寂に包まれた高台に、その料亭は古風で上品な外観で建設されていた。

 表面上は肥後藩御用達の控えめな看板を掲げているが、建物の奥に設けられた特別な座敷は、秘密の商談を実施する重要な客のために準備されている。

 世俗の雑踏とは完全に分離された静かな一室で、3人の男が緊張した表情で息を止めて座っていた。

「小松さん、それはこちらのセリフですよ。京都から薩摩に帰ったとは聞いていたが」

「そうじゃ。なんで小松さんが長崎にいるんじゃ?」

 井上馨と伊藤博文は驚いて返答するが、小松帯刀もわけが分からない。

 帯刀は薩摩藩の家老であり、井上は毛利家中の出身であった。伊藤は農民出身であったが、互いに敬いあっても見下しはしない。

 そもそも大村藩の学校ではそういう言動を戒めていたのだ。

「うむ、まあ詳しくは言えんが……(これはいったい? ……まさか)」


「小松様、井上様、伊藤様、長らくお待たせしました」

 深みのある落ち着いた声と共に現れたのは、印象的な青い目を持つ西洋人の男であった。歳は30歳前後に見える壮年である。

 丁寧に整えられた美しい亜麻色の髪を持ち、英国製と思われる仕立ての良い上質な洋装に身を包んでいる。整った顔には、商人特有の如才ない親しみやすい笑みが浮かんでいた。

「ミスター・グラバー、これはいったい?」

 3人はほぼ同時に声をあげた。

 2週間前に薩摩・長州の長崎の蔵屋敷から密電をもらい、藩で協議したうえで、意図を見極めるために遣わされたのである。

「皆様、お久しぶりでございます。イングランドの愚行のせいでしばらく日本を離れておりました。本日は貴重な機会を設けていただき、心より感謝いたします」

 流ちょうで自然な日本語であったが、グラバーは日本人女性の加賀マキと結婚している。

 1859年に来日して当時東アジア最大の商社だったジャーディン・マセソン商会に入社したが、2年後の1861年にグラバー商会として独立していた。

 その後は生糸や茶の輸出をしていたが、生麦事件と日英戦争のため離日していたのである。

 3人はグラバーの再来日の驚き以上に、なぜ同じ席に呼ばれたのか全く意図が読めなかった。

 薩摩と長州が水面下で手を結ぶ動きは極秘のはずである。それが理由なら、なぜ異国の商人に伝わっているのか。動揺と警戒は隠せない。

 グラバーは穏やかな笑みを浮かべたまま席に着く。

 給仕の女性に目配せをして下がらせると、静かに口を開いた。
 
「皆様が驚くのも無理はありません。私が薩摩と長州、それぞれに別々にお声がけをしたのですから。この場には、お三方にそろっていただく必要がございました」

「ミスター・グラバー。単刀直入に伺うが、何の御用ですかな。我々がここにいる理由を教えていただきたい」

 帯刀が場の空気を引き締め、低い声で質問した。他の二人も、固唾をのんでグラバーの言葉を待つ。

「もちろんです。本来なら銃と軍艦を売りたいところですが、銃は大村と佐賀に価格面で対抗できません。それに兵備輸入取締令は廃止されていませんからね。まあいくらでも抜け道はありますが、ああ、まったく腹が立つ。イングランドの野郎のせいで、貿易の条約すら復活していない」

 確かに取締令は1度廃案になりかけたが、現在でも有効である。

 しかしそれ以前の問題で、イギリスは日本と貿易すらできない状態なのだ。

 スコットランド人であるグラバーは、国籍はイギリスだがイギリス人ではない。スコットランド人としての誇りを持って活動しているのだろう。

「そこで本日は皆様に、あるビジネスプランをご提案したく、お集まりいただきました」

 グラバーはそう切り出すと、いったん話を止めた。

 3人の顔を順に見回しながら、予想外の言葉を続ける。

「ですから私は、皆様に武器を売るつもりはありません。先の話で国交が完全回復していけば問題ないでしょうが」

 その一言は部屋の緊張を一層高めた。

 武器商人からの申し出と聞いていた井上と伊藤は、完全に肩透かしを食らった形だ。

「では、いったい何を我々に売ると言うのですか」

 伊藤がやや険しい表情で尋ねる。

 グラバーはその問いにすぐには答えずに、まず日本の現状分析から語り始めた。

「皆様もご存知のとおり、今の日本で最も優れた銃や大砲を製造しているのは、大村藩です。ついで佐賀藩でしょう。彼らは鉄鉱石から製鉄をして、一貫して兵器を生産する体制を築いている。品質は高く、価格は安い。私が本国から最新の銃を輸入しても、輸送費を考えれば価格競争で彼らに勝つのは不可能です。商人として、勝ち目のない戦いはいたしません」

 グラバーの分析は冷静かつ的確であったが、井上たちが最も痛感している事実でもある。

 大村藩の圧倒的な技術力と生産力から『絶対に敵にはできない』のだ。

 その事実は討幕を目指す彼らの前に大きな壁として存在している。

「大村藩との争いは起こしたくないのが、あなた方の本音ではないでしょうか。むしろ、友好関係を維持したいと考えている。しかし、徳川幕府からの圧力が強まった場合、大村藩や佐賀藩からの武器供給が絶たれる危険を憂慮している。違いますかな」

 図星であった。

 グラバーは薩長さっちょうの置かれた苦しい立場を正確に見抜いていたのである。井上と伊藤はもはや反論の言葉を持たない。帯刀も静かにグラバーの話に聞き入っている。

「そこで私の提案です。私は皆様に武器ではなく、武器を生み出す『知識』と『技術』を売りたい」

「知識、ですと?」

「ええ。我がスコットランドから、銃や大砲の製造に精通した優秀な技術者を呼び寄せます。彼らを薩摩藩と長州藩に派遣し、兵器製造の技術を基礎からお教えするのです。皆様が、ご自身の藩でスナイドル銃や大砲を量産可能になるまで、私が責任を持って支援します。いわば、人材派遣ビジネスです」

 室内が静まり返った。

 武器の購入ではないから日英の国交問題に影響を受けず、兵備輸入取締令にも反しない。

 兵器の自給自足能力の獲得は、薩長が抱える根本的な問題を解決する画期的な提案であった。大村藩や佐賀藩への依存から脱却し、幕府の圧力にも屈しない独自の軍事力を確保できる。

 その魅力は計り知れない。

「ミスター・グラバー。それはあまりにも……。イギリス政府が、軍事技術の流出を簡単に認めるとは思えませんが」

 井上がもっともな疑問を口にした。

 日英戦争の記憶はまだ新しい。

 敵対した相手に国家の根幹をなす技術を渡すはずがないし、大村藩の技術はすなわち江戸幕府の技術である。パリ万博で見た圧倒的な技術の差は、供与など必要ないレベルの差だったのだ。

「ご心配は無用です」

 グラバーは即答した。

「この契約は、国としてイングランドは関わりません。あくまで私、一商人トーマス・ブレーク・グラバーと、皆様の藩との間で交わす、個人の秘密契約です。私が新たに会社を設立し、その会社が技術者を雇用し、皆様に派遣する。国家間の条約ではありませんから、外交問題にはなりません」

 スコットランドのクライド川沿いには多数の造船会社があり、各地に製鉄所や軍需工場が存在していた。

 技術者を引き抜き、薩摩と長州に人材派遣するビジネスプランなのである。


 完璧な抜け道だった。

 国家ではなくあくまで藩と商人との取引であれば、表沙汰になる危険は少ない。

 また、貿易ではないから問題がないのだ。

 外国人の国内移動に関しても、生麦事件以降に条約が改正されている。領事館・公使館・大使館の敷地内の治外法権のみ認め、それ以外は国内法に準ずる代わりに自由な移動が許可されていたのである。

 井上と伊藤は顔を見合わせて息をのんでいた。

 帯刀が静かに口を開く。

「グラバー殿。その話、お受けします。いったん戻って諮らねばなりませぬが、我らにとって『保険』となりましょう」


 こうして、長崎の料亭の一室で密約が成立した。


 次回予告 第457話 (仮)『法と武』

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