第454話 『勅許と激震』

 慶応四年十月二十九日(1868年12月12日) 京都 岩倉邸

「~との由にて、麿まろが草(下書き)をしたためて奏上いたしましゃる。近々に主上おかみより宣旨が発せられましゃる」


 !

 な、なんて?

 なんて言った?

 殿が正四位下で近衛大将このえのだいしょう弾正尹だんじょうのいんだって?

 昇叙はいいとしても、どっちも近衛府と弾正台の長官じゃないか?

 形骸化して官位の一位二位程度のずれはあるとしても、無茶苦茶だ!

 それよりも幕府に無断で昇叙の方が大問題だぞ。

 オレが従五位上なんて、慶喜がむか? 陪臣だぞ、オレ。

 官職は、まあ……補佐なら……。

 どっちにしても勝手に、が問題だって!

 戊午ぼごの密勅よりひどいぞ!

 岩倉さーん! 確かに頼んだけど、やりすぎだって!


「岩倉様、その儀は確と定まったのでございますか?」

「はい。主上も一連の騒ぎと幕府の不甲斐ふがいなさには、御宸襟ごしんきんを悩ましあそばれてあらしゃいまする」

 幕府に任せておいては、下手をすれば天皇の命さえ危うい。

 そのためには朝廷が自ら天皇を守る力を、そして綱紀を正すための力を今こそ持つべきであるとの判断なのだろう。

「……岩倉様。お言葉ですが、中納言様(慶喜)は黙って受け入れますまい。我が殿の昇叙はともかく、陪臣である某の従五位上昇叙は前代未聞。徳川の政道へ弓引く行いと受け取るはずにございます。格好の攻め伏す(攻撃・問い詰める)材料となりましょう」

 武家諸法度以来、官位の授与は幕府の推薦を経て行われるのが不文律であった。

 それを完全に無視した今回の勅許は、幕府の人事権への介入に他ならない。慶喜が最も激怒するであろう点を、次郎は冷静に指摘した。

「加えて近衛大将と弾正尹。いずれも只今ただいまは名ばかりとはいえ、名が持つ意味は大きゅうございます。特に近衛大将は、征夷せいい大将軍に任官する前の東照大権現様がお就きになっていた官職。これを徳川以外の者が拝命するなど、あり得ませぬ。必ずや議会で猛烈なる抗いにあいましょう」

 これは徳川家に対するあからさまな挑発であった。

 岩倉の狙いは単なる新組織の設立に留まらない。幕府の権威そのものを正面から否定しにかかっているのだ。

「次郎はん……」

「はい、何でございましょう」

 明後日の方を向いて次郎の名を呼んだ岩倉は、返事を待って一息ついてから次郎に向き直る。

「次郎はんは、いったい何をどないしたいんであらしゃいますか?」

「え? いったいそれは……」

 岩倉の唐突な質問に、次郎は答えが見つからない。

 やりたいのは天皇を中心とした議会制民主主義である。

 しかも武力を使わずに、言論で、民主主義の力で徳川を弱めてやっていく。

 かなりざっくりとだが、これが次郎のやり方である。

「次郎はんも中将殿も、そら大変なご苦労をされてる思いましゃる。そやけど、それならいつになるか分からしまへん。中納言も容易に幕府の権を放りやし(放り出し)、一大名に徳川を落とすやら、このままなら夢のまた夢ではあらしゃいまへんか」

「それは……」

 確かに岩倉の言うとおりであった。

 強引に大政奉還を迫り、逆らうなら武力で成敗する。

 大村藩の軍事力と薩長さっちょうや佐賀藩の力を合わせれば可能だろう。

 史実の戊辰ぼしん戦争は函館まで含めて1年半かかった。しかし1年、いや、半年で終わるかもしれない。

 しかし、はたしてそれでいいのだろうか?

 間違いなく多くの血が流れる。

 純顕も次郎も望んでいないのだ。

「次郎はん、中納言(慶喜)が如何いかにするかは分からしまへん。受け入れるか拒むかも分からしまへんが、少なくとも主上の御宸襟を安んじ奉り、都の治安を保ってはもらえしまへんやろか。徳川の権云々うんぬんやら、ならわしがどうちゅうのんは、諸行無常やあらしまへんか」


「……承りました。この儀、藩邸にて殿に言上申し上げ、然るのちにお返事申し上げます」

 確かに、慶喜の出方次第であった。


 藩邸に戻り、純顕に事の次第を全て報告すると、純顕はしばらく目を閉じ、深く息を吸い込んだ。

「……受けよう、次郎。岩倉様の意をみ、この勅許、謹んでお受けする」

 その声に迷いはなかった。

「我らがやらねば、誰がやる。我が国のため、帝のため、たとえ火中のくりを拾う事になろうとも避けては通れぬ道だ」

「ははっ」


 ■数日後 御所

 御所内は張り詰めた静寂に包まれていた。

 御簾みすの奥に座す帝の前には、関白・二条斉敬をはじめとする公卿くぎょうたち、そして徳川慶喜が平伏している。慶喜の隣には、京の守護職である松平定敬も控えていた。(容保は引責辞任)

 やがて、侍従が勅許の文面を厳かに読み上げ始めた。

「……従四位下近衛権中将大村伊織純顕に正四位下を授け、新たに設けた・・・・・・六衛督ろくえのかみ、ならびに弾正尹に任ずる……」

 その言葉に場の空気が凍り付いた。

 弾正尹はまだしも、六衛督とは何だ?

 佐幕派の公卿たちの顔から血の気が引いていく。慶喜は、表情こそ変えなかったが、その肩が微かに強張るのを抑えられなかった。

 六衛督は左右近衛府、左右衛門府、左右兵衛府の6つの官府の長官として新設されたのである。

 侍従の言葉は続く。

「……六位蔵人太田和次郎左衛門武秋に従五位上を授け、弾正少忠ならびに左兵衛佐として先の職の補佐を命ずる……」

 陪臣への昇叙。

 前代未聞の事態にどよめきが起こるのを、関白が咳払せきばらいで制した。

 勅許が読み上げられると、慶喜はゆっくりと顔を上げた。

「恐れながら申し上げます。此度こたびの御沙汰、二百年来の慣例を違えるもの。特に陪臣への昇叙は、武家の秩序を乱す恐れも……」

 慶喜が慎重に言葉を選び、異を唱えようとしたが、御簾の奥から、芯の通った孝明帝の声が響いた。

「中納言。此度は、そもじに対するうらみつらみで言うのではない。加えて、幕府に対しても同じである」

 その言葉で慶喜は言葉を呑んだ。

「そもじは禁裏御守衛総督である。なれど京の治安は如何いかがか。先の守護職の兵糧蔵の火事、升屋での騒動。民の不安は募るばかりぞ。この有り様、総督として如何に考える」

 非難ではなかった。

 ただ、事実を問うていたのである。

 その問いは何よりも重く慶喜にのしかかった。

 慶喜は、己の権威の源泉である天皇から職責を直接問われたのである。そうなれば、どんな弁明もこの場では通用しない。

 床に額をこすりつけるほど慶喜は深く頭を垂れた。

「……御言葉、返す言葉もございませぬ。勅許、謹んで、拝受いたします」

 絞り出すような声であった。


 慶喜は表向きには屈した。

 しかし、彼の戦いはここから始まる。

 勅許という『器』は認めたが、その中身を満たすのは自分だと、固く誓っていたのだ。

 議会では予想通り『六衛府・弾正台設立法案』の審議が紛糾する。慶喜率いる『公議政体党』は、勅許には敬意を表するとしながらも、その細部は徹底的な審議を要求したのだ。

 六衛督の指揮権は御所周辺に限定され、市中の治安維持は引き続き守護職が担う。

 さらに弾正台の監察かんさつ対象から幕府高官は除外された。次官以下の人事権は幕府が掌握し、予算は国家財政の逼迫ひっぱくを理由に、計画の十分の一以下に削減されたのである。

 次郎たちの『日本公論会』は勅許を盾に応戦したが、議会運営を支配する数の力の前には、なすすべもなかった。

 世間は朝廷と大村藩は老獪ろうかいな慶喜の前に敗れ去ったと噂したが、それすらも次郎たちは予測していたのである。


 ■さらに数日後 京都 大村藩邸

「さて次郎よ。まさにお主の言う通りになったの」

「は、中納言様が公に朝廷に背くとは到底思えません。ゆえに宣旨を受けつつも、名のみの実のないものにするであろうと考えました」

 まさに、表向きは勅書を承り、そのとおりにやると見せかけて、実際の権限を骨抜きにするだろうと予測していたのだ。

「して、この先は如何いたす?」

「然様でございますね。中納言様が議会で我らを封じ込めるならば、我らは都の民を味方につけるまで。まずは一つ、盛大な『祭り』を催し、我らがもたらす未来を都の全ての人々にお見せしたく存じます」

「祭り、とな?」

 純顕の問いに次郎は不敵な笑みを浮かべた。


 数日後、次郎は帝の勅許を得て公家や諸大名、そして都の民衆を御所の前に集め、前代未聞の催しを開いた。

 広場の中心には、一本の奇妙なガラス玉を先端につけた柱が立っているだけである。集まった人々は固唾を呑んでその様子を見守っていた。

 やがて次郎が姿を現し、眼下に広がる群衆に向かって静かに告げる。

「各々方。今宵お集まりいただいたのは他でもない。我が家中が帝に奉る、新しい時代の『光』をご覧に入れるため」

 その言葉に、招待されていた慶喜派の議員たちの間に緊張といぶかしげな空気が漂った。

 彼らはパリ万博の報告で、大村藩が人知を超えた技術を保有していると知っている。

「……光、だと? またあの男の奇天烈な見世物か」

 誰かがそうつぶやき、得体の知れないものへの警戒感をにじませた瞬間であった。

 次郎が手を振り下ろすのを合図に、広場の柱の先端でジジジ……と音がすると同時にまばゆい閃光せんこうがほとばしったのである。

 闇を切り裂いて現れた白い光は、月や星々を消し去り、集まった人々の顔や、建物の細部までを白日の下にさらしていった。

 その超常的な光景に、群衆から驚嘆と畏怖の入り混じった声が上がる。

 デモンストレーション用に特別に用意された、数百個のグローブ電池を組み合わせたバッテリーセットの力であった。

 圧倒的な光を見せつけた上で、次郎は宣言する。

「今お見せしたのは、ほんの始まりに過ぎませぬ。費用は全て大村家中が持ち、およそ半年にて、この光で京の都の隅々までを照らし、夜盗や辻斬つじぎりが潜む闇を永遠に消し去ってご覧に入れます」

 その言葉は、もはや「絵空事」ではなかった。

 目の前で『奇跡』を見せられた民衆にとっては、『約束された輝かしい未来』そのものである。割れんばかりの歓声が夜の京都に響き渡った。

 この日を境に形勢は完全に逆転していく。

 次郎の計画を机上の空論とおとしめていた慶喜派は沈黙し、民衆は熱狂的に改革を支持し始めた。

 号令一下、計画は恐るべき速度で動き出す。

 朝廷の裁可が下り、大村から呼び寄せられた技術者と熟練工たちが、瞬く間に京とその周辺に展開した。

 淀の河川敷では政治的摩擦を最小限に抑えつつ、水運と冷却水の便を確保した理想的な立地で、巨大な火力発電所の基礎工事が昼夜を分かたず進んでいったのである。

 同時に京の都では、送電網と先行して市中の詰め所や主要な屋敷を結ぶ電信網の敷設工事が始まった。

 まだ光は灯ってはいない。

 しかし、あの夜の奇跡と日に日に姿を変えていく都の様子は、強烈な期待感を人々の心に深く刻み付けていった。

 慶喜は議会で次郎たちの権力を骨抜きにしたが、次郎は政治闘争の土俵から降り、慶喜には真似のできない技術で直接民の心を掴み始めているのである。


「さて、あとは弾正台の仕事だな。高官は無理でも、それ以外には捜査ができる」

 次郎は前々から思っていた内通者の捜査に乗り出していった。


 次回予告 第455話 (仮)『外交という名の戦場』

コメント

タイトルとURLをコピーしました